企画情報部研究会の開催

3月24日(火曜日)午後2時より、部内の研究会室において、企画情報部アソシエイトフェロー・河合大介が「反芸術・脱主体化・匿名性―山手線事件と赤瀬川原平を中心に―」、同・橘川英規が「観光芸術多摩川展パノラマ図を観る―富士山、機関車、少女、井戸―」というタイトルで研究発表を行いました。
河合の発表では、1960年代の美術に国際的に共通して見られる特徴のひとつとして「作品の〈脱主体化〉」があることを指摘し、同時代の日本美術においてはそれが〈匿名性〉というかたちをとってあらわれたことを、1962年に中西夏之らが行った山手線事件およびその影響をうけた当時の赤瀬川原平の活動に関する資料の分析を通じて検証しました。
橘川の発表では、観光芸術研究所が行った最初のイベント「観光芸術多摩川展」を、ドローイング《観光芸術多摩川展パノラマ図》と中村宏氏制作映像作品《Das Kapital》を用いて、その様子をふり返りました。これは昨年9月に開催されたPoNJA-GenKon設立10周年記念シンポジウムで行った発表内容に加えて、その後の調査により構成したものでした。
当日、研究会には、画家の中村宏氏、美術作家で戦後美術研究者の嶋田美子氏にもご参加いただきました。中村氏は、橘川の発表からご臨席いただき、発表後の質疑応答のなかで、観光芸術研究所や中村氏ご自身の当時の作品および活動について説明いただく機会を得ました。
『美術画報』所載図版データベースの公開

『美術画報』は、明治27(1894)年6月に、『日本美術画報』として画報社より創刊された美術雑誌です。当時の作家による“新製品”に加え、江戸時代以前の美術工芸品も“参考品”として掲載され、明治期にどのような作品が古典として認められていたかをうかがうことができます。同誌は明治32年に『美術画報』と誌名を変えながら、大正末年まで継続して刊行されました。
このたび当研究所のホームページでは、『日本美術画報』『美術画報』に掲載された図版を作者名・作品名などで検索できるよう、データベース上での公開を始めました。
http://www.tobunken.go.jp/materials/gahou
現在は『日本美術画報』初篇巻一(1894年6月)から五篇巻十二(1899年5月)までの図版を掲載しておりますが、これ以降の巻についても順次公開する予定です。また三篇巻十二(1897年6月)まで、冊子を繰るようにご覧いただけるブックビューワーでの公開を行なっておりますので、あわせてご利用ください。
企画情報部研究会の開催―韓国の「東洋画」について

