研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


選定保存技術の調査—鬼瓦・宮古苧麻績み・琉球藍・宇陀紙

鬼瓦製作
宮古苧麻績み(繊維取り)
琉球藍製造
宇陀紙の原料となる楮の芽かき

 文化遺産国際協力センターでは、選定保存技術に関する調査を行い、日本の文化財を守り支える伝統的技術として海外に情報発信する取り組みを行っています。2015年6月には鬼瓦・宮古苧麻績み・琉球藍・吉野宇陀紙の調査を行いました。
 寺院建築などの本瓦葺きの屋根には数十種類の瓦が用いられており、伝統的かつ用途に応じた高度な技術・技法の継承が必要不可欠です。奈良県生駒郡の山本瓦工業株式会社にご協力頂き、鬼瓦などの製作工程を調査しました。
 宮古苧麻績みは、苧麻の茎の表皮から繊維を取り、手績みして糸を製作する技術です。重要無形文化財・宮古上布等の沖縄の染織技術の保存・伝承に重要なものですが、技術者の高齢化、後継者の育成が急務の課題となっています。
 宮古上布にも用いられる琉球藍は、本州の藍とは別種の藍による染料で、現在その主要な生産地は沖縄本島の本部町伊豆味に限られており、貴重な存在となっています。
 また奈良県吉野郡の福西和紙本舗にて、自家栽培の楮を用いた伝統的な手漉き和紙の製作工程についての聞き取り調査・撮影を行いました。この吉野宇陀紙は、主に掛軸の裏打紙として用いられ、書画などの文化財の保存修復で世界的に評価され、使用されています。この調査で得られた成果は、報告書にまとめるほか、海外向けのカレンダーを制作する予定です。

選定保存技術の調査—錺金具・金襴・杼

錺金具の製作
金襴の製作
杼の製作

 文化遺産国際協力センターでは、選定保存技術に関する調査を行っています。選定保存技術保持者の方々から実際の作業工程やお仕事を取り巻く状況や社会的環境などについてお話を伺い、作業風景や作業に用いる道具などについて、企画情報部専門職員・城野誠治による撮影を行っています。2015年4月には京都で錺(かざり)金具、金襴、杼(ひ)製作の調査を行いました。
 森本錺金具製作所では四代目森本安之助氏より社寺建造物の錺金具や荘厳具などの製作についてのお話を伺い、銅板を型取りし、文様を彫り、鍍金(金メッキ)し、仕上げていくという錺金具の一連の製作工程を調査させて頂きました。
 表具用古代裂(金欄等)を製作している廣信織物では、廣瀬賢治氏より西陣織の現状についてお話を伺い、金糸を緯糸に織り込んでいく金襴の製作を取材させて頂きました。またこうした製織に必要不可欠な杼(織物の経糸の間に緯糸を通す木製の道具)を製作されている長谷川淳一氏より、さまざまな種類・用途の杼についてご説明頂き、実際の作業工程について調査させて頂きました。
 文化財はそのものを守るだけではなく、文化財を形作っている材料や技術も保存していく必要があります。この調査で得られた成果は、報告書にまとめるほか、海外向けのカレンダーを制作し、日本の文化財のありかた、文化財をつくり、守る材料、技術として発信していく予定です。

「カレンダー:文化財を守る日本の伝統技術」の作成

2015年度カレンダー:文化財を守る日本の伝統技術

 文化遺産国際協力センターでは、文化財の保存のために必要不可欠な選定保存技術にかんする調査を進めています。選定保存技術保持者および選定保存技術保持団体の方々から作業工程や作業を取り巻く状況や社会的環境などについて聞き取り調査を行い、作業風景や作業に用いる道具などについて撮影記録を行っています。この調査の成果公開・情報発信の一環として、2015年度版の海外向けのカレンダーを2種類(壁掛け型・卓上型)作成しました。このカレンダーは「文化財を守る日本の伝統技術」と題し、2014年度の調査のなかから、和紙製造・漉き簀編み・左官・本藍染め・檜皮採取・たたら製鉄・蒔絵筆を取り上げました。全ての写真は当所企画情報部専門職員・城野誠治の撮影によるもので、それぞれの材料や技術の持つ特性を明確に示す一瞬をとらえる視覚的効果の高い画像で構成し、各図の解説は英語と日本語で掲載しています。このカレンダーは諸外国の文化財関係の省庁・組織などに配付し、広く海外の人々に日本の文化財を守り伝える技術や日本文化に対する理解の促進につなげていきたいと思います。

