研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


無形文化遺産の保護に関する第8回政府間委員会への参加

開催地バクーの風景
政府間委員会での審議の様子

 無形文化遺産の保護に関する第8回政府間委員会は、2013年12月2日から7日にアゼルバイジャンのバクーで開催されました。東京文化財研究所からは3名が参加してユネスコの無形文化遺産の保護に関する条約(無形文化遺産条約)に関する動向の調査を行いました。
 政府間委員会で特に各国の関心が高いのは、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(代表一覧表)」への記載に関する審議です。今回、委員会での審議を経て一覧表に記載された案件は25件で、うち「和食:日本人の伝統的な食文化―正月を例として」など5件が食文化に関するものでした。「和食」の記載は日本でも話題になりましたが、一覧表に記載されるのは食に関連したさまざまな文化的な行為や伝統で、料理ではないことはあまり知られていないかもしれません。
 また、政府間委員会で審議対象となる無形文化遺産の件数の上限は、これまで年60件でしたが、2年で100件に削減することが決まりました。日本は古くから無形文化財が法的保護の対象となっており、多くの記載候補があります。今年提案される「和紙」のように類似したものを一括して提案する工夫もされていますが、多くの案件を記載している国にはしばしば推薦の自粛が求められており、今後は日本の案件の記載数が大幅に増えることはないかもしれません。しかし、無形文化遺産条約の目的は、さまざまな案件の一覧表への記載を通じて、無形文化遺産の多様性を認識し、保護することです。そのためには、どこにどのような無形文化遺産があるのか、またその性質を正確に認識・記録することが必要ですが、そのような作業が進んでいる国ばかりではありません。そのため、日本の専門家が世界各国への支援を通じて無形文化遺産条約の理念の実現に貢献する余地は大きいといえるでしょう。

月ヶ瀬奈良晒保存会における調査

経糸を機にかけるところ
緯糸となるへそ糸を巻く道具

 無形文化遺産部では伝統的工芸技術について情報収集及び調査研究を行っています。今回、月ヶ瀬奈良晒保存会の活動について無形文化遺産部の菊池が調査を行いました。
 晒とは本来「漂白する」ことを表し、漂白した麻布や綿布も「晒」と呼ばれています。。
 奈良晒は麻を原材料とした織物で『和漢三才図会』(正徳2(1712)年)や『萬金産業袋』(享保17(1732)年)にも記された奈良の「名物」です。これらの記述には「麻の最上というは南都なり」と記され、当代全国的名声を博していた様子が窺えます。それと同時に他地域より原材料である麻を仕入れていると判断できる記述も見られ、当時の分業体制の一端を垣間見ることができます。
 その時代より脈々と受け継がれてきた技術は現在でも月ヶ瀬奈良晒保存会の会員により伝承されています。現在、奈良晒の原材料は群馬県岩島地域の大麻を使用して製作されています。他地域に原材料を求める構造は同じ麻織物である越後上布にも見られるものです。染織技術が一部の地域の技術で完結するのでなく、多くの人々に支えられていることは技術伝承と引き離して考えることはできません。技の伝承に不可欠な材料や道具の背景にも我々はもっと眼をむけるべきでしょう。
 本調査を通じて、伝統的な技術を存続していくためのコミュニティの重要性について改めて考えるきっかけとなりました。

