研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


スーダンのリビングヘリテージ保護への国際協力

カイロで開催されたユネスコの会議(2023年9月)

 東京文化財研究所では令和5(2022)年度より科学研究費「ポストコンフリクト国における文化遺産保護と平和構築」(挑戦的研究(萌芽))事業により、スーダン共和国の国立民族学博物館とリビングヘリテージの保護に関する研究交流を行っています(研究代表者:無形文化遺産部長・石村智、研究分担者:北海学園大学工学部准教授・清水信宏氏、研究協力者:京都市埋蔵文化財研究所調査研究技師・関広尚世氏)。スーダンでは長年にわたって内戦と独裁政権の支配による政治的混乱が続いてきましたが、平成31/令和元(2019)年に30年間続いた独裁政権が崩壊して暫定的な民主国家が樹立され、国の復興が進められてきました。そうした中、スーダンの歴史と文化的多様性を表現するものとしての文化遺産の重要性、とりわけ無形文化遺産をはじめとするリビングヘリテージへの注目が高まっています。令和5(2023)年5月には国立民族学博物館長Amani Noureldaim氏、副館長・Elnzeer Tirab氏を日本に招へいし、本研究所と共同研究の覚書を締結する予定でした。
 しかし令和5(2023)年4月15日、スーダン国軍と準軍事組織である即応支援部隊(RSF)との間で衝突が発生し、スーダン国内は武力紛争下に置かれてしまいました。そのため5月に予定していた招聘は直前で、いったん延期とすることにしました。
 このような困難な状況にあっても、スーダンの文化遺産関係者は文化遺産を守るための活動を続けるべく努力を重ねています。首都のハルツームにある国立民族学博物館やスーダン国立博物館等は閉鎖せざるを得ない状況となっていますが、国立文物博物館局(NCAM)の職員をはじめとする関係者は国外に退避したり、国内の安全な地域に避難したりしながら、活動を継続しています。例えば6月3日~5日と7月6日~10日には、主にエジプトのカイロに退避した関係者を中心に、文化財保存修復研究国際センター(ICCROM)の主導により対面とオンラインによる緊急ワークショップ・フォーラムが開催されました。本事業のメンバーもスーダン人専門家の招待を受けて、これらの会議の一部にオンラインで参加しました。
 こうした状況を受けて、本事業の目的も「紛争下での文化遺産保護」に軌道修正し、私たちも可能な限りこうした動きに呼応することにしました。8月にはイギリスの大英博物館を訪問し、長年にわたってスーダンの文化遺産保護に携わってきたJulie Anderson博士、Michael Mallinson氏、Helen Mallinson博士と意見交換を行いました。そして9月10日~13日にカイロの子供博物館で開催されたユネスコの会議「緊急事態下にあるスーダンのリビングヘリテージ保護のための専門家会議(Experts Meeting on Living Heritage and Emergencies: Planning the Response for Safeguarding Living Heritage in Sudan)」に参加し、国際的な専門家と協議を行いました。またあわせて、カイロに臨時オフィスを置いている在スーダン日本国大使館において、エジプトに退避しているスーダン人文化遺産関係者(NCAM局長・Ibrahim Musa氏をはじめとする9名)と駐スーダン特命全権大使・服部孝氏、JICAスーダン事務所長・久保英士氏をはじめとする大使館・JICAのスタッフを交えた会談を行い、情報交換を行うとともに日本からの文化遺産保護の国際協力の可能性について協議しました。
 現在、スーダン国内の治安状況はまだ安定していませんが、それでもスーダン国内に残った文化遺産関係者は地方の博物館等を拠点に、文化遺産を守るための活動に携わっています。私たちも彼らと連絡を取り合いながら、引き続き研究交流を行っていきたいと思います。
 また大英博物館のMichael Mallinson氏、Helen Mallinson博士を中心に、11月1日より「#OurHeritageOurSudan」と題した90日間のキャンペーンが行われています。これはスーダンのリビングヘリテージについて学び、それを共有することで、スーダンの復興やそのために奔走している人々を応援しようという趣旨のものです。本キャンペーンのウェブサイトでは、スーダンの豊かで多様な文化遺産の様子を写真や映像で見ることが出来ます。私たちも本キャンペーンの趣旨に賛同し、協力していますので、ぜひこちらのウェブサイトもご覧いただければ幸いです。
https://www.sslh.online/ [外部サイト]

実演記録「宮薗節(みやぞのぶし)」第九回の実施

実演記録収録準備の様子
実演記録撮影の様子(左から宮薗千よし恵氏、宮薗千碌氏、宮薗千佳寿弥氏、宮薗千幸寿氏)

 令和5(2023)年10月31日、無形文化遺産部は東京文化財研究所の実演記録室で、宮薗節の記録撮影(第九回)を行いました。
 国の重要無形文化財・宮薗節は、江戸時代中期に上方で創始され、その後は江戸を中心に伝承されてきました。今日では、一中(いっちゅう)節・河東(かとう)節・荻江(おぎえ)節とともに「古曲」と総称され、演奏の機会もあまり多くはありません。無形文化遺産部では、平成30(2018)年より、実演記録「宮薗節」を継続的に行っており、伝承曲を省略せずに全曲演奏でアーカイブしています。
今回は、宮薗節のレパートリーの中でも「新曲」に分類される十段の中から、《薗生(そのお)の春》と《椀久(わんきゅう)》を収録しました。前者は、明治21(1888)年に宮薗節独立を記念して作られた作品で、宮薗節には珍しい華やかな三味線の替手(かえで)が入ります。後者はさらに新しく、昭和24(1949)年に作られた作品です。大坂新町の豪商・椀屋久兵衛(わんやきゅうべえ)(通称椀久)と新町の遊女・松山の悲恋の物語で、ここでは椀久の物狂いの様が描かれます。演奏はいずれも宮薗千碌(せんろく)(タテ語り、重要無形文化財各個指定いわゆる人間国宝)、宮薗千よし恵(ワキ語り)、宮薗千佳寿弥(せんかずや)(タテ三味線、重要無形文化財各個指定いわゆる人間国宝)、宮薗千幸寿(せんこうじゅ)(ワキ三味線)の各氏です。
 無形文化遺産部では、今後も宮薗節の古典曲および演奏機会の少ない新曲の実演記録を実施予定です。

