現代美術幻灯板制作

1939年01月

国際文化振興会ではさきに古美術幻灯板を製作し、既に一万三千余枚を各国に配付して好評を得てゐるが、新にその姉妹篇として現代美術の幻灯板を製作することになつた。明治以降の絵画、彫刻、工芸、建築の四部門に亙り名作約二百点を選定し、現代美術を通じて日本文化史の経移を現さうとするものである。

大和賞制定

1939年01月

日伊両国間の文化的親善の為イタリア中亜極東協会が設定した「レオナルド・ダ・ヴィンチ賞」に対応し、日伊学会ではイタリア人の日本及び日本文化研究に対する表彰として大和賞(賞金一千円)を制定し、研究論文を募ることとなつた。

福田豊四郎、吉岡堅二帰京

1939年01月

陸軍に従軍して満州、北支、中支等を三ヶ月半に亙つて巡つた両画家は、一月十二日帰京した。

工芸指導所大阪出張員事務室

1939年01月

工芸指導所では、輸出工芸雑貨改善に関する調査研究並に関西支所設置準備事務取扱のため、大阪市西区江の子島大阪府工業奨励館内に大阪出張員事務室を設置し、一月十日より事務を開始した。

綵尚会結成

1939年01月

尚美堂関長次郎の主催により日本画家の新人を集めた清尚会は昨秋解消したが、更めて十二名の作家を以て同様な綵尚会が結成された。

昭和十三年中海軍従軍画家

1938年12月

本年度中に於て海軍省より嘱託派遣された画家及び海軍に従軍を許可された画家又は彫刻家は左の通りである。 嘱託画家 藤島武二(未行)、石井柏亭田辺至、石川虎治(以上中支)、中村研一(南支)、藤田嗣治(中支) 従軍画家 神津港人(北支)、吉田初三郎、吉田秀三郎、吉田朝太郎、田坂昇、麻生豊、佐々貴義雄、佐藤克三(以上中支)、水平譲(北支)、伊藤三寿(北、中支)、野上登(青島)、三国久、御厨純一(以上南、中支)、小早川篤四郎(南支)、小嶺伸(中支)、清水七太郎(中、北支)、古島松之肋(中支)、森脇忠(南支)、高橋亮(北支)、服部正一郎(中、北支)、草光信成、木下五郎(以上中支)、山崎省三(南支)、小林茂(北、中支)、輿七郎(南、中支)、吉田三郎、橋本徹太郎、小林喜代吉、斎藤八十八横江嘉純(以上中支)、奥瀬英三三上知治(以上中、北支)、代谷兵二(中支)、鶴田吾郎(北、中支)、光安浩行宮坂勝、田中稲三、金井達三、酒井精一、小泉素彦、一色五郎(以上中支) 

昭和十三年中陸軍嘱託画家

1938年12月

本年度中に於て陸軍省より嘱託派遣された従軍画家の氏名及び従軍方面は左の通りである。 高島祥光(北支)、五味清吉、三橋武顕(以上中支)、川島理一郎(北支)、高橋勝馬(北、中支)、藤島武二石井光楓(以上中支)、栗原信中沢弘光(以上北支)、川端竜子鶴田吾郎(以上北支、内蒙)、伊原宇三郎、榎信太郎、石井柏亭硲伊之助和田香苗永地秀太(以上北支)、吉田博、佐々貴義雄、大野隆徳瀬野覚蔵鳥海青児(以上中支)

郵便切手図案改正

1938年12月

逓信省では郵便切手の図案を全般的に改めることとなり昨年郵便切手図案審査委員会を設け、爾来改正図案の審議を重ねて来たが、この程切手十九種、葉書三種の図案を決定し委員会は廃止した。

有馬賞設定

1938年12月

有馬農林大臣は土の美術の奨励を志し、小城基を援助して満洲の移民村を主材とする大陸の風物を描かせ、同時に新自然派協会の同人等を動員して全国の農村に主題を求めて製作させ明年早々土の美術の展覧会を開催、優秀作品には有馬賞を出すこととなつた。