第8回無形民俗文化財研究協議会の開催

総合討議の様子

 11月15日、第8回無形民俗文化財研究協議会が開催されました。今回の協議会では「わざを伝える―伝統とその活用―」として、2005年度から指定制度のはじまった民俗技術を中心的なテーマに据えました。
 1975年から指定制度が運用されている民俗芸能や風俗慣習の保護についてはこれまでにも議論の蓄積があるのに対し、民俗技術については、その概念や制度について認知すら十分になされていないのが現状です。加えて、芸能や祭礼が本質的に非日常に属するのに対し、民俗技術は基本的に日常に属するものが多く、それによって生活している人が少なくないことから、社会や環境の変化による影響をより受けやすいという特徴があります。
 こうした現状を踏まえ、民俗技術の保護の現場でいま何が課題とされているのか、またどのような保護が可能なのかといった点について報告・討議が行われました。会では国指定の民俗技術保護の現場から2名、また民俗技術の指定制度に先行して職人技術の保護に取り組んできた東京都内の現場から3名の方をお招きし、発表いただいた後、2名のコメンテーターを交えて討議を行いました。
 報告・討議では、技術(製品)の需要の低下、分業体制の崩壊、原材料の不足、後継者不足など様々な問題が提示されました。技術の継承に向けた特効薬はありませんが、様々な立場の関係者の間で課題や情報を共有すること、産地や縦割り行政を越えて連携することの重要性が確認されました。無形文化遺産部では、今後も各地の取り組みについて事例を収集していくことで、情報共有・発信の役割を担っていきたいと考えています。
 なお、協議会の内容は2014年3月に報告書として刊行する予定です。

第8回無形文化遺産部公開学術講座「昭和初期上方落語の口演記録」

第8回無形文化遺産部公開学術講座の案内

 無形文化遺産部では、昨年度に引き続き、所蔵資料を題材とした公開学術講座を開催しました。これまで研究目的で収集蓄積してきた資料の存在を、広く一般の方々にも知っていただくことを目的の一つとしています。
 今年はニットーの長時間レコードを取り上げました。ニットー(日東蓄音器株式会社)は大阪にあったレコード会社で、昭和初期(1920年代後半)に長時間レコードを発売していました。一般的なレコードとは異なる方式で録音されていたため、今日では容易に聴くことができません。
 ニットー長時間レコードには、戦前の上方を代表する落語家、初代桂春団治、二代目立花家花橘、二代目笑福亭枝鶴(五代目笑福亭松鶴)が吹き込みを行っていました。ニットー長時間レコードにしか収録されていない演目が含まれているばかりでなく、その出来栄えとしても非常に面白い口演が記録されていました。今回の学術講座では、可能な限り多くの時間を割いて、昭和初期の上方落語の名演を聴いていただきました。

佐渡市・小木のたらい舟製作技術の調査

観光用のたらい舟には透明なFRPがまいてある
船外機をつけ、FRPをまいた現役のイソネギ用たらい舟

 9月10~11日にかけて、新潟県佐渡市の小木半島周辺に伝承されるたらい舟製作技術(2007年国指定無形民俗文化財)について調査を行いました。地元でハンギリとも呼ばれるたらい舟は、小回りがきき、安定性が高いことから岩礁の多い入り江で行われるイソネギ(磯漁)に盛んに用いられてきました。
 たらい舟はスギ板を張り合わせてマダケのタガで締めることによって作られます。いわゆる桶樽の製作技術を応用したもので、佐渡市ではこうした技術を伝承していくため、2009年にたらい舟職人養成講座を開くなど後継者育成に努めていますが、伝承者は数名にとどまるという厳しい状況が続いています。その背景のひとつには、そもそもたらい舟の需要が減少し、それによって生計を立てにくいこと、また技術練磨の機会が少ないことが挙げられます。たらい舟は小木半島の北面海岸のイソネギにおいて現役で使われていますが、イソネギ自体が以前ほど盛んでないことに加え、昭和60年代からたらい舟にFRP(繊維強化樹脂)加工を施すようになって耐久性が向上したため、新しいたらい舟の需要がなかなか見込めないのが現状です。
 たらい舟製作のような民俗技術は人々の暮らしとともにあり、生業や社会生活の変化、新技術の導入によって技術自体の需要が失われると、あっという間に衰退してしまいます。一方で、そうした社会環境の変化に伴って技術や用途を変容させていくことで、技術が伝承されていくのも、また事実です。小木では昭和40年代から民間業者によるたらい舟乗船が始まり、現在では佐渡観光の代名詞のひとつになるほど知られるようになっています。かつては能登半島や富山などでも伝承されていたたらい舟漁およびたらい舟の製作が佐渡にのみ濃厚に残ったのは、たらい舟の観光資源化による新しい需要の創出、また人々のたらい舟に対する意識の変化などがあったとも考えられます。
 ただし、そのたらい舟観光においても、10年ほど前に作り溜めしておいた舟にFRP加工を施して順次使っているのが現状ということで、たらい舟の製作技術伝承は更なる変化の局面に立たされていると言えます。

