研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『東文研ニュース』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


『美術画報』所載図版データベースの公開

『美術画報』所載図版データベース、運慶作毘羯羅大将像の検索結果

 『美術画報』は、明治27(1894)年6月に、『日本美術画報』として画報社より創刊された美術雑誌です。当時の作家による“新製品”に加え、江戸時代以前の美術工芸品も“参考品”として掲載され、明治期にどのような作品が古典として認められていたかをうかがうことができます。同誌は明治32年に『美術画報』と誌名を変えながら、大正末年まで継続して刊行されました。
 このたび当研究所のホームページでは、『日本美術画報』『美術画報』に掲載された図版を作者名・作品名などで検索できるよう、データベース上での公開を始めました。
 http://www.tobunken.go.jp/materials/gahou
 現在は『日本美術画報』初篇巻一(1894年6月)から五篇巻十二(1899年5月)までの図版を掲載しておりますが、これ以降の巻についても順次公開する予定です。また三篇巻十二(1897年6月)まで、冊子を繰るようにご覧いただけるブックビューワーでの公開を行なっておりますので、あわせてご利用ください。

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企画情報部研究会の開催―韓国の「東洋画」について

稲葉真以氏の発表による研究会

 企画情報部の近・現代視覚芸術研究室では、日本を含む東アジア諸地域の近現代美術を対象にプロジェクト研究「近現代美術に関する交流史的研究」を進めています。その一環として2月17日の企画情報部研究会では、韓国・光云大学校助教授の稲葉真以氏に「韓国の「東洋画」について」の題でご発表いただきました。
 今日、韓国で「東洋画」と呼ばれているジャンルは、もともと日本の植民地時代に「日本画」が移植される過程で形成されたものです。その一方で、解放後の「東洋画」批判を経て、同じジャンルを指しながらも民族アイデンティティ確立の意味合いを籠めた「韓国画」の語も、1980年代から広く用いられるようになりました。稲葉氏の発表では、そのような政治的背景をもつ「東洋画」および「韓国画」の現在まで至る経緯と課題について、作例の紹介も交えながらお話しいただきました。
 日本でも1990年代から2000年代にかけて、近代以降に成立した「日本画」の概念をめぐる議論が評論家や美術史家、そして作家の間で盛んに行なわれました。さらに近年では、中国や台湾といった東アジアで展開する「岩彩画」「膠彩画」の動向を視野に入れた上での「日本画」系作家による再検討も進められています。今回の研究会でも、ルーツを共有しつつも国境を隔てて独自の展開をみせる韓国の「東洋画」の在り様に目を見張るとともに、ガラパゴス化した「日本画」を相対的にとらえ直す、よい機会となりました。歴史認識をめぐる日韓間の摩擦が取り沙汰される昨今ですが、研究会にご参加いただいた金貴粉氏(国立ハンセン病資料館学芸員)の「不幸な出会い方をした分、見ないようにするのではなく、改めてお互いを見ていく必要がそれぞれの研究を深化させる上であるのではないか」という感想を噛みしめつつ、今後の研究につなげていきたいと思います。

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黒田記念館のリニューアルオープン

黒田記念館の特別室。右より黒田清輝《読書》《舞妓》《智・感・情》。 新年、春、秋に各二週間公開します。

 上野公園の一角に建つ黒田記念館は、当研究所発祥の地です。“日本近代洋画の父”と仰がれた洋画家黒田清輝の遺産をもとに建てられたこの建物で、昭和5(1930)年、東京文化財研究所の前身である美術研究所がスタートしました。所内には黒田の画業を顕彰するために黒田記念室が収蔵庫兼展示室として設けられ、ご遺族他から寄贈された《湖畔》や《智・感・情》等をふくむ黒田清輝の作品を公開してきました。この展示施設としての役割は平成12(2000)年の研究所移転後も継続され、同19年の東京国立博物館移管、そしておよそ三年におよぶ耐震工事を経て、1月2日にリニューアルオープンのはこびとなりました。
 リニューアルにあたり、黒田の画業への理解をより深めていただくために、新たに「特別室」と称する展示室を設け、《湖畔》《智・感・情》の他、これまで東京国立博物館の本館で展示されていた《読書》と《舞妓》も一堂に集めて、黒田清輝の代表作を堪能できるスペースとしました(公開は新年、春、秋の各二週間)。また創立当初より黒田の作品を展示してきた黒田記念室は、東京国立博物館の開館日時にあわせた公開となり、これまで以上に鑑賞する機会を増やしています。同室の展示は、黒田の画業全体を概観できるよう構成しました。
 なお当研究所では黒田記念館の移管後も、その創設に大きく与った黒田清輝に関する研究を、引き続き重点的に行なっています。記念館2階の資料室では、これまで当研究所が刊行してきた黒田に関する研究書を閲覧することができます。また当研究所のホームページhttp://www.tobunken.go.jp/kuroda/index.htmlでは、作品の高精細画像や黒田が書いた日記のテキスト等、黒田研究のための基礎資料を公開しておりますので、どうぞご利用ください。

