光安浩行

没年月日:1970/01/19
分野:, (洋)

日展評議員、示現会常任委員、光安浩行(本名、弥市)は、1月19日胃ガンのため逝去した。享年79歳。明治24年1月福岡市に生れた。県立修猷館中学校卒業後太平洋画会研究所に入り、中村不折、岡精一の指導をうけ、大正時代は主に郷里福岡で画業につとめていた。大正13年結婚、翌年上京し、15年の第7回帝展に「静物」が初入選となった。その後は帝展、文展、また太平洋美術画会展に出品、戦後は日展と示現会に作品を発表して、昭和25年第6回日展で「明日」が特選となっている。なお、晩年近く、山林美術協会を結成して同展にも出品をつゞけていた。作風は写生をもととしながら単純化、装飾化に独自の特徴があり、明快でしかも重厚な色調の婦人像、風景を画いている。
明治45年 太平洋画会研究所に入る
大正9年 郷里福岡で画業に勤む
大正13年 結婚、翌年上京、上海旅行、個展開催。
大正15年 第7回帝展初入選「静物」(30号)
昭和3年 第24回太平洋画会展出品「静物」(50号)
昭和4年 太平洋美術学校教授を勤む
昭和16年 文展無鑑査待遇をうける
昭和20年 福岡市へ疎開
昭和22年 示現会を同志と創立
昭和25年 第6回日展「明日」(100号)特選
昭和27年 日展依嘱作家となる
昭和29年 5月、山林美術協会結成、翌年第1回展開く。
昭和42年 日展評議員となる。
昭和45年 1月19日没

出 典:『日本美術年鑑』昭和46年版(98頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「光安浩行」『日本美術年鑑』昭和46年版(98頁)
例)「光安浩行 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9454.html(閲覧日 2024-10-15)

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