世阿弥自筆能本の調査

 奈良県生駒市の宝山寺には、現在では上演されなくなった作品を含めて世阿弥自筆の能のテキストが数点残されています。テキストの中には、部分的ですが歌詞の横にゴマ点を付した箇所があります。ゴマ点の向きで旋律を表しているのですが、ゴマについて詳細に調査を行い、世阿弥の作曲法について、手がかりを得ました。調査の結果は、今年度末に公開する予定です。

越中福岡の菅笠製作技術の調査

笠骨職人の木村昭二さん
笠縫いの作業はベテランでも1日2~3枚縫うのがやっと

 8月21~22日にかけて、富山県高岡市福岡町に伝承される菅笠製作技術(2009年国指定無形民俗文化財)の調査を行いました。
 菅笠はもともと日常生活で日よけや雨具として利用されてきた民具のひとつですが、現在では民俗芸能や時代劇で用いる小道具として、また民芸調の装飾品などとして重宝されています。越中福岡の菅笠は藩政時代から加賀笠と呼ばれ、上質な笠として広く流通してきましたが、現在でもその生産高は全国シェアの9割を占めており、屈指の産地となっています。
 菅笠製作は原料となるスゲの栽培、笠骨作り、スゲを笠骨に縫い付ける笠縫いなどの工程に分かれ、これまでは農閑期の副業として笠骨を男性が、笠縫いを女性が担ってきました。このうち、特に深刻な後継者不足に悩まされているのがスゲ栽培と笠骨作りです。例えばすべて手作業で行われるスゲ田の耕作者は年々減少し、越中福岡の菅笠製作技術保存会の調べによれば、市内の耕作面積は100アールを切るところまで縮小しています。また、最盛期に200人ほどいたという笠骨作りの職人も、現役では80代後半の木村昭二さんただひとりとなっており、後継者も十分に育っていないことから、せっかく注文があっても供給が追いつかないのが現状です。
 こうした状況を受け、保存会や高岡市福岡総合行政センターが中心となり、菅笠製作技術を伝承していくための総合的な対策に乗り出しています。これまでも、スゲ田の栽培面積の把握、スゲ田栽培関する記録(マニュアル)の作成、伝承者などとの意見交換や実演販売、技術講習会の実施、スゲを縫いつける縫い針の製作者発掘など、菅笠に関わる文化を伝承していくための多面的な活動が行われてきました。平成24年8月には「菅笠保全庁内連絡会議」、25年8月には「越中福岡スゲ生産組合」を設立し、地域振興課や経済振興課、福岡教育行政センター、文化財課、またスゲ栽培に深く関わる農業水産課などとの、垣根を越えた連携も行われています。
 平成17年から文化財指定がはじまった民俗技術の保護・活用については、これまで議論が尽くされてきたとは言えず、どのような課題や対応策、可能性があるのかについても十分な情報共有がなされてきませんでした。越中福岡の菅笠製作技術をめぐる様々な動きは、民俗技術の保護・活用を模索するひとつのモデルケースとして、今後も注視していく必要があると言えます。

粗苧製造技術の調査

剥いだ表皮を干しているところ(大分県日田市)

 無形文化遺産部では伝統的工芸技術を支える選定保存技術について情報収集及び調査研究を行っています。今回、重要無形文化財久留米絣を支える粗苧製造技術について無形文化遺産部の菊池が調査を行いました。
 久留米絣は大麻の茎の表皮である「粗苧(あらそう)」を用いて糸に防染を行います。現在、粗苧の材料である大麻は大分県日田市矢幡家で栽培されています。7月は粗苧製造の要である身丈より高くなった大麻を刈り取り、蒸す作業、皮を剥き干す作業行います。人手の必要なこれらの作業を一家族で担うのは簡単なことではありません。そのような中、一昨年度より久留米絣技術保持者会のメンバーも刈り取り等の作業を手伝う体制をとっているそうです。大麻取締法により入手が難しくなった粗苧は以前のように容易に手に入る材料ではなくなってしまいました。今後、このようなケースをどのように保護していくかを様々な立場から考えていく必要があるでしょう。

