藤雅三《破れたズボン》再発見報告

7月23日に企画情報部研究会を開催しました。当日は、高橋秀治氏(愛知県美術館美術課長)を講師として招き、上記の題名での研究発表がありました。この作品は、黒田清輝が画家に転向する大きなきっかけをつくった藤雅三(1853-1916)がフランス留学中にル・サロンに入選した作品です。その後、アメリカ人に購入されたという伝聞があるだけで、実際の作品はこれまで研究者の目にふれることはありませんでした。今回の発表は、黒田清輝ばかりでなく、日本の近代美術研究にとっても近来にない大きな発見であるといえます。発表では、購入したアメリカ人コレクター及び現在までの作品の来歴、そして現在の状態などにわたる詳細な報告がありました。この作品については、高橋氏による解説とともにカラー図版として『美術研究』356号(11月初旬刊行)に掲載される予定です。
アンソニー型カメラの展示



当研究所企画情報部の画像情報室に保存されていた大型カメラが、このほど修理を終えて、6月5日より黒田記念館1階の旧研究室にて一般公開をはじめました。このカメラは、20世紀初頭に輸入されたアメリカのアンソニー社のカメラを原型に製作されたスタジオ用カメラです。旧美術研究所では、開所草創期から戦後まで美術作品等の撮影調査のために使用し、数多くの文化財を記録画像として残すことに活用されていました。今回の展示にあたっては、レンズを戸外にむけて、ピントグラスに屋外の風景が逆さに写るように工夫して、来館者にみていただくようにしています。その他にも、戦前のフランス製の8ミリ・カメラや二眼レフ・カメラなど、かつて研究調査活動に欠くことのできなかった光学機器を展示しています。また、このようなカメラで撮影されたガラス原板は、現在保存につとめるとともに、デジタル化の作業をすすめ、研究に資するために公開をめざしています。
文化財情報の発信と連携についての研究協議会開催

“ALC(Art Libraries’ Consortium)”

企画情報部では、4月22日に、水谷長志(東京国立近代美術館)、丸川雄三(国立情報学研究所)の二氏を講師に招いて、上記のような研究協議会を開催しました。両氏は、現在それぞれ美術図書館の横断検索サイト“ALC(Art Libraries’ Consortium)”及び連想検索サイト「想(Imagine)」をWEB上で立ち上げて運営管理にあたられています。研究所全体、ならびにより質の高い文化財情報の発信を担当する当部では、将来的な展望にもとづいて討議しました。今後は、これまでの研究成果の蓄積のより効果的な発信にむけて事業活動を具体化していく予定です。
黒田記念館研究室の公開

これまで黒田記念館では、2階の記念室、展示室の2室において黒田清輝作品を公開してきました。4月24日からは、2階、1階の旧研究室も一般公開をはじめました。2階の旧研究室では、「黒田清輝の生涯と芸術」(上映時間約12分)と題したスライドショーを上映し、来館者に黒田の芸術への理解を深めていただくようにしました。さらに1階の旧研究室2室では、美術研究所時代当時の木製机、キャビネット、写真カード等を展示し、あわせて東京文化財研究所の最新の成果刊行物を自由にご覧いただけるようにしました。これによって、黒田作品の鑑賞に加えて当研究所の歴史と現在を紹介できるようにしました。
来訪研究員による研究発表

平成19年9月より1年間企画情報部に来訪研究員となった呉景欣氏(台北市出身、UCLA大学院博士課程在学)は、来日後の調査研究の成果を、3月26日に部内研究会にて発表しました。同研究員のテーマは、1920年代を中心として日本の近代美術が、どのようにヨーロッパ美術を受容したのかを研究テーマとしています。当日は、「古典か前衛か、キリスト教か仏教か―1920年代の古賀春江の宗教的なテーマの絵画」と題し、古賀春江が宗教的な主題、モチーフを扱った作品をとりあげ、当時のエル・グレコ等の古典から近代までのヨーロッパ美術受容の様相と重ねて考証した興味深い内容でした。発表後、部内の近代美術、及び仏教美術研究者等との協議においても活発に意見が交わされました。今後、さらに研究が深まることを期待します。
特集陳列「写された黒田清輝」

撮影年不詳 20.5×15.3cm
11月15日より、黒田記念館の二階展示室において「写された黒田清輝」と題する特集陳列が開かれました。これは平成18年度に、黒田清輝夫人照子のご遺族にあたられる金子光雄氏より、東京文化財研究所に寄贈された写真等208件の資料の一部を公開するものです。資料の大半は、黒田清輝の暮らしぶりを知るポートレートなどですが、これまで未公開の写真もあり、黒田清輝という画家をより深く理解するための貴重な資料です。そのうちから、今回は比較的大判の写真23点を選び公開します。寄贈写真はすでに原板が失われており、いずれもオリジナルな焼付写真であるため、公開にあたりましては、オリジナル写真の風合いを保ちつつ、原寸大に再現した画像を展示いたします。これは、写真資料の保存公開という目的のもとにすすめられたデジタル画像形成技術の開発研究の成果の一部でもあります。(会期:07年11月15日-08年5月17日)
研究報告書『「湖畔」物語』研究協議会

今年度、企画情報部の研究プロジェクト「東アジアの美術に関する資料学的研究」として、黒田清輝「湖畔」(国指定重要文化財、1897年、キャンバス・油彩)をとりあげ、多角的に検証して研究成果報告書としてまとめる予定です。そのため10月12日には、当部において所外の専門家6名の参加をあおぎ、中間報告として研究協議会を開催しました。今日、広く親しまれているこの作品の誕生の背景から、評価の歴史、作品そのものの創作の経緯と「もの」として現状等について発表がおこなわれ、活発な討議が重ねられました。一点の作品について、これまでになく深く多面的な研究がなされ、そのユニークな研究成果が期待されます。
共催展「黒田清輝展」の閉会

