ユネスコ無形文化遺産保護条約第13回政府間委員会への参加


平成30(2018)年11月26日から12月1日にかけて、インド洋に位置する島しょ国モーリシャスの首都ポートルイスにてユネスコ無形文化遺産保護条約第13回政府間委員会が開催され、本研究所からは2名の研究員が参加しました。
今回の委員会では、日本から提案された「来訪神:仮面・仮装の神々」の代表一覧表記載について審議が行われ、29日に「記載」との決議がなされました。これは、平成23(2011)年の第6回政府間委員会で日本の「男鹿のナマハゲ」の提案に対し、既に代表一覧表に記載されていた「甑島のトシドン」との類似性を指摘され、「情報照会」の決議を受けたため、「男鹿のナマハゲ」をはじめ、沖縄県宮古島の「パーントゥ」や鹿児島県悪石島の「ボゼ」など国指定重要無形民俗文化財(保護団体認定)の10件を構成要素としてグループ化し、「甑島のトシドン」の拡張提案としたものです。そのため日本からの代表一覧表記載の無形文化遺産の数は、以前と変わらず21件です。しかし、国内においてはより多くの遺産がユネスコ無形文化遺産となりました。
今回の委員会で審査された他の遺産のうち、とりわけジャマイカが提案した「レゲエ音楽」が代表一覧表に記載されたことは特筆すべきです。「レゲエ音楽」は、当初は評価機関(Evaluation Body)により「情報照会」と勧告され、今回の記載の決議は見送られる可能性がありましたが、委員国による議論の結果、「記載」と決議されるに至りました。
なお、今回の委員会から2022年まで日本は委員国を務めます。今回の委員会でも、本研究所が取り組んでいる「無形文化遺産の防災」の事例と、アジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)が取り組んでいる「アジア太平洋地域の無形文化遺産と災害リスクマネジメントに関する研究」の事例が日本代表団から紹介されるなど、緊急状況下にある無形文化遺産の保護について、日本の取り組みが一定の貢献を果たしていることが強調されました。今後も我が国が政府間委員会で存在感を示すことが期待されます。
一方で政府間委員会の進め方に関する懸念も感じられました。近年は、評価機関による「情報照会」の勧告を委員会が「記載」に覆すことが多くなりましたが、今回もそのようなケースが散見されました。また条約の運用指示書が認めていない手続きの実施が委員会で決議される事例もありました。事実、こうした委員会の進め方に対して、一部の締約国からは懸念が示されており、今後の委員会の進め方に課題を残したといえるでしょう。
滋賀県における曳山金工品修理技術の調査


無形文化遺産部ではこれまで文化財の保存技術に関する調査研究を行ってきました。有形・無形の文化財を後世に伝えていくためには、文化財そのものだけではなく、文化財を保存修復する技術、それに用いられる材料や道具の製作技術なども保存・継承されてゆく必要があります。こうした技術を我が国の文化財保護法では「文化財の保存技術」と呼び、そのうち特に保存の措置を講ずる必要があるものを「選定保存技術」として選定し、保存・保護の取り組みが行われています。しかし国によって保護の対象となる技術は、全体の中ではわずかな割合に過ぎません。国に選定されていない技術についても目を配り、調査研究の対象にすることも、本研究所の重要な役割と考えています。
平成30(2018)年度は滋賀県教育委員会と共同で、滋賀県選定保存技術「曳山金工品修理」の保持者である辻清氏の調査を行っています。氏は、国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の構成要素でもある「長浜曳山祭」で用いられる曳山の錺金具などの金工品を修理する技術の保持者で、これまで数多くの曳山の修理に携わってきました。現在は、滋賀県日野町で行われる「日野曳山祭」(県指定無形民俗文化財)で用いられる金英町曳山(芳菊車)の金工品の修理に携わっており、私たちはその作業の様子を調査し、映像で記録させていただいています。
いうまでもなく、曳山祭を実施するためには曳山の存在が必要不可欠です。そのため、曳山祭という無形の文化財を保存・継承していくためには、曳山を修理する技術も保存・継承していかなければなりません。しかしそうした技術の後継者が不足していることも事実です。私たちの調査研究は、こうした技術を記録保存という形で後世に残していくこともひとつの目的ではありますが、普段あまり注目されることの少ないこうした文化財の保存技術に光を当て、その重要性を指摘することも目的のひとつと考えています。
大韓民国国立無形遺産院との研究交流(来訪研究員の受入)


