研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『東文研ニュース』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


イギリスにおける文化財情報の蓄積と公開についての調査

ウィット・ライブラリー ゲストブック 1924年1月18日
ウィット・ライブラリー バーバラ・トンプソン氏のオフィスにて

 2008年3月3日から6日間の日程で、山梨絵美子、江村知子、中村節子の3名で、イギリスにおける美術図書館、研究機関を訪問し、資料の収集と公開のありかたについて調査を行いました。限られた日程でしたが、セインズベリー日本芸術研究所、ロンドン大学コートールド美術研究所ウィット・ライブラリー、大英博物館、大英図書館、ヴィクトリア&アルバート美術館ナショナル・アート・ライブラリー、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)の6ヶ所を訪問、施設の調査とともに、各所の研究者と意見交換を行いました。なかでもウィット・ライブラリーは、研究所初代所長矢代幸雄が自らの美術史研究にとってひじょうに有益であったという体験から、日本でもこうした美術資料図書館が必要であるとして研究所の構想を得たという、当所にとっては縁の深い施設です。同所のゲストブックによると、1924から28年の間に9回に渡って矢代が訪問したことが判明し、研究所創設当時の事情を把握するとともに、文化財情報の整理・蓄積・公開においての課題を認識しました。今後も研究交流を行い、資料の利活用と閲覧室の運営とに活かしていきたいと考える次第です。

『国宝 彦根屏風』報告書刊行

『国宝 彦根屏風』報告書

 平成18~19年度にかけて彦根城博物館と共同で行った「彦根屏風」の調査研究についての報告書がこのたび無事刊行のはこびとなりました。この作品は本格的な修理が行われ、額装から屏風の形に改装されました。報告書では修理前・後の写真のほか、高精細画像、近赤外線画像、蛍光画像を多数盛り込みました。絵具層の下に存在する色名の指示書きの近赤外線画像と実際のカラー画像を対比させ、蛍光X線分析データとその計測箇所の高精細画像を対応させるなど、作品のもつ情報をできる限り提示することに関係者一同努めました。作品研究の基礎資料として末永く利用して頂けることを願っております。本書は中央公論美術出版から市販されます。
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=336

『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』の刊行

『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』の原寸大部分図
巻末「《湖畔》をめぐる言葉とイメージ」より

 湖畔にたたずむ浴衣姿の女性を描いた黒田清輝の油彩画《湖畔》(明治30年作)は、数ある日本の美術品の中でもとくに親しまれた、人気の高い作品といってよいでしょう。このたび当研究所企画情報部では、この黒田の代表作にさまざまな視点から迫った『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』を刊行しました。巻頭の城野誠治・鳥光美佳子(東京文化財研究所)による《湖畔》の画像は、原寸大部分図やふだん見ることのできない絵の裏側の画像もふくまれ、見なれた作品でありながら新鮮さを覚えます。荒屋鋪透氏(ポーラ美術館)・植野健造氏(石橋美術館)・金子一夫氏(茨城大学)・鈴木康弘氏(箱根町教育委員会)・渡邉一郎氏(修復研究所21)・田中淳・山梨絵美子(東京文化財研究所)によるテキストは、《湖畔》のモデルや制作地にはじまり、日本美術や西洋美術における位置、そして今日にいたる評価の変遷、作品のコンディションといったテーマで各々語られています。巻末には《湖畔》にまつわるイメージや言葉を収集し、昭和42年に発行された記念切手や《湖畔》によせた詩などを掲載しました。まさにその成り立ちから現在までの《湖畔》が歩んだ“生涯”をうかがえる一冊です。本書は中央公論美術出版より市販されています。
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=121

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サンフランシスコ・アジア美術館における仏像調査

帝釈天像頭部X線写真
(サンフランシスコアジア美術館)