選定保存技術の調査2-琉球藍・和紙漉簀制作・左官

琉球藍(泥藍)
漉簀制作
ちりまわり(壁塗りの一工程)

 先月に引き続き、文化遺産国際協力センターでは、選定保存技術についての調査を進め、選定保存技術保持者、選定保存技術保存団体の方々から実際の作業工程やお仕事を取り巻く状況や社会的環境などについてお話を伺い、作業風景や作業に用いる道具などについても撮影記録を行っています。2014年11月には、沖縄で琉球藍製造、愛媛で和紙漉簀(すきす)制作、東京で左官の調査・取材を行いました。
 琉球藍は本土の藍とは植物の種類が違い、栽培や製造の工程も蓼(タデ)藍による藍染めとは大きく異なります。選定保存技術保持者である伊野波盛正氏と同氏の技術を継承されている仲西利夫氏より、最近の台風や天候不順が藍の生育に影響を及ぼしている状況や、藍の製造工程などについてお話を伺いました。
 愛媛では全国手漉和紙用具製作技術保存会会員で愛媛県伝統工芸士にも認定されている井原圭子氏より、漉簀制作の現状、材料である竹ひごや絹糸の調達、後継者育成の難しさなどについてお話を伺いました。
 また東京の伝統建築物復元工事現場において、中島左官株式会社による壁塗りの工程の一部を取材させて頂きました。伝統的左官技術は、全国文化財壁技術保存会が選定保存技術保存団体として認定されています。
 文化財はそのものを守るだけではなく、文化財を形作っている材料や技術も保存していく必要があります。この調査で得られた成果は、文化財の研究資料として蓄積していくと同時に、その一部は海外向けに視覚的効果の高い画像を使用したカレンダーという媒体を通じて、日本の文化財のありかた、文化財をつくり、守る材料、技術として発信していく予定です。

選定保存技術の調査―蒔絵筆・本藍染・檜皮採取

蒔絵筆制作
本藍染
檜皮採取

 文化財は人類共通の財産として後世に守り伝えていく必要があります。そして文化財を作る材料、道具、修復する技術も継承、活用されていかなければ、文化財を良好な状態で保存していくことはできません。日本の文化財の保存修復技術はその有用性が海外でも認識され、応用されています。文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術で保存の措置を講ずる必要があるものを、文部科学大臣は選定保存技術として選定し、その保持者および保存団体を認定しています。現在、選定保存技術の選定件数は71件、保持者数は57名、保持団体は31団体あります。
 文化遺産国際協力センターでは、選定保存技術にかんする調査を進め、広く国内外に情報発信を行っています。選定保存技術保持者の方々から作業工程や作業を取り巻く状況や社会的環境などについて聞き取り調査を行い、作業風景や作業に用いる道具などについて撮影記録を行っています。2014年10月には、京都・村田九郎兵衛商店にて村田重行氏による蒔絵筆の制作、滋賀・紺九にて森義男氏による本藍染、兵庫・粟賀神社にて大野浩二氏による檜皮採取の調査・取材を行いました。今回調査させて頂いた3件は漆芸、染織、建築といったそれぞれ異なるジャンルの伝統的、専門的技術ですが、天然の材料と真摯に向き合い、さまざまな環境の変化に対応しながら人の叡智と技術によって伝統を守り続けていることは共通すると言えます。この調査で得られた成果は、文化財の研究資料として蓄積・活用して行くと同時に、海外向けには視覚的効果の高い画像を使用したカレンダーという頒布媒体を通じて、日本文化のありかたや、文化財をつくり、守る材料・技術として国際的に発信していく予定です。

ロビー展示「海外の文化財を守る日本の伝統技術」

ロビー展示風景
展示部分画像「絵を描く」群青が絵絹にのる様子

 当研究所1階エントランスロビーでは、定期的に研究成果や事業紹介を行っています。今回の展示では書画を作り、鑑賞し、修復し、保存していくために必要不可欠な材料と技術についてご紹介します。企画は文化遺産国際協力センターが担当し、全ての画像を企画情報部画像情報室の城野誠治が撮影しました。そして文化財が様々な材料と技術が複合的に用いられて形作られていることを実感して頂くため、表紙と軸木も取り付けた、縦1.15m、横14mの長大な絵巻仕立てで構成しました。紙の繊維が重なって一枚の紙ができていくところ、岩が砕かれて鮮やかな絵具として精製されるところ、糊が入念に練られてしなやかにのびていくところなど、それぞれの材料や技術の特性が表れる一瞬を、大きな画像で示しています。併せて和紙・絵絹・絵具・唐紙・装潢の道具などの実物も展示ケースにて展示しています。今日では、この展示で紹介する材料や道具を作る技術、文化財を修復する技術自体も守っていく必要があり、国の重要無形文化財、選定保存技術に指定、認定されています。一方で、これらの日本で培われてきた技術や材料は広く海外でその有効性が認知され、海外の文化財修復に応用されてきています。当研究所では日本の修復技術や材料に関する正しい知識の普及のため、海外向けの研修事業も行っております。日本の優れた伝統技術によって、世界の文化財が守られ、後世に伝えられていくことにご理解いただければ幸いです。