韓国における伝統技術の調査―韓国国立文化財研究所との第二次研究交流―

潭陽郡立 竹の博物館にて

 昨年度から始まった第二次「無形文化遺産の保護及び伝承に関する日韓研究交流」の一環として、無形文化遺産部の今石が6月12日から2週間の日程で韓国を訪問しました。現地では韓国の伝統的技術とその伝承・保護をテーマに、全羅南道潭陽地域における竹細工や、仁川市江華島の莞草細工の技術について調査しました。
 このうち潭陽は、かつて地域住民のほとんどが竹細工に関わっていたという竹製品の一大産地であり、彩箱(チェサン)作りや扇子作り、櫛作りなど5つの分野で国や市道の文化財指定を受けています。調査では文化財保有者(保持者)にお会いして伝統的な技術やその変遷について、また伝承の現状等について伺いました。さらに文化財を取り巻く状況として、潭陽郡が行う“竹文化”の観光資源化と地域活性化の動き――新しい竹製品の開発、郡独自の職人支援制度(郡の名人制度)、竹関連施設の運営等――についても知ることで、過去から現在、未来に向けて、文化財がどのように継承されていこうとしているのか、その一端を知ることができました。
 ところで、韓国の保護制度においては“無形の文化財”に当たるのは実質的に「無形文化財」のみであり、日本でいう民俗技術(無形民俗文化財)も工芸技術(無形文化財)もすべて「無形文化財」として、ひとつの制度で保護されています。従って、日本では「国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの」という価値づけがされる民俗文化財に当たるものも、韓国では「無形文化財」すなわち「歴史的・芸術的又は学術的な価値が大きいもの」として認識されることとなります。こうした日韓の制度の違いが、保有者や一般社会の認識、技術そのものにもたらす様々な影響についても、今後の研究交流の中でしっかりと捉えていく必要があると感じました。

福島県昭和村における選定保存技術の調査―韓国国立文化財研究所との第二次研究交流―

「からむし焼」の様子

 4月に引き続き韓国文化財研究所の李釵源氏が「無形文化遺産の保護及び伝承に関する日韓研究交流」で来日し、文化財保存技術である「選定保存技術」について研究・調査を行いました。福島県昭和村では重要無形文化財小千谷縮・越後上布の原材料である「からむし(苧麻)」を栽培し、苧引きしています。今回の調査では小満に行う「からむし焼」とも日程が重なり、重要な栽培工程を直接見学することができました。また、「からむし」に関わる行政担当者や技術者、その他の様々な立場の方との聞き取り調査を通じて、昭和村における「からむし」栽培の意義や選定保存技術の保護体制について考察を深めました。2週間に及ぶ研究交流の成果報告会では韓国には無い枠組みである「選定保存技術」について両国間における認識の相違点、文化財保護の在り方についても改めて認識を深めることができました。

結城紬の調査―韓国国立文化財研究所との第二次研究交流―

思川桜工房

 無形文化遺産部が行っている韓国文化財研究所との「無形文化遺産の保護及び伝承に関する日韓研究交流」も2年目に入りました。4月には韓国文化財研究所から黃慶順研究員が来日し、茨城県と栃木県で結城紬について調査を行いました。結城紬は2010年ユネスコ「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(代表一覧表)」に記載以降、文化面だけでなく産業、観光等の側面からも保護事業が行われています。今回の調査では技術者や行政担当者などに聞取調査を行い、結城紬の伝承基盤について考察を深めました。2週間に及ぶ研究交流の成果報告会では韓国と日本の無形文化遺産に対する政策や考え方の相違点についても改めて認識を深めることができました。

