「会津博士記念東洋美術陳列館」開館

1954年12月

早稲田大学では、同学名誉教授、文学博士会津八一の四千点に及ぶ東洋美術コレクションを学生会館横の新館に収め「会津博士記念東洋美術陳列館」として開館することになつた。  

金沢美術工芸短期大学

1954年12月

新制大学に昇格 文部省大学設置審議会は一一日の総会で、来年四月から開設を認める大学、学部について審査した結果、金沢美術工芸大学の新設を認め、現金沢美術工芸短期大学が昇格することとなつた。

フランス美術館(仮称)建設敷地決定

1954年12月

問題の旧松方コレクション受入のための、フランス美術館建設敷地は、二四日のフランス美術館設置準備協議会で、上野公園竹の台凌雲院跡に建設することに正式決定した。来年整地に着手、設計はコルビュジェに依頼することとなつた。

国宝重要文化財等新指定

1954年11月

文化財保護委員会では一九日、国宝第七次、四五件、重要文化財第六次、一三一件、史跡名勝天然記念物等二〇件の指定及び今回新に指定された重要民俗資料六件、記録作成を要する無形資料五件を発表した。尚東京国立博物館ではこの一部を一二月一五日から二五日まで特別陳列した。

芸術院新会員決定

1954年12月

日本芸術院では第一、第二、第三部の欠員補充を行うため、かねてから一一名の候補につき、書面投票を行つていたが、一七日開票の結果新会員五名を正式決定した。第一部(美術部門)では村野藤吾(建築)、吉田三郎(彫塑)の二名が選ばれた。

鳥毛立女図屏風羽毛調査

1954年11月

正倉院宝物調査の一環をなす動物類の材質調査が五日正倉院で行われたが、山階鳥類研究所長らにより鳥毛立女図屏風にはられた鳥毛はすべて日本雉、山鳥等の日本産の鳥であることが立証され、奈良文化の所産であることが明かとなつた。

文化功労年金受領者決定

1954年11月

昭和二九年度の文化功労年金受領者は、本年度文化勲章受領者(五名)の他に、五名が決定し、美術関係では平櫛田中が選に入つた。顕彰式並びに年金証書授与式は一八日文部省で行われた。

法隆寺金堂落慶式

1954年11月

二〇年の歳月と八億円の国費を費した法隆寺昭和大修理の完了を祝う金堂の落慶式が三日盛大に行われた。再建金堂の従前との相違点は、(一)裳階板ぶきの形式が横段ぶきとなる、(二)補強材をとり払われる、(三)軒を古い形式に復原、(四)高欄がつまり屋だるみが深くなる、(五)棟の瓦積が低くなり鬼瓦が小形となる、(六)妻飾が簡単となる等の諸点である。

文化財保護週間設定

1954年11月

今年は文化財保護法が制定されてから五年目に当るので、文化財保護委員会では一一月三日の文化の日と、法隆寺の落慶式を記念して、一一月一日から七日迄の一週間を「文化財保護週間」として全国的に行事が行われることになつた。なお「文化財保護週間」は、文化財保護思想の普及徹底を期して毎年実施することとなつた。

「フランス美術展」開催

1954年10月

東京国立博物館、朝日新聞社共催の「フランス美術展」は、ルーヴル博物館蔵品を中心に、フランス各地の美術館から集められた、中世から近代に至る油絵、素描、水彩、版画、彫刻、工芸品等、約三六〇余点を展示して行われた。東京に於ける会期は一〇月一五日から一一月二五日迄で、会場には国立博物館本館二階陳列室があてられた。会場設備、展示法は、すべてフランス側の意向によつた。従来の各陳列室の内部に、更に壁面をつくり、新な一室を構成、時代の雰囲気を出すことにつとめるなど、かつてない大規模な設備が行われた。フランス美術の古典が、これ程、纏つて紹介されたことも、今迄になく貴重な展覧会であつた。東京展に次で、福岡でも一二月一〇日から二九日迄開催され、いずれも非常な人気を呼び、正倉院展以来の入場者をみた。(尚、昭和三〇年一月には京都で開催、東京展以来の入場者総数は一四二万五〇〇名に及んだ。)

毎日出版文化賞決る

1954年11月

第八回を迎えた一九五四年度(昭和二九年度)毎日出版文化賞が一日発表された。美術書関係では西村貞著「民家の庭」(美術出版社)が選ばれた。授賞式は三日東京毎日新聞社で行われたが、西村貞には四日大阪本社で贈呈式を行つた(出版社に賞牌、著者に賞金五万円)。

法隆寺五重塔秘宝調査報告

1954年10月

二四年一〇月非公開で行われた法隆寺五重塔空洞下の秘宝舎利容器調査の結果が、金堂落慶式を前に二二日同寺本坊で佐伯管長立会のもとに発表された。この調査報告書は限定五〇〇部印刷され、また調査当時作られた秘宝のコピーも同時に初公開された。

文化勲章受領者決定

1954年10月

昭和二九年度、第一三回目の文化勲章受領者五名が決定し、二六日発表された。美術関係者では鏑木清方がこの栄誉をうけた。尚本年度から文化勲章受領者は文化功労年金(五〇万円)も授与されることになつた。授賞式は一一月三日文化の日に行われた。

石山寺鐘楼復元

1954年10月

大津市石山寺の重要文化財鐘楼の解体復元工事が昨春以来進められていたが漸く完成、落慶法要を行つた。

観自在王院跡発掘

1954年10月

藤原基衡夫人が建立したと伝えられる観自在王院は、奥州藤原氏の滅亡後び打捨てられていたがそれだけに藤原末期の様式をその侭遺していると考えられていた。この遺跡を東大藤島教授の手で発掘することとなり、一一日着手、舞鶴池跡を中心に約八〇〇〇坪の範囲を掘り、多くの成果をあげて三一日終了した。

中国明器泥像展

1954年10月

大阪市立美術館では一日から一一月一四日まで中国古代の美術と題して、中国明器泥像展を開催し、全国から二〇一点が出陳された。

鎌倉時代美術展

1954年10月

朝日新聞社の主催により一一日から二五日まで日本橋白木屋で開催。国宝、重要文化財を含む七〇余点の出品があつた。

第一回国際造型芸術家会議ヴェニスで開催

1954年09月

創立総会を兼ねた第一回国際造型芸術家会議が二八日から一週間ヴエニスで開かれた。我国からは日本美術家連盟が主体となつてこれに参加したが、費用の都合で、在パリの作家が出席した。代表団は、パリ滞在中の佐藤敬、関口俊吾、建畠覚造にオブザーバーとして柳原義達向井良吉、更に日本から直接会場に向った清水多嘉示の六名であった。議題は美術品の関税撤廃、著作権の擁護、その他数多く、清水多嘉示は副議長として活躍した。

二五菩薩群像彫刻発見

1954年09月

岩手県東磐井郡松川村の二五菩薩堂に、阿弥陀如来座像と歌舞奏楽する群像彫刻のあることが東北大学教授亀田孜により紹介された。相当破損がひどいが平安時代の阿弥陀二五菩薩来迎像と考えられ、一組の群像としては平泉文化圏初の発見である。

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