アメリカ・ボストンにおける動産文化財の保護についての調査

ボストン美術館
イザベラ・ガードナー美術館

 文化遺産国際協力センターでは各国の文化財保護制度に関する調査・研究を行っています。そのプロジェクトの一環として、昨年度に引き続き、アメリカにおける動産文化財の保護についての調査を実施しました。世界有数の博物館・美術館が存在しているにも関わらず、アメリカには動産文化財の保護・管理に当たる省庁はなく、国として規制・監督していることは限られています。昨年度までの調査により、アメリカでは当該分野に関連する非営利団体と関係省庁が自発的に連携し、災害時や問題発生時には複数の組織が効率よく機能し、問題解決を実現している様子が確認されました。また、日々の動産文化財の管理については、各博物館・美術館の独自の倫理観に大きく依拠している現状も明らかになりました。
 そこで、今年度は、2014年2月10日~14日にかけて、江村知子と境野飛鳥の2名で、ハーバード大学美術館とボストン美術館を対象に、より具体的な聞き取り調査を行いました。また、イザベラ・ガードナー美術館では個人の遺言が所蔵品の管理方法に対して大きな効力を及ぼしている状況について調査しました。今回の調査を通じて、特にボストン美術館は、地元の有志によって公的組織として設立されたという経緯から、社会における同館の位置付けが重要視されており、それが同館の所蔵品管理における倫理観にも影響を及ぼしていることを窺い知ることができました。
 美術館・博物館の設立経緯やコレクションの形成過程が、今の文化財管理に反映されている可能性も視野に入れつつ、今後もアメリカ国内の博物館・美術館において、調査を継続したいと考えています。

アルメニア国立美術館所蔵「名区小景」の調査

「名区小景」(アルメニア国立美術館)
『名区小景』部分(名古屋市博物館)

 東京文化財研究所では、海外に渡った日本美術作品の調査を継続的に行っていますが、黒海とカスピ海の間にひろがるコーカサス地方に日本美術作品が所蔵されていることは、最近までほとんど知られていませんでした。文化遺産国際協力センターでは2012年11月にアルメニアとグルジアにおいて調査を実施し、日本美術作品の所在を確認しました。さらに詳細な調査が必要であると判断されたため、文化財保護・芸術研究助成財団の助成を得て、2014年1月15日から3日間の日程で名古屋市博物館学芸員の津田卓子氏に浮世絵についての協力を仰ぎ、調査を行いました。アルメニア国立美術館の「名区小景」(以下アルメニア本)は、各縦8.1㎝、横11.8㎝の画面で、29枚が所蔵されています。津田卓子氏のご教示により、アルメニア本は弘化4年(1847)に刊行された版本『名区小景』初編の挿図が元になっていることが明らかになっています。『名区小景』は尾張藩士で絵をよくした小田切春江(おだぎりしゅんこう)によるもので、企画から作画、出版まで手がけたものです。内容は名古屋近郊の景勝地にまつわる漢詩・和歌・俳諧を各地から募って自らの絵とともに編集されたもので、巻末には掲載された歌の作者の人名録を載せています。名古屋市博物館所蔵の『名区小景』と比較すると、アルメニア本は画面の上部に各名所の解説を加えて版を改めた改刻版と考えられます。アルメニア本は、1937年に個人の所有者から国立美術館が購入したと伝えられていますが、その作品名・作者・年代など作品に関する情報がわからないままに所蔵されていました。どのような経緯でこうした名所絵版画がアルメニアの地に渡ったのか、日本美術作品の海外における受容という点でも興味深い問題と言えます。この調査の内容は報告書にまとめ、今後の研究の進展に寄与したいと思います。

