大韓民国国立無形遺産院との研究交流

復元された済州島の碾磨と碾磨小屋
国立無形遺産院での研究発表会の様子

 東京文化財研究所無形文化遺産部は平成20(2008)年より大韓民国の国立無形遺産院と研究交流をおこなっています。本研究交流では、それぞれの機関のスタッフが一定期間、相手の機関に滞在し研究をおこなうという在外研究や、共同シンポジウムの開催などをおこなっています。本研究交流の一環として、平成30年(2018)年4月23日から5月7日までの半月間、無形文化遺産部音声映像記録研究室長の石村智が大韓民国に滞在し、在外研究をおこないました。
 今回の在外研究の目的は、植民地時代の朝鮮半島において日本人研究者がおこなった人類学・民俗学的研究の動向を調査し、その今日的意味を批判的に問い直すというものです。今回の研究では特に、京城帝国大学助教授として終戦まで朝鮮半島で活動し、帰国後に東京大学で日本初となる文化人類学研究室の設立に携わった、泉靖一教授(1915-1970)の足跡をたどる調査をおこないました。
 在外研究の期間の前半は、泉が1930年代と60年代に調査をおこなった済州島を訪れ、泉が実際に調査に入った村落を訪れて聞き取り調査をおこなうなどの調査をおこないました。その結果、済州島の社会は昭和23(1948)年から昭和29(1954)年まで続いた四・三事件の影響で大きく変容し、村落の住民もほとんどが入れ替わってしまうほどであったことがわかりました。しかし幸いにも今回、泉が最初に調査をした30年代からずっと同じ村落に住み続けている老人に会うことができ、村落の変容の具体的な様相を明らかにすることができました。また泉は自身の調査を通じて、製粉のための碾磨(ひき臼)を共同所有する複数の家族が済州島の社会集団を構成する一単位であるとみなし、それを「碾磨集団」と定義しました。しかし今回の調査を通じて、碾磨の使用は50年代から60年代にかけてほぼ消滅し、その背景には社会変化だけでなく製粉作業の機械化の影響があることも分かりました。
 在外研究の後半では、国立無形遺産院がある全州に滞在し、国立無形遺産院のスタッフたちと交流を深めつつ済州島の調査内容を整理し、その成果を研究発表会で報告しました。
 今回の在外研究を通じて、戦前・戦後の時期を通じて済州島をはじめとする大韓民国の社会が大きく変容したこと、そして過去の人類学・民俗学的調査の資料は、そうした変容過程を理解する上でも、今日的な意義を持っていることを確認することができました。
最後に、今回の研究交流において、調査のサポートをしてくださった李明珍さん(国立無形遺産院)と李德雨さん(神奈川大学)に感謝いたします。

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