研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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黒田清輝「グレーの原」
洋画家黒田清輝の遺言によって1930年に開所した「美術研究所」を母体とする当研究所では、黒田をはじめとする日本近代美術の調査研究を大きな柱として来ました。このたび、黒田記念館での展示に活かすことを条件に、黒田清輝筆「グレーの原」(カンヴァス・油彩、29.2×51.4cm)のご寄贈依頼があったことを受けて、5月6日に企画情報部の田中淳、塩谷純、城野誠治、山梨絵美子が同作品の調査・撮影を行いました。この作品に描かれているのは広やかな緑野にふたつの積み藁がある田園風景で、近景の草叢にある赤い花がアクセントになっています。画面右下には「S.K」とサインがあります。制作年は記されていませんが、モティーフと画風からフランス留学中、グレーでの制作を行い、サロン入選を目指していた1890年前後のものと思われます。積み藁が描かれており、黒田が私淑したジャン・フランソワ・ミレーとの関わりも想起される稀少なものです。1891年から93年までフランス公使をつとめ、フランス留学中の黒田に制作の援助をした野村靖(1842-1909)のご遺族に伝えられており、画家の交友関係をうかがわせます。調査結果を公にするとともに、黒田記念館での展示に活用していく予定です。
當麻寺裏板曼荼羅の調査撮影
當麻曼荼羅図(たいままんだら)は、唐の善導の『観無量寿経疏』(かんむりょうじゅきょうしょ)に基づく阿弥陀浄土図です。奈良・當麻寺(たいまでら)に伝えられたことから、この名があります。縦横ともに4メートルを超える大作で、通常のように絵絹に描いた絵ではなく、綴織という織りによって図様が表わされています。8世紀のおそらく唐で制作されたものであろうとの見解が最近出ています。しかしながら、千数百年の経年の劣化は否みようがなく、綴織の当初の残存部がどのように、どれほど残っているかは必ずしもはっきりしていませんでした。当研究所企画情報部では昨年奈良国立博物館で特別展「當麻寺」展が開催されたのを機に、同博物館とこの曼荼羅について共同研究を行ってきたところです。
當麻曼荼羅は當麻寺曼荼羅堂の須弥壇(しゅみだん)上の逗子の中に納められた板の裏側に貼り付けたかたちで伝来しましたが、江戸時代、すでに劣化が激しかったため、表面に紙を当て、水を与えて織りを剥離し、掛幅(かけふく)に仕立て直すことが行われました。この掛幅本については昨年12月に調査を行ったところですが、江戸の剥離の際に使われた紙に繊維が残存したものの一部が「印紙曼荼羅」として京都・西光寺に伝来し、一方、もとの板貼りの部分にも剥離されることなく残った織りがあり「裏板曼荼羅」と呼ばれて存在しています。企画情報部では本年5月28日に奈良国立博物館とともに城野誠治、皿井舞が「印紙曼荼羅」の高精細画像調査を、同29日に城野誠治、小林達朗が参加して當麻寺曼荼羅堂の「裏板曼荼羅」のマクロ撮影による調査を行いました。「印紙曼荼羅」は当初の綴織りが構造として認められる部分はわかりにくい状況でしたが、繊維自体の残存は認められました。「裏板曼荼羅」については、現地の物理的制約上、調査できた範囲は一部に限られましたが、なお当初の綴れ織りが残っていることが確認できました。これまでよくわからなかった當麻曼荼羅の実態を知る一歩になったものと思われます。
企画情報部では、5月28日(火)、定例の研究会を行いました。今回は、「四天王寺所蔵六幅本聖徳太子絵伝をめぐる諸問題」として、聖徳太子絵伝について調査チームを組んで活動をされている土屋貴裕氏(東京国立博物館)、村松加奈子氏(龍谷ミュージアム)より発表が行われました。
