企画情報部研究会の開催―伝祇園南海筆「山水図巻」とメトロポリタン美術館所蔵の画帖について

メトロポリタン美術館所蔵「近代日本画帖」のうち河鍋暁斎「うずくまる猿図」
©The Metropolitan Museum of Art Charles Stewart Smith Collection, Gift of Mrs. Charles Stewart Smith, Charles Stewart Smith Jr., and Howard Caswell Smith, in memory of Charles Stewart Smith, 1914

 6月4日に企画情報部月例の研究会が、下記の発表者とタイトルにより開催されました。

  • 安永拓世(当部研究員)「伝祇園南海筆「山水図巻」(東京国立博物館蔵)について」
  • 富澤ケイ愛理子氏(セインズベリー日本藝術研究所)「在外コレクションにみる近代日本画家とその作画活動―メトロポリタン美術館所蔵「近代日本画帖」(通称「ブリンクリー・アルバム」)の成立と受容を中心に」

安永は、和歌山から中辺路・本宮・新宮を経て那智滝へと至る、熊野の参詣道を描いた江戸時代の画巻である伝祇園南海筆「山水図巻」を題材に、地理的にかなり正確な熊野の描写と、表現上の特徴から、絵の筆者と伝承される祇園南海(1676~1751)筆の可能性について、南海の新出作品との比較などから考察しました。また、日本の初期文人画における中国絵画学習や、新たな実景表現との関連性についても指摘しましたが、この図巻が下絵なのかといった問題や、同時代絵画との関わりについても、出席者から様々な意見が寄せられました。
 富澤氏の発表は、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する「近代日本画帖」の調査に基づくものでした。この画帖は現在一枚ずつに切り離されていますが、全部で95面からなり、河鍋暁斎や橋本雅邦、川端玉章といった明治時代に活躍した7名の日本画家が手がけています。富澤氏の研究により、ディーラーのフランシス・ブリンクリー(1841~1912)が当初、河鍋暁斎に100枚の画帖制作を依頼したものの、明治22(1889)年に暁斎が没したことにより、他の6名の画家が制作を分担した経緯が明らかにされました。明治25~26年に来日したアメリカ人実業家チャールズ・スチュワート・スミスがブリンクリーよりこの画帖を購入し、その後スミスの遺族がメトロポリタン美術館に寄贈、今日に至っています。
 なおこの画帖のうち、河鍋暁斎が描いた12面が東京丸の内の三菱一号館美術館で開催されている「画鬼・暁斎」展(2015年6月27日~9月6日)で里帰りし、その下絵(河鍋暁斎記念美術館蔵)とあわせて展示されています。精緻な筆づかいは画帖の中でも傑出して見応えのあるものですので、この機会にぜひご覧ください。

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