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新海竹太郎関係資料の受贈とガラス乾板のデータベース公開

新海竹太郎《鐘ノ音》(1924年作)制作のための写真
今回受贈した新海竹太郎関係資料より。竹太郎は《鐘ノ音》制作のために、自分の作品の鋳造をいつも頼んでいた阿部胤斎にモデルになってもらいました。その折に、さまざまな角度からモデルの姿を撮影した写真が残っています。
新海竹太郎関連ガラス乾板データベース、《鐘ノ音》の検索結果

 新海竹太郎(1868~1927年)はヨーロッパで彫刻を学び、《ゆあみ》(1907年作 重要文化財)をはじめとする作品を発表、日本彫刻の近代化に大きく貢献した彫刻家として知られています。昨年11月の活動報告でもお伝えしたように、竹太郎の孫にあたられる新海堯氏より、主にその作品を撮影したガラス乾板一式を当研究所へご寄贈いただいておりましたが、このたび新たに自筆ノートや制作に関する写真・書類等、竹太郎にまつわる資料一式をご寄贈いただくことになりました。同資料については、寄贈を仲介していただいた田中修二氏(大分大学教育福祉科学部准教授)の著書『彫刻家・新海竹太郎論』(東北出版企画、2002年)の中でも言及され、竹太郎の制作活動を解明する上で重要な資料であることが知られています。今回の寄贈を機に、田中氏にはあらためて同資料について、当研究所の研究誌『美術研究』でご紹介いただく予定です。また同資料には竹太郎と親交のあった明治期の仏教美術研究者、平子鐸嶺(ひらこたくれい)(1877~1911年)のノートも含まれており、日本近代彫刻史のみならず仏教美術史の観点からも今後調査を進めていきたいと思います。
 なお昨年ご寄贈いただいたガラス乾板については画像をデジタル化し、当研究所のホームページ上にてデータベースとして公開を始めました。
 (http://www.tobunken.go.jp/materials/sinkai)本サイトは企画情報部研究補佐員の小山田智寛の作成によるもので、竹太郎の作品および竹太郎が郷里の山形で師事した細谷風翁(ほそやふうおう)・米山(べいざん)父子の南画を撮影したガラス乾板182枚のデジタル画像を公開、作品名等の文字検索も可能です。竹太郎の代表作はもちろん、今日では現存しない作品の画像も含まれておりますので、ぜひご活用ください。

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京都文化博物館での黒田清輝展開催

《智・感・情》の光学調査に基づく画像の展示と、植田彩芳子氏(京都文化博物館学芸員)によるギャラリートークの様子
《昔語り》の原寸大画像

 1930(昭和5)年、洋画家黒田清輝の遺産を基に発足した当研究所は、その功績を顕彰するため黒田記念室を設けて代表作《湖畔》や《智・感・情》をはじめとする作品を展示し、また昭和52年より毎年一回、国内各地の美術館で「近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展」を開催してきました。2007(平成19)年に作品が東京国立博物館へ移管となった後も同館との共催で各地での巡回展を続けてきましたが、黒田の没後90年となる今年は、《舞妓》や《昔語り》等、たびたび黒田作品の舞台となった京都での開催となり、京都文化博物館を会場に6月7日から7月21日まで行ないました。
 今回の展観では《湖畔》や《智・感・情》といった黒田の作品に加え、当研究所での光学調査による画像もインスタレーション風に展示されました。また当研究所に残っていたガラス乾板をもとに、戦災で失われた大作《昔語り》の原寸大画像(189×307㎝)を展示、その大きさをあらためて実感する機会となりました。開催初日の6月7日には特別講演会「黒田清輝と日本の近代美術」で塩谷が講師をつとめ、6月21日には京都文化博物館学芸員の植田彩芳子氏が「黒田清輝は京都で何を見たか」と題して、最新の研究成果をふまえたレクチャーを行ないました。黒田の留学先にちなんで6月20日には京都市立芸術大学音楽学部生によるフランス音楽のコンサートも開かれるなど、より多くの方が楽しめるイベントもあり、展覧会は好評のうちに終了、例年の巡回展をはるかに上回る4万余の方々にご来場いただきました。
 なお、これらの黒田作品を常時公開する黒田記念館が平成27年1月2日からリニューアル・オープンするのに伴い、このたびの京都展をもって、毎年催してきた巡回展は終了となります。《湖畔》や《智・感・情》にくわえ、《読書》や《舞妓》といった黒田の代表作を一堂に展示し、また従来よりも開館日数を増やしますので、より多くの方々に上野でご鑑賞いただきますよう、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