アメリカにおける動産文化財の保護についての調査

アメリカの文化財保護関係機関の資料
フリーア美術館

 文化遺産国際協力センターでは各国の文化財保護制度に関する調査・研究を行っています。現在、そのプロジェクトの一環として、アメリカにおける動産文化財の保護状況について調査しています。アメリカには多くの博物館・美術館があり、世界中の動産文化財が数多く所蔵されていますが、文化財の保護と管理を専門とする省庁は存在しません。動産文化財の管理は所有者に委ねられており、大規模な自然災害などの緊急時を除くと連邦レベルの管理・規制はあまり強くありません。アメリカでは動産文化財の管理・修復・展示に関しては、各博物館・美術館の運営方針や所有者の意向に沿って、個別に対応しているというのが実情です。
 日本とアメリカでは文化財の考え方も大きく異なりますが、一方で日本美術のコレクションを保有する美術館も数多く存在しています。また当研究所で平成3年から行っている在外日本古美術品保存修復協力事業では、全米で24館の美術館の250点を超える作品について修復を行っており、当研究所とアメリカの美術館とは浅からぬ関係があります。そこでアメリカの動産文化財の保護状況について体系的に把握するため、2013年1月26日~2月3日にかけて、江村知子と境野飛鳥の2名でワシントンD.C.にて調査を行いました。今回はアメリカ国土安全保障省の連邦緊急事態管理庁(FEMA)、内務省の国立公園局、アメリカ議会図書館、アメリカ文化財保存修復学会(AIC/FAIC)、アメリカ博物館協会(AAM)、NPO組織であるHeritage Preservation等、文化財保護のために包括的な活動を行っている主要な組織を中心に聞き取り調査を実施しました。また、博物館・美術館における所蔵品の管理状況についても調査しました。特に、1923年に開館したアメリカ最古の国立美術館で、日本をはじめ、東洋の美術品を多数所有するフリーア美術館では、同館の所蔵品管理規則や収蔵品の修復状況についてお話を伺いました。
 今回の調査を通じて、厳しい規制のない中でアメリカの動産文化財が適切に保護されている背景には、各組織や担当者の連携やボトムアップ式の意思決定が有効に機能していることが一因であることが窺えました。今後はアメリカの各地域で中核的な役割を果たしている博物館や、日本の美術品を所蔵する博物館を対象として、より実践的な調査研究を進めていく予定です。

アルメニア・グルジアでの日本古美術作品調査

アルメニア歴史博物館・国立美術館
グルジア国立博物館での調査

 文化遺産国際協力センターでは、海外の美術館などで所蔵されている日本古美術作品を調査し、所蔵館に対して助言や関連する研究の情報提供を行うほか、緊急性・必要性の高い作品については保存修復協力事業を実施しています。日本から遠く離れた、気候・風土・民族・宗教などが大きく異なる国において、日本の美術作品が所蔵されている状況を目の当たりにすると、本来脆弱な材料を使用している文化財のもつ、生命力の強さを感じさせられます。2012年11月に、川野邊渉、加藤雅人、江村知子の3名でアルメニア共和国とグルジアにおける日本古美術作品調査を実施しました。両国ともかつてのソビエト連邦の構成国で、2012年は日本との外交関係樹立20周年にあたりますが、これまで当研究所から現地に赴いて日本美術に関する調査を実施したことがなく、今回が初めての調査となりました。
 アルメニア歴史博物館、国立美術館、エギシェ・チャレンツ記念館では日本古美術作品の調査を行い、これらの博物館には江戸時代後期の浮世絵版画や近世から近現代の工芸作品が所蔵されており、中には作品名や制作年代など作品の基本情報が不明のまま所蔵されている作品もあり、助言や情報提供を行いました。そのほかアルメニア国立公文書館マテナダラン、国立図書館などにおいて文化財の保存修復状況の調査を行いました。
 グルジアでは、国立博物館を中心に日本古美術作品の調査を行いました。同館には江戸時代の甲冑・刀剣などの武具のほか、浮世絵、陶磁器、染織品などの日本美術作品が所蔵されていました。肉筆画では、江戸時代後期の立原杏所(1786〜1840)による「鯉魚図」と、明治時代に活躍した高島北海(1850〜1931)による「富岳図」の絹本着色の掛幅2点が収蔵されていることが確認できました。両作品とも経年による損傷が著しく、本格的な修理が必要な状態ですが、まずは作品についての詳細な情報を集めた上で、今後の事業について所蔵館担当者と協議を進めていく予定です。

キンベル美術館所蔵「二十五菩薩来迎図」修復中の調査撮影

撮影調査風景
「二十五菩薩来迎図」右幅、キンベル美術館(修理前)
(左)同部分
(中)同部分裏面カラー画像(左右反転)
(右)同部分裏面近赤外線画像(左右反転)

