研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


アンソニー型カメラの展示

黒田記念館1階の旧研究室でアンソニー型カメラを展示しています。
大型カメラのピントグラスには屋外の風景が上下逆さに映し出されています。
旧美術研究所が使っていたスライド・プロジェクターや8ミリ・カメラ、二眼レフ・カメラも公開しています。

 当研究所企画情報部の画像情報室に保存されていた大型カメラが、このほど修理を終えて、6月5日より黒田記念館1階の旧研究室にて一般公開をはじめました。このカメラは、20世紀初頭に輸入されたアメリカのアンソニー社のカメラを原型に製作されたスタジオ用カメラです。旧美術研究所では、開所草創期から戦後まで美術作品等の撮影調査のために使用し、数多くの文化財を記録画像として残すことに活用されていました。今回の展示にあたっては、レンズを戸外にむけて、ピントグラスに屋外の風景が逆さに写るように工夫して、来館者にみていただくようにしています。その他にも、戦前のフランス製の8ミリ・カメラや二眼レフ・カメラなど、かつて研究調査活動に欠くことのできなかった光学機器を展示しています。また、このようなカメラで撮影されたガラス原板は、現在保存につとめるとともに、デジタル化の作業をすすめ、研究に資するために公開をめざしています。

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“オリジナル”研究通信(4)―加藤哲弘氏を囲んで

 企画情報部では今年12月に開催する国際シンポジウム「オリジナルの行方―文化財アーカイブ構築のために」に向けて準備を進めています。5月9日には、加藤哲弘氏(関西学院大学)をお招きして研究会を行いました。山梨絵美子の「美術研究所とサー・ロバート・ウィット・ライブラリー」と題する当所の成立と1920年代の西欧社会における美術史資料環境に関する発表、西洋美学の分野で「オリジナル」の問題がどのように語られてきたかについて加藤氏の「『オリジナル』であることをめぐって―美術研究に対するその意義」という発表の後、“オリジナル”をめぐってディスカッションがなされました。“オリジナル”であることが希求されるのは西洋でも19世紀以降であること、そうした時代を背景としながら19世紀末に活躍した美術史家アロイス・リーグルは必ずしも文化財の当初の姿のみに価値を見出さず経年的価値を認め、アーウィン・パノフスキーは複製が真正性(アウラ)を欠くことを指摘して文化財そのもの(オリジナル)と複製を区別したことなどが加藤氏によって指摘され、”オリジナル”の記録と記憶の質の違い、“オリジナル”を残す行為は何を伝えていくことか、などについて議論が交わされました。様々な角度から考え、議論を深めることにより、シンポジウムの充実を図るとともに、文化財に関する調査研究、資料の蓄積と公開という日常業務のあり方についても考える機会としたいと思います。

五姓田派としての満谷国四郎―美術研究所旧蔵デッサンより

満谷国四郎《人物》 東京国立博物館蔵

 満谷国四郎(1874~1936年)は明治・大正・昭和の三代にわたり、文展や帝展を舞台に活躍した洋画家として知られています。その没後の昭和13(1938)年に、当研究所の前身である美術研究所は満谷が残した素描類の寄贈を受けました。それらは明治期の“道路山水”とよばれる風景写生や、大正期に制作された展覧会出品作の下絵が多数を占めているのですが、その中で一点、鉛筆で入念に仕上げられた人物デッサンが異彩を放っています。細かな線描を交差させながらモティーフの肉付けを行うクロス・ハッチングの手法を用い、片目をすがめてこちらを見つめる表情は自意識にあふれています。満谷のみならず明治洋画史の上でも類例をみないものであったため、これまで紹介されることもなかったのですが、このたび神奈川県立歴史博物館の角田拓朗氏と岡山県立美術館の廣瀬就久氏が、明治初期洋画に多大な足跡を残した五姓田芳柳・義松一派の調査研究を進める中で、その流れに位置する可能性を指摘され、5月7日の企画情報部研究会で発表を行いました。デッサンの左下隅に記された明治25年2月21日という日付は、満谷が五姓田門下で学んでいたわずか一年ばかりの時期に当たります。このデッサンが五姓田派と満谷をつなぐ作として、さらには明治洋画史に一石を投じる作として位置づけられることになるかもしれません。本作品は、同じくクロス・ハッチングによる描写で満たされた写生帖とあわせて、「五姓田のすべて―近代絵画への架け橋」展(神奈川県立歴史博物館2008年8月9~31日、9月6~28日、岡山県立美術館2008年10月7日~11月9日)に出品される予定です。