東京文化財研究所無形文化遺産部は平成20(2008)年より大韓民国の国立無形遺産院と研究交流を継続しています。その一環として平成30(2018)年10月15日から11月2日にかけて、国立無形遺産院学芸士の尹秀京氏を来訪研究員として受け入れ、研究交流を行いました。
今回の研究交流における尹秀京氏の研究テーマは、日本における無形文化遺産としての民俗技術に関するもので、特に製塩と製茶に焦点を絞ったものでした。そこで私たち無形文化遺産部では、国の重要無形民俗文化財に指定されている奥能登の揚げ浜式製塩(石川県珠洲市)と、静岡県静岡市および京都府宇治市における製茶の現地調査に同行し、その研究のサポートを行いました。
無形文化遺産としての民俗技術は、日本では無形の民俗文化財の三つのカテゴリーのひとつとして、風俗慣習および民俗芸能と並んで位置付けられていますが、実は民俗技術が加えられたのは平成16(2004)年の文化財保護法改定の時のことです。2018年現在、国の重要無形民俗文化財に指定されているものは309件ありますが、そのうち民俗技術のカテゴリーに入れられたものはわずか16件しかありません。また製塩については奥能登の揚げ浜式製塩が国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、製茶については都道府県による指定を受けているものはあるものの、国の指定を受けたものはまだひとつもありません。ただし宇治市の「宇治茶」については、茶園および製茶場が国の重要文化的景観である「宇治の文化的景観」の構成要素となっており、また日本遺産「日本茶800年の歴史散歩」の構成要素にもなっています。
いっぽう大韓民国では、無形文化財のカテゴリーのひとつに「伝統知識」があり、製塩と製茶はその中に位置づけられ、国の文化財として指定されているとのことでした。さらにその際、保持者や保護団体を特定しなくても、広範囲の地域に伝承されてきたものを包括的に指定することができるとのことでした。日本の文化財保護法では、無形の民俗文化財を指定する際にはその保護団体を認定する必要があります。無形文化財の保護制度において、日韓の間で相違があるのは興味深いことです。
こうした研究交流の良い点は、互いの国の無形文化遺産の違いを知るとともに、その保護のあり方の違いを知ることにもつながることです。こうした情報の交換を通じて、お互いの国でそれぞれ、より良い文化遺産保護のあり方を見直すきっかけになれば意義深いことでしょう。
ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)が実施する現地研修(フィジー)への協力


平成30(2018)年10月22日から27日にかけて、ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)文化遺産保護協力事務所(奈良市)がフィジーにおいて現地研修「文化遺産ワークショップ2018(フィジー)」を実施しました。この現地研修では、ACCUとフィジー博物館、文化庁が共催し、博物館収蔵品(主に考古学資料・民族資料)の記録法についてのワークショップを実施しました。研修にはフィジー国内から12名の博物館関係者が参加したのに加え、隣国であるトンガ王国からも1名の参加がありました。このワークショップのうち、前半の22日から24日にかけての3日間について、本研究所無形文化遺産部の石村智・音声映像記録研究室長が講師をつとめました。
研修では、実際の考古学遺跡から出土した土器資料を用い、まず文様や部位(口縁部・胴部など)ごとに分類し、整理したものを台帳に記録する作業を研修生に体験してもらいました。次に、分類したものの中から特徴的な遺物をピックアップしてもらい、それぞれの遺物について拓本と実測図(断面図)を作成する作業を体験してもらいました。最後に、完全な形(完形)の土器の実測図の作成を練習してもらいましたが、これには練習用のレプリカを使用しました。最後に、作成した拓本および実測図をカード化して整理する作業を体験してもらいました。
現地研修の良い点は、現地にある資料を実際に用いて作業を体験してもらえることで、より実践的な技術移転を果たすことができます。いっぽうで難しい点は、現地ごとに資料の性格が異なるため、それに合わせた研修内容を考え、工夫しなければいけないことです。例えばフィジーでは、遺跡から完形の土器が出土することはまれで、多くの場合、細かい破片の状態で見つかります。ACCUが日本国内で実施する考古学研修では、完形土器の実測の練習に重点を置いていますが、今回の現地研修では現地の実情に合わせ、土器の破片の分類・整理や、拓本による記録法に多くの時間をあてました。
実際に研修生の多くは、実務で資料を様々な方法であつかってきたものの、システマティックに資料を分類・整理して記録を作成するプロセスを示した今回の研修は新鮮だったようで、興味を持って取り組んでくれたようでした。この研修が、この地域における文化財の保存に資するものになれば幸いです。
世界社会科学フォーラム(WSSF)への参加とミクロネシア伝統航海士の招へい