伝統楽器をめぐる文化財保存技術と原材料の調査@韓国

韓国の漆掻きの様子
朱漆が施されたテグム(部分)

 このたび無形文化遺産部と保存科学研究センターでは、日本と同様、伝統的な管楽器に竹材を用いる韓国で、竹材確保の現状や、日本で内径調整のために伝統的に用いられている漆の確保、技術伝承について共同で調査を行いました。
 今回の調査によれば、韓国では宅地や商業地開発に伴う竹伐採が盛んで、竹材は今のところ潤沢に供給されているとのことでした。ただし伝統的な管楽器・テグム(竹製の横笛)に用いるサンコル(双骨竹または凸骨。縦筋の入った竹)のように特殊な竹の供給は不安定なため、国楽院楽器研究所が竹を薄い板状にして圧着した材を開発し、特許を取得して技術公開しています。ただしこの素材もまだ楽器製作者やテグム演奏家に浸透するにはいたっていないとのことで、引き続きの課題も垣間見えました。
 漆については、中国からの輸入が多い現状を打破し韓国国内での漆液の生産・需要量を上げようと、従事者への保護が手厚い点が印象的でした。漆芸品の修復に使用する用具・材料に関する問題は日本ほど生じていないようで、特に加飾材料として用いられる螺鈿貝の加工・販売会社は韓国国内に十数店舗以上あるとのことでした。
 韓国では管楽器への漆の使用は一般的ではありませんが、かつてはテグムの管内に朱漆を塗っていたそうで、現在も装飾的な意味合いで朱漆を塗ることがあるとのこと。管内に漆を塗っていた本来の理由が気になるところです。
 また、日本では管内に漆を塗り重ねながら内径を調整しますが、韓国ではより肉厚で繊維の密な竹の内径を削りながら内径を調整することがわかりました。漆を塗り重ねて内径を狭めながら調整する日本と、厚みのある竹の内側を削り広げながら内径を調整する韓国。両国で調整方法が対照的なのは興味深く思われました。
 本調査に際しては、韓国の国立無形遺産院のご協力もいただきました。日本で生じている原材料確保や保存技術継承の課題を、原材料の共通する他国と比較し、それぞれの技術の特性を知り、課題解決のヒントを得られるような調査研究を続けたいと思います。

箏の構造調査を多角的に―邦楽器製作技術保存会、九州国立博物館と連携―

撮影したX線CT画像を確認する様子
170cm超の箏は設置も一苦労

 無形文化遺産部では、伝統芸能の「用具」である楽器の調査研究も行っています。このたび、国の選定保存技術「箏製作 三味線棹・胴製作」の保存団体である邦楽器製作技術保存会、東京文化財研究所と同じ国立文化財機構の九州国立博物館と連携して、江戸時代後期から大正期にかけて製作されたと考えられる箏(個人所蔵)の構造調査を開始しました。楽器製作によって演奏者と観客を繋いできた知見と視点、博物館科学の文化財内部を非破壊調査する技術と視点、無形文化財の楽器学や音楽史研究の視点を総合し、箏の構造を多角的に明らかにしようとしています。
 8月29日に九州国立博物館で箏のX線CT撮影を行いましたが、撮影直後に画像を確認しているところから、さっそくこの連携ならではの気づきもいくつかありました。例えば、箏の内側の底に切り込みが見つかると、それがかつてその工程に使われていた鋸の刃が入りすぎた跡と推測されたり、その跡を一部だけ埋木で補っているように見える点について意見を交わしたり。
 この調査はまだ始まったばかりですが、異なる立場からの見解を持ち寄ることで、箏の製作技術や意図、その集大成としての箏の構造について、新たな側面が見えてくるのではないかと期待が膨らみます。今後は、撮影した画像の詳細な検討を進めるとともに、この箏の出自を精査し、製作者が同じ可能性のある他機関所蔵の箏と比較することで、構造や製作技術の特徴を明らかにしたいと考えています。