今回取り上げられた四天王寺六幅本聖徳太子絵伝(重文)は、元亨三年(1323)、井田別所の僧・定意阿闍梨の発願により、南都(奈良)絵所の遠江法橋なる人物が描いたことを述べる裏書があることと合わせ、14世紀初頭以降数多く作られた聖徳太子の中でも重要な作品です。裏書については30年ほど前に活字化されたものによってこれまでそのまま認識されてきましたが、実物の調査を行ったチームの米倉迪夫氏(東京文化財研究所名誉研究員)によれば、裏書は当初のものではなく、その内容についてはなお疑義が残るとするとの見解が裏書の画像とともに示されました(米倉氏は当日ご不在のため土屋氏から論旨の代読)。このあと、土屋氏は絵の詳細な画像を示しつつ、これまで漠然と「南都の絵画」として認識されていたこと自体に疑問を提示し、それがこの時代にすでに様式として実在的なものであったかどうか今一度検討の余地があることなどを発表されました。村松氏は、多くの他の聖徳太子絵伝の中における図像的な関連を示し、聖徳太子絵伝の遺品群における意義について、その重要性が指摘されました。制作も優れた注目すべき作品でありながら本格的に論じられることのなかった本図についての研究が深まる端緒となるでしょう。
「からむし焼」の様子
4月に引き続き韓国文化財研究所の李釵源氏が「無形文化遺産の保護及び伝承に関する日韓研究交流」で来日し、文化財保存技術である「選定保存技術」について研究・調査を行いました。福島県昭和村では重要無形文化財小千谷縮・越後上布の原材料である「からむし(苧麻)」を栽培し、苧引きしています。今回の調査では小満に行う「からむし焼」とも日程が重なり、重要な栽培工程を直接見学することができました。また、「からむし」に関わる行政担当者や技術者、その他の様々な立場の方との聞き取り調査を通じて、昭和村における「からむし」栽培の意義や選定保存技術の保護体制について考察を深めました。2週間に及ぶ研究交流の成果報告会では韓国には無い枠組みである「選定保存技術」について両国間における認識の相違点、文化財保護の在り方についても改めて認識を深めることができました。
フゴッペ洞窟における共同調査
保存修復科学センターでは、大韓民国・国立文化財研究所との国際共同研究「文化財における環境汚染の影響と修復技術の開発研究」として、屋外にある文化財の保存修復について調査研究を進めています。その中で、両国の研究者がより親密に研究交流できるよう、毎年研究報告会を相互で開催しています。 今年度は5月21日(火)、東京文化財研究所地下会議室において研究報告会を開催しました。韓国国立文化財研究所からは金思悳・李鮮明・李泰鐘・全有根の四氏が、東京文化財研究所からは朽津信明・中山俊介・森井順之が発表を行い、屋外にある文化財の保存修復について議論を行いました。また、翌日からは北海道で共同調査を行い、フゴッペ洞窟(余市町)や手宮洞窟(小樽市)で岩刻画の展示・保存に関する現状調査を行いました。現在韓国では、蔚山にある盤亀台岩刻画の保存についての検討が課題となっていますが、韓国側研究者から展示照明や施設管理などに関して多く質問がなされ、我が国における岩刻画の保存事例が参考になったものと思われます。
生物実験室での説明(4月15日)
明治大学博物館友の会「平成内藤家文書研究会」 18名
4月15日、文化財の保存・修復の現場を見学するために来訪。企画情報部資料閲覧室、保存修復科学センター修復実験室及び同生物実験室を見学し、各担当者が業務内容と設備について説明を行いました。
「大礼服の黒田清輝」(撮影:小川一真、1914年7月、東京文化財研究所蔵[金子光雄氏寄贈])
企画情報部では、平成25年度の第1回研究会が4月30日に開催しました。研究発表では、「華族たちの写真同人誌『華影』と黒田清輝宛小川一真書簡」と題して、斎藤洋一氏(松戸市戸定歴史館)と岡塚章子氏(東京都江戸東京博物館)を迎え、これに田中淳が加わり順次発表しました。
はじめに、斎藤氏より、徳川慶喜、昭武をはじめとする旧大名たち、すなわち明治の華族たちによる写真同人誌『華影(はなのかげ)』(明治36年から41年頃に刊行)について、これまでの調査にもとづく研究成果が発表されました。とくに斎藤氏の調査によれば、『華影』は年に4冊刊行されていたと推察され、中でも明治40年3月から翌年3月の間に刊行された5誌において、投稿された写真に対する黒田清輝、ならびに写真家小川一真(1860-1929)による「印画評」(評価)が掲載されていたことは注目されます。この「印画評」をもとに、田中より、黒田の画家として、また写真家としての小川の評価、ならびに黒田の「写真」観について報告しました。つぎに当研究所が保管する黒田清輝宛書簡のなかから小川一真の書簡(7件)をもとに、小川について研究をすすめている岡塚氏より、黒田と小川の関係について、また華族と小川との関係をもとに明治の写真界についての発表がありました。この研究成果は、『美術研究』第411号(平成25年11月刊行予定)、ならびに次号において公表する予定です。