平成30(2018)年9月25~28日に福岡市で「世界社会科学フォーラム(WSSF)」が開催されました。これは社会科学の国際会議としては最大規模のもののひとつで、25日の開会式には皇太子同妃両殿下も行啓され、皇太子殿下からは開会の挨拶を賜りました。26日には東京文化財研究所無形文化遺産部とユネスコ大洋州事務所が共同でチェアをつとめるセッション「太平洋島嶼国における帰属の文化の育成―文化遺産と文化的表現の多様性の保護及び促進を通して」が催されました。このセッションにあたって本研究所は、ミクロネシア連邦ヤップ州を拠点にカヌー文化の復興と環境問題に取り組むNGO団体Waa’geyを主宰し、自身も伝統的航海術の保持者であるラリー・ライゲタル(Larry Raigetal)氏を日本に招へいし、特に無形文化遺産としてのカヌー文化の保存と活用について意見交換をする機会を得ることができました。
同セッションでは、本研究所の石村智とユネスコ大洋州事務所の高橋暁氏が司会をつとめ、ライゲタル氏の発表の他、ニュージーランド先住民(マオリ)の研究者であるサンディ・モリソン(Sandy Morison)氏(University of Waikato)、栗原祐司氏(京都国立博物館副館長)の発表に加え、日本オセアニア学会会長の山本真鳥氏(法政大学)からのコメントを得ました。セッションでは、大洋州における有形・無形の文化遺産をいかに保全し、さらにそれをいかに文化復興につなげていくかについて、活発な議論がなされました。
とりわけライゲタル氏の発表では、自身が保持しているカヌーの伝統的航海術、とりわけ星を観測しながら航海をおこなうスター・ナビゲーションの知識に言及しつつ、気候変動やグローバリゼーションという状況の中で伝統文化を持続可能な形で守っていくことが現代社会の問題を解決する鍵になるという意見が述べられました。氏は国連気候変動会議に参加するなど、国際的にも幅広い知見を有していることから、その意見は示唆に富んだ貴重なものとなりました。
同会議の後の29日は、NPO法人日本航海協会(代表:奥智樹氏)が宮崎県日向市で開催したワークショップに招かれ、同団体のメンバーとライゲタル氏の間で意見交換をする機会が持たれました。同団体は、パラオ共和国から日本に寄贈された伝統的航海カヌーの修復と試験航海を手掛けており、さらに古代日本の航海術の復元を試みるといった活動を行っています。同団体とライゲタル氏との交流を通じて、カヌー文化のつながりが大洋州のみならず日本にまでつながり、両地域の連携の機運を盛り上げていくことになればと思います。
東京文化財研究所はこれまで、平成28(2016)年5月にグアムで開催された第12回太平洋芸術祭において、カヌー文化の復興に関する専門家や保持者を一堂に会した「第一回カヌーサミット」を主催するなど、大洋州におけるカヌー文化の保存と活用についての国際協力に携わってきました。現在、大洋州ではカヌー文化をユネスコ無形文化遺産として推薦しようという機運も高まってきています。こうした動向に、国際協力の一環として今後も本研究所が貢献することができればと思っています。
共催事業「伝統の音を支える技」の開催




平成30(2018)年8月3日(金)、「伝統の音を支える技」を共通テーマに、「第12回東京文化財研究所 無形文化遺産部 公開学術講座」と「第24回東京三味線・東京琴展示・製作実演会」を、東京文化財研究所と東京邦楽器商工業協同組合の共催事業として開催しました。
午前は、東京邦楽器商工業共同組合の楽器製作者(箏、三味線)による製作のデモンストレーションと解説、演奏体験・質問コーナーがあり、参加者が楽器製作者と直接対話し、楽器の演奏法を習う貴重な機会となりました。昼休みには、無形遺産部で楽器製作・修理調査を行ってきた担当者が、実例を挙げながらパネルトークを行いました。午後は、公開学術講座として、3名の講演者が異なる立場から日本の伝統の音を支える技に関する問題を提起、課題への取り組みの報告を行ったのち、コメンテーターも加わって情報や問題を整理し、課題解決の糸口について意見を交わしました。最後に、新進気鋭の演奏家による長唄演奏で締めくくり、製作者、研究者、演奏家を繋いで伝統の技を取り巻く様々なレベルでの課題を共有することができました。
参加者は総計148名と盛況で、楽器や楽器に附属する物の製作者、ジャンルを越えた実演家、研究者や教育者、伝統芸能愛好家など多岐に亘り、伝統芸能を支える技に幅広い関心が集まっていると実感しました。今年度末に報告書を発行するとおもに、今後も、今回得られたネットワークを活かしながら芸能を支える技を多角的に調査し、その保存・継承に資する研究を継続する予定です。
実演記録「宮薗節(みやぞのぶし)」第一回の実施

平成30(2018)年7月30日、無形文化遺産部は東京文化財研究所の実演記録室で、宮薗節の記録撮影(第一回)を行いました。宮薗節は国の重要無形文化財に指定されています。
宮薗節は、18世紀前半に初代宮古路薗八(みやこじそのはち)が京で創始しました。その後、京では衰退しましたが、18世紀半ばに江戸で再興され今日に至ります。宮薗節の音楽的な特徴は、重厚で艶のある独特の浄瑠璃(声のパート)と、柔らかく厚みのある中棹三味線の音色にあります。伝承曲は古典曲十段と新曲で、内容はほとんどが心中道行ものです。
今回収録したのは、古典曲《小春治兵衛炬燵(こはるじへえこたつ)の段》(炬燵)と新曲《箕輪の心中》です。両作品とも宮薗千碌(タテ語り、重要無形文化財各個指定いわゆる人間国宝)、宮薗宮薗千よし恵(ワキ語り)、宮薗千佳寿弥(せんかずや)(タテ三味線)、宮薗千幸寿(せんこうじゅ)(ワキ三味線)の各氏による演奏です。
無形文化遺産部では、今後も宮薗節の古典曲および演奏機会の少ない新曲の実演記録を継続していく予定です。
標津イチャルパの調査と地域の遺産

