芸術院会館の建設計画
1955年12月多年懸案の日本芸術院会館建設計画は、会員の間に積極的動きが起り、具体案もまとまつたので、高橋芸術院長らを中心に会館建設計画に着手した。なお総額四千万円で、国庫補助二千万円を予定し、残りを会員の年金天引、その他の方法によりきよ金する。
多年懸案の日本芸術院会館建設計画は、会員の間に積極的動きが起り、具体案もまとまつたので、高橋芸術院長らを中心に会館建設計画に着手した。なお総額四千万円で、国庫補助二千万円を予定し、残りを会員の年金天引、その他の方法によりきよ金する。
終戦後日米間の著作権関係を暫定的に決めていた協定が、明三一年四月二八日までで失効するので、久しく出版、音楽等の関係者間で懸案となつていた著作権問題も、アメリカの加盟している万国著作権を批准することが望ましい意見が強く、急速に実現することになつた。なお同条約により保護の対象となるのは、視覚に認めうるものに限られ、出版は第一発行の際(C)の記号を附するだけで自動的に著作権が保護される。
甲府市御岳の金桜神社は一八日未明出火全焼した。鎌倉末期に建立された中宮本殿と吉野時代の東宮本殿は共に重要文化財に指定されていた。
多年日仏文化交流に貢献したフランス国立博物館長ジョルジュ・サール・エーフェル氏ら四名に天皇陛下からそれぞれつぎの勲章が贈られる旨二一日発表した。 フランス国立博物館長ジョルジュ・サール・エーフェル―勲三等旭日章、フランス国立近代美術博物館々長ベルナール・ドリヴァル―勲四等瑞宝章、パリ市立チェルヌスキー博物館々長ヴァディム・エリセエフ―勲五等旭日章、同博物館次長マドレーヌ・ロザリー・ダヴイッド―勲五等瑞宝章
明治、大正、昭和三代に亙る我が洋画壇に貴重な足跡をのこした洋画家安井曽太郎は一四日逝去した。
奈良薬師寺金堂の薬師如来像が台座修理の為一六日仮台座へ移された。来春本格的な修理にかかり三二年春完成の予定で、その間種々の調査を行う。
観心寺では一〇日、秘仏如意輪観音の六臂のうち、右の数珠をもつた手首と左の蓮華をもつた手首及台座の蓮弁一枚が盗難にあい、捜査中であつたが、三〇日犯人の自供により焚火跡から黒こげとなつて発見された。
ユネスコ国際造型芸術連盟ではユネスコ本部、国連本部等、国際的公共建物の美術装飾を、世界各国の代表的芸術家の共同製作で行うことを計画、各国にそのリスト作成を要請していたが、同連盟国内委員会では、このほど日本画―横山大観、前田青邨他一三名、洋画―梅原竜三郎、安井曽太郎他一九名、彫刻―木内克、清水多嘉示他八名、版画―棟方志功、斎藤清他四名の四部門から合計四四名を決定した。
朝日新聞社の主催により、国宝重要文化財絵巻物名作展と銘うつて、一二日から二八日まで銀座松屋に開催、古今の代表的絵巻物四二点を陳列した。選択もよく、又長い場面を見うる様に構成した努力も窺えてよい展観であつた。
松方コレクション受入れについては、日本側として着々準備を進めているが、このほどフランス政府から返還品三七六点のリストが届いた。約四〇〇点前後といわれるコレクションの殆どが返還されることになる。
一〇月にその建設が決定したヴェニス日本館については、美術家連盟を中心に「ヴェニス日本館建設準備会」が発足し、資金の調達に奔走していたが、政府予算三〇〇万円の他、二〇〇〇万円の民間側負担に行き悩んでいたところ、一四日石橋正二郎ブリヂストン・タイヤ社長はその民間資金の全額負担を申出た。
毎日新聞社主催の第二三回商業デザイン作品公募に対し、応募作品を審査の結果、入選が左の通り決まつた。 △通産大臣賞 第一部(新聞広告)「マツダランプ」伏見文雄、第二部(出版物広告)「アドナ」亀倉英治、第三部(ポスター)「ビタ明治牛乳」藤平清次 △特別賞 アイディア賞「サントリーウイスキー」大阪康弘、技能賞「カルピス」芦立良輝、写真賞「第一生命」杵島隆、深野匡合作、サンデー毎日賞「ナシヨナルホームポンプ」藤原光生、毎日グラフ賞「ナショナルテレビ」安原茂男、津田勝三郎合作 他佳作賞、課題賞、日宣美奨励賞等
永遠の平和を祈念し戦犯で刑死した人々の霊をなぐさめようと、巣鴨遺書編さん会が東京駅中央口前広場に建立した「愛の像」の除幕式が一一日に行われた。巣鴨に拘置中の戦犯者たちの手になる「世紀の遺書」の印税により建てられたもので製作は横江嘉純があたつた。
日本の生活文化の実際を米国全土に知らせるため、ニューヨークのジャパン・ソサイエティーでは「日本生活文化紹介展覧会」を来年一月から二ケ年の予定で計画し、国際文化振興会にそのあつせんを依頼してきたが、話が決まり同展出品第一陣として日本の織物衣裳など約三〇点が五日アメリカにむけ送られた。
都の文化財指定は毎年「文化の日」に決められてきたが、保護費が少いため、逆に従来の指定を解除するため、再調査を始める実情で、新指定は来年まで見送りとなつた。
第九回毎日出版文化賞一〇書と特別賞二書の一二点の入賞が決まり、三日同社で贈呈式が行われた。美術関係図書では、美術出版社発行の土門拳撮影、北川桃雄解説による「室生寺」が入賞した。
財団法人根津美術館は戦災をうけ、倉庫を残して悉く焼失した。幸い美術品は罹災を免れたので戦後は仮建築により展観を開いてきたが、二八年に新しい陳列館を起工して此程完成、四日開館再発足した。新陳列館は鉄筋コンクリート造、特に採光に工夫のあとがみられる。
東京国立博物館では秋の特別展観として一日から三〇日まで日本金銅仏展を開催、飛鳥から室町に至る日本の金銅仏、御物四十八体仏をはじめとする一四一点に、中国朝鮮のもの二七点を併せ陳列した。
フランスから返還される旧松方コレクション受入れの「西洋美術館」設計のため、同国建築家ル・コルビュジェ氏が二日来日した。印度旅行の途次、現地視察や資料蒐集を行うため立ち寄つたもので、九日同地にむけ出発した。
日本の現代版画、故恩地孝四郎、品川工、浜田知明、斎藤清、北岡文雄(在仏)、吉田政次ら一〇名、四〇余点の作品が、フィラデルフイァ版画協会の招待によりアメリカに送られた。