シンポジウム「踊れ、魂よ!―風流踊の楽しみ方―」の開催

参加者が盆踊りを体験する様子
西馬内の盆踊りの実演

 令和5(2023)年6月24日に東京国立博物館平成館大講堂で、「踊れ、魂よ!―風流ふりゅうおどりの楽しみ方―」と題したシンポジウムが開催されました。主催は東京文化財研究所と公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団、特別協力として西馬音内(にしもない)盆踊保存会にもご出演いただきました。
 最初に風流踊の楽しみ方について、①歴史編を無形文化遺産部無形民俗文化財研究室長・久保田裕道が、次いで②音楽編を川崎瑞穂氏(聖心女子大学ほか非常勤講師)、③装い編を俵木悟氏(成城大学教授)、④関西地方の事例を森本仙介氏(奈良県文化財保護課)が、それぞれに講じました。その後4人揃っての登壇者クロストークとなり、風流踊の魅力をさまざまな面から語る場となりました。
 その後休憩を挟んで、ポーラ伝統文化振興財団が作成した記録映画「端縫いの夢~西馬音内盆踊り~」を上映。続いて西馬音内盆踊保存会から佐藤幾子氏・和賀靖子氏にご登壇いただき、踊りを解説。そして、保存会の皆さんによる西馬音内盆踊の実演となりました。実演の後半は、佐藤氏の指導で、参加者が踊りを体験。最後は多くの参加者が立ち上がって踊り、保存会の皆さんと一緒に盛り上がりました。
 なお、ポーラ伝統文化振興財団では、これまでに西馬音内を始めとする、さまざまな無形の文化財の映像記録作品を製作しています。今回、その多くの作品を東京文化財研究所にご寄贈頂きました。今後当研究所では、それらの閲覧ができるようにしていく予定です。

日韓無形文化遺産研究交流成果発表会の開催

成果発表会の参加者一同

 東京文化財研究所無形文化遺産部は平成20(2008)年より大韓民国国立無形遺産院と研究交流を続けています。その事業の一環として、令和5(2023)年5月24日に日韓無形文化遺産研究交流成果発表会を当研究所で開催しました。この発表会では、平成28(2016)年10月~令和5(2023)年3月にかけて実施された研究交流の成果が発表されました。
 国立無形遺産院からは4名(梁鎭潮氏・崔淑慶氏・姜敬惠氏・柳漢仙氏)のスタッフが来訪し、4本の報告を行いました。当研究所からは、無形文化遺産部・石村智、前原恵美、久保田裕道の3名が3本の報告を行いました。その後、文化財情報資料部・二神葉子をはじめとする参加者全員によるディスカッションが行われました。
 ディスカッションでは、無形文化遺産の保護をめぐる課題や展望についての意見交換が行われました。とりわけ近年注目されている生活文化に関連した無形文化遺産(例えば食文化)についての議論が活発に行われました。生活文化に関連した無形文化遺産の保護については、韓国の方が日本よりも早く取り組みを始めましたが、その課題には両国の間で共通するところと異なるところがあることが分かりました。議論は2時間にも及ぶ白熱したものとなりました。
 研究交流の事業は、新型コロナ禍のために一時中断していましたが、こうして再開することが出来たのは幸いでした。今年4月には当研究所と国立無形遺産院は新たな合意書を締結し、研究交流は2030年3月まで継続することとなりました。この研究交流を通じて、無形文化遺産の保護に関する両国の理解と協力が促進されることを願っています。

北上川河口のヨシ再生調査―篳篥の蘆舌原材料

「残したい日本の音風景百選」(環境庁、平成8(1996)年)に選ばれた北上川河口のヨシ原

 無形文化遺産部では、無形文化財を支える原材料調査の一環として、篳篥の蘆舌に使用されるヨシの調査を行っています。このたび、ヨシの産地である宮城県石巻市・北上川河口にて調査を実施しました。調査の目的は、第一に当地のヨシの特性を知り、篳篥の蘆舌に適しているかを調査すること。第二に、東日本大震災で被災した当地のヨシ再生のプロセスや現状を知り、篳篥の蘆舌に適するヨシの産地として知られる淀川河川敷での「ヨシ再生」に活かせることはないか調査すること。
 調査では、ヨシ原保全活動に取り組む(有)熊谷産業を訪ね、ヨシ原の現状を聞き取るとともに、蘆舌の原材料となりそうな外径のヨシを提供していただきました。熊谷産業は、社寺建築や和風建築の伝統的な工法による屋根工事を手掛ける会社で、国指定重要文化財保存修理工事も行っています。いただいたヨシは、二名の方に篳篥蘆舌の試作を依頼しました。完成後は試奏による使用感を含め、調査結果をまとめる計画です。
 また、北上川を管理する国土交通省東北地方整備局・北上川下流河川事務所や、震災前後のヨシ原調査やヨシ原への理解推進に取り組む東北工業大学教授の山田一裕氏を訪ねました。東日本大震災発生以前、河口には約183haのヨシ原が広がっていましたが、震災で50~60cmの地盤沈下が発生し、浸水によるヨシの枯死が進み、津波が運んだゴミで成長を妨げられ、一時は約87haに減少したと言います。その後、ヨシ原のゴミは地域の方々の協力のもと回収され、現在はヨシ原再生のための移植実験も行われています。震災による被害から自然環境が回復する過程で、地域の人々の理解や協力が自然の回復を後押したと言えるでしょう。
 さらに、当地では、「水防法及び河川法の一部を改正する法律」(平成25(2013)年6月)で創設された「河川協力団体制度」により、北上川下流河川事務所と3つの協力団体が情報交換や報告を行って河川や周辺環境を保全する体制が取られています。こうした連携も、ヨシ原再生に効果を上げていると感じました。
 無形文化遺産部では、無形文化財、民俗文化財、文化財防災を専門とする研究員が連携し、今後も無形の文化財継承に必要な人・技・モノの現状や課題、解決方法について、包括的な調査研究を実施していきます。

令和4年度文化財防災センターシンポジウム「無形文化遺産と防災-被災の経験から考える防災・減災-」の開催について

これまでの取り組みに関する報告
会場風景
総合討議の様子

 令和5(2023)年3月7日、令和4年度文化財防災センターシンポジウム「無形文化遺産と防災-被災の経験から考える防災・減災-」が、東京文化財研究所地下セミナー室にて開催されました。このシンポジウムは、文化財防災センターの事業に、東京文化財研究所が共催し実施したものです。