 在外日本古美術品保存修復事業として平成23年度より「二十五菩薩来迎図」(キンベル美術館、フォートワース、米国)の修復を行っています。この作品は絹本着色の二幅対で、14世紀頃の制作と見られます。諸菩薩は皆金色で精緻な切金文様が施されていますが、経年の汚れのために画面が暗く沈み、随所で糊浮きが生じて保存上の問題がありました。今回の修復では作品を解体して表装を改めることとし、現在、右幅の肌裏紙の除去が完了した状況です。画絹を裏側から見ると、下描きの墨線や裏彩色が確認でき、修復のために必要な調査と撮影を行いました。作品表面から見ると、諸菩薩は端正な顔貌で表現されていますが、近赤外線画像で確認すると、表面のやや硬い線描に較べてより柔和な線描による、おおらかな表情のすぐれた下描きが作品全体に存在していることがわかりました。また画絹の裏から白や緑の絵具を塗った裏彩色が正統的な仏画らしく施されていることが確認できました。このような画像は、解体修理の際にしか記録できません。作品の表面だけでなく、裏面も高精細画像で記録することによって、より安全に修復を進めることができ、今後の研究資料としても活用できます。所蔵館学芸員とも協議を重ねながら、今後の作業を進めていきたいと思います。

ギメ東洋美術館での調査

ギメ東洋美術館での調査

 当研究所は2010年にフランスのギメ美術館と研究協力及び交流に関する覚書を交わし、講演会の開催や修復事業などの共同プロジェクトを実施しています。ギメ東洋美術館はリヨンの実業家エミール・ギメ(1836~1918)のコレクションをもとに開設されました。現在、約11000点の日本美術作品が所蔵され、世界有数の東洋美術館として知られています。同館の日本美術コレクションの形成は世界的に古く、美術史的に重要な作品が数多く含まれていますが、中には経年により修理の必要性の高い作品もあります。これまでにもギメ美術館とは、在外日本古美術品修復協力事業として、平成9年(1997)から平成17年(2005)にかけて仏画や絵巻物など5件の絵画と、1件の漆工品の修理を行ってきました。古美術作品が安定した良好な状態で保管・展示されることは、海外における日本の文化と歴史を紹介するためにたいへん重要です。2012年5月25日には、同館の日本美術担当学芸員のエレーヌ・バイユウ氏のご協力のもと、文化遺産国際協力センター長・川野邊渉、同主任研究員・加藤雅人、江村知子の3名で、修復と美術史の観点から10数点の絵画作品の調査を行いました。今後さらに具体的な修理のための調査と、協議を重ねながら、研究協力と交流を推進していきます。

国際シンポジウム「江戸の絵師たち」での発表

ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)での発表

 2012年は日本より米国に桜が寄贈されてから100周年にあたります。これを記念して、毎年恒例の全米桜祭に合わせて、さまざまな日米交流事業が行われています。ワシントンD.C. のナショナル・ギャラリー、フリーア美術館およびサックラー美術館では、Colorful realm (伊藤若冲:釈迦三尊像・動植綵絵)、Hokusai: 36 views of Mt. Fuji (葛飾北斎:富嶽三十六景)、Masters of Mercy (狩野一信:増上寺蔵五百羅漢像)など大型の日本美術の展覧会が開催されています。これらの展覧会の関連企画として、国際シンポジウム「江戸の絵師たち」The Artist in Edo が4月13・14日にナショナル・ギャラリー視覚芸術高等研究所(CASVA-Center for Advanced Study in the Visual Arts)の主催で行われました。日本および欧米の日本美術史研究者13名による発表があり、江村知子は”Classicism, Subject Matter, and Artistic Status–In the Work of Ogata Kōrin”(「尾形光琳の古典主題について」)と題して発表を行いました。これまでの研究成果を国際的に発表するとともに、世界各国から参加していた研究者との交流を促進し、当所における調査研究活動への理解を深めることにつながりました。なお、本発表内容に基づく報告書は2013年度にCASVAより刊行される予定です。

「諸先学の作品調書・画像資料類の保存と活用のための研究・開発—美術史家の眼を引継ぐ」科研中間報告会の開催

統合版データベースのデモ画面
京都府教育庁文化財保護課『平等院鳳凰堂建築彩色顔料調査報告—特に青色顔料について』(田中一松資料)、昭和30年(1955)8月10日に行われた平等院鳳凰堂修理委員会での資料。今回のデータベース試作段階において明らかになった資料で、「代用群青」という用語の初出例と見られる。