企画情報部の近・現代視覚芸術研究室では、日本を含む東アジア諸地域の近現代美術を対象にプロジェクト研究「近現代美術に関する交流史的研究」を進めています。その一環として2月17日の企画情報部研究会では、韓国・光云大学校助教授の稲葉真以氏に「韓国の「東洋画」について」の題でご発表いただきました。
今日、韓国で「東洋画」と呼ばれているジャンルは、もともと日本の植民地時代に「日本画」が移植される過程で形成されたものです。その一方で、解放後の「東洋画」批判を経て、同じジャンルを指しながらも民族アイデンティティ確立の意味合いを籠めた「韓国画」の語も、1980年代から広く用いられるようになりました。稲葉氏の発表では、そのような政治的背景をもつ「東洋画」および「韓国画」の現在まで至る経緯と課題について、作例の紹介も交えながらお話しいただきました。
日本でも1990年代から2000年代にかけて、近代以降に成立した「日本画」の概念をめぐる議論が評論家や美術史家、そして作家の間で盛んに行なわれました。さらに近年では、中国や台湾といった東アジアで展開する「岩彩画」「膠彩画」の動向を視野に入れた上での「日本画」系作家による再検討も進められています。今回の研究会でも、ルーツを共有しつつも国境を隔てて独自の展開をみせる韓国の「東洋画」の在り様に目を見張るとともに、ガラパゴス化した「日本画」を相対的にとらえ直す、よい機会となりました。歴史認識をめぐる日韓間の摩擦が取り沙汰される昨今ですが、研究会にご参加いただいた金貴粉氏(国立ハンセン病資料館学芸員)の「不幸な出会い方をした分、見ないようにするのではなく、改めてお互いを見ていく必要がそれぞれの研究を深化させる上であるのではないか」という感想を噛みしめつつ、今後の研究につなげていきたいと思います。
1月企画情報部研究会
1月27日、企画情報部では、川口雅子氏(国立西洋美術館学芸課情報資料室長)を招き、「美術文献情報をめぐる最近の国際動向―米国ゲッティ研究所と「アート・ディスカバリー・グループ目録」を中心に」と題する研究発表が行われました。
表題にある文献情報検索システム「Art Discovery Group Catalogue」とは、2013年から運用をはじめたサイトで、川口氏によれば「60を超える世界の美術図書館の蔵書と14億件の雑誌記事情報を一括で検索可能にするもの」で、しかも日本語版のインターフェースも備わっています。これは、欧米の主要な美術図書館に加え、日本では国会図書館の情報が提供されていることから可能になったとされます。現在、当研究所では、3年計画で文化財アーカイブの構築を進めている折、このような海外の最新の動向に関する発表は、大きな指針ともなり、同時に有益な情報でした。また「Art Discovery」構築において、重要な役割を果たしているアメリカのゲッティ研究所についても、その情報収集、発信に関わる活動の一端が紹介されました。この点は、当研究所に、昨年10月にゲッティ研究所長一行が来訪されていることでもあり、今後予定されている当研究所との共同研究等の協議にあたり参考となりました。また、発表中に紹介された国立西洋美術館のサイト上での研究情報公開にむけた積極的な取り組みは、当研究所の情報発信の方向性を定めるにあたりたいへん参考になり、今後同美術館との連携を視野に入れながら引きつづき協議を重ねていきたいと考えています。
黒田記念館のリニューアルオープン

上野公園の一角に建つ黒田記念館は、当研究所発祥の地です。“日本近代洋画の父”と仰がれた洋画家黒田清輝の遺産をもとに建てられたこの建物で、昭和5(1930)年、東京文化財研究所の前身である美術研究所がスタートしました。所内には黒田の画業を顕彰するために黒田記念室が収蔵庫兼展示室として設けられ、ご遺族他から寄贈された《湖畔》や《智・感・情》等をふくむ黒田清輝の作品を公開してきました。この展示施設としての役割は平成12(2000)年の研究所移転後も継続され、同19年の東京国立博物館移管、そしておよそ三年におよぶ耐震工事を経て、1月2日にリニューアルオープンのはこびとなりました。
リニューアルにあたり、黒田の画業への理解をより深めていただくために、新たに「特別室」と称する展示室を設け、《湖畔》《智・感・情》の他、これまで東京国立博物館の本館で展示されていた《読書》と《舞妓》も一堂に集めて、黒田清輝の代表作を堪能できるスペースとしました(公開は新年、春、秋の各二週間)。また創立当初より黒田の作品を展示してきた黒田記念室は、東京国立博物館の開館日時にあわせた公開となり、これまで以上に鑑賞する機会を増やしています。同室の展示は、黒田の画業全体を概観できるよう構成しました。
なお当研究所では黒田記念館の移管後も、その創設に大きく与った黒田清輝に関する研究を、引き続き重点的に行なっています。記念館2階の資料室では、これまで当研究所が刊行してきた黒田に関する研究書を閲覧することができます。また当研究所のホームページhttp://www.tobunken.go.jp/kuroda/index.htmlでは、作品の高精細画像や黒田が書いた日記のテキスト等、黒田研究のための基礎資料を公開しておりますので、どうぞご利用ください。
東京国立博物館蔵国宝・孔雀明王像の共同調査

企画情報部では、東京国立博物館とともに、東博所蔵の平安仏画の共同調査を継続して行っています。毎年1作品ごとに東京文化財研究所の持つ高精細のデジタル画像技術で撮影し、細部の技法を知ることのできるデータを集積しつつあります。このデータからは、目視では気づかれることのなかった意外な技法を認識することができ、それらが平安仏画の高度な絵画的表現性といかに関連しているかを両機関の研究員が共同で探っています。本年度分の調査として、2015年1月15日、国宝・孔雀明王像の撮影を行いました。得られた画像データは東京国立博物館の研究員と共有し、今後その美術史的意義について検討してまいります。
海外日本美術資料専門家(司書)の招へい・研修・交流事業2014(通称JALプロジェクト)への視察受入など