(平成19年7月28日)
今年度の上記の展覧会が、神奈川県の平塚市美術館において7月21日から開催され、9月2日に無事終了しました。会期中、入館者は12,746人にのぼったことを報告します。黒田清輝にとって、湘南地域はフランス留学の帰国直後から親しんでいた地であり、海岸風景など数多くの作品を描いています。そうした縁のある地での開催であったため、例年になく好評を博しました。会期中の7月28日には、開催館の協力のもと、会場において来館された方々へのアンケート調査を実施しました。当日入場者数279人に対して調査対象数161人(内訳男性57人、女性95人、小人9人、回収率57.7%)の方々から回答をいただき、「作品が豊富で良い」、「平塚でこの内容が見られてとても良い」などといった個別のご意見に加え、展覧会の内容については、「満足」、あるいは「おおむね満足」であったという「満足度」が、ほぼ100%になりました。9月6日からは黒田記念館における公開を再開しましたが、つづいて来年度は兵庫県の神戸市立小磯記念美術館にて開催を予定しており、今年度にもまして充実した共催展になるように努めていきたいと思います。
2007年度共催展「近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展」開催

今年度の上記共催展が、神奈川県の平塚市美術館において、7月21日より開催しました。(会期:9月2日まで)同美術館のある湘南地域は、黒田清輝にとってフランス留学帰国後から晩年にいたるまで、たびたび訪れた地として、さらに創作活動にとっても縁の深い地でした。ひろく知られるように、留学から帰国直後の黒田は、積極的に外光を取り入れた新しい表現の作品を描き、斯界に新鮮な衝撃をおよぼしました。そうした作品の何点かは、平塚に隣接する大磯、鎌倉などで制作されました。その点からも、今回の共催展は、黒田の画業全般を紹介すると同時に、とくに同美術館が所蔵する湘南地域を描いた「波打ち際の岩」(1896年)なども加えて展示し、この地域との関連を多くの方々に見ていただく機会になればとおもいます。
矢代幸雄のアジア美術観に関する研究


5月25日から27日までの3日間、九州大学、九州国立博物館、筑紫女学園大学において第60回美術史学会全国大会が開催されました。初日(会場:九州大学50周年記念講堂)に、わたしは「アジアのモダニズムの一側面―『仁丹』広告がつたえること」と題して発表しました。
題名にあげた「仁丹」とは、もとより商標であり、現在も商品として販売されています。(当初は「万能の懐中薬」として、1920年代からは「口中芳香剤」として、現在は医薬部外品として販売されています。)1905年の発売当初から大礼服姿に髭を蓄えた紳士の胸に記された「仁丹」の広告イメージは、トレードマークとして新聞、看板等の宣伝メディアをつうじて、「全国津々浦々の薬店」まで浸透していったとされます。しかも当時から日本国内だけではなく、同じ漢字文化圏である中国大陸への販路拡大をめざしており、その結果、第二次世界大戦終了までにはアジア各地に支店等を設け、各地域で国内に劣らないほどの宣伝活動をしていました。そこで本発表では、日本から発信された視覚イメージとしての「仁丹」広告をとおして、それをどのように見せようとし、一方でどのように見られていたのかということをひとつの側面として視野にいれつつ、1910年代から30年代の「美術」(「美術史」研究、美術行政を含む)における問題を、「アジアのモダニズム」という視点から発表しました。
とくに発表では、当研究所の前身である「美術研究所」の創設期の所長であった矢代幸雄、また早世した所員尾高鮮之助(1901-33)たちが構想したアジア美術研究と各地における調査活動に焦点をあてました。というのは、そこで写された写真のなかには、すでに「仁丹」広告がみえることから、戦前期における日本の経済活動と人文研究の重なりのなかに日本人が抱いた当時の「アジア」観を検証しました。この発表のためには、今年度刊行が予定されている『東京文化財研究所七十五年史』、またアジア仏教美術研究者として再評価がすすむ尾高鮮之助に関する調査研究の蓄積を少なからず参照しました。この点からも、今回は単なる個人研究というものではなく、当研究所の「美術史」研究のひとつの現況を報告する内容でもありました。
東京国立博物館における「黒田記念館 黒田清輝の作品Ⅰ」展示

今年度 4月、文化財研究所と国立博物館の両独立行政法人は、統合して独立行政法人国立文化財機構になりました。これにともない黒田記念館所蔵の作品を、平成館1階企画展示室にて展示しました。内容は、洋画家黒田清輝の代表作であり、もっともひろく親しまれている「湖畔」(国指定重要文化財)をはじめ、フランス留学時代から晩年までの作品(油彩画14点素描8点)によって構成しました。これによってリベラルな思想に裏づけられた、外光と色彩を意識した新しい視覚表現によって、明治中期の日本の洋画界に変革をもたらした黒田清輝の芸術のエッセンスを紹介しました。(会期:4月10日から5月6日まで)。会期中、同博物館では「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」展開催と重なったため来館者も記録的に多いなか、そうした方々にも黒田作品をも鑑賞していただくことができ、作品公開の機会拡大となりました。一方黒田記念館では、これまで同様に毎週木、土曜日に公開を継続し、あわせて画家、及び作品等の研究成果を一般の方々に見ていただくようにつとめていきます。なお、今年度における第2回の同博物館での公開は、11月6日から12月2日までを予定しています。