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平成20年度の在外日本古美術品保存修復協力事業

 東京文化財研究所では、海外の美術館・博物館が所蔵する日本美術品の保存修復に協力するとともに対象作品を所蔵館と共同で保存修復に関する研究を行っています。
 平成20年度は、絵画4件『松に孔雀図屏風』(6曲1隻、カナダ、グレーター・ビクトリア美術館)、『星曼荼羅図』(1幅、カナダ、バンクーバー博物館)、『虫歌合絵巻』(1巻、イタリア、ローマ国立東洋美術館)、『遊女立姿図(宮川長春筆)』(1面、イタリア、キョッソーネ東洋美術館)、工芸4件『住吉蒔絵文台』(1基、イギリス、ヴィクトリア&アルバート美術館)、『花鳥紋章蒔絵盾』(1基、イギリス、アシュモリアン美術館)、『近江八景蒔絵香棚』(1対、チェコ、市立ヴェルケ・メディジ博物館)、『楼閣山水蒔絵箱』(1合、オーストリア、ウィーン国立工芸美術館、昨年度からの継続分)を対象にして日本国内で保存修復が行われます。また、ドイツ・ケルン東洋美術館に開設した海外修復工房においては『花樹鳥獣蒔絵螺鈿洋櫃』(3年継続の3年目)の保存修復が進行中です。さらに、本年度からベルリン・ドイツ技術博物館・紙の修復工房において、絵画1件『達磨図』(ケルン東洋美術館、2年継続)を対象として保存修復が行われます。この海外における修復工房では海外の修復関係者を対象にワークショップを併行して開催する予定です。

文化財情報の発信と連携についての研究協議会開催

美術図書館の横断検索サイト
“ALC(Art Libraries’ Consortium)”
連想検索サイト「想(Imagine)」

 企画情報部では、4月22日に、水谷長志(東京国立近代美術館)、丸川雄三(国立情報学研究所)の二氏を講師に招いて、上記のような研究協議会を開催しました。両氏は、現在それぞれ美術図書館の横断検索サイト“ALC(Art Libraries’ Consortium)”及び連想検索サイト「想(Imagine)」をWEB上で立ち上げて運営管理にあたられています。研究所全体、ならびにより質の高い文化財情報の発信を担当する当部では、将来的な展望にもとづいて討議しました。今後は、これまでの研究成果の蓄積のより効果的な発信にむけて事業活動を具体化していく予定です。

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黒田記念館研究室の公開

新たに公開をはじめた1階の旧研究室

 これまで黒田記念館では、2階の記念室、展示室の2室において黒田清輝作品を公開してきました。4月24日からは、2階、1階の旧研究室も一般公開をはじめました。2階の旧研究室では、「黒田清輝の生涯と芸術」(上映時間約12分)と題したスライドショーを上映し、来館者に黒田の芸術への理解を深めていただくようにしました。さらに1階の旧研究室2室では、美術研究所時代当時の木製机、キャビネット、写真カード等を展示し、あわせて東京文化財研究所の最新の成果刊行物を自由にご覧いただけるようにしました。これによって、黒田作品の鑑賞に加えて当研究所の歴史と現在を紹介できるようにしました。

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エントランスロビー 「洛中洛外図屏風の修理」パネル展示

ロビーパネル展示風景(撮影:鳥光美佳子)