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企画情報部研究会の開催―廉泉の大村西崖宛書簡について

廉泉のポートレート(東京芸術大学美術学部教育資料編纂室蔵)

 企画情報部の近・現代視覚芸術研究室では、日本を含む東アジア諸地域の近現代美術を対象にプロジェクト研究「近現代美術に関する交流史的研究」を進めています。その一環として4月25日の企画情報部研究会では、東京工業大学准教授の戦暁梅(せんぎょうばい)氏に「廉泉(れんせん)の大村西崖(おおむらせいがい)宛書簡について」の題でご発表いただきました。廉泉(1863‐1932)は書画蒐集家、詩人として活躍した近代中国の文人で、数回にわたり来日し、コレクションの展覧や図録の出版を行っています。東洋美術史の泰斗として知られる大村西崖(1868‐1927)に廉泉が宛てた書簡34通が、東京芸術大学美術学部教育資料編纂室に近年寄贈された西崖関連資料の中に含まれており、今回の発表はその調査研究に基づいたものです。廉泉は唐寅(とういん)、文徴明(ぶんちょうめい)、王建章(おうけんしょう)といった明清書画家の扇面1000点余を所持していましたが、書簡にはとくにその扇面コレクションの売却をめぐる内容が多くみられ、文面からは西崖への信頼関係の深さがうかがえます。西崖も大正10(1921)年から翌年にかけての中国旅行の折に、呉昌碩(ごしょうせき)や王一亭(おういってい)といった書画界の著名人への紹介等、廉泉の世話になったことが書簡からわかり、当時の日中文化人の交流をヴィヴィッドに伝える貴重な資料といえるでしょう。研究会には著述家・中国版画研究家の瀧本弘之氏や東京芸術大学美術学部教育資料編纂室の吉田千鶴子氏も参加され、議論を深めていただきました。この廉泉の書簡については、当部編集の研究誌『美術研究』で戦暁梅氏によりあらためて翻刻・紹介する予定です。

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新海竹太郎関連ガラス乾板の受贈

新海竹太郎《決心》(1907年作、現存せず)のガラス乾板画像

 新海竹太郎(1868~1927年)はヨーロッパで彫刻を学び、《ゆあみ》(1907年作 重要文化財)をはじめとする作品を発表、日本彫刻の近代化に大きく貢献した彫刻家として知られています。このたび竹太郎の孫にあたられる新海堯氏より、田中修二氏(大分大学教育福祉科学部准教授)を介して、竹太郎の作品および竹太郎が郷里の山形で師事した細谷風翁・米山父子の南画を撮影したガラス乾板一式をご寄贈いただくことになりました。それらの写真は竹太郎本人がカメラマンに依頼して撮影させたもので、明治40(1907)年開催の東京勧業博覧会で一等賞を受賞した《決心》等、現存しない作品の画像も含まれ、竹太郎の制作活動は勿論、日本近代彫刻史を語る上でも貴重な資料といえます。当研究所は、戦前に竹太郎の甥の新海竹蔵氏が作製した遺作写真集を所蔵していますが(資料閲覧室で閲覧可能)、その作製の折にも今回ご寄贈いただいた乾板が用いられたものと思われます。このたびの受贈を機に乾板の全画像をデジタル化し、当研究所ホームページのデジタルアーカイブで公開する予定です。

