タイにおける螺鈿工芸の変遷とその意味―文化財情報資料部研究会の開催

文化財情報資料部研究会風景

 タイの首都、バンコクの王宮や巨大なリクライニング・ブッダで有名なワット・ポーなどを訪れた方はご存知かも知れませんが、タイでは18世紀以降、膨大な数の細かな貝片を組み合わせる精緻な螺鈿工芸が発達します。この螺鈿制作は現在でも細々ながら続いていますが、タイの螺鈿史についての研究はきわめて少なく、それがどう変遷しどのような社会的な意味を持っていたのか、といった研究は、日本国内ではもとより、タイにおいても行われることがありませんでした。11月21日に開催した第9回文化財情報資料部研究会では、タイの仏教美術史を専門とするサイアム大学の高田知仁氏から、こうしたタイの近世近代螺鈿史についてのご発表をいただきました。
 高田氏は、まずタイの螺鈿が仏教寺院の扉や窓、また高坏、僧への供物を入れる鉢、経箱や厨子といったものに認められ仏教と密接な関係を持って寄進されたものであること、またそれらがタイ王室と強い関係を持ってかなり限定的に制作されていたことを示します。そして分析対象を制作や建立の年代が確実な寺院扉に代表させ、主題となっているそのモチーフや文様、また使われている技法などの違いから、18世紀から20世紀初めまでの螺鈿を第1期(18世紀中葉から19世紀初めまで)、第2期(19世紀前半から中葉まで)、第3期(19世紀後半から20世紀初めまで)の三つの画期に区分されました。その上で文様やモチーフが伝統的な唐草文や神像などで構成され外来的な影響を見出しがたい第1期は、仏教における三界観といった価値観を木造彫刻や絵画から螺鈿に置き換えて表現されたものであること。これとは対照的にラーマヤナ物語や中国的な装飾文様が現れる第2期は、この時代に行われた中国や東アジアとの外交的な関係を反映していること。さらに勲章の形態を螺鈿で表現した文様などが造られる第3期は、この時代に起きたタイと西洋との関係や王室権威の高まりなどが螺鈿制作に影響を与えたことなどが指摘されました。
 この研究会では、タイ美術史がご専門の九州国立博物館原田あゆみ氏にもご参加いただき専門的な見地によるタイ螺鈿の起源や対外関係等ついてのコメントを、また東京藝術大学美術学部工芸科(漆芸)の小椋範彦氏からは制作者の立場からのご発言をいただいたほか、近年バンコクで発見が相次いでいる19世紀の日本製螺鈿との影響関係について盛んな議論が交わされるなど、これまで学術的に取り上げられることの少なかったタイ螺鈿の重要性について刮目するよい機会ともなりました。

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