JALプロジェクト(実行委員長:加茂川幸夫東京国立近代美術館館長)は、海外で日本美術資料を扱う専門家(図書館員、アーキビストなど)を日本に招へいして、日本美術資料専門家のネットワーク構築を促進するとともに、招へい者の所見をもとに、日本の美術情報資料や関連情報提供サービスのあり方を再考することを目的とした、今年度新たにスタートした事業です。このJALプロジェクト実行委員会に、当研究所から田中淳副所長、橘川アソシエイトフェローが実行委員を委嘱され、橘川は招へい者への事前現地ヒアリング、研修ガイダンス、国内関連機関視察への随行を行いました。
事前現地ヒアリングでは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)グローバル・リサーチC-MAPのプログラム・コーディネーターを務めた足立アン氏を担当して、水谷長志氏(本プロジェクト実行委員、東京国立近代美術館主任研究員)とともに、11月12日にニューヨーク近代美術館クイーンズ分館と、ビデオアート・アーカイブ「EAT」の2機関を視察しました。
日本に招へいした資料専門家7名は、12月1日から東京、京都、奈良にある関連機関で研修をしていただきました。当研究所には同月3日に来訪され、当研究所および文化財アーカイブ構築事業の概要などを紹介し、資料閲覧室などで図書資料、作品調査写真、近現代美術家ファイルを視察したのち、最後に当研究所研究員らと情報交換を行いました。このなかで、海外での情報流通を想定したローマ字化されたコンテンツの充実、調査写真のオープンアクセスについてなど提言をいただきました。研修最終日となった同月11日に、東京国立近代美術館講堂で公開ワークショップが開催され、アメリカやヨーロッパで求められる文化財情報のあり方について、改めて検討するよい契機となりました。
国際研究集会の報告書の刊行

企画情報部では、前年度の2014年1月10日(金)~12日(日)の3日間にわたって、第37回文化財の保存及び修復に関する国際研究集会「「かたち」再考―開かれた語りのために―」を開催いたしました。本国際研究集会は、有形文化財を研究対象とするスタッフを中心に、ものの「かたち」とは何か、我々は何のために「かたち」に向き合っているのかという根本的な問いを通奏低音にして、「かたち」へのアプローチの方法論をテーマに企画したものでした。そのため、能楽の専門家や和歌の専門家など、いわゆる無形のものを研究対象とする研究者にご参加いただき、各学問分野における「かたち」の認識のあり方を相対化しようと試みました。また、作品を生み出す側に立つアーティストにもご登壇いただき、創作という行為にまつわる感覚を率直にお話しいただいたことも、「かたち」を入り口にしてその内奥に迫ろうとする研究者にとっては新鮮なものであったと思います。
この度、本国際研究集会での研究発表と討議をまとめ、2014年12月17日に刊行いたしました。本書は平凡社より市販され、書店でもお買い求めいただくことができます。詳細は、次のURLをご参照ください。
http://www.heibonsha.co.jp/book/b186659.html
今泉省彦氏所蔵資料調査

