和田三造
日本芸術院会員、日展顧問、財団法人色彩研究所長の洋画家和田三造は、8月22日午前零時10分、燕下性肺炎のため東京逓信病院で死去した。享年84才。和田三造は黒田清輝に師事し、東京美術学校西洋画科選科卒業後、第1回文展に、後に日本における外光主義の記念碑的作品を評価されるようになった「南風」を出品、二等賞をうけた。その後、海外留学、帰朝後は工芸美術の研究にもあたり、東京美術学校教授となって、図案科の指導を担当、また日本標準色協会を設立して色彩研究を開拓、晩年は日本画を製作。昭和33年、文化功労者の表彰をうけた。
略年譜
明治16年(1883)兵庫県に生れる。
明治30年 福岡市修猷館中学に入学。
明治33年 7月、同校を中途退学し、9月上京して白馬会洋画研究所に入所、黒田清輝に師事。
明治34年 東京美術学校西洋画科選科に入学。
明治37年 同校を卒業。
明治38年 白馬会第10回展に「牧場晩帰」を出品、白馬会賞を受ける。
明治40年 白馬会第11回展に「肖像」を出品、第1回文展に「南風」を出品、二等賞を受ける。
明治41年 第2回文展に「煒燻」を出品、二等賞を受け無鑑査となる。
明治42年 3月、文部省海外研究員としてヨーロッパに留学、フランスを中心とし各国を巡遊して、絵画、工芸図案を研究。
大正3年 5月、西欧留学よりの帰途、美術・工芸の研究日的で印度、ビルマ等に滞在。
大正4年 秋、帰国。
大正5年 印度に再遊し印度美術を研究。第10回文展審査委員を命じられる。
大正6年 第11回文展審査委員、「バーの午後」を出品。
大正7年 第12回文展審査委員。南蛮絵更紗「山の幸」「海の幸」を完成。
大正8年 第1回帝展に無鑑査となり、「老人」「檳榔子の細道」を出品。
大正12年 日本画を制作、第1回発表会準備中に東京日本橋高島屋において関東大震災にあい焼失。
大正13年 朝鮮総督府の大壁画を制作。東宮同妃両殿下の肖像を描き献上。第5回帝展委員となり、「夏の午後」を出品。首相官邸ロビーの壁面「城」を描く。
大正14年 第6回帝展委員、「読書」を出品。
大正15年 第7回帝展委員。「ダリヤ」「羽衣」(朝鮮総督府壁画画稿)を出品。
昭和2年 6月、帝国美術院会員を命じられ、同時に帝展委員を免ぜられる。この年、日本標準色協会を創立し、日本で初めての試みとして日本標準色カード500色を制定して公開
昭和4年 第10回帝展に「ポンペイを憶ふて」出品。
昭和5年 第11回帝展に「老婆の像」出品。
昭和6年 陸軍省より満州事変記録画を依嘱される。「色名総鑑」を発行。
昭和7年 海軍省より上海事変記録画を依嘱される。10月、東京美術学校教授を命ぜられ、図案科を担当する。
昭和8年 明治記念館の明治天皇一代記の壁画「大葬」を制作。3月、工芸審査委員会委員となり9月商工省よりベルリン、パリへ工芸品調査のため出張を命ぜられる。
昭和9年 商工省輸出工芸展審査員。
昭和10年 改組帝国美術院会員となる。第二部会展に「画室の内」を出品。
昭和11年 文展招待展に「按摩さん」を出品。
昭和12年 欧米各国に出張を命ぜられる。6月、帝国芸術院会員に任命される。
昭和13年 色彩研究協議会を設置。3月、商工省工業品規格統一調査会色規格委員に命ぜられる
昭和14年 4月、第1回貿易局輸出工芸図案展覧会審査員。
昭和16年 1月、陸軍省恤兵部より南支、仏印に出張を命ぜられる。「寺内司令官室」を制作。
昭和18年 満洲国宮内府嘱託となる。第6回文展に「ブキテマ高地を望む」を出品。商工省色規格委員会と協力して「無彩色標準色票」を完成し公にする。
昭和19年 6月、東京美術学校教授を退官。
昭和20年 日本標準色協会を財団法人日本色彩研究所に改組し理事長となる。
昭和21年 商工省色規格委員会と協力して「色相標準色票」を完成、公布する。
昭和25年 日本橋三越主催により横山大観、川合玉堂らと無名会をつくり作品を発表。
昭和26年 わが国最初の総合標準色票「色の標準」を完成。
昭和29年 第10回日展に「事務所の一隅」を出品。「色名大辞典」を発行。
昭和30年 大映映画「地獄門」制作にあたり色彩デザインを担当、アカデミー賞最優秀外国映画賞をうけ、あわせて衣装デザイン賞(色彩)をうけた。4月、新世紀美術協会の設立に名誉会員として参加、8月創立会員展を開催、「裸婦」を出品。
昭和31年 第1回新世紀展に「雪の旦」を出品。改良マンセル色票系完成。
昭和32年 第2回新世紀展に「共立講堂緞帳下図」を出品。高島屋ギャラリーにて日本画展を開く。
昭和33年 社団法人日展の発足にあたり顧問となる。文化功労者の表彰をうける。
昭和34年 第4回新世紀展に「若き日の大隈先生」「南風」「白馬」「磐梯山」「肖像」を特別陳列。
昭和36年 千疋屋ホールに瀬戸片モザイク壁画を制作。第4回日展に「鹿ケ谷法然院裏門竹林」を出品。
昭和38年 共立女子大学外部壁面に陶材による壁画を制作。日本橋三越に於て日本画個展を開く
昭和40年 下関市山口銀行ホールに壁画「竹林七賢」を制作。読売大ホールの緞帳制作。
昭和41年 第9回日展に「十二神将」を出品。
昭和42年 日本万国博協会色彩調査研究会委員となる8月22日死去。
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「和田三造」『日本美術年鑑』昭和43年版(148-149頁)
例)「和田三造 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9183.html(閲覧日 2024-12-13)
以下のデータベースにも「和田三造」が含まれます。
- ■美術界年史(彙報)
- 1936年04月 聖徳記念絵画館壁画完成式
- 1936年04月 帝院第二部七会員意見書提出
- 1936年06月 帝院第二部七会員意見書提出
- 1937年03月 日本万国博ポスター図案募集
- 1937年03月 郵便切手図案審査委員会設置
- 1951年11月 洋画三長老に喜の字の祝賀
- 1955年04月 新世紀美術協会結成
- 1938年04月 オリンピツクポスター図案
- 1938年05月 慰問えはがき作製
- 1938年12月 紐育桑港万国博覧会参加
- 1958年10月 文化勲章並びに文化功労年金受領者決定及び授賞、顕彰式
- 1972年09月 東京国立近代美術館開館20年記念展
- 1996年07月 旧朝鮮総督府の壁画撤去へ
- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1908(明治41) 日本書画名覧_807166
- 1911(明治44) 増補古今書画名家一覧_807111
- 1913(大正2) 大日本絵画著名大見立_807036
- 1923(大正12) 大正拾弐年度改正東西画家格付表_806936
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
- 1926(大正15) 増補古今書画名家一覧_807116
- 1927(昭和2) 増補古今書画名家一覧_807121
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016
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