和泉流狂言《花子》の記録作成

佐藤友彦師の記録作成

 狂言には和泉流と大蔵流、ふたつの流儀があり、それぞれ演出や台本を異にしています。実は同じ流儀のなかでも伝承が違う場合があり、和泉流では狂言共同社(名古屋)、名古屋在住の野村又三郎家、金沢出身だった野村万蔵・野村万作家の三つの系統があります。無形文化遺産部ではかねてより狂言の演出について調査を進めてきましたが、今回はその一環として狂言共同社の佐藤友彦師に《花子》を謡っていただき、収録を行いました。《花子》は歌謡を中心とした作品で、一定の年齢にならなければ上演を許されない「習い物」です。

鹿児島県の来訪神行事「甑島のトシドン」の調査

子どもと問答するトシドン 座敷の奥は見物人
顔をのぞかせるトシドン

 鹿児島県薩摩川内市の下甑島で、大晦日に行なわれる来訪神行事、トシドンの調査を行ないました。「甑島のトシドン」は1977年に国の重要無形民俗文化財に指定されており、2009年にはユネスコの無形文化遺産の代表リストにも記載されました。
 トシドンは首切れ馬に乗って大晦日の晩に天からやってくるとされ、3~8歳の子どもが家の座敷で家族と共に出迎えます。「おるか、おるかー」という唸るような低い声、鉦の音とともに暗闇から現われ、座敷の端に顔を出して、子どもたちと問答します。子どもの一年間の悪いおこないを叱ったり脅したりする一方、良いおこないを褒め、また歌や踊り、九九など、子どもたちにそれぞれの得意技を披露させて、その出来を褒めます。最後には良い子になるように諭し、年餅と呼ばれる大きな餅を与えて去っていきます。
 小さな子どもにとっては心から恐ろしい体験であり、顔がひきつり泣き出す子どももいますが、問答を無事に終えるとひと仕事やり遂げたようなほっとした表情になります。また、見守る家族も子どもの成長を思ってか、涙ぐむ方がいるのが印象的でした。地元ではトシドンは子どもの教育のための行事と位置づけられていますが、そうした現代社会にとっても理解しやすい意味づけが語られ、共有されることによって、今日まで継承されてきた側面があると言ってよいでしょう。
 ただ、その継承には課題も多いのが現状です。最大の問題は少子化であり、指定された6つの保存団体のうち、今年行ったのは4つのみでした。また、私が随行させてもらった手打本町トシドン保存会でも、数年前までは10数軒の家をまわっていたものが、今年トシドンを受けたのは5軒のみで、そのうち2軒は祖父母の家に里帰りした子どもでした。
 観光との兼ね合いも大きな課題として挙げられます。本町保存会では2009年に無形文化遺産となって以降、研究者等の行事見学を積極的に受け入れるようになったとのことで、今回も私を含めて15人ほどの見物人がいました。トシドンが内外に広く知られ、多くの関心を集めることは地元にとって文化継承の大きなモチベーションとなり、観光資源ともなります。しかし一方、儀礼や神事としての意義や雰囲気をどのように保っていくのか、その両立も今後の大きな課題になるのではないかと感じました。

無形文化遺産保護条約第7回政府間委員会

無形文化遺産保護条約第7回政府間委員会

 無形文化遺産保護条約第7回政府間委員会は、去る12月3日から7日の5日間、パリのユネスコ本部において開催され、東京文化財研究所からは、無形文化遺産部の宮田繁幸、企画情報部の二神葉子の2名が参加しました。本来今回の委員会はグレナダがホスト国となる予定でしたが、財政事情等から8月にホスト返上となり、変則的にパリの本部での開催となりました。さらにユネスコ本体の財政逼迫の影響から、会議文書の限定配布や、第2会場でのビデオストリーミングがなされないなど、ロジスティックの面では少なからぬ不満の声も聞かれました。
 今回の会合では、緊急保護一覧表に4件、代表一覧表に27件の新たな無形文化遺産の記載が、また推奨保護計画として2件の登録が決定されました。日本から代表一覧表に推薦していた「那智の田楽」については、補助機関の事前審査では情報照会の勧告がなされていましたが、委員会で各国から記載基準を十分満たしているとの判断がなされ、無事記載という結論にいたりました。この日本のケースだけでなく、多くの案件が情報照会勧告にもかかわらず記載となったのは、各国1件のルールが実質的に定着し、全体審査件数が絞り込まれたため、比較的丁寧に各案件を委員国が吟味した結果であるとも考えられます。他の議題においても、参加国間で意見対立が目立った昨年の第6回政府間委員会及び6月の締約国総会と比べ、今回は委員国間に鋭い対立はあまりみられず、会議はおおむね協調的な雰囲気に終始しました。またいままであまり案件の提出がなされず、地域間格差の要因であったアフリカ諸国からの推薦も、今回はかなり増加し、条約の発効以来続けてきた同地域でのキャパシティビルディングの成果がようやく形となってきたと評価出来ます。なお日本は、2013年の代表一覧表候補の審査にあたる補助機関のメンバーに今回初めて選ばれました。この機会を捉え、無形文化遺産部としては専門的知見を生かし、補助機関の審査を通じて貢献したいと考えています。