今泉省彦(いまいずみよしひこ)(1931~2010年)は、戦後前衛美術を陰に陽に支えてきた人物です。画家を志していた今泉は、1950年代に雑誌『作品・批評』などに評論の執筆をはじめ、1958年には雑誌『形象』(のちに『機関』に改称)の創刊に参加しました。この『形象』を通じて、当時の若き前衛美術家たちとの交流を深め、そこで知り合った美術家たちは、1969年に開校した現代思潮社による美術学校「美学校」の講師を担うことになります。今泉は、美学校に開校準備から携わり、1975年に美学校が現代思潮社から独立した際には取締役となって、その運営に尽力してきました。
今泉省彦氏所蔵資料の一部は、2013年にサウサンプトン大学附属美術館ジョン・ハンサードギャラリーで開かれた「叛アカデミー」展で、美学校関連資料として展示されました。今回は、その企画者のひとりである嶋田美子氏にご紹介いただいた今泉省彦夫人・榮子様のご協力のもと、企画情報部アソシエイトフェロー橘川英規と河合大介が、日記、写真、書籍・雑誌類、書簡からなる資料の調査を行いました。特に、同じ日大芸術学部出身のルポルタージュ絵画で知られる中村宏、『形象』の座談会で知り合い、その「千円札」裁判に深くかかわった赤瀬川原平、前衛グループ・九州派の中心メンバーだった菊畑茂久馬(きくはたもくま)、日本におけるコンセプチュアル・アートの第一人者である松澤宥(まつざわゆたか)といった、のちに美学校で教鞭をとることになる作家たちに関する書簡や文書が比較的多く確認できました。
これら作家関連資料に加えて、今泉氏自身による1960~62年頃の詳細な日記も残されており、日本の前衛美術がもっとも盛んだったころの貴重な記録が含まれていると考えられます。今後、これらの資料をくわしく調べることで、戦後美術についての研究を進めていく予定です。
新海竹太郎関係資料の受贈とガラス乾板のデータベース公開

今回受贈した新海竹太郎関係資料より。竹太郎は《鐘ノ音》制作のために、自分の作品の鋳造をいつも頼んでいた阿部胤斎にモデルになってもらいました。その折に、さまざまな角度からモデルの姿を撮影した写真が残っています。

新海竹太郎(1868~1927年)はヨーロッパで彫刻を学び、《ゆあみ》(1907年作 重要文化財)をはじめとする作品を発表、日本彫刻の近代化に大きく貢献した彫刻家として知られています。昨年11月の活動報告でもお伝えしたように、竹太郎の孫にあたられる新海堯氏より、主にその作品を撮影したガラス乾板一式を当研究所へご寄贈いただいておりましたが、このたび新たに自筆ノートや制作に関する写真・書類等、竹太郎にまつわる資料一式をご寄贈いただくことになりました。同資料については、寄贈を仲介していただいた田中修二氏(大分大学教育福祉科学部准教授)の著書『彫刻家・新海竹太郎論』(東北出版企画、2002年)の中でも言及され、竹太郎の制作活動を解明する上で重要な資料であることが知られています。今回の寄贈を機に、田中氏にはあらためて同資料について、当研究所の研究誌『美術研究』でご紹介いただく予定です。また同資料には竹太郎と親交のあった明治期の仏教美術研究者、平子鐸嶺(ひらこたくれい)(1877~1911年)のノートも含まれており、日本近代彫刻史のみならず仏教美術史の観点からも今後調査を進めていきたいと思います。
なお昨年ご寄贈いただいたガラス乾板については画像をデジタル化し、当研究所のホームページ上にてデータベースとして公開を始めました。
(http://www.tobunken.go.jp/materials/sinkai)本サイトは企画情報部研究補佐員の小山田智寛の作成によるもので、竹太郎の作品および竹太郎が郷里の山形で師事した細谷風翁(ほそやふうおう)・米山(べいざん)父子の南画を撮影したガラス乾板182枚のデジタル画像を公開、作品名等の文字検索も可能です。竹太郎の代表作はもちろん、今日では現存しない作品の画像も含まれておりますので、ぜひご活用ください。
イギリス・セインズベリー日本藝術研究所との「日本芸術研究の基盤形成事業」推進のための協議開催

セインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)は、ロンドンより北に車で約2時間、ノーフォーク県のノリッジ(Norwich)という小さな町に所在しています。セインズベリー夫妻によって1999年に設立されたSISJACは、日本芸術文化研究の拠点の一つとして、日本美術史や日本考古学の関係者にはよく知られた存在です。
セインズベリー日本藝術研究所と東京文化財研究所(東文研)は、2013年7月より「日本芸術研究の基盤形成事業」を立ち上げ、主に欧米の日本美術の展覧会や日本美術に関する書籍・文献の英語情報を収集しています。これまで東文研は、日本美術にかかわる情報を収載した「文化財関係文献データベース」を公開してまいりましたが、これらの情報は日本国内に限定されたものでした。今後は、SISJACの収集した情報を東文研のデータベースに集約し、日本国外における日本美術関連情報も、東文研のデータベース上で検索が行えるようなシステムの構築を目指しております。
本事業推進のため、2014年10月9日(木)より10月20日(月)までの約10日間、企画情報部の皿井舞がSISJACに滞在し、SISJACスタッフとともに、すでに収集した情報の確認作業や公開に向けての作業内容の手順確認等を行いました。
また滞在期間中の16日(木)には、SISJACが毎月第3木曜日に行っている講演会Third Thursday Lectureにて、”Buddhist Wooden Sculptures in the Early Heian Period : From a Standpoint of Syncretisation of Shinto with Buddhism”と題した講演を行いました。SISJACに隣接した大聖堂内の講堂において、80人近くものノリッジ市民が日本の平安時代の木彫仏に関する講演に耳を傾けてくれました。講演後にも多くの質問が投げかけられ、日本美術に対する関心の高さを実感しました。
岸田劉生作「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」(東京国立近代美術館蔵)光学調査

企画情報部のプロジェクト研究「近現代美術に関する交流史的研究」では、日本を含む東アジアを中心とする交流に関する調査研究を目的のひとつにしています。
この一環として、東京国立近代美術館が所蔵する岸田劉生による「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」(1916年)、ならびに「壺の上に林檎が載つて在る」(1916年)の2点の油彩画の光学調査を10月16日に行いました。
今回の調査では、いずれの作品も岸田劉生がアルブレヒト・デューラー等のヨーロッパ古典絵画から影響を深く受けていた時期の作品だけに、図様だけではなく、技法、表現等の画面の細部を検証するために行われました。
ヨーロッパ古典絵画にみられる平滑な画面は、テンペラ、油彩等の技法をふまえて積み上げ得られた絵画であったといえますが、岸田劉生は、もとより複製図版からの受容であっただけに、そうした理解があったのかどうか、当時の作品を観察することは、受容史の面からも重要な問題です。撮影にあたっては、画家の筆致や現在の画面の状態を視覚化できるように画面に均一な光を与えるだけでなく、油彩による画面の凹凸が把握できるように作品の左側から鋭角に照らす光を加えて実施しました。(撮影担当:企画情報部専門職員城野誠治)また、同時に反射近赤外線撮影を行いました。このような撮影によって得られた画像から、描き直しや模索などの跡がまったくなく、制作時にまでにかなりイメージを固めた状態で描かれたことが確認できました。
なお今回の光学調査は、東京国立近代美術館ならびに修復家斎藤敦氏の協力のもとに実施することができたものであり、深く感謝する次第です。またその成果は、『美術研究』に論文「岸田劉生の写実表現と『貧しき者』という芸術家像の形成―岸田劉生の『駒沢村新町』療養期を中心に」(仮題)中で公表する予定です。
第48回オープンレクチャーの開催

企画情報部では毎年秋に行うオープンレクチャーを、今年は10月31日(金曜日)、11月1日(土曜日)の両日にわたって「モノ/イメージとの対話」を総タイトルに掲げ、午後1時30分より地下セミナー室を会場にして開催いたしました。このオープンレクチャーは日々、文化財に向き合って研究を行うなかで得られた知見の一端を多くの人に知っていただくことを目的として開催しています。今年で48回目となりました。
1日目は、文化形成研究室長・津田徹英が「一流相承系図(絵系図)の構想と機能」と題し、続いて、名古屋大学大学院教授・伊藤大輔氏が「院政期絵画における二つの美の原理―似絵の成立をめぐって―」題して講演を行いました。晴天に恵まれ108人の聴講となりました。
2日目は、近・現代視覚芸術研究室長・塩谷純が「仙台・昭忠碑、被災から復興に向けて」と題し、続いて、千葉工業大学教授・河田明久氏が「表象と本物」と題し、講演を行いました。塩谷の講演では、実際に修復に携われた高橋裕二氏にご登壇いただき報告をしていただきました。当日はあいにくの降雨となり肌寒い一日となったにもかかわらず55人の聴講がありました。
両日ともに実施したアンケートの集計から、1日目は91.7%、2日目は83.7%の方々より満足を得たとの回答を頂戴いたしました。
ポンジャ現懇創立10周年記念シンポジウム「For a New Wave to Come Post-1945 Japanese Art History Now」への参加と美術関係図書館・アーカイブ関連施設の視察