平成30(2018)年6月17日、標津町のポー川史跡自然公園内の国指定遺跡・伊茶仁カリカリウス遺跡においてアイヌの伝統的な儀式「イチャルパ」が執り行われ、無形文化遺産部の研究員も見学に訪れました。
この標津イチャルパは、アイヌの和人に対する抵抗運動のひとつである寛政元(1789)年のクナシリ・メナシの戦いで処刑された23人のアイヌを供養するためのものです。標津アイヌ協会の主催で平成21(2009)年に始まり、今回で10回目を数えます。儀式では、前半で御神酒を神に捧げるカムイノミがおこなわれ、後半では亡くなった人を供養するイチャルパが行われ、最後に歌と踊りであるウポポとリムセが行われれました。
標津イチャルパが行われた場所は、考古学的にはトビニタイ文化と呼ばれる時期(およそ9~13世紀)を中心に集落が営まれた伊茶仁カリカリウス遺跡であり、遺跡の前面に展開する標津湿原と併せて、現在ではポー川史跡自然公園として整備されています。厳密にいうと、伊茶仁カリカリウス遺跡の最盛期とクナシリ・メナシの戦いの起こった時期は一致しませんが、遺跡がこの地のアイヌの祖先たちによって営まれたものであると考えられることから、アイヌの伝統的儀式を復活させるにあたって、それを執り行う場として選ばれたようです。
文化財の活用が求められている昨今において、標津イチャルパの事例は遺跡の活用の一例としてひとつのモデルケースとなりえるでしょう。というのも、遺跡が持つ無形的要素、すなわちアイヌの祖先の地という「文化的空間」を生かした形での活用がなされているからです。つまり遺跡の歴史的価値が、今日のアイヌの文化復興において文化資源として活用されている、とみることができます。
一方で、伊茶仁カリカリウス遺跡の文化資源の価値は、ただアイヌにとってのみのものではありません。標津イチャルパにあわせて、現地では市民向けに「ポー川まつり」が開催され、カヌー体験や、学芸員による史跡ガイドツアー、縄文こども村などの各種のイベントが執り行われています。また教育の一環として、地域の小学生たちがイチャルパに参加するという試みも継続的に行われています。実際に標津町内においても、人口の大半はアイヌをルーツにもたない人たちですが、こうした人たちにとっても、遺跡が地域の文化資源として活用されているのです。また同時に、アイヌをルーツに持つ人たちと持たない人たちとが交流する場ともなっているのです。
近年では、標津町をはじめとする道東1市4町(根室市・別海町・標津町・中標津町・羅臼町)が協力して、この地域の遺産を「日本遺産」としてノミネートしようという動きも進められています。伊茶仁カリカリウス遺跡は、その中でも主要な構成要素として位置付けられています。北海道という、多様なルーツを持つ人たちが共に暮らす地域において、地域の遺産というものをどのようにとらえていくのかは難しい課題でもありますが、このような標津町をはじめとする道東地域の動向については、今後も引き続き注目したいと考えています
大韓民国国立無形遺産院との研究交流


東京文化財研究所無形文化遺産部は平成20(2008)年より大韓民国の国立無形遺産院と研究交流をおこなっています。本研究交流では、それぞれの機関のスタッフが一定期間、相手の機関に滞在し研究をおこなうという在外研究や、共同シンポジウムの開催などをおこなっています。本研究交流の一環として、平成30年(2018)年4月23日から5月7日までの半月間、無形文化遺産部音声映像記録研究室長の石村智が大韓民国に滞在し、在外研究をおこないました。
今回の在外研究の目的は、植民地時代の朝鮮半島において日本人研究者がおこなった人類学・民俗学的研究の動向を調査し、その今日的意味を批判的に問い直すというものです。今回の研究では特に、京城帝国大学助教授として終戦まで朝鮮半島で活動し、帰国後に東京大学で日本初となる文化人類学研究室の設立に携わった、泉靖一教授(1915-1970)の足跡をたどる調査をおこないました。
在外研究の期間の前半は、泉が1930年代と60年代に調査をおこなった済州島を訪れ、泉が実際に調査に入った村落を訪れて聞き取り調査をおこなうなどの調査をおこないました。その結果、済州島の社会は昭和23(1948)年から昭和29(1954)年まで続いた四・三事件の影響で大きく変容し、村落の住民もほとんどが入れ替わってしまうほどであったことがわかりました。しかし幸いにも今回、泉が最初に調査をした30年代からずっと同じ村落に住み続けている老人に会うことができ、村落の変容の具体的な様相を明らかにすることができました。また泉は自身の調査を通じて、製粉のための碾磨(ひき臼)を共同所有する複数の家族が済州島の社会集団を構成する一単位であるとみなし、それを「碾磨集団」と定義しました。しかし今回の調査を通じて、碾磨の使用は50年代から60年代にかけてほぼ消滅し、その背景には社会変化だけでなく製粉作業の機械化の影響があることも分かりました。
在外研究の後半では、国立無形遺産院がある全州に滞在し、国立無形遺産院のスタッフたちと交流を深めつつ済州島の調査内容を整理し、その成果を研究発表会で報告しました。
今回の在外研究を通じて、戦前・戦後の時期を通じて済州島をはじめとする大韓民国の社会が大きく変容したこと、そして過去の人類学・民俗学的調査の資料は、そうした変容過程を理解する上でも、今日的な意義を持っていることを確認することができました。
最後に、今回の研究交流において、調査のサポートをしてくださった李明珍さん(国立無形遺産院)と李德雨さん(神奈川大学)に感謝いたします。
『かりやど民俗誌』の福島県浪江町苅宿地区への贈呈