 当所では、事業や研究成果を来所者の皆さんにご理解いただくために、エントランスロビーを利用して、定期的にパネル展示を行っております。このたび平成18年度に在外日本古美術品保存修復協力事業で修理を行った洛中洛外図屏風(ロイヤル・オンタリオ美術館蔵)を取り上げ、修理の工程とともに、美術史研究の成果をご紹介しております。洛中洛外図屏風は100点ほどの作例が確認できますが、この屏風は左右に二条城と方広寺大仏殿を大きく表す構図で表され、17世紀中頃の制作と考えられます。画中には総勢1,300人を超える人物が細密な表現で描かれ、社寺や名所の名を記した付箋が77枚も具備していることからも美術史研究上、貴重な作品です。この展示を通じ、我が国の文化による国際貢献・協力の一端をご理解いただければ幸いです。
http://www.tobunken.go.jp/~joho/japanese/project/panel/rakutyurakugai.html

東京文化財研究所七十五年史編纂のための聞き取り調査

 当研究所では『東京文化財研究所七十五年史 資料編』に続き、平成21年に沿革・調査研究の歴史を跡づける本編を刊行することを目指して編纂を進めています。本書には旧職員の略歴を掲載する予定で、その履歴や関連資料についての調査を行っています。3月には1930年代なかばから1942年まで美術研究所職員として東洋美術文献目録編纂にたずさわった豊岡益人氏のご遺族をお訪ねし、聞き取り調査を行いました。当研究所在職以外の履歴やご業績、同僚であられた旧職員についての情報が得られ、戦前の研究所の新たな一面が明らかになりました。文化財の調査研究に尽力した人々については、十分な調査がなされていないのが現状です。当研究所の七十五年史本編が文化財研究史の一端に寄与するものになるよう、今後とも努めていきたいと思います。

田中一松資料の寄贈

 1952年から65年まで当研究所所長をつとめた美術史家田中一松(1895-1983)氏の調書、収集写真等の資料が、ご遺族である田中一水氏および出光美術館さまから3月に寄贈されました。田中氏は戦前から多数の美術品を調査し、自らその記録画を付した丹念な調書を残されています。中には先の大戦中に失われた作品の調書もあり、大変貴重な資料です。これらの資料は田中氏逝去の後、ゆかりのあった出光美術館に保管されていましたが、このたび、より広い公開・活用のために、と当研究所にいただくことになりました。今後は、当研究所の所蔵資料と同様に整理・公開していく方針です。

イギリスにおける文化財情報の蓄積と公開についての調査

ウィット・ライブラリー ゲストブック 1924年1月18日
ウィット・ライブラリー バーバラ・トンプソン氏のオフィスにて

 2008年3月3日から6日間の日程で、山梨絵美子、江村知子、中村節子の3名で、イギリスにおける美術図書館、研究機関を訪問し、資料の収集と公開のありかたについて調査を行いました。限られた日程でしたが、セインズベリー日本芸術研究所、ロンドン大学コートールド美術研究所ウィット・ライブラリー、大英博物館、大英図書館、ヴィクトリア&アルバート美術館ナショナル・アート・ライブラリー、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)の6ヶ所を訪問、施設の調査とともに、各所の研究者と意見交換を行いました。なかでもウィット・ライブラリーは、研究所初代所長矢代幸雄が自らの美術史研究にとってひじょうに有益であったという体験から、日本でもこうした美術資料図書館が必要であるとして研究所の構想を得たという、当所にとっては縁の深い施設です。同所のゲストブックによると、1924から28年の間に9回に渡って矢代が訪問したことが判明し、研究所創設当時の事情を把握するとともに、文化財情報の整理・蓄積・公開においての課題を認識しました。今後も研究交流を行い、資料の利活用と閲覧室の運営とに活かしていきたいと考える次第です。

『国宝 彦根屏風』報告書刊行

『国宝 彦根屏風』報告書

 平成18~19年度にかけて彦根城博物館と共同で行った「彦根屏風」の調査研究についての報告書がこのたび無事刊行のはこびとなりました。この作品は本格的な修理が行われ、額装から屏風の形に改装されました。報告書では修理前・後の写真のほか、高精細画像、近赤外線画像、蛍光画像を多数盛り込みました。絵具層の下に存在する色名の指示書きの近赤外線画像と実際のカラー画像を対比させ、蛍光X線分析データとその計測箇所の高精細画像を対応させるなど、作品のもつ情報をできる限り提示することに関係者一同努めました。作品研究の基礎資料として末永く利用して頂けることを願っております。本書は中央公論美術出版から市販されます。
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=336