 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災を契機とし、無形文化遺産が復興過程で果たす役割や、またそれらを災害から守る意義に注目が集まったことは広く知られるところです。未曾有の大災害は、確かに無形文化遺産に大きな被害をもたらしました一方、それらが今日まで継承される意義や、地域社会のなかで果たす役割に注目が集まるきっかけともなりました。

 本シンポジウムは、国立文化財機構でのこれまでの取組を整理しつつ、災害による被害を受けた事例を参照し、全国各地で無形文化遺産に関わる皆さんとともに、その成果を発展させていく方策を議論するために企画されました。シンポジウム当日は、行政関係者や大学および専門機関の研究者、無形文化遺産の担い手の方等、87名の方に御参加いただきました。

 午前は、東京文化財研究所と文化財防災センターからそれぞれ、無形文化遺産の防災に関わるこれまでの取組や調査成果を紹介しました。午後は、近年の被災事例として、「等覚寺の松会」(福岡県京都郡苅田町)、「雄勝法印神楽」(宮城県石巻市)、「長浜曳山祭の曳山行事」(滋賀県長浜市)の3事例について、各地域の行政職員や担い手、研究者の方から、災害対応や再開のプロセスに注目した御報告がありました。最後の総合討議では、当日の報告や発表、議論を踏まえ、文化財防災センター事業内で、この課題について議論を重ねられてきた5名の有識者の先生方による総括がありました。

 フロアからも活発な御発言もいただき、今後の防災・減災の方法を具体的に考えるための手がかりが共有される機会となりました。引き続き、文化財防災センターと東京文化財研究所はシンポジウムでの議論を発展させ、両施設で連携を取りながら具体的な対策を提案できるよう取り組んで参ります。

第17回無形民俗文化財研究協議会「文化財としての食文化―無形民俗文化財の新たな広がり」の開催

総合討議の様子

 令和5(2023)年2月1日、第17回無形民俗文化財研究協議会「文化財としての食文化―無形民俗文化財の新たな広がり」が開催されました。新型コロナウイルスの影響が続くなか、行政担当者に対象を絞ったセミ・クローズドの会として、所内外から約90名の参加を得、様々な立場から食の保護の実践をされてきた方々から取り組みの報告や討議をいただきました。
 2013年にユネスコ無形文化遺産代表一覧表に「和食」が記載されて以降、食に対する社会の関心は年々高まっています。しかし「文化財としての食文化」については、令和3(2021)年の文化財保護法改正を契機に保護の取り組みが始まったばかりであり、その対象範囲をどう捉え、どのように保護(保存・活用)していくかについてはさらなる議論の蓄積が必要とされています。そこで今回の協議会では「文化財としての食文化」をめぐる様々な課題を共有し、その可能性を議論することを目的としました。
 食は誰もが実践者・当事者であることから、時代・地域・家ごとの著しい多様性・変容性がみられます。それは食の大きな魅力である一方で、文化財として保護していく上では典型や保護の主体を定めにくいといった難しさがあります。また販売することによって地域活性化につながるなど「活用」と相性のよい側面を持つ一方、商品化や流通によっておこる変化・変容をどう評価するのか等、活用と保護のバランスをとることが課題のひとつとなります。さらに、食文化振興については、農林水産省などの関連省庁や民間団体・企業など、すでに多様な関係者が多くの取り組みを実践しており、先行する取り組みとどう連携していくのか、またあえて文化財行政として食文化に関わる意義をどこに見出していくのか等も重要な課題です。
 総合討議ではこうした食文化特有の課題に対して、子どもたちへの食育の大切さや、作るだけでなく食べる行為や食材、道具なども併せて守っていかなければならないこと、商業としての食と家庭における食が両輪として機能してきたことなど、様々な意見・見解が示されました。また、文化財分野として新たに食文化の保護・振興に取り組む意義として、味がおいしい・見た目が美しいなどの「売れる」食、「える」食という観点からではなく、その地域の暮らしや歴史を反映している食文化を対象としうること、そしてその保護を図ることができるところに、大きな意義と、果たすべき役割があるのではないかという視点が示されました。
 無形文化遺産部では今後も、食文化関連の動向を注視していきたいと考えています。協議会の全内容は3月末に報告書にまとめ、無形文化遺産部のホームページでも公開しています。

文化財活用センターと協働で実演記録「平家」第五回を実施

 継承者がわずかとなり伝承が危ぶまれている「平家」(「平家琵琶」とも)について、無形文化遺産部では、平成30(2018)年より「平家語り研究会」(主宰:薦田治子武蔵野音楽大学教授、メンバー:菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏)の協力を得て、記録撮影を進めています。第五回は、令和4(2023)年2月3日、東京文化財研究所 実演記録室で《那須与一》と《宇治川》の撮影を実施しました。
 《那須与一》は、那須与一が扇の的を射落として源頼朝から功績を認められたエピソードが有名で、この場面は絵画にもしばしば描かれてきました。そこで今回は新たな試みとして、高精細複製による文化財の活用を推進している、独立行政法人 国立文化財機構 文化財活用センターとの協働で、「平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風(高精細複製品)」を演奏者の後ろに設置して撮影しました。《宇治川》は、宇治川を前にして繰り広げられる佐々木高綱と梶原景季の勇壮な先陣争いがテーマです。今回の実演記録では、《那須与一》を菊央氏(前半)と日吉氏(後半)、《宇治川》を田中氏の演奏で記録撮影しました。
 伝統芸能である「平家」にルーツを持ち、文学作品としての「平家物語」、さらに絵画などの題材へと展開する文化の広がりが伝わるような発信を、今後とも応用・工夫していきます。