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結城素明の草稿「芸文家墓所誌稿本」の受贈

結城素明「芸文家墓所誌稿本」

 日本画家の結城素明(1875~1957年)は、明治中期に自然主義に基づく作風を展開、大正期には平福百穂や鏑木清方らと金鈴社を結成して活躍するなど、近代日本画の革新に貢献した人物として知られています。そのいっぽうで素明は美術に関する著作の数々を残し、資料調査に基づいた実証的な内容は、今日でも価値のあるものとなっています。なかでも『東京美術家墓所考』(1931年)、『東京美術家墓所誌』(1936年)および『芸文家墓所誌』(1953年)は、美術家を主とする文芸家の墓所に関する情報を集成し、その来歴を知る手がかりとなる貴重な文献といえます。
 このたび明治美術学会会長で当研究所の客員研究員も務められた青木茂氏より、素明が著した一連の墓所誌の草稿を当研究所へご寄贈いただきました。草稿は刊本と同様、各作家ごとに歿した年月日や享年、経歴が記されていますが、刊行後も加筆を続け、情報を継ぎ足していったあとがうかがえます。集積された草稿の束は厚さ10センチをこえ、素明の墓所誌編纂に対する傾注ぶりがしのばれる資料といえるでしょう。本資料は、当研究所の資料閲覧室にて閲覧することが可能です。

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『横山大観《山路》』の刊行とエントランスロビーでのパネル展示

『横山大観《山路》』表紙
「横山大観《山路》の調査研究」エントランスロビーでのパネル展示

 今春、企画情報部は平成14年より逐次刊行してまいりました『美術研究資料』の第6冊として、『横山大観《山路》』を上梓しました。本書は三年にわたり永青文庫との共同研究として続けてきた、横山大観《山路》についての調査研究の成果をまとめたものです。これまでも調査のつど、本HPでその報告をしてまいりましたが、多くの方々のご協力を得て、このたびようやく研究の全貌を公にすることができました。
 本書は、永青文庫が所蔵する《山路》(明治44年作)およびそのヴァリエーションである京都国立近代美術館所蔵の《山路》(明治45年作)を対象として、修理や顔料分析により作品自体から得られた情報と、作品発表時の批評や所蔵の経歴など作品周辺の文字情報を集成したものです。修理や調査にたずさわった荒井経(東京藝術大学)・小川絢子(東京国立博物館)・佐藤志乃(横山大観記念館)・平諭一郎(東京藝術大学)・竹上幸宏(国宝修理装こう師連盟)・野地耕一郎(練馬区立美術館)・林田龍太(熊本県立美術館)・三宅秀和(永青文庫)の各氏および塩谷による執筆で、いずれも作品調査や資料に根ざした手堅いテキストとなりました。ひとつの作品をめぐる調査研究のケーススタディとして、これまでの『美術研究資料』と同様、今後の美術史研究の一助となれば幸いです。なお本書は中央公論美術出版より市販されています。詳細は下記ホームページをご覧下さい。
 http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=635
 また本書の刊行にあわせて、3月28日より当研究所1階のエントランスロビーで「横山大観《山路》の調査研究」のパネル展示を始めました。同書に掲載した永青文庫所蔵《山路》の調査画像を中心に、調査研究の概要をパネル展示でご紹介するものです。当研究所の城野誠治が撮影した高精細画像のパネルから、《山路》に使用された顔料のマティエールを実感していただきたく、ご来所の折はぜひご覧下さいますようお願いいたします。

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仙台、昭忠碑のブロンズ部移設作業

昭忠碑ブロンズ本体移設の様子(平成25年2月7日)

 仙台城(青葉城)本丸跡に建つ昭忠碑は、明治35年(1902)、仙台にある第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立されたモニュメントで、現在は宮城縣護國神社の管理となっています。これまでたびたび報告してまいりましたように(2012年1月、6月)、東日本大震災で塔上部に設置されたブロンズ製の鵄が落下し、当研究所に事務局を置く東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会では同碑に対し文化財レスキュー活動を行ってきました。塔周辺や塔上部に散乱したブロンズの破片についてはすでに回収を終えていましたが、長らく手つかずの状態であったブロンズ本体の移設作業をこの2月に実施することができました。
 作業は2月4日より開始、屋外彫刻の修復に実績のある㈲ブロンズスタジオと㈲石歩が工事を担当しました。昭忠碑東側正面前の地面に4.5×4mの鋼板床を設置し、2月7日には25t ラフタークレーンによりブロンズ本体を吊り上げて鋼板床上に移動、その後、プラスチック製波板で覆い掛けを作成して2月9日に全作業を終えました。期間中はたびたび雪に見舞われ、除雪をしながらの作業でしたが、幸い7日のブロンズ吊り上げの際は天候に恵まれて、関係者や地元の報道陣が見守る中での実施となりました。また移設により、破断した鵄の首の内部を観察できるようになり、頭部をほぞ構造で接合したことが判明、さらに「明治卅五年十月四日接続頭部/即東京美術学校/紀念日也」の銘文が確認されるなど、昭忠碑を研究する上で貴重な発見もありました。なお今回の作業も、これまでの昭忠碑レスキュー活動と同様、㈲カイカイキキ(代表取締役:村上隆氏)から文化財レスキュー事業に役立てるべく当研究所に贈られた寄付金により行われました。
 今回の移設作業でブロンズ部を覆い掛け内に収めたことにより、雨水による破断箇所からのダメージはひとまず防げるようになりました。しかしながら左翼部分の断裂をはじめ、落下により数多の破損をこうむったブロンズの鵄は被災前の雄々しい姿からはほど遠く、また塔上部に残るブロンズ装飾の落下や、雨水の塔内への侵入による塔全体の崩壊といった危険も未だ解決されていない状況にあります。明治期の稀少なモニュメントの保存修復に向けて、今後も引き続き対策を講じていくことが必要です。