福島県浪江町苅宿地区では、「鹿舞」や「神楽」などの無形文化遺産が伝承されてきました。しかし2011年の東日本大震災に伴う原子力発電所事故により住民全員が避難。民俗芸能も継承の危機に至りました。そこで無形文化遺産部では、鹿舞・神楽を中心に、それを支える地区の歴史や暮らしについて、民俗誌という形で残すべく調査を重ね、平成30年(2018)3月に『かりやど民俗誌』として刊行しました。
苅宿地区は2017年4月より帰還が可能になりましたが、1年経った現在でも帰還したのは数世帯という現状です。そのような中で地区の復興を祈念して「大震災苅宿地区復興祈念碑」が建立されることとなりました。4月21日にその除幕式があり、無形文化遺産部より久保田裕道が臨席しました。式典中、民俗誌の完成披露も行われました。民俗誌は、苅宿地区の全戸に配布できるよう贈呈しました。この民俗誌が地区の無形文化遺産の継承に少しでも役立つことを、また地区の復興が進むことを願っています。
無形文化遺産ファンサイト「いんたんじぶる」の公開

無形文化遺産部では「文化財防災ネットワーク推進事業」(文化庁補助金事業)の一環として、ウェブサイト「いんたんじぶる」を作成し、公開・運用を始めました。東日本大震災では、無形文化遺産に関する被災・支援情報が非常に少なく、迅速な救援や復興に支障を来たしていました。とくに無形文化遺産には指定文化財以外のものも多く、そうしたさまざまな情報を集めるにあたっては、関係者や愛好者のネットワークが重視されました。
本サイトは、そうしたネットワーク構築のための情報共有を目的として開設致しました。より多くの方々に閲覧いただけるよう、無形文化遺産に関するニュースや見学レポート、またギャラリーやコレクションといった愛好者向けのページを作成。キャラクターも加えて親しみやすいページを目指しています。
http://intangible.tobunken.go.jp/
第2回祭ネットワーク開催

祭りや民俗芸能などの愛好者を対象にした「祭ネットワーク」の第二回目が、株式会社オマツリジャパンとの共催にて4月14日(土)に東京文化財研究所地下会議室にて開催されました。今回のテーマは「シシマイ×シシマイ」。富山県より獅子絵田獅子方衆の勝山理氏、射水町獅子舞保存会の勝山久美子氏、香川県より讃岐獅子舞保存会代表の十川みつる氏、同保存会広報・東京讃岐獅子舞代表の中川あゆみ氏の4人にゲストスピーカーとしてご登壇いただきました。両県ともに圧倒的な数の獅子舞を伝える地域。地域の獅子舞に対する情熱を熱く語っていただき、その後参加者との活発な質疑応答が交わされました。参加者からは、地域の祭りや伝統へのこだわり、地方の人口減少や世代間ギャップなどの問題を、実際の事例で改めて認識することができたといった声があがりました。
タイ文化省代表団の来訪


平成30(2018)年3月13日に、タイ文化省(Ministry of Culture)からPradit Posew文化振興局副局長を団長とする5名の代表団が東京文化財研究所を訪問し、本研究所の研究員と意見交換を行いました。
タイは平成28(2016)年にユネスコの無形文化遺産の保護に関する条約を批准し、現在、国内の無形文化遺産のインベントリ作成を推し進めるとともに、平成29(2017)年には「Khon(タイの伝統的な仮面舞踏劇)」と「Nuad Thai(伝統的なタイのマッサージ)」の2件を「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載するための申請をしたとのことです。このうち前者の遺産は、平成30(2018)年11月26日~12月1日にモーリシャスで開催される、ユネスコの無形文化遺産の保護に関する第13回政府間委員会で審査される予定です。
今回の代表団の来訪の目的は、無形文化財・無形文化遺産の保存と活用について長年の経験と蓄積のある日本の現状を視察し、専門家と意見交換をすることでした。本研究所における意見交換では、両国の専門家がそれぞれ自国の無形文化遺産の現状を報告し、質疑応答とともに、両国に共通する課題についての議論もおこなわれました。その中でも、無形文化遺産をいかに次の世代に伝承していくかは、日本とタイのいずれにおいても重要な課題であるという認識で一致しました。
日本では近代化の中で、これまでに多くの伝統的な文化が姿を消していきました。タイは現在、急速に経済が成長し、開発も進展する一方で、伝統的な文化が衰退・消滅するおそれもはらんでおり、経済発展と文化の保護をいかに両立するかが重要な課題です。そうしたとき、日本の事例を成功例だけでなく失敗例もあわせて参照してもらうことで、無形文化遺産の伝承にとってより良い道を探ることができるのではないかと思いました
台湾中央研究院における国際シンポジウム「東アジアにおける文化遺産と宗教」への参加