 企画情報部の津田と皿井は、美術の技法・材料に関する研究の一環として、平成20年3月10日から12日までの3日間、サンフランシスコ・アジア美術館において、日本の奈良時代につくられた仏像二像(梵天・帝釈天像)の調査と関連資料の収集を行いました。これらの像は、もともと奈良の興福寺にありましたが、明治時代の終わり頃に民間に流出し、その後アメリカのコレクターによって購入されたものです。
 これらは、奈良時代にしかみられない脱活乾漆技法という、特殊な技法で造られています。外形は、漆と麻布で張り子状になっており、中は補強のための心木が入れられているほかは空洞となっています。高価な漆が大量に必要であったり、構造的にも脆弱であったりするため、現在に伝わっている脱活乾漆技法の作品は少なく、これらはきわめて貴重な遺品と言えます。興福寺の阿修羅像も同じ技法でつくられたものです。
 明治38年頃に興福寺で撮影された写真には、多くの破損仏にまじってやはり大破したこの二像が写されています。アジア美術館の持つ関連資料の中にX線透過画像などを見出しましたが、それによって修理の状況などの手がかりを得ることができました。たとえば、明治の写真には梵天の頭部は無くなっていましたが、梵天像のX線透過画像をみると、その頭部は意外にも制作当初のものである可能性のあることがわかりました。本調査で得た知見を、さらに多角的に検証していく必要があります。今後、アジア美術館の協力を得て、これら脱活乾漆像の技法や様式などの解明をすすめたいと思います。

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来訪研究員による研究発表

研究所における呉景欣氏

 平成19年9月より1年間企画情報部に来訪研究員となった呉景欣氏(台北市出身、UCLA大学院博士課程在学)は、来日後の調査研究の成果を、3月26日に部内研究会にて発表しました。同研究員のテーマは、1920年代を中心として日本の近代美術が、どのようにヨーロッパ美術を受容したのかを研究テーマとしています。当日は、「古典か前衛か、キリスト教か仏教か―1920年代の古賀春江の宗教的なテーマの絵画」と題し、古賀春江が宗教的な主題、モチーフを扱った作品をとりあげ、当時のエル・グレコ等の古典から近代までのヨーロッパ美術受容の様相と重ねて考証した興味深い内容でした。発表後、部内の近代美術、及び仏教美術研究者等との協議においても活発に意見が交わされました。今後、さらに研究が深まることを期待します。

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「聚光院問題」の検討

 企画情報部では毎月、研究会を開催しています。2月は27日(水)、コメンテーターに渡邊雄二氏(福岡市美術館)を迎え、綿田が「聚光院問題を考える」の題目で研究発表を行いました。大徳寺聚光院方丈(重要文化財)の創建年代については従来、狩野松栄・永徳親子による障壁画(国宝)の作期との関連で、永禄9年(1566)か天正11年(1583)かという議論がなされてきました。今回綿田は、めまぐるしく変化していた政情を考慮しつつ、断片的に残された史料を根拠に元亀2年(1571)という年次をあらたに提案しました。続いて渡邊氏より、塔頭障壁画全体の流れで考えると聚光院障壁画のプランはやはり古様な側に属しているという見解が示されました。その後、研究所外からの参加者も交えて活発な議論が行われました。

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国立台湾大学芸術史研究所・陳芳妹氏講演会の開催

講演する陳芳妹氏
淡水・ギン山寺全景(1991年整備以前)

 企画情報部ではプロジェクト研究「東アジアの美術に関する資料学的研究」の一環として「人とモノの力学」というテーマを設け、美術品や文化財といったモノの価値形成において、縦横に広がる人と人とのつながりを視野に入れながら、そこにどのような力関係でモノが絡んでいくのかに注目し、研究を進めています。このたび当部発行の研究誌『美術研究』391号に中国宋代の古代銅器受容について論考をお寄せいただいた国立台湾大学芸術史研究所の陳芳妹氏をお招きして、1月15日(火)に講演会を開催しました。
 「淡水ギン山寺に造られた神聖空間と民族相互認識の問題―社会芸術史の探究」と題した発表は、18世紀末から19世紀初頭にかけて台湾へ移住した漢民族、とりわけ福建省西山区の客家汀州を出身とする人々の表象についての内容でした。彼らは少数派ながら、台湾北部の淡水にギン山寺を建立し、その伽藍や意匠が出身地汀州の記憶をとどめたものであることを陳氏は突き止めています。わたしたちにはなじみの薄い台湾の前近代史が話の対象でしたが、移動する人にまつわるアイデンティティーの主張は上記の研究テーマにも適い、発表後はマイノリティー(少数派)の自己表象をめぐって議論が交わされました。