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『美術研究作品資料 横山大観《山路》』刊行に向けての研究協議会開催

研究協議会の様子

 これまでたびたびお伝えしてきたように、当研究所では平成22年度より永青文庫との共同研究というかたちで、横山大観筆《山路》の調査研究を進めてきました。修理を機に行なった四度の作品調査を経て、いよいよその成果を一書にまとめるべく、調査研究に携わった方々を中心とする研究協議会を8月3日に当研究所で開きました。協議会では、塩谷も含め下記の方々(報告順、敬称略)が《山路》に関する各自の研究テーマについて報告を行い、企画情報部のスタッフも交えて互いに意見を交換しました。
竹上幸宏(国宝修理装こう師連盟)・荒井経(東京藝術大学)・平諭一郎(東京藝術大学)・小川絢子・三宅秀和(永青文庫)・林田龍太(熊本県立美術館)・佐藤志乃(横山大観記念館)・野地耕一郎(練馬区立美術館)
 報告の内容は修理報告や調査に基づく作品分析、発表時の批評の再検討など、多岐にわたるものでした。近代日本画の研究で、複数の研究者が一点の作品に絞って多角的に検証を行う試みは 先例がなく、画期的といえるでしょう。その成果は当研究所が逐次刊行してきた『美術研究作品資料』の第6冊としてまとめ、来春に刊行する予定です。

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仙台、昭忠碑の高所作業車による調査・作業

高所作業車による調査の様子。右下に落下したブロンズの鵄がみえます。
塔上、ブロンズ部の被災の様子。中央から右に突き出した植物装飾が、緩んだボルト一本でかろうじて留まっている状況です。

 仙台城(青葉城)本丸跡に建つ昭忠碑は、明治35年(1902)、仙台にある第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立されたモニュメントです。今年1月の活動報告でもお伝えしたように、同碑は昨年の東日本大震災で20m余りの塔上部に設置されたブロンズの鵄が落下・破損するという被害を受けました。そこで1月に行なった被害調査・破片回収に引き続き、6月26日には文化財レスキュー事業の一環として高所作業車を使用し塔上部・塔部の被害調査および破片回収等の作業を実施しました。
 今回の調査・作業には昭忠碑を所有する宮城縣護國神社の方々をはじめ、宮城県被災文化財等保全連絡会議から三上満良氏(宮城県美術館)、国内にある屋外彫刻の調査保存で実績のある屋外彫刻調査保存研究会の方々、地元建設会社の(株)橋本店の方々が参加し、また東京芸術大学美術学部工芸科の橋本明夫氏、同大学美術学部教育資料編纂室の吉田千鶴子氏も調査に加わりました。また今回の作業は、(有)カイカイキキから文化財レスキュー事業に役立てるべく東京文化財研究所にいただいた寄付金により行われました。
 今回の調査では塔上部にも多くのブロンズ破片が散乱していることがわかり、その回収を行いました。さらに残存するブロンズ部を調査したところ、植物装飾の一つが緩んだボルト一本でかろうじて留まっていること、ブロンズの鵄を支えていた柱礎のくびれ箇所に亀裂が廻っていること、塔上で水平に張り出したコーニスに落下したブロンズの一部が衝突して陥没した穴がみられること等が確認されました。今回は外れかかっている植物装飾をベルトで固定し、柱礎より上の部分をブルーシートで覆いましたが、これはあくまで応急処置であり、再び大地震が発生すれば塔下へ落下する危険性があります。さらにコーニスにあいた穴や破損した柱礎からの雨水の塔内へ侵入が塔全体の崩壊につながる恐れもあり、塔下に落下したまま放置されているブロンズの鵄の処置と併せ、引き続き対策を講じていくことが必要です。