「平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風(高精細複製品)」の前で《那須与一》演奏する菊央雄司氏(左)、高精細複製品部分拡大図(右)

【シリーズ】無形文化遺産と新型コロナウイルス フォーラム4「伝統芸能と新型コロナウイルス―これからの普及・継承―」の開催

地歌三弦演奏(右:岡村慎太郎氏、左:岡村愛氏)
座談会(右から櫻井弘、布目藍人、江副淳一郎、仲嶺幹の各氏)

 無形文化遺産部では、令和4(2022)年11月25日、東京文化財研究所セミナー室にてフォーラム4「伝統芸能と新型コロナウイルス―これからの普及・継承―」を開催しました。
 まず、当研究所無形文化遺産部・石村智、前原恵美、鎌田紗弓が、伝統芸能と教育に関する海外の事例、コロナ禍における伝統芸能の現状とこの一年の経過について報告しました。
 続いて、それぞれ異なる立場や枠組みで伝統芸能の普及や継承に取り組んでいる事例について、櫻井弘氏(独立行政法人 日本芸術文化振興会)、布目藍人氏(公益社団法人 芸能実演家団体協議会)、江副淳一郎氏(凸版印刷株式会社、文化庁「邦楽普及拡大推進事業」事務局)、仲嶺幹氏(沖縄県三線製作事業協同組合)からご報告を頂きました。そして事例報告の間には、文化庁「邦楽普及拡大推進事業」採択校で邦楽指導に当たられている岡村慎太郎氏と岡村愛氏による地歌三弦『黒髪』『橋尽し』が演奏されました。
 事例報告者と石村、前原による座談会では、伝統芸能の普及・継承に関わる様々な立場の取り組みにおいても、コロナ禍以前から内在していた需要拡大の問題がコロナ禍で顕在化したことを改めて共有しました。また、伝統芸能の普及の上にこそ継承が成り立つとの認識から、様々な立場、枠組みで多様な年代の伝統芸能のニーズに対応しつつ、その情報を共有することで全体として幅広い需要を的確につかみ、シームレスな伝統芸能の普及拡大に繋げる一歩となる、との意見で締め括りました。
 なお、このフォーラムはコロナ対策のため、席数を半数に限定して開催しましたが、当研究所ウェブサイトで令和5(2022)年3月31日まで記録映像を無料公開しています(https://www.tobunken.go.jp/ich/vscovid19/forum_4/)。また、年度末に報告書を刊行し、当研究所ウェブサイトで公開する予定です。

第16回 東京文化財研究所 無形文化遺産部 公開学術講座「無形文化財と映像」を開催

座談会の様子(檀上左から佐野真規、櫻井弘氏、小泉優莉菜氏)
事例報告①に登壇した石田克佳氏

 令和4(2022)年10月28日(金)、第16回公開学術講座を開催しました。
 午前は、講座に先立ち、公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団、独立行政法人日本芸術文化振興会、当研究所で制作した映像を上映しました。
 午後の本講座では、まず開催趣旨を説明し(前原恵美無形文化財研究室長)、その後、無形の文化遺産と映像(石村智音声映像記録研究室長)、当研究所における無形文化財の映像記録(佐野真規アソシエイトフェロー)、古典芸能の保存技術(琵琶製作者・演奏家の石田克佳氏、前原)、工芸技術に関する映像記録(瀬藤貴史文化学園大学准教授、菊池理予主任研究員)についての報告を行いました。続いて座談会では、独立行政法人日本芸術文化振興会理事の櫻井弘氏および公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団学芸員の小泉優莉菜氏より、それぞれの機関での無形文化財の映像についてご紹介いただき、その後当研究所研究員を交えて、「無形文化財の映像」の目的や手法、公開について、それぞれの機関による特徴を整理、共通理解を得ました。また、こうした各機関の特徴を相互に理解した上で、無形文化財の多角的な映像記録がアーカイブされ、可能な範囲・方法で公開されていくことにより、無形文化財が俯瞰的に記録されるとの結論に至りました。
 今後も無形文化遺産部では、無形の文化財の記録手法、活用について、さまざまな課題を共有し、議論できる場を設けていきます。なお、本講座の報告書は次年度刊行、PDF公開予定です。