第7回無形文化遺産部公開学術講座

第7回公開学術講座

 12月8日、山口鷺流保存会を招いて公開講座を平成館大講堂で行いました。タイトルは「山口鷺流狂言の伝承を考える―東京文化財研究所無形文化遺産部所蔵記録をめぐって―」です。サブタイトルにあるように、無形文化遺産部は昭和33年、芸能部時代に山口鷺流狂言の記録作成を行っています。歌い手はすでに鬼籍に入り、記録の中には現在では伝承されていない曲も多くあります。それらを視聴・分析をしながら、山口鷺流狂言の将来の伝承について考察し、現在伝承されている《宮城野》と《不毒》を鑑賞しました。鷺流は明治時代に中央では廃絶した流儀なので、東京で上演される機会はほとんどありません。参加者からは意義深かったとの感想が多く寄せられました。

第35回文化財の保存と修復に関する国際研究集会報告書の刊行

第35回文化財の保存と修復に関する国際研究集会報告書

 11月末、第35回文化財の保存と修復に関する国際研究集会報告書『染織技術の伝統と継承―研究と保存修復の現状―』が刊行されました。本研究集会は、2011年9月3日~5日の3日間にわたり、国内外の制作者、修復技術者、学芸員、研究者など様々な立場の専門家を招いて開催しました。報告書では、研究集会で議論された課題をより多くの人と共有し、さらなる議論の深化を図ることを目的に、すべての報告を収録しています。PDF版は無形文化遺産部のホームページでも公開の予定です。

第7回無形民俗文化財研究協議会の開催

研究協議会の様子

 10月26日、第7回無形民俗文化財研究協議会「記憶・記録を伝承する―災害と無形の民俗文化」が開催されました。昨年12月に開催された第 6 回協議会「震災復興と無形文化―現地からの報告と提言」に引き続き、本年も災害と無形民俗文化財をテーマとし、より踏み込んだ議論を行ないました。
 無形の民俗文化財をどのように後世に伝えていくのかは平常時からきわめて重要なテーマのひとつですが、3.11による原発事故や津波によって離散や人口減少を余儀なくされている地域においては、特に差し迫った課題となっています。そこで協議会では、伝承のための手段のひとつである「記録」を取りあげ、震災後、様々な立場から記録に携わってきた5名の発表者と2名のコメンテーターをお招きし、これまでの取り組みや課題、展望についてご報告・討議いただきました。会の中では様々な記録の手法や活用の方法等が提示されたほか、それぞれの立場、働きを繋ぐネットワークの重要性が再確認されました。
 また今回の協議会には、今後大規模災害の発生が予想されている地域からも多くの関係者にご参加いただきました。こうした災害をはじめ、少子高齢化や過疎化など、無形民俗文化財を取り巻く近い将来の危機への備えとして、今何ができるのか、しておくべきかといったことも、今後検討すべき重要なテーマとして残されました。
 なお、協議会の全内容は2013年3月に報告書として刊行する予定です。