2014年9月12日と13日にわたって、ニューヨーク近代美術館研修室、ニューヨーク大学およびジャパン・ソサエティーにおいて、ポンジャ現懇(PoNJA-GenKon)創立10周年記念シンポジウム「For a New Wave to Come: Post-1945 Japanese Art History Now」が開催されました(ニューヨーク大学東アジア研究部門[トム・ルーサー教授]とポンジャ現懇の共催)。ポンジャ現懇は、日本の現代美術に関心のある英語圏の専門家らに、対話やフォーラムの場を提供することを目的とし、これまでにミシガン大学やゲッティ研究所、グッゲンハイムなど大学や研究機関、美術館などと協力してシンポやパネルディスカッションを開催してきました。筆者は、1日目のワークショップにおいて、「Seeing A Panorama of Sightseeing Art at Tama: Nakamura Hiroshi’s Notebook at Tobunken」と題して、東京文化財研究所が所蔵する観光芸術研究所《観光芸術多摩川展パノラマ図》やその関連の映像を用いて、1964年に開催されたこの野外展を詳細に紹介し、また、当時の美術界における意義についての考察を発表しました。このシンポジウムは、大学院生から第一線の専門家まで16人の研究発表があり、各セッションのパネルディスカッションでは活発な議論が展開されました。
また、このシンポジウムへの参加と合わせて、美術関係図書館およびアーカイブ関連施設(コロンビア大学C. V. スター東アジア図書館、メトロポリタン美術館ワトソンライブラリー、ニューヨーク近代美術館アーカイブ、ニューヨーク公共図書館アート&アーキテクチャーコレクション)などを視察し、それぞれの機関の担当者と日本美術研究資料についての情報交換を行いました。
なお今回は、国際交流基金の派遣により、シンポジウムでの発表、関連施設の視察をさせていただきました。
美術雑誌『國華』掲載作品図版の受け入れ

『國華』は明治22年(1889)に創刊された美術雑誌です。125年を超える歴史をもち、現在1430号もの刊行数を誇っています。1859年にパリで創刊されたガゼット・デ・ボザール(Gazette des beaux-arts)が2002年に廃刊された後は、世界でもっとも古い美術雑誌として知られています。
ひときわ大きな判型に(刊行当初は四六倍版で、昭和19年以降現在のB4判となる)、図版を豊富に掲載する豪華なスタイルは創刊当初から変わらず、そこには美術の新興に燃えた岡倉天心と高橋健三という2人の創刊者の意気込みが感じられます。また東洋美術史学研究の発展を創刊の目的のひとつにかかげた本誌は、まさに東洋美術史領域におけるもっとも重要な学術雑誌となっています。
この度9月25日に、『國華』を編集されている國華社より、およそ800号から1200号の各号に掲載された作品の紙焼き図版をご寄贈いただきました。台紙に張り付けられ、整理された図版は、分量にして段ボール箱45箱分にものぼるものでした。
『國華』に掲載される作品は美術史研究者の厳密な査定を経ており、そうした作品の図版は、東洋美術史を研究するものにとって基礎となる非常に重要なものばかりです。これらの図版は号数順にまとめて当研究所閲覧室のキャビネットに配架いたしました。閲覧室にお越しの皆様には自由にご覧いただくことができますので、貴重な資料をぜひご活用ください。
企画情報部研究会―黒田清輝宛書簡について2件の研究発表