津森神宮お法使祭の実施状況調査―熊本地震と無形民俗文化財の再開―

荒々しく揉まれる神輿
御仮屋前での神事の様子

 無形文化遺産部では、10月29日~30日に、熊本県上益城郡益城町・阿蘇郡西原村・菊池郡菊陽町に伝わる「津森神宮お法使祭」の実施状況調査を行いました。
 「津森神宮お法使祭」は、毎年10月30日に行われる津森神宮(益城町寺中)の祭事の一つです。益城町・西原村・菊陽町にまたがる12の地区が1年交代で当番を務め、当番となった地区は「お仮屋」を建てて、御祭神であるお法使様を1年間お祀りします。当番地区が次の地区にお法使様を渡すための巡行の途中で、御神体をのせた神輿を荒々しく揺らしたり放り投げたりする所作が行われることで有名です。
 行事を行う三町村は、平成28(2016)年4月に発生した熊本地震で甚大な被害を受けた地域です。行事の中心となる津森神宮も、大きな被害を受けました。平成28年については一部規模を縮小し「復興祈願祭」として挙行したものの、平成29(2017)年・30(2018)年は中断をしたそうです。今年の当番地区は、杉堂地区(益城町)がつとめました。地元の方にうかがったところ、いまだ地震の影響は残っており、近年、仮設住宅から新しく建て直した住居に戻ったばかりの方も、地区内にはいらっしゃるそうです。
 出発式では、益城町長ほか関係者から復興状況について報告があり、「例年とは異なるかたちで行事を行うしかなかった地区の分まで盛大に」と言葉がありました。地震発生後、一時は神輿を荒々しく扱うような所作を控えた時期もあったと言います。今年の行事では、地震以前を取り戻すかのように、威勢よく神輿が地区内を巡行し、無事、夕方には、お法使様は、来年の当番地区である瓜生迫地区(西原村)の御仮屋へと移っていきました。
 無形民俗文化財は、地域の方々の生活に密着に結び付いている文化財であるがゆえに、災害による影響が、予想できない形で現れることがあります。今回のお法使祭の例も、地元の方々の生活の復興状況が、行事の実施内容に影響を与えた可能性があります。無形文化遺産部では、引き続き、災害発生が無形民俗文化財にどのような影響を及ぼすのか、調査を進めていきたいと考えます。

無形文化財を支える用具・原材料の調査―篳篥の蘆舌と原材料

左から、上牧鵜殿、西の湖、渡良瀬川のヨシ
ヨシをヒシギ鏝でひしぐ様子
ヨシを木蝋燭きろうそくにあてて先端を小刀で削る
左から、渡良瀬川、上牧鵜殿、西の湖のヨシで作った蘆舌

 無形文化遺産部では、無形文化財を支える用具(付属品を含む楽器、装束等)やその原材料の調査・研究を進めています。
 雅楽の管楽器・篳篥ひちりき蘆舌ろぜつ(リード)の原材料は、ヨシの中でも河岸や湖沼近くで育つ陸域ヨシで、特に大阪府高槻市の淀川河川敷、上牧かんまき鵜殿うどの地区は篳篥の蘆舌に適していると言われてきました。ところが、生育状況等の様々な変化により、蘆舌に適した太いヨシが大きく減少しています。無形文化遺産部では、そもそも上牧・鵜殿地区のヨシの、どのような特性が篳篥蘆舌に適しているとされているのか、同じくヨシの産地として知られる西の湖(琵琶湖の内湖)や渡良瀬川遊水地のヨシとの比較調査を、保存科学研究センターと共同で行っています。令和4(2022)年10月13日、その一環として、篳篥奏者・中村仁美氏の協力を得て、上牧・鵜殿地区、西の湖、渡良瀬川遊水地のヨシで篳篥の蘆舌を試作し、その様子を記録撮影するとともに、聞き取り調査を行いました。すでに行ったヨシの外径、内径等の計測に加え、今後は詳細な断面観察等を行い、併せてそれぞれのヨシの特性と篳篥の蘆舌に求められる適性について研究を進める予定です。
 なお、篳篥の蘆舌製作は、適した温度に熱したヒシギごてでヨシを挟んでゆっくり潰す「ひしぎ」の工程に特徴がありますが、質の良いヒシギ鏝の不足も伝えられており、雅楽を取り巻く用具(蘆舌)、原材料(ヨシ)だけでなく製作に必要な道具(ヒシギ鏝)の入手にも課題がありそうです。
 無形文化遺産部では、引き続き、無形文化財の継承に必要な技やモノの現状や課題、解決方法について、包括的な調査研究を実施していきます。

肥後琵琶の伝承および関連資料の最終調査

永柗大悦氏使用の琵琶(永柗光豊氏所蔵、当時)
橋口啓介氏使用の琵琶(橋口賢一氏所蔵)

 無形文化遺産部では、肥後琵琶の継承に関わってきた肥後琵琶保存会やその後継者、琵琶を含む肥後琵琶関連資料について調査を開始し、このたび9月7~9日にかけて第三回の調査を実施しました。今回は、晴眼の肥後琵琶演奏者・永柗大悦氏が使用していた琵琶、天草栖本にルーツのある星沢流の継承者だった橋口桂介(星沢月若)氏が使用していた琵琶を、それぞれご遺族が保管されているということで、ご自宅に伺い、調査させていただきました。併せて、ご遺族から生前の永柗氏、橋口氏についてのお話を聞くこともでき、貴重な機会になりました。前者の琵琶は、関連する自筆詞章本や所蔵レコードとともに、同行した学芸員の方を通して玉名市立歴史博物館こころピアに寄贈される運びとなりましたので、今後広く公開され、研究が進むことが期待されます。
 このほか、天草の新和歴史民俗資料館、天草市立本渡歴史民俗資料館所蔵琵琶の調査も行い、本調査は今回をもって一つの区切りとすることになりました。今後、若干の補足調査ののち、年度内に報告書を刊行予定です。
 肥後琵琶については、毎年持ち回りで一面の肥後琵琶を管理しながら、新年に奉納演奏を続けている集落があることもわかっています。今回は調査が実現しませんでしたが、本調査が、肥後琵琶の伝承状況をつまびらかにする端緒となれば幸いです。

浅田正徹氏採譜楽譜(通称「浅田譜」)原稿のデジタル画像公開

専用端末による画像閲覧の様子
原稿の追加修正例(清元譜第39編「三社祭」)