平成30(2018)年1月8日から9日にかけて、台湾の中央研究院(Academia Sinica)とオーストラリア国立大学が共同で主催する国際シンポジウム「東アジアにおける文化遺産と宗教(Cultural Heritage and Religion in East Asia)」が中央研究院民族學研究所において開催されました。本シンポジウムには、台湾をはじめ、香港、韓国、オーストラリア、アメリカ、イギリスなどの多くの国から文化遺産を研究する専門家が参加し、本研究所からは無形文化遺産部音声映像記録研究室長の石村智が招待を受け、研究発表をおこないました。発表タイトルは「日本における宗教に関連した無形文化遺産と保護制度(Intangible cultural heritage and the protection system related to religion in Japan)」で、東大寺の修二会と祇園祭の山鉾巡行を題材に、宗教に関連した無形文化遺産については文化財保護法の範疇で含めることのできる要素とできない要素とがあることを論じました。本発表に対しては、韓国の研究者がコメンテーターとして、戦後日本の政教分離の政策にも言及しつつ、様々な観点からレビューをおこないました。
本シンポジウムに参加した感想としては、東アジアの多くの国や地域では宗教は無形文化遺産の重要な要素のひとつと認識されており、そのことが保護政策や観光政策に反映されている事例が多いということがわかりました。そのことにより、遺産の宗教的要素が守られるという肯定的な側面がある一方で、宗教的要素が観光や開発のもとで本来の形を失ってしまうこともあるという否定的な側面もあるということがわかりました。
ひるがえって我が国の文化財保護法においては、基本的に宗教的要素をその範疇に含めないという方針がとられています。しかし現実には、宗教団体が主体となっておこなう祭礼は文化財として指定することは難しいが、地域住民などのコミュニティが主体となっておこなう祭礼は文化財として指定することが可能であるという判断がなされています。しかし実際の祭礼においては、宗教的要素とそうでない要素を分けることは難しい場合が多いのも事実です。
海外の事例と比較することで、日本では何を「文化遺産」として捉えているのか、つまり「文化遺産」とは何なのか、そうしたことを考えさせられる有意義なひと時でした。
フィリピンにおける無形文化遺産の防災に関する調査


大阪府堺市にあるユネスコのカテゴリー2センターであるアジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)は、平成28(2016)年度よりアジア太平洋地域における無形文化遺産の防災に関する調査研究を実施しており、本研究所の無形文化遺産部もその事業に継続的に協力してきました。このたびIRCIが実施するフィリピンでの現地調査に、IRCIの連携研究員である石村智・無形文化遺産部音声映像記録研究室長が参加しました。
フィリピンは自然災害に見舞われることの多い国です。例えば1991年のルソン島のピナトゥボ火山の噴火では、近くに暮らす先住民のアエタ族が大きな被害を受けました。また近年では2013年10月にボホール島周辺で地震が発生し、セブ島にある同国最古の教会であるサント・ニーニョ教会などの歴史的建造物が被害を受け、さらに同年11月の台風「ヨランダ」はレイテ島をはじめとする各地に大きな被害をもたらしました。こうした災害から、有形の文化遺産とともに無形の文化遺産をいかに守っていくか、というのは大きな課題です。
今回はルソン島北部のコルディリェーラ地域のイフガオ州とアブラ州を対象として現地調査をおこないました。コルディリェーラ地域は山岳地帯で、多くの先住民が暮らす地域であるため、多様な無形の文化遺産が所在する地域ですが、開発が立ち遅れている場所も多く、災害に対して脆弱性をはらんでいる地域であるともいえます。調査にはIRCIの野嶋洋子アソシエイトフェローと石村室長に加え、フィリピン側からは文化芸術国内委員会(National Commission for Culture and the Arts)のスタッフ2名とフィリピン大学教授で染織の専門家であるノーマ・レスピシオ博士(Prof. Norma Respicio)の計5名が参加しました。調査期間は平成30(2018)年1月24日から2月1日でした。
このうちイフガオ州は、ユネスコ世界文化遺産「コルディリェーラの棚田群」で有名ですが、この遺産はかつて人口流出や耕作放棄により「危機遺産」に指定されたこともありました。その後、コミュニティ主体の文化復興の運動が進み、また「イフガオ族のフドフド詠歌」とイフガオ州ハパオ村の伝統綱引きの行事(ベトナム・カンボジア・韓国・フィリピンによる共同提案「綱引き」の構成要素の一つとして)がユネスコ無形文化遺産に登録されました。イフガオ州は険しい山岳地形が多いため、台風や地震などによって引き起こされる地滑りが深刻な問題で、棚田をはじめ、家屋や道路が危険にさらされることも多いとのことでした。しかし近年ではコミュニティが主導する観光をはじめとした開発が活発で、伝統的な織物や木彫などの手工芸も盛り上がってきている様子をうかがうことができました。このようにイフガオ州では、ユネスコの世界遺産や無形文化遺産といったブランド力をうまく活用しながら、伝統文化を現代的な形で適応させるのに成功しているようでした。
アブラ州は、コルディリェーラ地域の中では比較的低地で、河川沿いの盆地を中心とした地域ですが、山岳部での森林伐採や鉱山開発により、河川の氾濫と洪水という災害の危険性にさらされているとのことでした。それに対し、先住民が伝統的におこなってきた資源利用の慣習を、現代の法制度の中に組み込んだ「ラパット・システム(Lapat system)」が施行され、持続可能な開発がおこなわれている様子をうかがうことができました。またこの地域では、伝統的文化も色濃く残されており、とりわけピナイン(pinaing)と呼ばれる聖なる石を祀った儀礼や、バグラン(baglan)と呼ばれる霊能者がおこなう儀礼などが、キリスト教の思想や現代の科学的知識と共存し、地域のアイデンティティを支えている様子をうかがうことができました。
今回の調査地は、いずれも災害に対して脆弱な地域であるにも関わらず、持続可能な開発に沿った形で伝統的文化を活用し、レジリエンスをうまく発揮している様子をうかがうことができました。こうした事例は、無形文化遺産の防災を国際的に検討するにあたって、重要な示唆を与えてくれるものと考えます。
実演記録「平家」第一回の実施