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菩薩立像のX線透過撮影

菩薩立像上半身 X線透過画像

 企画情報部のプロジェクト研究「美術の技法と材料に関する広領域的研究」の一環として、1月29日(火曜日)に当研究所において都内在住の個人が所有する脱活乾漆造の菩薩立像(像高77.1㎝)のX線透過撮影を行いました。本像については6月の活動報告で述べたように作風から8世紀の最末もしくは9世紀に入っての造像が考えられるものです。6月に行った調査は目視による表面観察にとどまったため、構造・技法を明確にすることはできませんでした。そこで今回のX線透過撮影では、像内に像を支える構造材が存在するのか、用いられた麻布貼りは何層にわたっているのか、どの程度、補修・後補部が像に及んでいるのかなどを解明するために実施したものです。結果、像内には像を支える構造材が存在しないことや、補修は表面にとどまり像内に及ぶような損傷は少ないことが確認できました。また、一般に脱活乾漆造の場合、粘土でつくった原型に麻布を数層にわたって貼り重ねたのち、後頭部と体部背面に長方形の窓を開けて、そこから原型の粘土を除去して像内を中空としますが、本像では両耳を通る線で像を前後に切断して粘土の除去を行っていたことがX線透過撮影による画像から窺え、頭体部を前後に切断しやすくするために両腕を別に作って肩部で接合していたことも判明しました。このことは脱活乾漆造の終末期において構造・技法面に新たな展開があったことを示唆するようでもあります。今後、その方面でのさらなる技法解明が課題となったよう考えます。

“オリジナル”研究通信(3) ―文化財修理の基本理念

 企画情報部では、来年度に行われる「文化財の保存に関する国際研究集会」の準備のため、“オリジナル”をテーマに部内研究会を開いています。12月は、長年にわたって文化財修理の第一線に臨まれてきた、所長・鈴木規夫と議論を交わしました。
 現在、「現状維持を原則とし、学術的・資料的・美的価値を損なわないように、必要最低限の処置をほどこす」ことが、日本の文化財修理の基本理念となっています。ただ、文化財の素材(材料)あるいは形態などどの部分に力点を置くのか、あるいはどの時点の姿を残すのかという問題は、文化財の本質的な価値がどこにあるのかという根本的な問題と密接に関わるもので、決して一律に判断を下せることではなく、現場においてさまざまにむずかしい判断が要求されるようです。
 特に興味深く感じたのは、日本には文化財が長年の時を経て身にまとう経年変化―よく古色・古びという言葉で言い表したりしますが―に美を見出し、それをうまく残しつつ伝えるという、日本独自の感性・価値観があるということでした。文化財が造られた当初の姿だけではなく、それが伝来してきた歴史の重みをも重視するこの考え方は、我々が新しく提示しようとしている“オリジナル”の考え方とも通じており、議論が活発に行われました。

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『昭和期美術展覧会の研究〔戦前篇〕』研究会の開催

プロレタリア美術研究所のポスター
 1930(昭和5)年頃

 企画情報部ではプロジェクト研究「近現代美術に関する総合的研究」の一環として、昭和戦前期の美術に関する論文集『昭和期美術展覧会の研究〔戦前篇〕』の2008年度刊行をめざしています。その刊行にむけての研究会を、12月27日に当部の研究会室で開きました。発表者とタイトルは次の通りです。
 ◆喜夛孝臣氏(早稲田大学會津八一記念博物館)「矢部友衛とプロレタリア美術運動―プロレタリア美術研究所を中心にして」
 ◆足立元氏(東京藝術大学大学院)「「悪女」と戦争―小野佐世男の漫画をめぐって」
 ◆敷田弘子氏(東京藝術大学大学美術館)「昭和前期の日本における最小限住宅とその室内設備についての一考察―型而工房とその関係者のデザイン活動から」
 若手研究者ということもあって、プロレタリア美術・漫画・デザインの未開拓分野に挑んだ発表内容は、いずれも真摯で刺激的なものでした。発表者・出席者ともに『昭和期美術展覧会の研究〔戦前篇〕』の執筆陣が中心の研究会でしたが、30名近くの研究者が参加し、発表を受けてホットな議論が交わされました。本研究会が、同論集刊行にむけてのよい弾みとなったことは間違いないでしょう。