明願寺(新潟県上越市牧区)所蔵フィルモン調査

明願寺ご住職の池永文雄氏(右)
フィルモンのポータブル型再生機

 東京文化財研究所では、早稲田大学演劇博物館と共同でフィルモン音帯の調査を行っています。その成果の一部は、すでに2011年3月刊『無形文化遺産研究報告』第5号で公表しています。
http://www.tobunken.go.jp/~geino/pdf/kenkyu_hokoku05/kenkyu_hokoku05Ijima.pdf
 フィルモン音帯とは、戦前の日本で開発された特殊な音声記録媒体(レコード)です。当時、最も一般的に普及していたSPレコードの平均的な録音時間は約3分でした。これに対し、フィルモン音帯は30分以上の演奏でも収録が可能でした。画期的な発明品だったのですが、生産期間が昭和13年(1938)から同15年と非常に短かった上に、専用の再生機を必要としたため、戦後は急速に忘れ去られてしましました。音帯、再生機ともに現存数は決して多くありません。
 発売された音帯の種類は、約120程であっただろうと考えられています。上記報告書の時点で、現存が確認できたのは85種でした。昨年暮れ、新潟県の明願寺(上越市牧区)に多数の音帯が所蔵されているとの情報を得たことから、ご住職の池永文雄氏にご協力を請い、10月に調査を実施しました。その結果、所蔵されていた音帯は49種で、その内の16種がこれまで未発見だったものと確認されました。さらに、現存数が少ないポータブル型の再生機も動態保存されていました。所在確認調査という点からも、大きな進展であったといえます。
 明願寺所蔵の音帯は、浪曲を中心とした大衆演芸が多いところに特色があります。ご住職のお話によると、娯楽の少ない地域(現在でも最寄りのJR高田駅から車で小1時間)のため、明願寺の母屋に有線放送用の施設を作られた前住職の故池永隆勝氏(昭和12年に送信開始)が、長時間録音のフィルモンに注目し、放送用のコンテンツとして、再生機ともども大量に購入したのだそうです。当時の放送施設も、いまなお数多くが保存されていました。地方の郷土文化史を考えてゆく上でも、貴重な資料群の一つであったことになります。

山口鷺流狂言の調査

お話される小林栄治さん

 今年の12月、無形文化遺産部では山口鷺流狂言をテーマに公開学術講座を開催します。 鷺流は狂言の一流派でしたが、明治維新の混乱期に中央では廃絶しています。山口では、長州藩の狂言役者だった春日庄作が素人に狂言を教えたことで、現在まで伝承が続きました。山口では県の無形文化財に指定し、山口鷺流狂言保存会を結成しています。無形文化遺産部は、芸能部時代の昭和33年(1958)に山口で狂言の録音を行いましたが、現在ではこの記録が一番古い音源資料となっています。
 9月18日、録音資料を携えて山口で調査を行い、保存会の最長老小林栄治さんに昔の伝承についてお話をうかがいました。その成果は、公開講座で披露します。

International Field School Alumni Seminar on Safeguarding Intangible Cultural Heritage in the Asia Pacific タイ王国ランプーン市

国際セミナー参加者

 この国際セミナーは、タイのthe Princess Maha Chakri Sirindhorn Anthropology Centreと日本のアジア太平洋無形文化遺産研究センターの共催で、2012年8月6日~10日に、タイ北部のランプーンで行われ、当研究所から無形文化遺産部の宮田がリソースパーソンとして招聘され参加しました。 セミナーには、タイをはじめ、カンボジア、ヴェトナム、中国、ブータンの各国から、若手の博物館関係者及び人類学研究者が集い、実践事例の発表と討議及び野外学習が実施されました。またリソースパーソンとしては、タイ、イギリス、アメリカ、日本から研究者が参加し、それぞれの発表を行うと共に、討議にも参加しました。参加者は、日頃の博物館等における調査・研究業務を通じて、各地域での無形文化遺産保護活動に具体的に関わっている人が多く、その具体的関心の高さを反映して、非常に活発で有意義な討議が行われました。また第一線の若手専門家の生の声を聞くことが出来たことは、リソースパーソンとして参加した者にも、大きな刺激となりました。このセミナーは、来年度以降も同様の形で継続する予定ですので、無形文化遺産部では、アジア太平洋無形文化遺産センターと連携しつつ積極的に参加し、日本の専門家として貢献していきたいと考えています。

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