『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』の刊行

『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』の原寸大部分図
巻末「《湖畔》をめぐる言葉とイメージ」より

 湖畔にたたずむ浴衣姿の女性を描いた黒田清輝の油彩画《湖畔》(明治30年作)は、数ある日本の美術品の中でもとくに親しまれた、人気の高い作品といってよいでしょう。このたび当研究所企画情報部では、この黒田の代表作にさまざまな視点から迫った『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』を刊行しました。巻頭の城野誠治・鳥光美佳子(東京文化財研究所)による《湖畔》の画像は、原寸大部分図やふだん見ることのできない絵の裏側の画像もふくまれ、見なれた作品でありながら新鮮さを覚えます。荒屋鋪透氏(ポーラ美術館)・植野健造氏(石橋美術館)・金子一夫氏(茨城大学)・鈴木康弘氏(箱根町教育委員会)・渡邉一郎氏(修復研究所21)・田中淳・山梨絵美子(東京文化財研究所)によるテキストは、《湖畔》のモデルや制作地にはじまり、日本美術や西洋美術における位置、そして今日にいたる評価の変遷、作品のコンディションといったテーマで各々語られています。巻末には《湖畔》にまつわるイメージや言葉を収集し、昭和42年に発行された記念切手や《湖畔》によせた詩などを掲載しました。まさにその成り立ちから現在までの《湖畔》が歩んだ“生涯”をうかがえる一冊です。本書は中央公論美術出版より市販されています。
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=121

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サンフランシスコ・アジア美術館における仏像調査

帝釈天像頭部X線写真
(サンフランシスコアジア美術館)

 企画情報部の津田と皿井は、美術の技法・材料に関する研究の一環として、平成20年3月10日から12日までの3日間、サンフランシスコ・アジア美術館において、日本の奈良時代につくられた仏像二像(梵天・帝釈天像)の調査と関連資料の収集を行いました。これらの像は、もともと奈良の興福寺にありましたが、明治時代の終わり頃に民間に流出し、その後アメリカのコレクターによって購入されたものです。
 これらは、奈良時代にしかみられない脱活乾漆技法という、特殊な技法で造られています。外形は、漆と麻布で張り子状になっており、中は補強のための心木が入れられているほかは空洞となっています。高価な漆が大量に必要であったり、構造的にも脆弱であったりするため、現在に伝わっている脱活乾漆技法の作品は少なく、これらはきわめて貴重な遺品と言えます。興福寺の阿修羅像も同じ技法でつくられたものです。
 明治38年頃に興福寺で撮影された写真には、多くの破損仏にまじってやはり大破したこの二像が写されています。アジア美術館の持つ関連資料の中にX線透過画像などを見出しましたが、それによって修理の状況などの手がかりを得ることができました。たとえば、明治の写真には梵天の頭部は無くなっていましたが、梵天像のX線透過画像をみると、その頭部は意外にも制作当初のものである可能性のあることがわかりました。本調査で得た知見を、さらに多角的に検証していく必要があります。今後、アジア美術館の協力を得て、これら脱活乾漆像の技法や様式などの解明をすすめたいと思います。

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来訪研究員による研究発表

研究所における呉景欣氏

 平成19年9月より1年間企画情報部に来訪研究員となった呉景欣氏(台北市出身、UCLA大学院博士課程在学)は、来日後の調査研究の成果を、3月26日に部内研究会にて発表しました。同研究員のテーマは、1920年代を中心として日本の近代美術が、どのようにヨーロッパ美術を受容したのかを研究テーマとしています。当日は、「古典か前衛か、キリスト教か仏教か―1920年代の古賀春江の宗教的なテーマの絵画」と題し、古賀春江が宗教的な主題、モチーフを扱った作品をとりあげ、当時のエル・グレコ等の古典から近代までのヨーロッパ美術受容の様相と重ねて考証した興味深い内容でした。発表後、部内の近代美術、及び仏教美術研究者等との協議においても活発に意見が交わされました。今後、さらに研究が深まることを期待します。

