標津イチャルパの調査と地域の遺産
平成30(2018)年6月17日、標津町のポー川史跡自然公園内の国指定遺跡・伊茶仁カリカリウス遺跡においてアイヌの伝統的な儀式「イチャルパ」が執り行われ、無形文化遺産部の研究員も見学に訪れました。
この標津イチャルパは、アイヌの和人に対する抵抗運動のひとつである寛政元(1789)年のクナシリ・メナシの戦いで処刑された23人のアイヌを供養するためのものです。標津アイヌ協会の主催で平成21(2009)年に始まり、今回で10回目を数えます。儀式では、前半で御神酒を神に捧げるカムイノミがおこなわれ、後半では亡くなった人を供養するイチャルパが行われ、最後に歌と踊りであるウポポとリムセが行われれました。
標津イチャルパが行われた場所は、考古学的にはトビニタイ文化と呼ばれる時期(およそ9~13世紀)を中心に集落が営まれた伊茶仁カリカリウス遺跡であり、遺跡の前面に展開する標津湿原と併せて、現在ではポー川史跡自然公園として整備されています。厳密にいうと、伊茶仁カリカリウス遺跡の最盛期とクナシリ・メナシの戦いの起こった時期は一致しませんが、遺跡がこの地のアイヌの祖先たちによって営まれたものであると考えられることから、アイヌの伝統的儀式を復活させるにあたって、それを執り行う場として選ばれたようです。
文化財の活用が求められている昨今において、標津イチャルパの事例は遺跡の活用の一例としてひとつのモデルケースとなりえるでしょう。というのも、遺跡が持つ無形的要素、すなわちアイヌの祖先の地という「文化的空間」を生かした形での活用がなされているからです。つまり遺跡の歴史的価値が、今日のアイヌの文化復興において文化資源として活用されている、とみることができます。
一方で、伊茶仁カリカリウス遺跡の文化資源の価値は、ただアイヌにとってのみのものではありません。標津イチャルパにあわせて、現地では市民向けに「ポー川まつり」が開催され、カヌー体験や、学芸員による史跡ガイドツアー、縄文こども村などの各種のイベントが執り行われています。また教育の一環として、地域の小学生たちがイチャルパに参加するという試みも継続的に行われています。実際に標津町内においても、人口の大半はアイヌをルーツにもたない人たちですが、こうした人たちにとっても、遺跡が地域の文化資源として活用されているのです。また同時に、アイヌをルーツに持つ人たちと持たない人たちとが交流する場ともなっているのです。
近年では、標津町をはじめとする道東1市4町(根室市・別海町・標津町・中標津町・羅臼町)が協力して、この地域の遺産を「日本遺産」としてノミネートしようという動きも進められています。伊茶仁カリカリウス遺跡は、その中でも主要な構成要素として位置付けられています。北海道という、多様なルーツを持つ人たちが共に暮らす地域において、地域の遺産というものをどのようにとらえていくのかは難しい課題でもありますが、このような標津町をはじめとする道東地域の動向については、今後も引き続き注目したいと考えています