「平家」(「平家琵琶」とも)は、盲人の琵琶法師が『平家物語』を琵琶伴奏で語る日本の伝統芸能の一つですが、室町時代に全盛期を迎えて以後徐々に衰退し、今では正統な継承者が一人になってしまいました。そこで無形文化遺産部では、「平家」の語りの技術を次世代に継承、普及すべく2015年より研究と演奏を行っている「平家語り研究会」(主宰:薦田治子武蔵野音楽大学教授)の協力を得て、1月15日に東京文化財研究所の実演記録室で記録撮影を行いました。
撮影記録を行ったのは、伝承曲《紅葉》、復元曲《小督》(三重から下リ冒頭まで)、復元曲《敦盛》(冒頭口説)、復元曲《祇園精舎》です。「平家語り研究会」は、気鋭の地歌箏曲演奏家・菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏が、平家研究の第一人者・薦田治子氏とともに客観的な裏づけに基づく「平家」の復元を行っていることも大きな特徴なので、今後とも、伝承曲だけでなく復元曲の記録もアーカイブしていく予定です。
「第1回 祭ネットワーク」の開催

全国各地で無形文化遺産としての「祭」が危ぶまれるなか、無形文化遺産部では伝承者と支援者・愛好者を結ぶネットワークの形成をめざして「祭ネットワーク」を開催しました。その第1回目のミーティングとして、12月9日東京文化財研究所で(株)オマツリジャパンと共催で開催し、「祭」に関心を寄せる愛好者40名以上が参加しました。
前半は「祭の課題」をテーマに、企業の立場で「祭」をコーディネートし地域活性化に取り組んできた山本陽平氏(オマツリジャパン)、全国の郷土芸能を支援してきた小岩秀太郎氏(公益社団法人全日本郷土芸能協会)、さらに久保田裕道・無形民俗文化財研究室長がプレゼンテーションを行いました。後半ではプレゼンテーションを受けて、参加者が7グループに分かれてディスカッションを行いました。最後にグループごとに「祭の課題」について報告し、次回へつなげました。
本ネットワークは伝承者や支援者、愛好者、研究者など様々な形で「祭」に関与する方々の意見交流をはかる場として継続開催を予定しています。
ユネスコ無形文化遺産保護条約第12回政府間委員会への参加

12月4日から9日にかけて、大韓民国済州島にてユネスコ無形文化遺産保護条約第12回政府間委員会が開催され、本研究所からは3名の研究員が参加しました。
近年は政府間委員会での議題数も増えてきている傾向にあるため、昨年までより1日長い6日間の会期となりました。本年の委員会では、新たに6件の遺産が「緊急保護リスト」に、33件の遺産が「代表リスト」に記載されました。なお本年は日本から提案された遺産はありませんでした。
また議題15「緊急事態下における無形文化遺産」の議論においては、日本代表団から、本研究所が取り組んでいる「無形文化遺産の防災」の事例と、アジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)が取り組んでいる「アジア太平洋地域の自然災害・武力紛争下における無形文化遺産の保護」の事例が紹介されました。また本研究所は、無形文化遺産部が2017年3月に作成した冊子『無形文化遺産の防災(Disaster Prevention for Intangible Cultural Heritage)』を会場内で配布しました。
国際的にも、いかに自然災害などから無形文化遺産を保護するのかという課題が注目を集めています。そうした中で本研究所は、東日本大震災後の文化財レスキューや311復興支援・無形文化遺産アーカイブスの構築といった、災害に対する文化遺産の保護について多くの経験を蓄積してきました。こうした本研究所の成果を国際社会に還元し貢献することは、本研究所にとっても重要な役割であると考えています。
「箕サミット―編み組み細工を語る」の開催

