研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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会議中に披露されたパンソリのパフォーマンス
春香祭の様子
大韓民国の南原市で開催された国際会議「2026 International Forum for Promoting Good Safeguarding Practices of Intangible Cultural Heritage(無形文化遺産保護のグッド・プラクティスを推進する国際フォーラム2026)」に東京文化財研究所の石村智が参加しました。この国際会議は南原市と無形文化学センター(Center for Intangible Culture Studies (CICS))の主催によるもので、令和8(2026)年4月30日から5月1日にかけて開催されました。
この国際会議のテーマは「Increasing the Visibility of Good Safeguarding Practices: Rethinking Approaches in the Context of Underrepresented Regions(保護のグッド・プラクティスの可視性を高める:過小評価されている分野のコンテキストにおけるアプローチの再検討)」でした。ユネスコ無形文化遺産保護条約には「緊急に保護する必要がある無形文化遺産の一覧表(緊急保護一覧表)」「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(代表一覧表)」「保護のグッド・プラクティスの登録簿」の三つの一覧表および登録簿がありますが、「保護のグッド・プラクティスの登録簿」については国際的にも知名度が低く、その登録件数も少ない(令和7(2025)年時点で43件)ことが課題となっています。その可視性を高めるための方策を議論するのが今回の会議の目的でした。
筆者は「Good Safeguarding Practices vs. Representative List: Comparing Two Cases of Traditional Architecture Craftsmanship(保護のグッド・プラクティスvs代表一覧表:二つの建造物の伝統的修理技術の比較)」と題した発表を行い、日本の「伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」と、ドイツ・オーストリア・フランス・ノルウェー・スイスの「ヨーロッパの大聖堂の工房もしくはバウヒュッテンの製造技術と消費の実践:ノウハウ、伝承、知識の発展と革新」を取り上げ、前者は代表一覧表に記載されているのに対して後者は保護のグッド・プラクティスに登録されていることを指摘し、その内容について比較検討した結果を報告しました。
会議が開催された南原市は「春香伝」という物語の舞台として知られています。「春香伝」はもともと李氏朝鮮時代の説話で、妓生の娘と両班の息子の身分を越えた恋愛を描いた物語です。伝統芸能パンソリ(代表一覧表に記載)の演目として演じられるとともに、小説や映画にも翻案されてきました。南原市ではこの物語を記念した「春香祭」が毎年開催されており、会議の二日目はその模様を見学しました。「春香祭」は昭和6(1931)年に始まり、今回で第96回を数えました。会議では、市民によって長年にわたり開催されているこの祭りは「保護のグッド・プラクティス」にふさわしいとする議論もなされました。
日本においても「保護のグッド・プラクティス」の登録簿についてはこれまでほとんど注目されてきませんでしたが、今後はこうしたアプローチも再検討すべきであると感じました。
美術研究センター(ソウル館)
美術研究センター(果川館)
Larchiveum (清州館)
検索システム(果川館)
令和8(2026)年5月1日、韓国 国立現代美術館と東京文化財研究所は、「学術・文化交流及びその他の活動に関する協定書」を締結しました。本協定は、文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室が中心となって進めたもので、両機関が所蔵する近現代美術資料に関する調査研究、同資料および学術情報に関するデジタル情報の共有、日韓近現代美術に関連するシンポジウム・研究会等の共同事業、職員交流を推進することを目的とするものです。
国立現代美術館は、韓国を代表する近現代美術館であり、果川、徳寿宮、ソウル、清州を拠点として、展覧会、作品収集、保存、教育、研究に加え、アーカイブ事業にも積極的に取り組んでいます。同館の美術研究センターでは、韓国近現代美術研究の基盤を整備するため、作家・建築家・批評家などの個人アーカイブ資料や、国立現代美術館の展覧会・教育・研究活動の過程で生成された資料を収集・整理・保存し、公開しています。これらの資料は、国立現代美術館公式サイト内の「アーカイブ検索」から検索することができます。