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横山大観《山路》(永青文庫蔵)、修理後の調査撮影

横山大観《山路》(永青文庫蔵)、調査撮影の様子

 これまでの「活動報告」でもたびたびお知らせしたように、企画情報部では研究プロジェクト「文化財の資料学的研究」の一環として、横山大観《山路》の調査研究を永青文庫と共同で進めています。同文庫が所蔵する大観の《山路》は、明治44年の第5回文部省美術展覧会に出品され、大胆な筆致により日本画の新たな表現を切り拓いた重要な作品です。同作品が今春に修理を終えたのを機に、寄託先の熊本県立美術館で5月12日に城野誠治(東京文化財研究所)による高精細画像の撮影、および三宅秀和氏(永青文庫)、林田龍太氏(熊本県立美術館)、小川絢子氏、塩谷純(東京文化財研究所)による調査を行いました。
 《山路》ではザラザラとした岩絵具が多用されているのが特色ですが、従来の図版ではなかなかそこまで確認できるものはありませんでした。今回の撮影による画像は、そうした絵肌のニュアンスまでよく伝えており、くわえて部分の高精細画像は2010年秋に行った蛍光X線分析の成果とあわせ、使用された顔料についての検証に役立つものと期待されます。これらの研究成果は今年8月の研究協議会を経て、今年度中に一書にまとめてご報告する予定です。

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メラニー・トレーデ氏講演会の開催

ディスカッションの様子

 日本の美術品が欧米でも所蔵され、高い評価を得ていることはよく知られていますが、日本美術史の研究もまた海外の専門家によって活発に行われています。そうした研究拠点のひとつであるドイツ、ハイデルベルク大学教授のメラニー・トレーデ氏をお招きし、3月5日に当研究所セミナー室にて「『文化的記憶』としての八幡縁起の絵画化―その古為今用」と題して講演会を行いました。
 「文化的記憶」とは、ある作品から多くの人々が想起し、共有する政治的・社会的・宗教的な背景のことです。日本美術史をご専門とするトレーデ氏ですが、欧米における他分野の研究も広く援用しながら、中世の絵巻から近代の紙幣までも視野に入れて八幡縁起の政治性を検証する内容は大変刺激的なものでした。
 講演は高松麻里氏(明治大学非常勤講師)の逐次通訳で二時間余り行われ、引き続いて津田徹英(企画情報部)の司会で、土屋貴裕氏(東京国立博物館研究員)・塩谷純(企画情報部)をコメンテーターとしてディスカッションを行いました。会場からは歴史学や国文学の研究者からの積極的な発言もあり、八幡縁起をテーマに、時代や分野といった専門領域を越えて意見を交換する貴重な機会となりました。

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仙台、昭忠碑のレスキューに向けて

被災前の昭忠碑
被災後の昭忠碑。上部にあったブロンズの鵄が真っ逆様に落下しています。

 昨年の東日本大震災では、数多の文化財もまた甚大な被害を受けました。当研究所に事務局を置く東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会では、津波の被害にあった沿岸部をはじめとする地域の文化財の救出活動に当たってきましたが、この1月より仙台城(青葉城)本丸跡に建つ昭忠碑(宮城縣護國神社)のレスキューに着手しました。 明治35年(1902)、仙台にある第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立された昭忠碑は、20m余りの石塔の上に両翼をひろげたブロンズの鵄(とび)を設置したものですが、今回の地震で鵄の部分が石塔下に落下、左翼部が断裂するなど大きく破損し、無残な姿をさらしていました。1月22・23日に行ったレスキューでは、護國神社の方々とともに、人力で移動可能なブロンズの破片を回収し、あわせてブロンズ本体の移動等、今後の処置について話し合いました。
 この昭忠碑は東京美術学校(現在の東京藝術大学)が制作依嘱を受けたもので、図案を河辺正夫、ブロンズの原型製作を沼田一雅、鋳造を桜岡三四郎と津田信夫が担当したとされています。いわば当時の美術学校の粋を集めたモニュメントであり、小松宮彰仁親王の揮毫による「昭忠」の銘板を石塔中央に掲げた本碑は、戦時中の金属供出も免れてその雄々しい姿を伝えてきました。被災した本碑を今後どのように救出し、後世に伝えていくのか――資金の調達等、多くの困難が予想されますが、その文化財としての価値に思いを致すなら、本碑があらたに復興のシンボルとして蘇ることを切に願ってやみません。