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「聚光院問題」の検討

 企画情報部では毎月、研究会を開催しています。2月は27日(水)、コメンテーターに渡邊雄二氏(福岡市美術館)を迎え、綿田が「聚光院問題を考える」の題目で研究発表を行いました。大徳寺聚光院方丈(重要文化財)の創建年代については従来、狩野松栄・永徳親子による障壁画(国宝)の作期との関連で、永禄9年(1566)か天正11年(1583)かという議論がなされてきました。今回綿田は、めまぐるしく変化していた政情を考慮しつつ、断片的に残された史料を根拠に元亀2年(1571)という年次をあらたに提案しました。続いて渡邊氏より、塔頭障壁画全体の流れで考えると聚光院障壁画のプランはやはり古様な側に属しているという見解が示されました。その後、研究所外からの参加者も交えて活発な議論が行われました。

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国立台湾大学芸術史研究所・陳芳妹氏講演会の開催

講演する陳芳妹氏
淡水・ギン山寺全景(1991年整備以前)

 企画情報部ではプロジェクト研究「東アジアの美術に関する資料学的研究」の一環として「人とモノの力学」というテーマを設け、美術品や文化財といったモノの価値形成において、縦横に広がる人と人とのつながりを視野に入れながら、そこにどのような力関係でモノが絡んでいくのかに注目し、研究を進めています。このたび当部発行の研究誌『美術研究』391号に中国宋代の古代銅器受容について論考をお寄せいただいた国立台湾大学芸術史研究所の陳芳妹氏をお招きして、1月15日(火)に講演会を開催しました。
 「淡水ギン山寺に造られた神聖空間と民族相互認識の問題―社会芸術史の探究」と題した発表は、18世紀末から19世紀初頭にかけて台湾へ移住した漢民族、とりわけ福建省西山区の客家汀州を出身とする人々の表象についての内容でした。彼らは少数派ながら、台湾北部の淡水にギン山寺を建立し、その伽藍や意匠が出身地汀州の記憶をとどめたものであることを陳氏は突き止めています。わたしたちにはなじみの薄い台湾の前近代史が話の対象でしたが、移動する人にまつわるアイデンティティーの主張は上記の研究テーマにも適い、発表後はマイノリティー(少数派)の自己表象をめぐって議論が交わされました。

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菩薩立像のX線透過撮影

菩薩立像上半身 X線透過画像

 企画情報部のプロジェクト研究「美術の技法と材料に関する広領域的研究」の一環として、1月29日(火曜日)に当研究所において都内在住の個人が所有する脱活乾漆造の菩薩立像(像高77.1㎝)のX線透過撮影を行いました。本像については6月の活動報告で述べたように作風から8世紀の最末もしくは9世紀に入っての造像が考えられるものです。6月に行った調査は目視による表面観察にとどまったため、構造・技法を明確にすることはできませんでした。そこで今回のX線透過撮影では、像内に像を支える構造材が存在するのか、用いられた麻布貼りは何層にわたっているのか、どの程度、補修・後補部が像に及んでいるのかなどを解明するために実施したものです。結果、像内には像を支える構造材が存在しないことや、補修は表面にとどまり像内に及ぶような損傷は少ないことが確認できました。また、一般に脱活乾漆造の場合、粘土でつくった原型に麻布を数層にわたって貼り重ねたのち、後頭部と体部背面に長方形の窓を開けて、そこから原型の粘土を除去して像内を中空としますが、本像では両耳を通る線で像を前後に切断して粘土の除去を行っていたことがX線透過撮影による画像から窺え、頭体部を前後に切断しやすくするために両腕を別に作って肩部で接合していたことも判明しました。このことは脱活乾漆造の終末期において構造・技法面に新たな展開があったことを示唆するようでもあります。今後、その方面でのさらなる技法解明が課題となったよう考えます。