また、清州館には、図書館(Library)、アーカイブ(Archive)、ミュージアム(Museum)を組み合わせた空間として「Larchiveum(ラキビウム)」が設けられています。Larchiveumでは、国立現代美術館の所蔵品を中心とした韓国近現代美術に関する多様なコンテンツを収集・管理しており、来館者は館内で資料を自由に閲覧することができます。資料を保存・管理するだけでなく、来館者が美術資料に親しみ、調査・研究や学習に活用できる場として運営されている点も、同館のアーカイブ事業の特徴といえます。
これらのアーカイブ資料のうち閲覧可能なものについては、利用者が所定の手続きを経て申請することで、果川館またはソウル館の美術研究センターにおいて、原本またはデジタル資料を閲覧できるようになっています。開室情報や利用案内は、国立現代美術館の「Library and Archive」から確認できます。さらに同館は、オンライン研究プラットフォーム「MMCA Research Lab」を運営しており、韓国近現代美術に関する年表、論考、用語解説、研究会記録などを公開しています。このように、アーカイブ資料を単なる保存対象にとどめず、研究・教育・情報発信に広く活用している点に特徴があります。
東 京文化財研究所では、これまでも文化財アーカイブズ研究室を中心に、美術に関する所蔵資料の調査・整理・保存・公開に取り組むとともに、国内外の関係機関との情報共有を進めてきました。今回の協定締結を契機として、今後は両機関が所蔵する近現代美術資料に関する情報交換や共同調査を進めるとともに、資料のデジタル化やシンポジウム・研究会の開催を通じて、日韓の近現代美術研究に資する基盤形成を図っていきます。あわせて、アーカイブ資料の効果的な活用方法についても情報交換を行い、より充実した活用へとつなげていくことを目指します。
参照URL
・国立現代美術館 アーカイブ検索
https://www.mmca.go.kr/research/archiveSearchList.do
・国立現代美術館 図書検索
https://www.mmca.go.kr/bookArchive/searchBookList.do
・国立現代美術館 Library and Archive
https://www.mmca.go.kr/eng/bookArchive/bookArchiveMain.do
・MMCA Research Lab
https://www.mmcaresearch.kr/
橘川英規からアーカイブズ資料について説明を受ける一行
令和8(2026)年5月21日、韓国 国立中央博物館図書館より、チョン・ヘウン氏(教育課・主務官)、ペ・ジニ氏(教育課・学芸研究官)、チョン・ジェホ氏(教育課・司書)が、東京文化財研究所の資料閲覧室を訪問しました。
韓国を代表する国立博物館として知られる国立中央博物館の図書館は、博物館に併設する形で博物館関連の国内外専門資料を収集・整理し、利用者および関連分野の研究者に専門的な情報を提供しています。考古学、歴史学、美術史学など、博物館に関わる分野の単行本約11万冊、学術誌約4万冊等を所蔵しており、所蔵資料の性格としては東京文化財研究所の資料閲覧室と近しいといえます。
当日は、文化財アーカイブズ研究室の橘川英規と田代裕一朗による案内のもと、昭和5(1930)年以来収集されてきた当研究所の蔵書、資料閲覧室の利用環境、資料保存と公開に関する取り組みについて説明をおこないました。さらに、博物館・文化財研究機関における専門図書館の役割、資料の整理・保存・活用、利用者サービス、デジタル化の現状と課題などについて、活発な意見交換をおこないました。
国や制度は異なるものの、文化財および博物館資料を収集・整理し、研究者や学生をはじめとする利用者に提供していくという点において、両機関には多くの共通課題があります。今回の来訪を契機として、今後も資料情報の共有や専門図書館・アーカイブズに関する交流を深め、東アジアにおける文化財研究の基盤整備に寄与していきたいと考えています。
国立中央博物館図書館
https://www.museum.go.kr/MUSEUM/contents/M0610010000.do
ヒナゲシの咲く風景、バスの車窓から
黒田清輝通り、グレー=シュル=ロワン
ラファエル・コランによる天井画見学、オデオン座、パリ
緑濃い草に紙吹雪を散らしたようなヒナゲシの花。茎が細く、真っ赤な花弁だけが浮いているように見えるヒナゲシは、印象派の画家たちや留学中の黒田清輝の風景画でもなじみ深い、フランスの春から初夏を彩る花です。
この度、フランスで開催された「東京国立博物館2026年賛助会員特別ツアー 黒田清輝ゆかりの地を訪ねて」に随行しました。東京文化財研究所は黒田記念館内に創立された美術研究所を前身とし、平成19(2007)年に同館が東京国立博物館に移管されたのちも黒田清輝に関する調査研究を進め、展示業務などにも携わっています。
本企画は、沖松健次郎氏をはじめとする東京国立博物館職員諸氏と、またガイド・コンフェランシエールで、黒田清輝の同国での足跡を調査してきたモアンヌ・前田恵美子氏とほぼ1年間かけて準備したもので、現地ではモアンヌ氏ご夫妻ともう一人のガイド・コンフェランシエールの井上ゆかり氏にも同行頂きました。ガイド・コンフェランシエールはフランスの国家資格で、同国の美術館などでガイドを行うには必須の資格です。