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横山大観《山路》(永青文庫蔵)、本紙裏面からの調査

横山大観《山路》(永青文庫蔵)、本紙裏面の撮影の様子

 昨年10月の活動報告でもお伝えしたように、企画情報部では研究プロジェクト「文化財の資料学的研究」の一環として、横山大観《山路》の調査研究を永青文庫と共同で進めています。同文庫が所蔵する大観の《山路》は、明治44年の第5回文部省美術展覧会に出品され、大胆な筆致により日本画の新たな表現を切り拓いた重要な作品です。昨秋の調査の後、同作品は九州国立博物館の文化財保存修復施設で修理をすることになりました。表具を解体、裏打ち紙を除去して、絵具ののった絹地(本紙)の裏面があらわになったのを機に、同博物館および修理を担当する国宝修理装こう師連盟のご高配・ご協力を得て12月9日に再調査を行いました。裏面から薄い絹地を透かして画面を見ることで、表からではわからない制作過程がうかがえます。とくに本作品で特徴的な、紅葉をあらわす茶褐色の顔料は一見、後から点じられた筆致のように見えますが、裏面からの調査によって、本画制作のかなり早い段階で塗られていることがわかりました。
 今回の調査は永青文庫の三宅秀和氏、《山路》が寄託されている熊本県立美術館の林田龍太氏、これまでの調査に参加されてきた東京藝術大学の荒井経氏・平諭一郎氏、そして当研究所の城野誠治と塩谷で行いました。城野が本紙裏面の高精細による撮影を行いましたが、こうした修理途中の作品の調査撮影は稀であり、解体しなければ見ることのできない本紙裏面の画像はきわめて貴重な資料となるはずです。

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第45回オープンレクチャー「モノ/イメージとの対話」の開催

髙岸輝氏の発表風景(11月11日)
佐々木守俊氏の発表風景(11月12日)

 企画情報部では、日々の研究の成果をより広く知っていただくために、所外の方々に向けたオープンレクチャー(公開学術講座)を毎年秋に開催しています。45回を数える今回は、新たに「モノ/イメージとの対話」と銘打ち、動かぬモノでありながら人々の心の中に豊かなイメージを育む文化財の諸相をめぐって、所内外の美術史研究者4名が11月11・12日の両日にわたり当研究所のセミナー室で発表を行いました。
 11月11日は「日本美術史における様式の複線性―様式の選択と編集」というテーマのもと、当部研究員の皿井舞が「平安時代前期から後期へ―六波羅密寺十一面観音像の造像」、東京工業大学大学院准教授の髙岸輝氏が「鎌倉時代から室町時代へ―中世やまと絵様式の源流と再生」の題で発表しました。“様式”という美術史ならではの概念をキーワードとしながら、皿井はとくに制作背景との関わりから10世紀半ばという様式過渡期の造像について考察し、また髙岸氏は平安末期~室町期の絵巻を通して、やまと絵様式の流れを重層的にとらえる自論を展開されました。
 12日は「古美術のコンセプト」というテーマで、当部広領域研究室長の綿田稔が「室町漢画の基盤―周文と雪舟の場合」、町田市立国際版画美術館の佐々木守俊氏が「平安~鎌倉時代の印仏―スタンプのほとけ」と題して発表を行いました。造形的な面ばかりが語られがちな古美術ですが、綿田は雪舟筆「秋冬山水図」(東京国立博物館蔵)やその師である周文の作品を、佐々木氏は仏像の内部に納入された印仏を対象に、それぞれ当時の制作状況や機能に照らしながら、今日ではすっかり忘れられてしまったそれらの“コンセプト”をあぶり出しました。
 今回は各日128名、108名と例年にも増して多くの方々が受講され、会場は満席状態でした。いずれの発表も各研究者の最新の研究成果を報告したものでしたが、学会レベルの内容にもかかわらず、受講者の方々の関心も高く、最先端の話題にご満足いただけたようです。