 12月20日に企画情報部研究会として、標題の科学研究費研究課題(代表者:田中淳)の中間報告会を開催しました。当研究所には、かつての業務で使用した資料や、元職員のご遺族などからご寄贈いただいた調書や写真などが数多く保管されており、研究資料として保存と活用を進めています。また従来の美術史研究では見過ごされてきた関連資料なども積極的に活用して、研究を推進しています。対象とする資料は、刊行物のように分類・管理が容易なものばかりでなく、肉筆のメモやスケッチ、会議や研究会の配付資料、35mmスライド、16mmフィルムなど、実に多種多様なものが含まれています。これらは整理が難しく、他の美術館・博物館や図書館、大学などの組織では敬遠されてきた資料とも言えますが、稀少性の高いものも少なくありません。標題の研究課題は2009年度から4カ年の計画で実施し、今年度は3年目にあたります。企画情報部員や客員研究員によって、数多くの資料を分担して、整理とデジタル化を進めています。今回の中間報告会では次のようなタイトルで、各資料の分担者が報告を行いました。
 江村知子「「昭和の古画備考」−田中一松資料を今後の研究に活用していくために」、皿井舞「久野健資料について」、三上豊(和光大学・当部客員研究員)「現代美術資料—画廊等のDM・目録等の整理と今後の課題」、中野照男(客員研究員)「柳澤孝資料について」、綿田稔「田中助一資料について」、田中淳「田中敏男資料について」
 また、資料ごとにデータベースが林立し、文化財アーカイブとしての全体像が見えにくいという問題を解決するために、当研究所で現在運用中の書籍・展覧会カタログ・美術文献・写真原板などのデータベースと、田中一松・久野健・梅津次郎の各資料の基礎データを統合させたデータベース(総数約635,000件)を試作してデモンストレーションを行いました。様々な形態で存在している研究資料を一括して検索できるばかりでなく、複合的に進行している研究動向を浮き彫りにすることができ、専門的アーカイブの新たな方向性として有効です。より精度の高い情報ツールとして運用していくためには多くの課題がありますが、さまざまな研究において活用できる文化財アーカイブの構築をめざしていきたいと思います。

アゼルバイジャン国立美術館所蔵日本関係美術品調査

アゼルバイジャン国立美術館
同館調査風景

 平成23年11月27日から12月6日の日程で、独立行政法人国際交流基金文化協力事業として、アゼルバイジャン国立美術館所蔵日本関係美術品調査を行いました。アゼルバイジャンは、1991年に旧ソ連邦から独立した国で、首都バクーはカスピ海西岸に位置し、旧市街には世界遺産に登録された中世の建造物も遺されています。アゼルバイジャン国立美術館(Azerbaijan National Museum of Art)は、1920年にバクーに設立され、国内をはじめロシア・ヨーロッパの絵画・彫刻作品を中心に所蔵・展示を行っています。所蔵作品の中に、日本や中国の東洋美術の作品、300点ほどが含まれていましたが、同館には東洋美術の専門家がおらず、日本の美術作品と、中国やその他の地域のものの判別もつきかねる状況でした。そこでこのたび国際交流基金文化事業部生活文化チーム越智彩子氏とともに、秋田市立千秋美術館の小松大秀館長と江村が同館を訪問し、作品の調査と展示・管理についての助言を行いました。その結果、今回調査した約270点の作品のうち、約100点の日本美術作品(陶磁器・彫刻品・漆工品・金工品・染織品・絵画・版本)が含まれることが判明しました。今回調査した作品の大半は、19世紀後半から20世紀前半にかけて、日本および中国から海外に輸出された陶磁器で、稀少性はさほど高くないものの、このような輸出陶磁器のコレクションの存在が判明したことは重要な意味をもっています。調査データの整理が完了次第、調書を翻訳して同国に提供する予定で、同国における日本文化の理解に役立ててもらうとともに、日本国内の輸出陶磁器研究においても未知の在外作品所在情報として活用されることが期待できます。
 滞在中には在アゼルバイジャン日本国大使館を訪問し、特命全権大使・渡邉修介氏に面会し、今回の調査を二国間の文化的交流の好機としたいというお話がありました。また二等書記官で本事業担当者の小林銀河氏をはじめ大使館職員の方々のご尽力により、終始円滑に作業を進めることが出来ました。来年2012年は、日本と同国との国交樹立から20年の節目の年にあたり、同美術館と在日本大使館を中心として、記念の展覧会を企画する動きも出てきています。こうした両国友好の企画をはじめ今後の活動においても、たいへん有意義な調査となりました。

