国立近代美術館「皇居北の丸に移転」内定

1965年12月

かねて話題となつていた国立近代美術館の移転問題について、政府は17日に首相官邸で、石井法相(体協会長)、中村文相、瀬戸山建設相、橋本官房長官が懇談会を開き、皇居北の丸に国立近代美術館を移転新築する計画を内定した。文部省は数年前から移転先を捜していたが、今年4月東京オリンピックの選手村跡が国から東京都に無償貸与された際、文部省と都の間に「選手村跡に国立近代美術館を新築する」ことで了解がついていた。ところがその後、体協関係から横ヤリが出、さらにブリヂストン・タイヤ、石橋正二郎会長から「北の丸に近代美術館を建設するなら、10億円を寄付する」という申し出もあり大蔵当局も北の丸移転に乗り気を示していた。 

尼崎に大規模な弥生式遺跡発見

1965年11月

大阪国際空港の南500米ほどの水田跡に工業用排水処理場の建設の際、9月30日になって土器が発見された。調査の結果、この辺りは東西500米南北300米におよぶ弥生時代の集落跡と判明、日本考古学協会らが働き、3ケ月にわたる本格的発掘が始められた。住居は高床式で300戸ほど発見され11月に入るとその集落の周辺には、木棺が数多く出土し注目をあびた。

芸術議員連盟の初仕事「日本芸術見本市」の国内展示

1965年12月

国会に芸術議員連盟(超党派260余名)が結成されたのは昨年の3月、その初仕事として明春3月20日から1カ月間、ニューヨークのユニオン・カーバイドビルで「日本芸術見本市」を開く運びになつた。その美術部門の国内展示が4日から12日まで東京・京橋の国立近代美術館で開かれた。大蔵省に対して、通産省を通じて請求した予算4千万円のうち、国庫から3千万円、競輪のあがりから1千万円の獲得ができ、さらに財界から1千万円の寄付を仰ぐというもので、今年2月財界をバックに設立された社団法人・国際芸術見本市協会(会長・永野重雄)が主催することになつた。理事長には麻生良方(民社)が就任して顧問の中曽根康弘(自)と共に運営の原動力になるという。出品作品の選定には、河北倫明富永惣一ら12名からなる選考委員会が設置され、選考一切の権限が当委員会に一任されたので、今回はそこで選ばれた絵画、彫刻、版画、工芸の計44名の作品が出品展示された。

日光輪王寺の灯籠こわさる

1965年11月

4日、日光山輪王寺にある、承応4年4月因幡伯耆国守源朝臣光仲が奉納した唐銅製灯籠(重文)が、写真をとってもらうために登った法政大学学生某のために崩壊し破損をうけた。

松代地震に対する災害予防対策

1965年11月

長野県松代町を中心とする頻発地震によって同町および周辺の文化財を保護する必要にせまられ、31日には同町清寺の重要文化財仏像三?を東京国立博物館へ疎開させるために搬出した。

文化勲章並びに文化功労年金受領者決定

1965年10月

昭和40年度文化勲章並びに文化功労年金受領者10名が29日の閣議で決定した。勲章の授与式は11月3日文化の日に皇居で行なわれ、同4日には文化功労者5名の顕彰式が勲章受章者とともに、東京・虎ノ門の国立教育会館で行なわれた。文化勲章5名のうち美術関係では、洋画の小糸源太郎と日本画の山口蓬春の両名が受章した。

第4回生存者叙勲の美術関係

1965年11月

政府は3日付で秋の叙勲(第4回生存者叙勲)の氏名を発表した。美術部門関係者の氏名は次の通り。勲一等瑞宝章=河原春作(文化財保護委員長)、勲二等瑞宝章=矢代幸雄(芸術院会員)、勲三等旭日中綬章=有島生馬(洋画、芸術院会員)、勲三等瑞宝章=川島理一郎(洋画・芸術院会員)、川村驥山(書・芸術院会員)、斎藤知雄(彫塑・芸術院会員)、山鹿清華(工芸・芸術院会員)、勲四等旭日小綬章=石井双石(書・日展評議員)、川崎小虎(日本画・日展評議員)、榊原紫峰(日本画)、丸尾彰三郎(美術保存)、井上庄七(文化財保護)、尾崎洵盛(陶磁器研究)、南部芳松(重要無形文化財伊勢型紙突彫)