思川桜工房
無形文化遺産部が行っている韓国文化財研究所との「無形文化遺産の保護及び伝承に関する日韓研究交流」も2年目に入りました。4月には韓国文化財研究所から黃慶順研究員が来日し、茨城県と栃木県で結城紬について調査を行いました。結城紬は2010年ユネスコ「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(代表一覧表)」に記載以降、文化面だけでなく産業、観光等の側面からも保護事業が行われています。今回の調査では技術者や行政担当者などに聞取調査を行い、結城紬の伝承基盤について考察を深めました。2週間に及ぶ研究交流の成果報告会では韓国と日本の無形文化遺産に対する政策や考え方の相違点についても改めて認識を深めることができました。
保存修復科学センターと文化遺産国際協力センターが発行している研究紀要「保存科学」は第1号からのすべての記事をPDF化し、ホームページ上で公開しています
(http://www.tobunken.go.jp/~ccr/pub/cosery_s/consery_s.html)今回、最新号である第52号掲載の4件の報文22件の報告のアップロードを完了しました。また、生物被害対策に関する1つのパンフレットと3つのポスターも公開しましたので、是非ご活用ください。(http://www.tobunken.go.jp/~ccr/pub/publication.html#002)。
刊行物の多くは、関係機関などへ配布していますが、文化財保存に関わるより多くの方に役立つ情報を提供するため、今後も積極的にインターネットを通じた公開を進めていく考えです。
文化庁長官から感謝状を贈呈される亀井所長
表彰者と記念撮影(後列一番左が亀井所長)
平成25年3月25日(月)、当研究所のセミナー室において、東日本大震災によって被災した文化財等の救援・修復活動に関し、活動に協力又は従事した団体等に対して、文化庁長官からの感謝状の贈呈式が行われました。
平成23年4月の東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会の発足以来、2か年にわたり事務局を務めてきた当研究所に対して、文化庁の近藤誠一長官から感謝状が贈られました。
実演記録室での説明(3月8日)
文化庁元主任文化財調査官 半澤重信氏 他3名
3月8日、東京文化財研究所の視察のために来訪。企画情報部資料閲覧室、無形文化遺産部実演記録室、保存修復科学センター修復実験室及び文化遺産国際協力センターを見学し、各担当者が業務内容と設備について説明を行いました。
『横山大観《山路》』表紙
「横山大観《山路》の調査研究」エントランスロビーでのパネル展示
今春、企画情報部は平成14年より逐次刊行してまいりました『美術研究資料』の第6冊として、『横山大観《山路》』を上梓しました。本書は三年にわたり永青文庫との共同研究として続けてきた、横山大観《山路》についての調査研究の成果をまとめたものです。これまでも調査のつど、本HPでその報告をしてまいりましたが、多くの方々のご協力を得て、このたびようやく研究の全貌を公にすることができました。
本書は、永青文庫が所蔵する《山路》(明治44年作)およびそのヴァリエーションである京都国立近代美術館所蔵の《山路》(明治45年作)を対象として、修理や顔料分析により作品自体から得られた情報と、作品発表時の批評や所蔵の経歴など作品周辺の文字情報を集成したものです。修理や調査にたずさわった荒井経(東京藝術大学)・小川絢子(東京国立博物館)・佐藤志乃(横山大観記念館)・平諭一郎(東京藝術大学)・竹上幸宏(国宝修理装こう師連盟)・野地耕一郎(練馬区立美術館)・林田龍太(熊本県立美術館)・三宅秀和(永青文庫)の各氏および塩谷による執筆で、いずれも作品調査や資料に根ざした手堅いテキストとなりました。ひとつの作品をめぐる調査研究のケーススタディとして、これまでの『美術研究資料』と同様、今後の美術史研究の一助となれば幸いです。なお本書は中央公論美術出版より市販されています。詳細は下記ホームページをご覧下さい。
