サハリンと千島列島の美術――文化財情報資料部研究会の開催

オレグ・ロシャコフ(1936-)《シコタン、マロクリリスク湾》(1989-95年作)。右遠景には白い雪をいただく国後島の爺爺岳が描かれています。

 近年、中国や韓国、台湾といった近隣諸国の近現代美術についての研究が進み、展覧会などを通して、日本でもその様子をうかがう機会が増えてきました。しかしながら日本の北方、現在はロシア領であるサハリンを中心とする地域でも、活発な美術活動がみられることはほとんど知られていません。平成31(2019)年3月26日に開催された文化財情報資料部研究会での、谷古宇尚氏(北海道大学文学研究科)による発表「サハリンと千島列島の美術」は、第二次大戦後の同地域における美術の動向を現地調査に基づき紹介した、大変興味深いものでした。
 第二次大戦以前の樺太(サハリン)は、日本領だったこともあり、その風土を描いたのは木村捷司(1905-91)や船崎光治郎(1900-87)といった日本人の画家でした。しかし大戦後はソビエト連邦領となり、ロシアの画家が同地に根ざしたモティーフを手がけるようになります。ジョージアから移住した画家ギヴィ・マントカヴァ(1930-2003)はモダニズム的手法を活かしながら極東の風土を描き、サハリン美術の礎を築きます。またモスクワやウラジオストクから多くの画家が国後島や色丹島にまで足を伸ばし、なかでも昭和41(1966)年から平成3(1991)年までほぼ毎年、夏の数ヶ月間を色丹で過ごした「シコタン・グループ」の活動は注目されます。とりわけ彼らの作品のなかでも、国後島の爺爺岳と海湾を描いた風景画は、たとえばナポリの眺めを題材とした伝統的な西洋絵画を彷彿とさせ、国境地帯のヨーロッパ化という点で、そこに政治的意図も見え隠れするのではないかという谷古宇氏の指摘は刺激的でした。

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