国際手工業博覧会出品受賞

1938年12月

五月ベルリンで開催された第一回国際手工業博覧会に我が国も参加出品したが、それ等の手工芸品及びその製作過程の映画を作製した国際文化振興会に対し、ドイツ政府及びローマ国際手工業中央会から賞牌と賞状を送つて来たので十二月二十二日国際文化振興会で授与式を挙行した。受賞者は左の通りである。 安藤重兵衛(七宝)、麻布重一(盆)、株式会社大丸(女衣服)、石津重貞(弓)、美濃刀匠擁護会(関兼秀一口)、宮内一(毛筆)、村田吉茂(木綿織物)、高見沢木版社(木版)、たくみ工芸店(茶の湯道具)、竜村平蔵(帯)、山田徳兵衛(人形)、山木茂助(傘)、横田峰斎(竹篭)、南部鉄瓶工業組合(鉄瓶)、舟木久右衛門(椀)、万珠堂(陶器)

太蒼会解散

1938年12月

阿以田治修外五名の洋画家を会員とする太蒼会は十二月解散した。

紐育桑港万国博覧会参加

1938年12月

明春開催されるニユーヨーク及びサンフランシスコのゴールデン・ゲート両万国博覧会に対する米国政府からの招請に応じ、我が政府では二百八十万円の予算を以て参同することとなり、商工省主管の下に、その参同事務は、日本商工会議所、国際文化振興会、日米協会日本万国博覧会協会の四団体によつて設立された紐育桑港万国博覧会協会が之に当り、本年二月より開始された。  ニユーヨーク万国博覧会はワシンントン大統領就任五十年記念として「明日の世界の建設」を主題とし四月三十日から十月三十日まで、サンフランシスコの金門万国博覧会は桑港湾の二大鉄橋完成記念として、「交通通信の近代的発達」を主題とし二月十八日から十二月二日迄開かれる予定で、我が国では両者に夫々日本特設館及び日本式庭園を建設し、出品は社会生活、観光、交通、工芸、美術及科学の六部に分けて、商工省が出品調査委員を設けて選定することとなつた。委員は工芸に関しては国井喜太郎、秋月透、和田三造水町和三郎及宮下孝雄、美術に関しては川合玉堂横山大観岡田三郎助津田信夫が委嘱された。  紐育博の日本特設館は内田祥三岸田日出刀大熊喜邦の共同設計になる神明造に範をとつたもので延面積約四五〇坪附属庭園は田村剛の設計で寝殿造りに於ける庭園様式をとつたもので面積約九五〇坪、金門博の日本特設館は設計者は同前で、我が国城廓建築を基調とし江戸時代武家邸宅及塗家造の様式を加味したもの、延面積約四一二坪、附属庭園は前者と同じく田村剛の設計で九六八坪。紐青の特設館は十月十八日定礎式挙行、桑港のものは十二月二十日上棟式を行つた。

民芸品をニユーヨークに送る

1938年12月

国際文化振興会ではニユーヨーク民芸館の希望に応じ、日本の代表的な民族工芸品を送ることとなり、その選定蒐集を柳宗悦に依頼した結果、約半歳に亙り全国各地から漆器、陶器、金工、木工、竹細工、染織、大津絵、絵馬、人形等約百点が集められたので、此等を取まとめ発送することになつた。

黒田子爵記念美術奨励資金買上

1938年12月

同資金委員会では本年度の買上として、文展出品中より安藤信哉作「画室にて」を選定買上げ、大礼記念京都美術館に寄贈した。

九室会結成

1938年12月

二科展に於て毎年第九室に陳列される前衛画家等三十六名によつて十二月三日九室会が結成された。藤田嗣治東郷青児を顧問に推し来春第一回展を開く予定で、「二科会に於ける最も新鮮な細胞組織として母体の隆盛に寄与」し「我が民族の優秀性を顕揚し衍いては新東洋文化建設の一助」たらしめんといふ。

朝鮮小学校用国史掛図

1938年12月

朝鮮総督府学務局では、小学児童の国体観念養成の為国史教育の充実を図つてゐるが、その為に同局編輯課では内地一流の画家に依頼して約百頁に亙る国史掛図を編纂し全鮮の小学校に使用させることになつた。その内の一図をなす「皇大神宮」は横山大観が揮毫し、十二月二日総督宛に届けられた。

東亜文化協議会

1938年12月

日支文化提携機関として今夏創立された東亜文化協議会の第二回評議員会は、会長湯爾和ほか二十一名の支那側評議員を迎へ、十二月一日から五日まで東京帝大安田講堂で開催、人文、自然科学の両部会に分れて夫々協議を重ねた。

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