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研究会の開催

 企画情報部では毎月、研究会を開催し、研究プロジェクトの進捗状況や成果の一端について研究発表を行っています。12月は26日(水曜日)3時から企画情報部研究会室において津田徹英が研究プロジェクト「美術の技法・材料に関する広領域的研究」の成果の一環として「平安末期の在地造像をめぐる小考」のタイトルで発表を行いました。これは、平安末期における「定朝様式」の地方受容に関して、その表現や技法に関して都鄙間で大差が認められないことの解釈をめぐって、これまで造像する側の仏師の技術論に収束しがちな問題を受容者サイドの問題として捉え直し、都鄙双方に活動基盤を持ち、双方を往還して活動を行った「地下官人」の存在に着目しつつ、かれらが在地造像の主体者となることで地方における文化レベルを引きあげ、中央作に準じた「みやび」な作風を示す在地造像がなし得たのではないかという仮説に基づき、その一端を造像当初の天蓋・光背・台座をよく残す滋賀県下の浄厳院阿弥陀如来像とその周辺作品に及びながら明らかにしようとした試論です。発表後、出席者から問題点の指摘など活発な意見交換がおこなわれました。

久野健氏資料の寄贈受け入れ

 今年7月、87歳で逝去された当所名誉研究員の久野健氏のご遺族より、久野氏の調査による写真資料と調書をご寄贈くださるとのお話があり、11月7日に当所への輸送を行いました。久野氏は日本彫刻史を研究され、精力的に現地調査に赴かれ、その成果は京阪神のみならず東北や関東など各地域の仏像を編集した『仏像集成』(学生社)、『日本仏像彫刻史の研究』(吉川弘文館)など多数の著書によって公になっています。その背景となった写真はB4、4段ファイル6本分、調書は300冊を超えます。これらのリストを整え、公開すべく、整理を進めていく予定です。

特集陳列 黒田記念館―黒田清輝の作品Ⅱ

黒田記念館-黒田清輝の作品Ⅱ
特集陳列の様子

 今年4月に独立行政法人国立文化財機構に組織が改まったことを記念して、黒田記念館所蔵の作品を東京国立博物館平成館で展観する第二回目の特集陳列が、11月6日(火)から12月2日(日)まで行われました。今回は、黒田が留学中に好んで訪れたパリ近郊の農村グレー=シュル=ロアン(Grez=sur=Loing)滞在中の作品と、1891年10月号の「フィガロ・イリュストレ」(Figaro Illustre)に掲載されたピエール・ロティ(Pierre Loti 1850-1923)によるエッセイ「日本婦人」のための挿図原画「日本風俗絵」(Japanese Genre Scenes)4点を中心に、22点の作品を展示しました。「フィガロ・イリュストレ」1891年10月号と「日本風俗絵」を同時に展示されたのは初めてで、黒田がフランスにもたらした日本イメージを具体的に知る機会となりました。

第41回オープンレクチャー

11月2日、江村が「光琳の目と手」と題する発表を行いました。
11月3日、山梨が「矢代幸雄と美術研究所」と題する発表を行いました。
山梨は近代日本洋画の父と仰がれた黒田清輝とその作品についても語りました。
近代日本洋画の父黒田清輝は美術研究所設立の立役者でもありました。
11月3日、荒屋鋪透氏は「黒田清輝の+体験 -芸術家村グレーから黒田記念館へ」と題する発表を行いました。

 当所では、美術史の研究成果を広く知って頂くための活動の一環として、毎年秋に1回2日間にわたってオープンレクチャーを開催しております。昨年までは美術部の主催でしたが、機構改革に伴い本年より企画情報部が受け継ぎ、今年で41回を数えることとなりました。
 本年は、11月2日(金)には、江村知子「光琳の目と手」、中部義隆(大和文華館)「矢代幸雄の琳派観」と題し、近世絵画、とりわけ国際的にも評価の高い琳派を中心に研究発表が行われました。江村は、江戸時代における尾形光琳の芸術性を、主に「四季草花図」(津軽家旧蔵・個人蔵)という彼の作品を通して同時代の視点で探究しました。また中部氏は、近代に至って琳派作品がどのように見出され、評価されていったのかを、矢代幸雄という日本における美術史学草創期の研究者の目を通して跡づけられました。
 11月3日(土)は、山梨絵美子「矢代幸雄と美術研究所」、荒屋鋪透(ポーラ美術館)「黒田清輝の+体験 -芸術家村グレーから黒田記念館へ」という2名の講師による近代美術史に関わる研究発表が行われました。山梨は、当研究所の前身、昭和5年に設立された美術研究所の初代所長でもあった矢代幸雄が構想した美術研究所の具体像を考察しました。また荒屋鋪氏は、日本の美術制度の形成に大きな役割を果たし、美術研究所設立の立役者でもあった黒田清輝が、フランス留学、とりわけパリ近郊のグレー村における芸術体験から得たものを具体的に示されました。
 いわゆる文化財に対する関心は、年々高まっているようです。今後も、よりいっそう美術研究を進展させ、作品の持つ豊かさを多くの人に伝えていきたいと思います。