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=635
また本書の刊行にあわせて、3月28日より当研究所1階のエントランスロビーで「横山大観《山路》の調査研究」のパネル展示を始めました。同書に掲載した永青文庫所蔵《山路》の調査画像を中心に、調査研究の概要をパネル展示でご紹介するものです。当研究所の城野誠治が撮影した高精細画像のパネルから、《山路》に使用された顔料のマティエールを実感していただきたく、ご来所の折はぜひご覧下さいますようお願いいたします。
佐藤友彦師の記録作成
狂言には和泉流と大蔵流、ふたつの流儀があり、それぞれ演出や台本を異にしています。実は同じ流儀のなかでも伝承が違う場合があり、和泉流では狂言共同社(名古屋)、名古屋在住の野村又三郎家、金沢出身だった野村万蔵・野村万作家の三つの系統があります。無形文化遺産部ではかねてより狂言の演出について調査を進めてきましたが、今回はその一環として狂言共同社の佐藤友彦師に《花子》を謡っていただき、収録を行いました。《花子》は歌謡を中心とした作品で、一定の年齢にならなければ上演を許されない「習い物」です。
保存修復科学センター・文化遺産国際協力センターが発行する東京文化財研究所の研究紀要『保存科学』の最新号が、平成25年3月26日に刊行されました。被災文化財保存のための調査研究、キトラ古墳壁画の微生物対策に関する研究成果など、当所で実施している各種プロジェクトで得られた最新の知見が4本の報文と22本の報告として発表されています。東文研WEBページには、『保存科学』第1号からのすべての記事がPDF版で公開されています(http://www.tobunken.go.jp/~ccr/pub/cosery_s/consery_s.html)。第52号についても、近日中にアップいたします
基調講演発表風景
2012年3月15日(金)に標記総会および研究会を開催しました。総会では、例年通り、コンソーシアムの平成24年度事業報告と次年度事業計画を事務局長より報告しました。続いて行った研究会では、シンガポール文化・社会・青年省記念物保護部長ジーン・ウィー氏による「ASEAN諸国の文化遺産保護のための国際協力」と題する基調講演ののち、文化遺産保護に関する最新の国際動向について、昨年の主だった国際会議を中心に、4名の方からご報告いただきました。
企画情報部室長の二神葉子には、世界遺産条約に関して、登録をめぐる審議の傾向や、昨年話題となったパレスチナの世界遺産の登録を中心にお話しいただきました。続いて外務省特命全権大使(文化交流担当)西林万寿夫氏から、昨年京都で開催された世界遺産条約採択40周年最終会合報告とその成果である「京都ビジョン」についてご報告頂きました。また、文化庁文化財部記念物課世界文化遺産室文化財調査官の西和彦氏より、最終会合に関連して富山、姫路で開かれた会合の概略と提言についてご報告頂きました。最後に、無形文化遺産部長の宮田繁幸より、ユネスコ無形文化遺産保護条に関して、記載をめぐる審議の傾向と、問題視されていた記載の地域間格差に関する是正の方向、会議の運営に関するご発表がありました。
文化遺産保護の国際動向は研究会で例年取り上げているテーマですが、毎回50名を越える参加者があり、最新動向に関する情報が強く求められていることを感じます。コンソーシアムでは今後も、研究会等を通じた情報共有に取り組んでいきたいと思います。
昭忠碑ブロンズ本体移設の様子(平成25年2月7日)
仙台城(青葉城)本丸跡に建つ昭忠碑は、明治35年(1902)、仙台にある第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立されたモニュメントで、現在は宮城縣護國神社の管理となっています。これまでたびたび報告してまいりましたように(2012年1月、6月)、東日本大震災で塔上部に設置されたブロンズ製の鵄が落下し、当研究所に事務局を置く東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会では同碑に対し文化財レスキュー活動を行ってきました。塔周辺や塔上部に散乱したブロンズの破片についてはすでに回収を終えていましたが、長らく手つかずの状態であったブロンズ本体の移設作業をこの2月に実施することができました。
