法輪寺三重塔成る
1975年11月昭和19年落雷のため焼失した法輪寺三重塔が、30年ぶりに再建、4日落慶法要が営まれた。
昭和19年落雷のため焼失した法輪寺三重塔が、30年ぶりに再建、4日落慶法要が営まれた。
京都国立博物館秋季特別展として、10日から11月9日まで開催、1“武将の装い”、2“遊楽の意匠”、3“生活の華”、4“東西文明の交流”、5“わびの世界”、6“食生活の彩り”のほか、当代の生活を彩った絵画、書跡の類をあわせ展示した。
本年度の美術関係の文化勲章は洋画家の田崎広助、中川一政、小山敬三に決まり、21日の閣議で了承された。なお文化功労者には該当者がなかった。
25日、本年度の会員補充選挙の開票を行い、美術関係では、日本画の森田沙伊、洋画の野口弥太郎、工芸の蓮田脩吾郎、建築の中村順平の4名を新会員に内定した。
東京国立博物館で、7日より11月24日まで開催、115件が展示された。
第6回中原悌二郎賞(旭川市教育委員会主催)は佐藤忠良「カンカン帽」、優秀賞は清水九兵衛「アフェニティー」、土谷武「虫」に決まり、4日夕、6時から旭川市のニュー北海ホテルで授賞式が行なわれた。
アメリカ社会に同化し、現代アメリカの代表的画家のひとりとして国際的にも活躍した国吉康雄の遺作展が、6日から10月26日まで、東京、ブリヂストン美術館で開催された。油彩画を中心に素描・版画などを含め160点が展観され、東京展後、名古屋市、神戸市を巡回した。
20世紀の芸術に本質的で広範な影響を与えたシュルレアリスムの本格的な展覧会が、27日から11月16日まで、東京国立近代美術館で開かれた。欧米の代表的作家18名の作品、約60点、日本の作家16名26点。(京都展:11月26日~51年1月11日、京都国立近代美術館)
日ソ文化交流の一環としてソ連文化省、毎日新聞社主催により、トレチャコフ美術館、プーシキン美術館の所蔵品によるロシア・ソビエト美術50点、フランス近代絵画30点からなる展覧会が、29日より9月30日まで東京・伊勢丹を会場として開催された。
1日、新しい東京都美術館(台東区上野公園8―36)が開館式を挙行した。都が、旧美術館の老朽化に伴ない、隣接する1万2千5百平方メートルの敷地に昭和47年12月の着工より50億円の経費をかけて建設したもので、地下三階、地上二階。常設企画展示室、公募展示室をはじめ彫刻室、アトリエ、図書室、講堂、収蔵庫、食堂などを完備した世界でも有数の立派な建物となった。開館展として、記念の新収品展とともに、公募展示場では、それぞれ第60回記念を迎えた院展・二科展および第30回行動展でオープンした。
鳳凰堂壁扉画のうち?落のひどい本尊後壁表面阿弥陀浄土図と裏面下品下生図、北側の中品中生図、南側の下品中生図、西側の日想観扉画2面の計6面の修理が国庫補助を受けて18日から3ヵ月の予定で始まった。
さる5月にソ連政府より返還、寄贈された福田平八郎の作品42点が、23日から9月17日まで東京国立近代美術館において公開、展観された。
中川一政を名誉団長とし、宮川寅雄を団長とする美術家代表団の一行(脇田和、中根寛、高山辰雄、吉田善彦、平山郁夫、加山又造)は、10日、中国人民対外友好協会の招きで中国を訪問した。美術家代表の訪中は9年ぶりのことである。
第7回日本芸術大賞は、日本画家近藤弘明のひとつの神秘的空間を示した画業に対して授与されることが5月に決定されていたが、19日ホテル・オークラにおいてその贈呈式が行われた。
明治28年完成の同館は、屋根、外壁石材の痛みが著しいため、3ヵ年計画で修理が始まった。
唐招提寺開山御影堂(旧一乗院を移築)内の障壁画を制作中であった日本画家東山魁夷は上段の間に「山雪」10面、大広間に「濤声」16面を完成、3日奉納式が行われた。
昭和47年7月12日の集中豪雨の山崩れで全壊した釈迦堂および同堂安置の釈迦三尊がこのほど修復が完了し、10日落慶法要が営まれた。
神奈川県箱根の彫刻の森美術館主催ビエンナーレ(隔年)第2回展は、2日から11月30日まで開催され、大賞に伊藤隆道「まわる曲線のリング」、篠田守男「テンションとコンプレッション4304」が選ばれた。
東京国立博物館で、3日から7月20日まで開催、奈良時代以来、江戸前期までの各時代で用いられた中国陶磁器の出土品249件を展示した。
第2次大戦後ソビエトにあった福田平八郎の昭和10年代の作品42点がソ連政府より返還され、22日、外務省において贈呈式が行われた。