“オリジナル”研究通信(3) ―文化財修理の基本理念

 企画情報部では、来年度に行われる「文化財の保存に関する国際研究集会」の準備のため、“オリジナル”をテーマに部内研究会を開いています。12月は、長年にわたって文化財修理の第一線に臨まれてきた、所長・鈴木規夫と議論を交わしました。
 現在、「現状維持を原則とし、学術的・資料的・美的価値を損なわないように、必要最低限の処置をほどこす」ことが、日本の文化財修理の基本理念となっています。ただ、文化財の素材(材料)あるいは形態などどの部分に力点を置くのか、あるいはどの時点の姿を残すのかという問題は、文化財の本質的な価値がどこにあるのかという根本的な問題と密接に関わるもので、決して一律に判断を下せることではなく、現場においてさまざまにむずかしい判断が要求されるようです。
 特に興味深く感じたのは、日本には文化財が長年の時を経て身にまとう経年変化―よく古色・古びという言葉で言い表したりしますが―に美を見出し、それをうまく残しつつ伝えるという、日本独自の感性・価値観があるということでした。文化財が造られた当初の姿だけではなく、それが伝来してきた歴史の重みをも重視するこの考え方は、我々が新しく提示しようとしている“オリジナル”の考え方とも通じており、議論が活発に行われました。

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『昭和期美術展覧会の研究〔戦前篇〕』研究会の開催

プロレタリア美術研究所のポスター
 1930(昭和5)年頃

 企画情報部ではプロジェクト研究「近現代美術に関する総合的研究」の一環として、昭和戦前期の美術に関する論文集『昭和期美術展覧会の研究〔戦前篇〕』の2008年度刊行をめざしています。その刊行にむけての研究会を、12月27日に当部の研究会室で開きました。発表者とタイトルは次の通りです。
 ◆喜夛孝臣氏(早稲田大学會津八一記念博物館)「矢部友衛とプロレタリア美術運動―プロレタリア美術研究所を中心にして」
 ◆足立元氏(東京藝術大学大学院)「「悪女」と戦争―小野佐世男の漫画をめぐって」
 ◆敷田弘子氏(東京藝術大学大学美術館)「昭和前期の日本における最小限住宅とその室内設備についての一考察―型而工房とその関係者のデザイン活動から」
 若手研究者ということもあって、プロレタリア美術・漫画・デザインの未開拓分野に挑んだ発表内容は、いずれも真摯で刺激的なものでした。発表者・出席者ともに『昭和期美術展覧会の研究〔戦前篇〕』の執筆陣が中心の研究会でしたが、30名近くの研究者が参加し、発表を受けてホットな議論が交わされました。本研究会が、同論集刊行にむけてのよい弾みとなったことは間違いないでしょう。

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研究会の開催

 企画情報部では毎月、研究会を開催し、研究プロジェクトの進捗状況や成果の一端について研究発表を行っています。12月は26日(水曜日)3時から企画情報部研究会室において津田徹英が研究プロジェクト「美術の技法・材料に関する広領域的研究」の成果の一環として「平安末期の在地造像をめぐる小考」のタイトルで発表を行いました。これは、平安末期における「定朝様式」の地方受容に関して、その表現や技法に関して都鄙間で大差が認められないことの解釈をめぐって、これまで造像する側の仏師の技術論に収束しがちな問題を受容者サイドの問題として捉え直し、都鄙双方に活動基盤を持ち、双方を往還して活動を行った「地下官人」の存在に着目しつつ、かれらが在地造像の主体者となることで地方における文化レベルを引きあげ、中央作に準じた「みやび」な作風を示す在地造像がなし得たのではないかという仮説に基づき、その一端を造像当初の天蓋・光背・台座をよく残す滋賀県下の浄厳院阿弥陀如来像とその周辺作品に及びながら明らかにしようとした試論です。発表後、出席者から問題点の指摘など活発な意見交換がおこなわれました。

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