 無形文化遺産部では、無形文化財研究の基礎となる貴重な資料を整理し、一般に公開しています。このたび、浅田正徹氏(あさだ まさゆき、1900-1979)採譜楽譜原稿について、当研究所資料閲覧室でのデジタル画像公開が始まりました。
 浅田譜は、幅広いジャンルの三味線音楽における声(浄瑠璃、唄)と三味線伴奏の旋律を書き記したもので、刊行期間は23年にわたります。原稿原本は慎重な取り扱いを要するため、これまでは製本版(原稿をもとに複写・製本したもの)のみを公開していました。しかし、令和3年度に清元節、令和4年度に一中節・宮薗節などの原稿のデジタル画像化が完了し、7月から全ジャンルの原稿画像データを資料閲覧室でご覧いただけるようになりました。これにより、原稿の紙を切り抜いて声の節回しを細かく修正した跡など、複写には反映されなかった細部まで随意に検討できます。
 閲覧を希望される方は、資料閲覧室利用案内をご参照のうえ、専用端末を事前予約してください(なお本資料は著作権保護期間内のため、原則として、デジタル画像からの複写はできません)。なお、浅田譜原稿の所蔵リストはこちらからご覧いただけます。研究者、演奏家、愛好家など、多くの方々のご利用をお待ちしています。

福島県の「会津桐」の調査

製材後、3~5年程度雨風に晒してシブを抜く(「会津桐タンス株式会社」)
2016年に町で植栽したキリ

 無形文化遺産部では、無形文化遺産を支える原材料の調査を継続して行っています。令和4年度からは三菱財団の人文科学研究助成(「無形文化遺産における木材の伝統的な利用技術および民俗知に関する調査研究」)を受け、特に原材料としての樹木の採取・加工の技術に着目し、失われつつあるこれらの技や民俗知を調査・記録し、再評価する研究を行なっています。その一環として7月14日に福島県三島町を訪ね、「会津桐」の生産実態や課題等についての調査を実施しました。
 キリは軽くて狂いにくく、調湿性に優れ、さらに熱伝導率が低いという優れた材です。一般には箪笥や下駄の材として知られていますが、楽器の箏の材料としても古くから用いられてきたほか、美術工芸品などの保管に最適の容器として、桐箱なども重宝されてきました。しかし消費者の箪笥離れなどが影響して、国内でのキリ材需要はピーク時の昭和34(1959)年に比べて8分の1程度に縮小しています。さらには輸入材の流通により、ピーク時には供給量に占める国産材の割合が約95%であったのに対し、平成30(2018)年時点では3%程度まで落ち込んでいます(以上、三島町調べ)。会津桐と並び称された南部桐(岩手県)もすでに生産を止め、全国唯一であった秋田県湯沢市の「桐市場」も現在は休止するなど、キリの国産材は、会津桐や津南桐(新潟県)などを数少ない産地で生産しているにすぎません。
 このうち会津地方はキリ栽培発祥の地と言われ、明治期に大規模なキリ苗栽培に成功して以来、農家の副業としてキリの原木出荷が盛んに行なわれてきました。こうした歴史を受け、三島町ではキリ材需要が下火になった昭和50年代終わり頃から、町と民間の共同出資による「会津桐タンス株式会社」を設立し、以降、職人の育成や商品開発、販路の開拓、そして近年では町に「桐専門員」を配置して桐苗栽培や植栽の管理、桐栽培マニュアルの作成など、様々な活動を行なってきました。
 キリは成長が早く、約30年程度で出荷できる材に成長しますが、下草刈りや施肥、消毒など管理に非常に手がかかることから、かつては家の近くに植栽してこまめに手入れをしたものと言います。現在では約900本のキリが町によって植栽・管理されていますが、スギなどの植林に比べて樹間を大きくとらなければならないことや、病虫害やネズミの害が多いなど、通常の林業とは異なるノウハウが必要とされます。こうした原木の安定供給の試みに加え、現代生活に合った箪笥の提案や、椅子やバターケースなどまったく新しいキリ商品の開発努力も重ねられています。
 キリに限らず、国産木材の市場は縮小傾向にあります。無形文化遺産というさらにニッチな用途に供される木材については、需要と供給の双方が著しく縮小しており、いざ材が必要になった時に適材が入手できない可能性が高まっています。研究所としては、栽培管理・加工に要する「手間ひま」を一般に広く知ってもらい、価格に見合った価値があることを理解してもらう取り組みや、産地と技術者・利用者を繋ぐための取り組み、また、原材料の質的な特長を科学的に裏付ける試みなどに、引き続き取り組んでいきたいと考えています。