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特集陳列「写された黒田清輝」

「黒田清輝ポートレート」
撮影年不詳 20.5×15.3cm

 11月15日より、黒田記念館の二階展示室において「写された黒田清輝」と題する特集陳列が開かれました。これは平成18年度に、黒田清輝夫人照子のご遺族にあたられる金子光雄氏より、東京文化財研究所に寄贈された写真等208件の資料の一部を公開するものです。資料の大半は、黒田清輝の暮らしぶりを知るポートレートなどですが、これまで未公開の写真もあり、黒田清輝という画家をより深く理解するための貴重な資料です。そのうちから、今回は比較的大判の写真23点を選び公開します。寄贈写真はすでに原板が失われており、いずれもオリジナルな焼付写真であるため、公開にあたりましては、オリジナル写真の風合いを保ちつつ、原寸大に再現した画像を展示いたします。これは、写真資料の保存公開という目的のもとにすすめられたデジタル画像形成技術の開発研究の成果の一部でもあります。(会期:07年11月15日-08年5月17日)

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“オリジナル”研究通信(2)―オーセンティシティー(Authenticity)の在り処

奈良、新薬師寺本堂(奈良時代に建立)の明治修理以前の姿と現在の様子。
明治30(1897)年の修復により、鎌倉時代に付加された下屋状の礼堂が取り払われ、復原をめぐる論議を呼びました。

 企画情報部では来年度の「文化財の保存に関する国際研究集会」への準備として、“オリジナル”をテーマに部内研究会を開いています。11月はとくに建築学を視野に、文化遺産国際協力センターの稲葉信子(14日)、清水真一(21日)を交えて討議を行いました。屋内で大事に保存される絵画や彫刻と異なり、建築物は風雨にさらされ、また住居や施設として日々使用される必要上、度重なる修理や改築を余儀なくされるものです。しかもそうした建築の可変的な性格にくわえて、木造や石造といった材質の違いによって維持のしかたも異なるため、各材質に根ざした文化圏のあいだで自ずと保存修復の理念に差が生じることになります。建築物のどの時代の姿を、どのような部材を用いて文化財として後世へ伝えていくのか、オーセンティシティー(Authenticity 真実性)の在り処をめぐる議論は尽きることがないようです。

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在外日本古美術品保存修復協力事業に関する絵画作品の中間視察

 在外日本古美術品保存修復事業における絵画部門は、海外の美術館・博物館で所蔵されている日本美術品を日本に一旦持ち帰って修復を行っています。例年、10月から11月にかけて各所蔵館の担当者の来日のもと、修復の進捗状況の確認と新調の表装裂選定等をこの時期に行っています。今年度の修復作品5件のうち、キンベル美術館(アメリカ)蔵『多武峯維摩会本尊図』について同館学芸員ジェニファー・プライス氏が10月16日に、オーストラリア国立美術館蔵『釈迦十六善神像』について同館主任修復師アンドレア・ワイズ氏が10月26日に、ヒューストン美術館(アメリカ)蔵『日吉山王祭礼図屏風』について同館保存修復部長ウィン・ペラン氏と修復助手ティナ・タン氏が11月13日に、それぞれを修復している工房に企画情報部のそれぞれの担当者とともに訪れ、修復の進捗状況を確認するとともに、表装裂の選定等を行いました。これらの作品はいずれも明年3月下旬に修復が完了し、運営委員会でのお披露目を経て、5月には東京国立博物館で公開を行う予定です。