作業は2月4日より開始、屋外彫刻の修復に実績のある㈲ブロンズスタジオと㈲石歩が工事を担当しました。昭忠碑東側正面前の地面に4.5×4mの鋼板床を設置し、2月7日には25t ラフタークレーンによりブロンズ本体を吊り上げて鋼板床上に移動、その後、プラスチック製波板で覆い掛けを作成して2月9日に全作業を終えました。期間中はたびたび雪に見舞われ、除雪をしながらの作業でしたが、幸い7日のブロンズ吊り上げの際は天候に恵まれて、関係者や地元の報道陣が見守る中での実施となりました。また移設により、破断した鵄の首の内部を観察できるようになり、頭部をほぞ構造で接合したことが判明、さらに「明治卅五年十月四日接続頭部/即東京美術学校/紀念日也」の銘文が確認されるなど、昭忠碑を研究する上で貴重な発見もありました。なお今回の作業も、これまでの昭忠碑レスキュー活動と同様、㈲カイカイキキ(代表取締役:村上隆氏)から文化財レスキュー事業に役立てるべく当研究所に贈られた寄付金により行われました。
今回の移設作業でブロンズ部を覆い掛け内に収めたことにより、雨水による破断箇所からのダメージはひとまず防げるようになりました。しかしながら左翼部分の断裂をはじめ、落下により数多の破損をこうむったブロンズの鵄は被災前の雄々しい姿からはほど遠く、また塔上部に残るブロンズ装飾の落下や、雨水の塔内への侵入による塔全体の崩壊といった危険も未だ解決されていない状況にあります。明治期の稀少なモニュメントの保存修復に向けて、今後も引き続き対策を講じていくことが必要です。
靉光 「眼のある風景」 昭和13(1938)年 油彩・キャンバス 102.0×193.5 ㎝(東京国立近代美術館蔵)
2月26日、企画情報部の研究会において、「靉光(あいみつ)《眼のある風景》をめぐって」と題する大谷省吾氏(東京国立近代美術館主任研究員)による発表がありました。作者である靉光(本名:石村日郎、1907-46)は、独自の造形感覚と堅実な油彩表現によって数々の秀作を残し、1930年代から40年代にかけての日本の近代洋画の歴史のなかで欠くことのできない画家です。その数々の作品のなかでも、この作品は、近代日本美術におけるシュルレアリスムの影響にとどまらず、暗転する時代を背景にした独特の幻想的表現として高く評価されています。
すでに企画情報部では、2010年1月、4月に研究プロジェクト「高精細デジタル画像の応用に関する調査研究」と「近現代美術に関する総合的研究」の共同研究として、東京国立近代美術館とともに光学調査を実施しました。その成果の一部として、原寸大にしたカラー画像と反射近赤外線画像を当研究所内2階に展示しています。
また、その後、この調査に参加した大谷氏は、得られた画像をもとに調査と考察を重ねて、今回の研究発表となりました。大谷氏の発表では、一般的に日本におけるシュルレアリスム絵画の代表作と位置づけられているものの、その影響関係が具体的にはどのようなものだったか、あるいはそもそも何が描かれているのか、不明な点は多いという問題意識からのものでした。とりわけ、反射近赤外線撮影および透過近赤外線撮影が行われ、これにより制作プロセスをある程度推測することが可能となりました。これをふまえ、創作の動機、モチーフ、表現におよぶ作品を読み直し、さらに現在までこの作品をめぐる言説、評価という美術史的な位置づけについても検証し、一点の作品を多角的な視点から考察するという総合的な研究発表でした。
研究会の様子(藤原工氏のご講演)
近年、白色LED照明技術の発展は目覚ましく、高演色化や色温度のバリエーション化は、色の再現性と様々な演出効果の実現を求める展示照明への導入を検討できるレベルにまで達していると言えます。一方で、文化財施設からは資料への影響や、従来の照明との見え方の違い、導入コストに見合った電力消費削減の実現などに対する不安の声も少なくなく、白色LED開発と展示照明としての現状に関して情報共有を図る必要があると考え、表題の研究会を平成25年2月18日に開催しました。