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企画情報部研究会の開催―大村西崖の研究

大正10(1921)年、美術史研究のため中国へ渡った折の大村西崖

 大村西崖(1868~1927年)は明治中期に美術批評家として活躍し、その後半生には東京美術学校教授として東洋美術史学の発展に大きく貢献した人物です。2008年に西崖のご遺族より東京芸術大学へ日記・書簡等の資料をご寄贈いただいたのを機に、翌2009年より科学研究費による「大村西崖の研究」を、塩谷純(東京文化財研究所)を研究代表者として進めています。10月18日には今年度の第7回企画情報部研究会として、その研究成果の発表を行いました。
 塩谷は「大村西崖と朦朧体」と題して、西崖の美術批評と明治中期の日本画との関連を探りました。西崖は横山大観や菱田春草らの革新的な日本画を“朦朧体”として批判した人物として知られていますが、あらためてその批評を読むと、日本画の線や筆法への忌避感を露わにし、あたかも朦朧体に連なるかのような論調であることは注目されます。発表は、そうした西崖の批評の再検証を通して、“描く”絵画から“塗る”絵画へと変貌する近代日本画の流れを展望しようというものでした。
 続いて大西純子氏(東京芸術大学)が「大村西崖撰『支那美術史雕塑篇』について(資料紹介)」と題して発表を行いました。大正4(1915)年に刊行された大村西崖撰『支那美術史雕塑篇』は、中国の彫塑全体を網羅した最初の資料集で、今日も多くの中国彫塑史研究者が便とし、研究書としての価値は失われていません。大西氏は、東京芸大に寄贈された資料の中から西崖自身による校訂本や手記等を紹介、西崖が行った調査や参考にした文献を明らかにしながら同書編纂の経過をたどりました。
 発表後のディスカッションでは、西崖研究の第一人者である吉田千鶴子氏(東京芸術大学)をはじめ所内外の研究者が参加し、活発に意見を交わしました。とくに大西氏の発表からうかがえた西崖の実証的な姿勢に、同じ研究者として共感を寄せた方も少なからずいたようです。

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来訪研究員の留啓群氏と企画情報部研究会の開催

企画情報部研究会で発表する留啓群氏(左)

 国立台湾師範大学美術研究所の留啓群氏が、今年の2月から6月までの5か月間、企画情報部の来訪研究員として、当研究所を拠点に調査研究を行いました。留氏は日本統治時期の台湾美術を専攻しており、今回の調査研究はとくに日本近代における南画の動向を視野に入れるのがねらいでした。途中、東日本大震災で一時帰国も余儀なくしましたが、6月には一通りの資料収集を終え、6月29日の2011年度第3回企画情報部研究会で「日本統治時期における台湾伝統書画のアイデンティティーへの模索」と題して、調査研究の成果を発表しました。東アジアに通底する伝統的な“書画”、そして近代以降に西洋よりもたらされた“美術”という二つの枠組みのはざまで台湾や日本の思惑が交錯するさまを、当時の南画をめぐる言説を通してうかがう重厚な内容でした。
 同研究会では留氏の発表に引き続き、相模女子大学教授の南明日香氏にも「ジョルジュ・ド・トレッサン(1877-1914)の室町期絵画評価」と題してご発表いただきました。ジョルジュ・ド・トレッサンはフランス陸軍の軍人で、日本美術を愛好し多くの論考を残した人物です。南氏は忘れられていたトレッサンの業績の検証にここ数年努めており、今回の発表では彼の室町期絵画への評価に焦点を当て、その情報の源泉、論考の特色、同時代意義を考察しました。発表後のディスカッションでは、所内の日本美術研究者に所外のフランス美術の専門家もまじえ、20世紀初頭のヨーロッパにおける日本および東洋美術の評価をめぐって活発な意見が交わされました。

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横山大観《山路》、京都国立近代美術館での調査

横山大観《山路》(京都国立近代美術館蔵)、蛍光X線分析の様子 

 企画情報部では研究プロジェクト「文化財の資料学的研究」の一環として、横山大観《山路》の調査研究を永青文庫と共同で進めています。同文庫が所蔵する大観の《山路》は、明治44年の第5回文部省美術展覧会に出品され、大胆な筆致により日本画の新たな表現を切り拓いた重要な作品です。昨秋の同作品の調査に引き続いて、5月29日に京都国立近代美術館が所蔵する別本の《山路》を調査しました。同作品は文展出品作をふまえ、横浜の実業家で美術品の大コレクターとして知られる原三溪が大観に描かせたもので、明治45年2月6日付の三溪宛、画料受け取りの礼状も残されています。今回の調査では、京都国立近代美術館の小倉実子氏のご協力を得て、永青文庫の三宅秀和氏と塩谷、そして荒井経氏・平諭一郎氏・小川絢子氏(東京藝術大学)により近赤外線反射撮影、および蛍光X線分析による彩色材料調査を行いました。昨秋に行った文展出品作の調査では、大観が近代的な顔料を積極的に使用したことがわかりました。原三溪旧蔵作品でも、同様に近代的な顔料の使用が認められましたが、文展出品作と同じモチーフでありながら異なった顔料で彩色された部分もありました。なお文展出品作についてはもっか修理中で、裏打ち紙を外した段階で再調査をする予定です。

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