「彦根屏風」修復後の調査撮影

 「国宝紙本金地着色風俗図(彦根屏風)」(彦根城博物館蔵)は、二ヵ年をかけた本格的な修理が完了し、「よみがえった国宝・彦根屏風と湖東焼の精華」展(9月28日~10月26日)においてお披露目の展示が行われました。当所では昨年度の修理前から、彦根城博物館と共同で「彦根屏風」の調査研究を実施しています。そしてこの展覧会終了後に、屏風装に改められた状態を撮影し、修理を経て安定した表面の状態を高精細画像および近赤外線画像によって調査・記録しました。現在、その成果をまとめた報告書が編集作業の最終段階を迎えています。今回の調査研究で得られた新知見は、近世風俗画の優品として高く評価されてきた「彦根屏風」の研究のみならず、日本絵画史研究全体においても、有効な資料となることが期待されます。この報告書は今年度末刊行予定です。

「彦根屏風」光学的調査のパネル展示

「よみがえった国宝・彦根屏風と湖東焼の精華」展会場
光学的調査の結果の一部を紹介した大型の画像パネル

 昨年度より当所では、国宝「彦根屏風」の調査研究を彦根城博物館と共同で行っています。この作品は100年以上もの間、一扇ずつ分かれた状態であったことと、経年による汚れや絵具の剥落の危険性があったため、この2ヵ年をかけて国の文化財保存補助事業として文化庁の指導のもと、本格的な修理が行われ、額装から屏風の形に改装されました。このたび無事修理が完了し、彦根城築城400年祭の記念事業の一環として、「よみがえった国宝・彦根屏風と湖東焼の精華」展において修理完成披露が行われました。この展覧会は9月28日から10月26日まで開催され、展示会場では、これまで行ってきた光学的調査の結果の一部を大型の画像パネルでご紹介致しました。精緻な画像によって作品の超絶技巧の細密表現や、赤外線画像によって肉眼では見えない色の指示書きや下描き線の存在などを掲示し、多くの観覧者の方々にご好評を頂きました。現在、その成果をまとめた報告書を編集中で、今年度末に刊行する予定です。

“オリジナル”研究通信(1)―部内研究会、本格的にスタート

敦煌文書を調査するフランス人東洋学者ポール・ぺリオ(1908年)。 ぺリオのように文書が発見された窟内で調査を行った研究者はまれでした。

 企画情報部では来年度に開催する「文化財の保存および修復に関する国際研究集会」にむけて、目下準備を進行中です。そのテーマについて部員のあいだで討議を重ねた結果、“オリジナル”をキーワードに、文化財をあらためて見つめなおそうということになりました。たとえば復元という行為にみられるように、文化財の現場にあって“オリジナル”は常に憧れの対象なのですが、そのとらえ方は時代や地域によってさまざまに変化します。そうした中で、わたしたちはいかに文化財を伝えていくのか、とくに当部がになう文化財アーカイブの視点からこの課題に取り組んでみたいと思っています。
 テーマ設定についての五度にわたる討議を経て、さらに“オリジナル”に関する部内研究会がスタート、その第一回目として9月26日には、敦煌文書の真贋をめぐり中野照男(企画情報部)によるケース・スタディが行われました。1900年に敦煌莫高窟より山積みの状態で発見された敦煌文書ですが、その後海外の探検家や研究者によって幾度となく国外へ持ち出されたこともあり、文書をめぐる来歴は真贋の問題もふくめ錯綜しています。そうした中で進展する“敦煌学” のあり方について、保存修復科学センターの加藤雅人をコメンテーターに立てて学びました。また10月3日には無形文化遺産部の飯島満を交えた研究会で、文楽等の古典芸能を話題としながら“オリジナル”をめぐる無形文化財と有形文化財との考え方の違いについて討議しました。無形文化財のばあい、有形文化財のように過去にさかのぼった初演時の上演形態が“オリジナル”なのか、それとも上演のたびごとに新たな“オリジナル”が生み出されるのか――文化財を伝える立場として、避けることのできない問題であることを再認識しました。今後もこうした“オリジナル”をめぐる研究会を随時開いて、来年度の国際研究集会へと発展させていきたいと思っています。

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