企画情報部研究会「琳派と能の関係についての再考」の開催

フランク・フェルテンズ氏発表後のディスカッション

 企画情報部ではほぼ毎月研究会を開催しています。8月30日に開催した2011年度第5回企画情報部研究会では、今年6月中旬から9月初めまでの約3ヶ月間、当部来訪研究員として来日していたコロンビア大学大学院博士課程のフランク・フェルテンズ氏に「琳派と能の関係についての再考」と題して調査研究の成果を発表していただきました。伝統的な絵画表現と装飾的な意匠性を融合させて独自の画風を確立させた尾形光琳(1658-1716)は、幼少より能楽を習い、生涯にわたって能謡を愛好したことで知られており、その芸術にも少なからず影響を及ぼした可能性が先行研究において指摘されてきました。フェルテンズ氏の今回の発表では、先行研究をふまえ、絵画作品ばかりでなく工芸・装束・謡本なども含めて、そのモティーフ選択や美意識に着目し、空間構図分析やパフォーマンス理論なども応用しながら琳派芸術の解釈を行いました。発表後のディスカッションでは、当所無形文化遺産部、無形文化財研究室長・高桑いづみ氏より、能楽研究の立場から芸能史と美術史における研究基盤と手法の違いについての指摘がありました。学際的な研究の問題点が浮き彫りになる一方、活発な討議を通じ、多様に展開する江戸時代の絵画および工芸史研究において、さらに具体的な検証作業が必要であることが認識され、充実した研究交流の機会となりました。

アメリカにおける在外日本古美術品保存修復協力事業のための絵画作品調査

シンシナティ美術館での調査風景

 海外に所在する日本の古美術作品は、日本文化を紹介する役割を担っていますが、中には経年劣化や気候風土の違いなどから損傷が進み、公開に支障を来している作品も少なくありません。そこで作品を安定した状態で保存・活用できるように、在外日本古美術品保存修復協力事業を行っています。昨年度まで本事業は保存修復科学センターのプロジェクトとして行ってきましたが、今年度からは文化遺産国際協力センターの管理下で、修復的観点とともに企画情報部より美術史研究者が参加して調査研究および修理事業を実施しています。最新状況の把握のため、昨年度に日本絵画作品を所蔵する、欧米を中心とした美術館・博物館に対してアンケートを実施しました。その結果、25館から修復が必要な作品の有無、作品の保存修復に対する各館の運営状況についての回答を得ました。各館から送られてきた回答と作品の画像リストをもとに、美術史的な作品評価、修復の必要性と緊急性、所蔵館の対応状況などを協議し、今年度はまずアメリカの2つの美術館で作品調査を行いました。6月24日にシンシナティ美術館(オハイオ州)において掛幅6点、屏風6点、6月27日にキンベル美術館(テキサス州)において掛幅3点、屏風5点の作品調査を実施しました。このうち本事業の調査としては初めて訪問したシンシナティ美術館は、1881年に設立されたアメリカ国内では最も古い美術館の1つで、約6万点の作品を所蔵する中西部の主要美術館です。コレクションの中心は西洋美術ですが、日本美術の所蔵作品もあり、その多くの作品は日本では未紹介です。こうした調査の機会を研究交流にも発展させ、所内関係者および所蔵館担当者とも協議を重ねながら、事業を推進して参ります。

近世風俗画共同研究調査報告会

近世風俗画調査研究報告会ディスカッションの様子
地下1階ロビーでの高精細画像展示

 企画情報部では2009年度より徳川美術館との共同研究として、近世風俗画の調査を実施しています。2011年1月29日には東京文化財研究所において報告会を開催しました。冒頭には徳川黎明会会長・徳川美術館館長の徳川義崇氏に近年のIT技術の情勢をふまえてご挨拶頂きました。そして江村が「歌舞伎図巻の描写について」と題して、「歌舞伎図巻」(徳川美術館蔵・重要文化財)の細部描写にはこれまでの美術史研究において見過ごされてきた特徴的な表現が認められることを中心に報告しました。次に徳川美術館学芸員・吉川美穂氏が「本多平八郎姿絵屏風の表現について」と題して、「本多平八郎姿絵屏風」(同館蔵・重要文化財)の人物描写を高精細画像のスライドとともに紹介し、画中の葵文小袖を着た女性には、高貴な女性の風俗儀礼・化粧方法の一つである置き眉の痕跡が認められることなどを報告しました。つづいて徳川美術館副館長・四辻秀紀氏による司会でディスカッションを行い、画像情報に関しては国立情報学研究所研究員の中村佳史氏にも議論にご参加いただきました。美術史だけでなく、音楽史、芸能史、服飾史、さらに文化財修復に関係する方々など110名を超える参加者を得て、盛況のうちに閉会しました。また会場としたセミナー室前のロビーでは上下巻で15mに及ぶ「歌舞伎図巻」の原寸大出力画像も展示し、参加者にご覧頂きました。今後もさらなる調査研究とその情報発信をつとめて参ります。