フランスでは、明治18(1885)年から黒田が暮らし、初めて絵画教育を受けたパリと、農村風景を愛し滞在したグレー=シュル=ロワン(パリから70㎞ほど南に位置するコミューン、以下グレー)などを訪ねました。グレーには19世紀後半を中心に外国人芸術家によるコロニーが存在し、黒田が初めて訪れた明治23(1890)年頃にも、最盛期は過ぎていたものの多くの外国人芸術家が滞在していました。グレーでは彼等の歴史が記念されており、平成13(2001)年には「黒田清輝通り」が創設され、日本語とフランス語による銘板が掲げられています(フランス語で黒田は一般的に「Kouroda」と書きますが、日本人が親しみやすいように「Kuroda」が採用されたそうです)。黒田が《読書》を描いたオテル=シュヴィヨンは、現在は芸術家たちのためのアトリエ兼滞在施設として、スウェーデンの財団によって運営されています。同地で制作された絵画作品は市庁舎にも所蔵され、当日は我々一行のための展示が披露され、市を挙げて歓迎して頂きました。熱意ある歓迎の背景には、同市が芸術家の歴史のみならず、彼等の愛した景観を現在進行形で守り伝えているという事実があります。黒田が見たのと変わらぬ風景をいま見ることができるのは、電線を極力通さないなどの規制も含め、人々がグレーの環境を守ってきたおかげです。
パリでは、パンテオンやオルセー美術館など黒田たちが学んだフランス近代美術の殿堂をはじめ、黒田の師であったラファエル・コランによる通常非公開の作品の見学、黒田の旧居住地をはじめとするゆかりの地散策を行いました。
帰国した黒田は、近代美術の基礎づくりにおける指導的役割を担い中枢に上りつめた半面、必ずしも絵画制作に専念できたわけではありません。しかし多忙を極める中でも、庭の植物や郊外の農地などの何気ない風景に目を留め、絵筆を走らせ続けた黒田の原点は、フランスでの自由で真摯な画学生生活の中で養われたことを、今回のツアーは改めて教えてくれました。
発表の様子
パネルディスカッションの様子
令和8(2026)年5月31日に開催された日本科学史学会公開シンポジウム「近現代日本の科学技術史資料の保存を考える:何を、どうやって残すのか?」(主催:日本科学史学会、一橋大学大学院言語社会研究科)に、保存科学研究センターの千葉毅研究員がパネリストとして登壇しました。千葉研究員は「文化財としての科学技術史資料 —近代交通動産文化財を中心に—」と題した報告を行いました。
千葉研究員の報告では、まず「科学技術史資料」が日本の文化財保護法においてどのように位置付けられてきたかを概観しました。続いて、交通・輸送に関連する文化財を主な対象に、国・都道府県・市町村それぞれの指定制度における現状を紹介しました。
特に航空機については、高い科学技術的価値を持つと考えられるにもかかわらず、国の重要文化財や都道府県指定文化財となった事例はなく、市町村指定にとどまる例がわずかにあるのみという実態を紹介しました。その背景として、航空機を「文化財として評価する」という考え方が社会に十分浸透していないこと、文化財として適切に評価できるだけの調査・研究が進んでいないこと、軍事・戦争関連の資料への忌避感といった要因の可能性を指摘しました。
実機(実際の機体)全体が文化財に指定されている唯一の事例として、鹿児島県南九州市指定文化財である陸軍四式戦闘機「疾風(1446号機)」(令和2(2020)年指定)を取り上げ、この指定が型式としての在地性が積極的に評価されたものであると紹介しました。さらに、平成7(1995)年に旧知覧町が購入して以来、南九州市で保存・調査が継続的に行われていることにも触れ、調査による新たな知見だけでなく、所有者が関係者とともに機体を守り続けてきた保存の取り組みそのものが新たな価値を生み出していると指摘しました。これは、機体の歩んできた歴史(ライフヒストリー)の中で、地域との結びつき(在地性)を改めて築き直す営みとも言えると述べました。
また、行政による文化財指定制度に加えて、学術団体や業界団体による認定制度についても言及し、行政の評価と車の両輪として重要な役割を果たすことを指摘しました。
一方、近現代の科学技術史資料には消耗しやすいものが多く、長期保存がそもそも難しいケースが少なくありません。現在、こうした資料は急速に失われつつある状況にあり、「何を残すのか(裏を返せば、何を残さないのか)」という難しい選択に、行政・研究者・博物館・愛好家など多様な主体が連携して向き合っていくことの重要性を訴えました。
パネリストによる報告の後、ともに登壇した有賀暢迪氏、齊藤有里加氏、菱木風花氏を交えたディスカッションが行われました。関連資料のまとまりとしての保存、指定を受けていない文化財が大量に失われるリスク、事故などに関する資料の文化財としての評価のあり方、企業博物館の継続性など、幅広いテーマについて、会場の参加者も加わりながら活発な議論が展開されました。
なお、シンポジウムの概要は日本科学史学会の学術誌『科学史研究』に掲載される予定です。