肥後琵琶の伝承および関連資料の現状調査

善光寺で奉納演奏する後藤昭子氏

 わが国では、文化財保護法に基づき「音楽、舞踊、演劇その他の芸能およびこれらの成立、構成上重要な要素をなす技法のうち、我が国の芸能の変遷の過程を知る上に重要なもの」を「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財(芸能関係)」に選択しています。令和3(2021)年3月時点で31件が対象となっていますが、そのうち24件は個人の持つ技法を選定しているため、当該者の逝去によって全ての技法が実質的に途絶えている状況です。一方、団体の持つ技法を選定している7件のうち、歌舞伎下座音楽の杵屋栄蔵社中は、リーダーであった三世杵屋栄蔵氏の逝去(1967)により求心力を失っているものの、ほかの6件(鷺流狂言、肥後琵琶、琉球古典箏曲3団体、和妻)は各団体が技法を継承しているとされます。
 無形文化遺産部では、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財(芸能関係)」のうち、肥後琵琶の継承に関わってきた肥後琵琶保存会やその後継者、琵琶を含む肥後琵琶関連資料について、昨年より情報収集をはじめ、今年に入って本格的な調査を開始しています。このたび6月22~24日にかけて第二回調査を実施しました。今回は、前回調査に引き続き、山鹿やまが市立博物館に所蔵されている肥後琵琶奏者・山鹿やましか良之氏(1901.3.20-1996.6.24)の遺品調査を行いました。資料は、山鹿氏が愛用した生活用品から写真、琵琶に至るまで多岐にわたり、その件数は84件(点数はさらに多い)に及びました。また、今回の調査最終日は、偶然にも山鹿氏の命日にあたったため、山鹿氏に師事した後藤昭子氏をはじめ、ごく近しい人たちの間で営まれた法要と琵琶の奉納演奏の場に同席させていただく機会を得ました。
 なお、本調査については、三度目の調査を行ったのち、年度内に肥後琵琶の伝承および関連資料の現状調査に関する報告書を刊行予定です。

等覚寺の松会の実施状況調査‐新型コロナウイルス感染症と無形民俗文化財の公開‐

行事前日の事前練習での一幕
神社に塩かきから戻ったことを報告

 無形文化遺産部では、令和4(2022)年4月16日~17日に福岡県苅田町等覚寺地区の「等覚寺の松会」の現地調査を行いました。「等覚寺の松会」は、福岡県苅田町等覚寺地区に伝わる民俗行事です。地区では、過疎化や高齢化といった行事の存続における課題を抱えながらも、行事を後世に存続するために、苅田町教育員会との連携の下、積極的に映像記録や報告書の作成に取り組んできました。
 地区に所在した普智山等覚寺は、明治の廃仏毀釈までは豊前六峰と呼ばれた九州地方の修験道の拠点の一つでした。修験者の子孫と伝わる地区の人々を中心に、毎年4月上旬に五穀豊穣、疫病退散、国家安泰を祈願する「等覚寺の松会」が行われます。松会では、神幸行列の他、獅子舞の奉納や、稲づくりの様子を模擬的に演じる「田行事」、鉞や長刀を用いて所作をする「刀行事」が行われ、行事の最後には、会場に設置された12メートルもの高さの柱に登り、祈願文の読み上げと、大幣を真剣で切り落とす「幣切り」が行われます。
 全国の民俗行事と同様に、「等覚寺の松会」も、新型コロナウイルス感染症の拡大によって大きな影響を受けることとなりました。過去の行事は2年にわたって中止となり、今年度の行事についても旧来どおりの方法での実施は見送られています。今回の調査は、昨年度、苅田町教育委員会から、これまで撮影された映像記録や写真の保管方法や今後の活用に関するご相談を受けたことが契機となって実施されたものです。当初は、記録された行事の実態確認を想定しておりましたが、行事形式を変更しての開催が決定されたため、結果として、新型コロナウイルスの流行が無形の文化財に与える影響を考えさせられる調査となりました。過去2年間、無形文化遺産部では、新型コロナウイルスが無形文化遺産に与える影響に注目してきました。感染症の流行によって暫定的な方法や中止を受け入れざるをえなかった各地域の民俗行事や民俗芸能が、今後、どのように継承されていくのかについて、引き続き調査を進めていきたいと考えます。

パンフレット『日本の芸能を支える技Ⅷ 能装束 佐々木能衣装』の刊行

『日本の芸能を支える技Ⅷ 能装束 佐々木能衣装』

 無形文化遺産部では、「日本の芸能を支える技」を取り上げたパンフレットのシリーズ8冊目として『能装束 佐々木能衣装』を刊行しました。
 「能装束製作」は令和2年度に国の選定保存技術に選定され、佐々木能衣装の四代目・佐々木洋次氏が保持者に認定されました。能装束は、作品や登場人物、流儀の伝承を踏まえつつ、新たな創意を汲んで製作されます。パンフレットでは、「紋紙製作」、「糸の準備」、「織り」、「仕上げ」の工程を、順を追って端的に紹介しています。
 なお、技術の調査概要は「楽器を中心とした文化財保存技術の調査報告 5」(前原恵美・橋本かおる、『無形文化遺産研究報告』15、東京文化財研究所、2022)に掲載されています。併せてご参照下さい(追って当研究所のホームページでPDF公開予定)。
 また、このパンフレットシリーズは、営利目的でなければ希望者にゆうパック着払いで発送します(在庫切れの場合はご了承ください)。ご希望の場合は、mukei_tobunken@nich.go.jp(無形文化遺産部)宛、1.送付先氏名、2.郵便番号・住所、3.電話番号、4.ご希望のパンフレット(Ⅰ~Ⅶ)と希望冊数をお知らせください。

〈これまでに刊行した同パンフレットシリーズ〉
・『日本の芸能を支える技Ⅰ 琵琶 石田克佳』
・『日本の芸能を支える技Ⅱ 三味線象牙駒 大河内正信』
・『日本の芸能を支える技Ⅲ 太棹三味線 井坂重男』
・『日本の芸能を支える技Ⅳ 雅楽管楽器 山田全一』
・『日本の芸能を支える技Ⅴ 調べ緒 山下雄治』
・『日本の芸能を支える技Ⅵ 三味線 東京和楽器』
・『日本の芸能を支える技Ⅶ 筝 国井久吉』

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