第44回オープンレクチャー「人とモノの力学」の開催

1日目の須賀みほ氏の発表風景
2日目の髙橋利郎氏の発表での質疑応答

 当研究所企画情報部では、美術史研究の成果を広く知っていただくため、毎年秋に公開学術講座「オープンレクチャー」を開催しています。昭和41年(1966)の第1回目から数えて、今年で44回目を迎えます。平成18年(2006)より、「人とモノの力学」という共通テーマを設定しており、今年は10月15日、16日の日程で所内外の研究者4名が発表を行いました。
 10月15日は、津田徹英(企画情報部文化財アーカイブズ研究室長)が「中世における真宗祖師先徳彫像の制作をめぐって」と題して、等身であらわされた中世真宗祖師彫像の制作背景と造像の意義についての発表を行いました。須賀みほ氏(岡山大学准教授)は「草花の美─都久夫須麻神社社殿の空間─」と題した発表で、同社殿の詳細な調査に基づいて、その造形表現と空間構成について豊富な画像とともに明らかにしました。 翌16日は、髙橋利郎氏(成田山書道美術館学芸員)が「御歌所の歌人と書」と題した発表で、明治21年(1888)宮内省に開設された御歌所に集まった歌人たちの活動について、近代天皇制の整備と拡張という背景に位置づけながら、その文化的役割を解明しました。塩谷純(企画情報部文化形成研究室長)は、「秋元洒汀と明治の日本画」と題した発表で、明治期の日本画をリードした菱田春草のパトロンとして重要な役割を果たした流山の醸造家・秋元洒汀の活動に焦点をあて、明治期の作品受容のありかたを明らかにしました。
 各日114名、86名の聴講者を得て、初日には須賀氏の発表に関連して竹生島神社宮司の生嶋嚴雄様ご夫妻に、また二日目には塩谷の発表に関連して洒汀のお孫様にあたる水彩画家の秋元由美子様にご臨席いただきました。お二方には会場からの質問にもお答えいただくなど、盛会のうちに終了しました。閉会後に実施したアンケート結果においても、多くの方々から大変満足いただけたとの回答を得ることができました。今後とも、当研究所の研究成果を発信するこのような企画を積極的に行っていきたいと思います。

徳川美術館との共同研究調査パネル展示

「本多平八郎姿絵屏風」パネル展示風景
「歌舞伎図巻」パネル展示風景

 企画情報部では、徳川美術館との共同研究として、「本多平八郎姿絵屏風」などの近世風俗画の調査を行っています。今年2010年は、同館の開館75周年にあたり、特別展「尾張徳川家の名宝」(10月2日~11月7日)が開催されています。この機会に合わせて、9月28日から調査研究成果の一環として「本多平八郎姿絵屏風」と「歌舞伎図巻」(ともに重要文化財)の拡大画像パネルを展示しています。「本多平八郎姿絵屏風」は、縦72.2cmの比較的小振りの二曲屏風ですが、本多平八郎を江戸期の将軍・大名家クラスの男性の遺骨から推定した平均身長157cm程度に合わせて、約3.5倍で出力しました。右隻も同倍率にしてみると、中心的人物である葵紋小袖の女性が、同様に将軍・大名家の正室・側室の女性の平均身長146cm程度に合致し、実際の男女の体格差が身体描写において正確に反映されていることがわかります。「歌舞伎図巻」は上下2巻、絵6段からなる、縦36.7cmの絵巻物ですが、こちらは実際の大きさの2.5倍程度で出力しました。繊細なグラデーションが施された彩色表現、緻密に描き分けられた質感描写を手に取るように確認することができ、これまで見過ごされてきたような細部の描写にも着目することができます。線描や彩色状態を詳細に観察すると、その表現技法の意図や理由が浮かび上がってきます。このようにして得られた情報を作品研究に応用し、広く作品に対する理解を深めることにつなげていきたいと考えています。

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