オイダラ箕


11月13日に東京文化財研究所で「箕サミット―編み組み細工を語る」が開催され、全国から80名以上の関係者が参加しました。
箕は穀物の選別や運搬に使われる農具です。高度経済成長期以前には生業の現場に欠かせない必需品でしたが、生活の現代化によって需要は激減し、その製作技術も継承の危機にあります。そこで技術の継承を考えるために、国指定重要無形民俗文化財(民俗技術)に指定された箕づくり技術のうち、秋田県秋田市の太平(おいだら)箕、千葉県匝瑳市の木積の箕、富山県氷見市の論田・熊無の箕の伝承者のみなさんをお招きし、実演とパネルディスカッションを行いました。
今回のサミットは、箕の作り手同士はもちろん、売り手、使い手、愛好家、研究者など箕に関わるさまざまな分野の方々がお互いの現状を知ること、またその交流を促すことが目的でした。民俗技術の継承には、調査・記録などの研究的アプローチももちろん重要ですが、そうした研究が実際の技術継承に貢献できることはごくわずかです。技術を人から人へ伝えていくためには時代の需要が不可欠であり、そのためには、技術をより柔軟に、現代にあったかたちに変えていくことが必要だからです。その模索には、箕に関わるできるだけ多くの関係者の知恵を結集させて取り組む必要があります。
パネルディスカッションでは技術継承の厳しい現状を知るとともに、売り手がどのような工夫をし、課題を抱えているのか、使い手が箕の何に魅力を感じているのかなどについても、多くの方に発言をいただきました。このサミットをきっかけに新しく築かれた関係者間のネットワークを大切に温め育てながら、今後も箕づくり技術の継承について考え、実践していきたいと考えています。
(サミットの内容は年度末に報告書として刊行し、ホームページ上でも公開する予定です。)
フィジーにおける無形文化遺産の防災に関する調査


大阪府堺市にあるユネスコのカテゴリー2センターであるアジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)は、平成28(2016)年度よりアジア太平洋地域における無形文化遺産の防災に関する調査研究を実施しており、本研究所の無形文化遺産部もその事業に継続的に協力してきました。このたびIRCIが実施するフィジーでの現地調査に、IRCIの連携研究員である石村智・無形文化遺産部音声映像記録研究室長が参加しました。
フィジーは大洋州地域の島しょ国で、平成28(2016)年3月に熱帯サイクロン「ウィンストン」が直撃したことにより、多くの地域が甚大な被害に見舞われました。今回の現地調査では、首都のあるビチレブ島東部の、特に被害が大きかった2村落で調査をおこない、現地住民から無形文化遺産と災害に関する聞き取り調査を実施しました。調査には、IRCIの野嶋洋子アソシエイトフェロー、フィジー博物館のエリザベス・エドワード氏、フィジー先住民省のイライティア・セニクラジリ・ロロマ氏、石村室長の4名が参加しました。調査期間は平成29(2017)年9月23日から10月3日です。
いずれの村も、建物のほとんどがサイクロンによって破壊されたそうですが、フィジー政府や海外のNPOなどからの支援によって住宅の再建が進んでいました。しかし新しく建てられた住宅のほとんどは、トタン板やコンクリートブロックなどの近代的な素材を多用した建築であり、ブレと呼ばれる木造で茅葺の伝統的なスタイルの建築は完全に姿を消していました。
地域住民への聞き取りでは、伝統的な知識の中に、サイクロンの到来を予知するような、防災に関連したものが多く含まれていることが明らかになりました。例えば、果物が多く実ったとき、特にパンノキのひとつの枝に複数の実が出来たときは、それがサイクロンの前兆とみなされてきたといいます。しかし近年ではこうした知識は軽んじられ、十分に活かされなくなったといいます。
また聞き取りによって明らかになったことは、伝統的なブレの住宅は1960年代以降、その数は徐々に減り、昭和47(1972)年の熱帯サイクロン「べべ」の被害によってほとんど姿を消し、平成5(1993)年の熱帯サイクロン「キナ」の被災後には完全に姿を消してしまったとのことでした。しかし一方でブレの建物は、暑さや寒さをしのぐのに適しており、住み心地が良かったという意見も聞かれました。しかしブレの建物を作れる技術を持った人はほとんどいなくなってしまったとも聞きました。
今回の現地調査で、災害が伝統的な生活様式を変化させ、それにともなう無形の技術も失われていく傾向にあることがわかりました。しかしそれは単に災害だけに原因があるのではなく、グローバル化や現代化の影響も大きいことがわかりました。
こうした現地調査で得られた知見をもとに、私たちは「復興」と「文化の保護」をどのように両立させることができるかを、考えていきたいと思います。