黒田清輝を支えた人々、岸田劉生を育んだ名画――文化財情報資料部研究会の開催

黒田清輝(後列右端)とその親族。前列左が実父清兼、右が養父清綱。
明治37(1904)年、平河町の黒田自邸にて撮影。

 12月26日に文化財情報資料部月例の研究会が、下記の発表者とタイトルにより開催されました。
・近松鴻二氏(当部客員研究員)「黒田清輝関係文書書翰類の解読」
・田中淳氏(当部客員研究員)「岸田劉生における1913年から16年の「クラシツク」受容について」
 近松氏の発表は、当研究所が所蔵する洋画家黒田清輝(1866~1924年)宛の書簡類に関する調査報告です。研究会では、これまでも度々黒田宛書簡の調査報告を行なってきましたが、今回近松氏が対象としたのは清輝の実父清兼(1837~1914年)、養父清綱(1830~1917年)をはじめ、養姉の嫁ぎ先である橋口家や同家から養子をとった樺山家など、主に親族縁戚から寄せられた書簡類です。2016年8月の田中潤氏による研究会で報告された養母貞子からの書簡もそうでしたが、とくに清輝がフランス留学中に法律家から画家へ転進したことをめぐっては、親族のあいだで議論があった様子が今回報告された書簡からもうかがえました。
 田中氏は洋画家岸田劉生(1891~1916年)の東京、代々木在住期(1913~16年)の画業に焦点をあてた発表を行ないました。劉生は『劉生画集及芸術観』(1920年刊)のなかでデューラーやマンテーニャ、ファン・エイク等、西洋の巨匠の名を挙げ、「これ等のクラシツクの感化をうけた事は本当によき事であつたし、又至当な事である」と述べています。田中氏は、なかでもイタリアルネサンス期の画家アンドレア・マンテーニャに注目、劉生が眼にしたであろう洋書の画集をたよりにその受容のあとを辿りながら、代表作《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915年作)等をはじめとする写実表現の形成過程について考察を深めました。

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