耕人社解散
1952年12月山元春挙門下の早苗会解散後、そのうちの有志によつて昭和一八年結成された耕人社は、理事長松本一洋の死去によつて一二月解散した。
山元春挙門下の早苗会解散後、そのうちの有志によつて昭和一八年結成された耕人社は、理事長松本一洋の死去によつて一二月解散した。
昭和二四年四月解体工事に着手した法隆寺金堂の立柱式が一二日行われた。工事に着手してから三年六ケ月目で、昭和二九年四月に完成の予定である。
一一月一二日から一二月一一日までパリで第七回ユネスコ総会が開かれたが、この会合で、今春日本へ依頼のあつた浮世絵複製を買上げ、世界各国においてユネスコ主催の展覧会を開催することが正式に決定された。この複製は文化財保護委員会の斡旋により製作中である。
財団法人教育美術振興会と桜商会は本年度から桜新人賞を設定した。光風会、春陽会、国画会、二科会、行動美術協会、一水会、新制作協会、第二紀会、独立美術協会、自由美術家協会、東光会の一一団体のその年の展覧会、洋画作品中から各一名を選び、賞金五万円を贈るもので、受賞者の年齢を満三五歳以下に限つている。第一回、二七年度は、西尾毅、市川晃、積田鰹士、佐藤睦郎、江見絹子、広瀬功、玉置正敏、中西勝、坂上栄治、野見山暁治、松永和夫に決定した。二七日から三一日まで日本橋三越においてこれら受賞者の作品展を催した。
来年アメリカの各地で開かれる日本古美術展出品の美術品九一点は東京国立博物館に集められ荷造りの上、二七日横浜に送られた。アメリカ陸軍用船ゼネラル・M・M・パトリック号に積込み、二九日横浜を出港する。
東京都中央区京橋三ノ一一の旧日活本社を買上げ、建築家前川国男に設計を依嘱して改装した国立近代美術館は、準備を完了し、一日開館した。開館第一回展として「日本近代美術展-日本近代絵画の回顧と展望」を開いた。館長岡部長景、次長今泉篤男である。
二〇日文化財保護委員会は第二次の無形文化財選定を発表した。京都の祇園祭や前大峰の沈金技術等五件である。
本年度の文化功労年金受領者は文部省文化功労者審査会で選考の上二一日閣議で正式決定し発表された。美術関係者では本年度文化勲章受賞者の梅原竜三郎、安井曽太郎と日本芸術院会員の山崎朝雲が選ばれた。
文化財保護委員会では二〇日第三次国宝新指定を発表した。雪舟筆破墨山水図、法隆寺蔵夢違観音など一三八件で、その一部は二五日から三〇日まで東京国立博物館において展観された。
第三次国宝指定と同時に重要文化財建造物一〇件の指定が発表された。秋田県神明社観音堂、山形県八幡神社鳥居などである。
一一月六日から三〇日まで日本橋三越において、毎日新聞社主催、東京国立博物館、文化財保護委員会の後援によつて開催された。
一四、一五日東京都美術館において、第一回全国美術館協議会が行われた。全国公私立美術館から約二〇名が出席し、全国美術館会議規約の作製や意見の交換を行つた。
東京駅前丸ビルの二階にイサム・ノグチの設計による中央公論社画廊が出来た。一七日第一回展が高村光太郎小品展を以て開いた。
古美術の蒐集によつて著名な大和文華館はまだ美術館の建物が完成しないため一般に公開されていないが、一一月三日から三〇日まで奈良国立博物館において第一回名宝展として収蔵品を公開した。
一一月三日文化の日に岡倉天心の肖像をかいた一〇円切手が発行された。青味がかつた灰色の地に横向きの肖像をかいたものである。
工業意匠の重要性が最近社会的にも認められてきた折からこのほど剣持勇、柳宗理、金子徳次郎等二五名のデザイナーによつて日本インダストリアル・デザイナー協会が結成された。
京都三条河原町朝日会館の外壁二〇〇坪の壁面に東郷青児に依嘱して壁画を製作中であつたが、完成した。「平和と団結」という主題のものである。
丸木位里、赤松俊子作の「原爆の図」が新星映画社、監督今井正で二巻の映画に作製された。幽霊、火、水、虹、少年少女の五部によつて出来ている。
岩手県西磐井郡平泉村の中尊寺金色堂にあつた同寺蔵重要文化財の華鬘四個と清衝観音菩薩の瓔珞、地蔵菩薩の宝玉等計九点が盗まれているのを二七日朝発見した。