企画情報部の文化形成研究室では、プロジェクト研究として「文化財の資料学的研究」を進めています。この研究は、日本を含む東アジア地域における美術の価値形成の多様性を解明することを目的に、基礎的な資料の解析等を行っています。基礎的な資料の一つとして、当研究所が保管する黒田清輝宛書簡約7400件の整理とリスト化を継続的にすすめています。
その一環であり、同時に研究成果として、黒田清輝宛書簡のなかから、中国、朝鮮等のアジア諸地域から東京美術学校に留学し、黒田に師事した学生たちの書簡、ならびに黒田と深い関係にあった画家藤島武二の書簡に基づく研究会を8月6日に開催しました。研究会では、吉田千鶴子(東京藝術大学)氏が、「黒田清輝宛外国人留学生書簡 影印・翻刻・解題」、児島薫(実践女子大学)氏が「藤島武二からの黒田清輝、久米桂一郎宛書簡について」と題して、それぞれ発表が行われました。前者については、朝鮮からの留学生であった高羲東(コ・フィドン、1886-1965)をはじめとして、東京美術学校で学んだ後にそれぞれの国の美術界で重要な活動をした人物からの書簡等6通について留学生たちの紹介とそれぞれの書簡の内容の検討がありました。また後者では、当研究所が保管する藤島書簡37通、ならびに他機関が所蔵する書簡をもとに、藤島武二が東京美術学校西洋画科に迎えられる折の交信など、これまでの藤島武二研究ではみられなかった黒田、久米と藤島の関係が次第に親密になっていく過程や、美術学校内の人事をめぐる様子が検証、紹介されました。
今回の両氏による発表にもとづく研究成果は、『美術研究』の「研究資料」として順次掲載する予定です。
7月企画情報部研究会

企画情報部では、毎月、研究会を行っています。7月は、29日(火曜日)午後3時より、部内の研究会室において、文化形成研究室長・津田徹英を発表者として、「平安木彫像の内刳りの始源」というタイトルで口頭発表を行いました。今回の発表は、自身が研究代表者となっている科研「近江の古代中世彫像の基礎的調査・研究―基礎データと画像蓄積のために―」(平成24~26年)の成果報告も一部兼ねるものでもあります。当日、研究会には、かつて当研究所の所長であった西川杏太郎氏が参加されました。西川氏は津田の口頭発表の後、ご自身が長年、仏像彫刻の修復の現場に立ち会われて、そこで培われてきた豊富な知見に立脚しながら、発表に対する所見を述べるとともに、あわせて様々なアドバイスをして下さいました。その所見・アドバイスは、専門外の参加者にも非常にわかりやすく魅力的であり、かつ、普段なかなか知り得ない仏像の造像技法に関する専門的な情報を多く含むものであり、それらを惜しみなく披瀝され、発表者はもとより研究会参加者にも非常に貴重な機会となりました。
京都文化博物館での黒田清輝展開催


1930(昭和5)年、洋画家黒田清輝の遺産を基に発足した当研究所は、その功績を顕彰するため黒田記念室を設けて代表作《湖畔》や《智・感・情》をはじめとする作品を展示し、また昭和52年より毎年一回、国内各地の美術館で「近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展」を開催してきました。2007(平成19)年に作品が東京国立博物館へ移管となった後も同館との共催で各地での巡回展を続けてきましたが、黒田の没後90年となる今年は、《舞妓》や《昔語り》等、たびたび黒田作品の舞台となった京都での開催となり、京都文化博物館を会場に6月7日から7月21日まで行ないました。
今回の展観では《湖畔》や《智・感・情》といった黒田の作品に加え、当研究所での光学調査による画像もインスタレーション風に展示されました。また当研究所に残っていたガラス乾板をもとに、戦災で失われた大作《昔語り》の原寸大画像(189×307㎝)を展示、その大きさをあらためて実感する機会となりました。開催初日の6月7日には特別講演会「黒田清輝と日本の近代美術」で塩谷が講師をつとめ、6月21日には京都文化博物館学芸員の植田彩芳子氏が「黒田清輝は京都で何を見たか」と題して、最新の研究成果をふまえたレクチャーを行ないました。黒田の留学先にちなんで6月20日には京都市立芸術大学音楽学部生によるフランス音楽のコンサートも開かれるなど、より多くの方が楽しめるイベントもあり、展覧会は好評のうちに終了、例年の巡回展をはるかに上回る4万余の方々にご来場いただきました。
なお、これらの黒田作品を常時公開する黒田記念館が平成27年1月2日からリニューアル・オープンするのに伴い、このたびの京都展をもって、毎年催してきた巡回展は終了となります。《湖畔》や《智・感・情》にくわえ、《読書》や《舞妓》といった黒田の代表作を一堂に展示し、また従来よりも開館日数を増やしますので、より多くの方々に上野でご鑑賞いただきますよう、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
第38回世界遺産委員会への参加