本研究会では、技術開発に携わる専門家と、展示照明としての導入を行った美術館の担当者、それぞれ二人ずつをお招きして、それぞれの立場からの報告をして頂きました。技術開発に関しては、株式会社灯工社の藤原工氏から白色LEDの基本原理と最新の技術動向について、また、シーシーエス株式会社の宮下猛氏には、従来の青色励起型に比べて、より自然光に近い発光特性を持つ紫色励起白色LEDの開発と博物館施設への導入についてお話頂きました。また、展示照明として早い時期に白色LEDを導入した山口県立美術館の河野通孝氏からは、色温度のコントロールといったLED光源の特性を最大限に活かした展示演出などの実践に関して、また、国立西洋美術館の高梨光正氏からは、実測に基づく省エネ効果に加えて、特に油彩画の従来照明と比較した見え方の違いといった、常に作品と接しているからこそ感じる白色LEDの特徴について取り上げて頂きました。
近年、地球温暖化対策として、エネルギー効率の低い白熱電球の生産が段階的に縮小・廃止されています。また、今年10月に国際条約として採択される見込みの「水銀に関する水俣条約」では、水銀を含む製品の2020年以降の生産縮小が決まる見込みで、蛍光灯の使用継続に困難が生じると予想されます。代替光源の導入が文化財施設にとって否応無しの問題となっている現状を反映して、今回は全国から130名の参加者を得ました。質疑応答では紫外線の除去や温度変化といった資料保存、また色温度などや演出に関わる問題まで幅広い質問が出されました。今回の研究会でも明らかになった課題や関係者の期待に応えるためにも、私たちはこれからも白色LEDとさらに次世代光源である有機ELに関する最新の情報収集と保存の観点からの研究・評価を行い、また現場のニーズを開発側に伝える役割を果たしながら、これらの光源が真に展示照明となりうるための一役を担っていきたいと考えています。
金属製品のクリーニングを行なう研修生
文化遺産国際協力センターは、中央アジアの文化遺産保護を目的に、文化庁の受託を受け、2011年度より、中央アジア、キルギス共和国において「ドキュメンテーション」、「発掘」、「保存修復」、「史跡整備」をテーマに一連の人材育成ワークショップを実施しています。
今回は、2月8日から14日にかけて、キルギス共和国国立科学アカデミー歴史文化遺産研究所と共同で、第4回ワークショップ「考古遺物の保存修復処置と出土遺物のドキュメンテーションの人材育成ワークショップ」を実施しました。今回の研修には、キルギス共和国の若手専門家8名が参加しました。
今回の研修では、夏の第3回ワークショップの際にアク・ベシム遺跡から出土した遺物を用い、研修生がそれぞれ「土器の復元」と「金属製品の保存修復処置」また「土器の実測」を行う実習形式で行いました。
文化遺産国際協力センターは、今後もひき続き、中央アジアの文化遺産の保護を目的とした様々な人材育成ワークショップを実施していく予定です。
フィリピン国立文化芸術委員会とのインタビュー
世界文化遺産サン・オウガスチン教会内部
ルソン島北部カラオ洞穴
文化遺産国際協力コンソーシアムでは2月14日から25日まで、フィリピンを対象とする協力相手国調査を行いました。同国における文化遺産保護の現況と今後の国際協力の展開を探るため、現地を訪問し、フィリピン側の協力要望事項等を明らかにすることが調査の主な目的です。代表的文化遺産であるスペイン植民地期の教会や民家、先史時代の貝塚や岩絵などの遺跡、各地の博物館や図書館などを訪れ、担当者との面談も含めて、情報収集や意見交換を行いました。
その結果、人々の認識の向上により、保護が進む歴史的建造物や考古遺跡が多いことがわかりました。一方で、 文化遺産保護に対する教育部門が立ち遅れており、人材育成が急務であることが明らかになりました。また、保護の枠組みとしては、地方行政との連携が文化遺産の保護の鍵となっており、執行は地方の政治状況に依存していることも明らかになりました。
現地からは、文化遺産への認識の向上とアジア地域間の連携を視野にいれた、学術協力及び人材育成分野への貢献を期待する声が上がりました。日本がアジア諸国において蓄積してきた協力実績を活かし、他アジア諸国との連携を視野に入れつつ支援を行うことが、フィリピンの文化遺産保護を検討する上で不可欠と感じました。
2013年は日本・ASEAN交流40周年であり、日本がASEAN地域においてより一層の協力が求められることが予想されます。今後の日本からの文化遺産分野における協力の在り方を探るため、今後情報収集を続け、関係諸機関と協議しながら、どのような支援ができるのか検討していく予定です。