第38回世界遺産委員会は6月15日~6月25日、カタールの首都ドーハで開催されました。当研究所では委員会開催前から、世界遺産リスト記載資産の保全状況や、リスト記載への推薦に関する資料の分析を行うとともに、委員会の場では、世界遺産に関わる動向の情報収集を行いました。
今回の世界遺産委員会では新たに26件の資産がリストに記載され、合計1,007件となりました。アフリカから唯一の記載勧告を受けた推薦だったこともあり、オカバンゴ・デルタ(ボツワナ)が審議順を変更し記念すべき1,000件目として記載されました。日本が推薦し記載された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の審議では、日本以外の20の委員国のうち18の国が記載賛成の発言を行い、近代の産業遺産で、技術の交流・融合の証拠であることに多くの国が言及しました。
また、危機遺産リストについて、3件の資産が記載、1件が除外されました。記載されたうち1件はパレスチナの「パレスチナ:オリーブとブドウの地 エルサレムの南部バティールの文化的景観」で、緊急の登録推薦資産のため自動的に危機遺産リストに記載されています。
なお、今回の世界遺産委員会では諮問機関から記載延期勧告を受けた13件のうち8件、緊急の登録推薦で不記載勧告を受けた1件、及び情報照会勧告の2件全てが記載されています。専門家集団の諮問機関の勧告を覆しての記載決議の乱発は、委員会の信頼性や透明性にかかわります。東京文化財研究所は委員国の構成やその年によって変化する世界遺産委員会の動向に着目し、調査を継続します。
研究資料データベース検索システムのリニューアル

「研究資料データベース検索システム」
(http://www.tobunken.go.jp/archives/)をリニューアルしました。これは、昨年度、当所アーカイブズ運営委員会のもとに組織されたアーカイブズ・ワーキング・グループで取り組んでいる全所横断的な研究資料アーカイブズ構築の成果の一端が反映されたものです。今回のリニューアルでは、検索システムの操作性、コンテンツの両面で大幅な改定がありました。
当所の研究資料データベースは、2002年に和漢書と売立目録の所在情報をインターネット上に公開して以来、各部署の蔵書情報や、関連分野の文献 情報・展覧会開催情報・伝統楽器情報などを公開し、文化財研究機関ならではの有効なコンテンツを発信する役割を担ってきました。その一方で、サイト利用者からは「システム内の複数データベースの横断検索」、「複数のキーワードによる掛け合わせ検索」、「検索結果の並び替え」などができるようにしてほしいなど、操作性の改善を望む声が寄せられていました。これまでのサイトは、データベース言語「SQL」とWebアプリケーションフレームワーク「Microsoft aspx」で構築してものでしたが、それを「MySQL」と「WORDPRESS(PHP)」の組み合わせに改め、それらの問題を解決し、操作性を向上させました。
さらにコンテンツ面では、当所刊行物の掲載論文や記事の情報の収録件数を53万件に増やしました。これまでの収録対象は研究誌『美術研究』、『芸能の科学』、『保存科学』に掲載された論文のみでしたが、さらに各種研究成果報告書、『日本美術年鑑』、『東文研ニュース』、『年報』などを含め、また論文以外の彙報記事も収録したためです。これによって当研究所の研究成果に加えて、研究プロジェクトの進捗状況を伝える記事などへのアクセスも改善されました。
引き続き、専門性の高い情報にアクセスしやすい環境を整え、効率よく活用できる方向を検討しております。ご利用いただき、お気づきの点がございましたら、本システムの「ご意見・お問い合わせ」フォーム(http://www.tobunken.go.jp/archives/ご意見・お問い合わせ)からご一報いただけますと幸いです。