「京都洋画の発展」展

1965年11月

京都市美術館では秋の特別展として3日より28日まで「京都洋画の発展」展を開催した。明治の初期に設立された京都府画学校に設置された西宗即ち西洋画科の指導者田村宗立ら京都洋画界の先覚からほぼ昭和前期に至る、京都或いは京都縁りの作家が築いた京都洋画の発展ぶりをひろくあとずけ、照明をあてようとしたもので、従来あまりとりあげられなかった企画としてその意義は大きかった。出品は、<明治以前洋風画><明治初期東京系作家><京都洋画の発展>と3部に分け、約85作家、180点の作品を展示して大展観となった。

東京国立博物館に東洋館を起工

1965年10月

東京・上野の東京国立博物館に「東洋館」がつくられることになり、21日文部省、文化財保護委員会、建設省など関係者約200人が参列して起工式が行なわれた。「東洋館」は同博物館に保管されているアジア、中近東、太平洋地域の美術工芸品や民俗資料1万数千点を一堂に集めて、常時陳列しようというもの。43年3月完成の予定で、44年春開館の運びとなる。

日岡古墳壁画の模写

1965年10月

福岡県浮羽郡吉井町の日岡古墳の壁画模写は7月20日よりはじめられ、本月下旬第一次の予定を終了した。日岡古墳の壁画は8面あり、そのうち今度は奥室東側壁の模写を行ったものである。

黒田清輝生誕百年記念展

1965年10月

わが近代美術の発展に大きな足跡をのこした洋画家、黒田清輝は慶応2年(1866)鹿児島に生れているので、ちようど来年は生誕百年を迎えることになる。あらためて巨匠の功績を讃え遺業を顕彰するため東京・京橋のブリヂストン美術館で12日より11月14日まで、「黒田清輝展―生誕百年記念―」(黒田清輝生誕百年記念会・ブリヂストン美術館・日本経済新聞社主催、東京国立文化財研究所・東京芸術大学後援)を開催した。

在外日本作家展

1965年10月

在外日本人美術家は、パリの菅井汲浜口陽三今井俊満田淵安一、森省一郎、ミラノの吾妻兼治郎豊福知徳、ニューヨークの岡田謙三、高井貞二、桑山忠祐らと、有力な作家たちの進出がみられ、年々活発に活躍するようになってきた。東京・京橋の国立近代美術館では、特に国家予算を計上して、これら在外作家の作品を招待して「在外日本作家展・ヨーロッパとアメリカ」を15日から11月28日まで開催した。さきに、ヨーロッパへ河北倫明、アメリカへ本間正義の館員を派遣して調査選定した作家、ヨーロッパから27人、アメリカから26人の作品が送られてきた。海外にいる日本の現有勢力を一望させる有意義な催しとして注目された。

ルオー遺作展

1965年10月

近代フランスの偉大な画家、ジョルジュ・ルオーの遺作展(読売新聞社、文部省、国立西洋美術館主催、外務省、フランス文化省、フランス大使館後援)が7日より12月5日まで東京・上野の国立西洋美術館で開かれ、油彩、デッサン、グワッシュなど181点が公開された。さきに読売新聞社はルオーの生前1953年にこの巨匠の代表作展を国立博物館で開き、日本の美術愛好家に深い感銘を与えたが今回は7年前に没したルオーがアトリエにのこした数百点の未完の絵、画稿(遺児イサベラ嬢が、これらをすべてフランス政府に寄付)から選ばれてきたものである。東京展閉会後、引続き12月12日から翌1月23日まで大阪市立美術館で開かれた。

褒章授章者決定

1965年10月

昭和40年度の文部省関係の褒章授章者が、8日政府から発表された。学術、文化(スポーツを含む)、芸術部門の功労者に贈られる紫綬褒章25名のうちには美術関係で次の5名が選ばれていた。<陶芸>重要無形文化財保持者・荒川豊蔵、<陶芸>宇野宗太郎(宗甕)、<友禅染>重要無形文化財保持者・木村文二(雨山)、<漆芸>重要無形文化財保持者・高野重人(松山)、<美術評論>坂崎担

国立近代美術館の移転候補地

1965年10月

去る昭和27年末開館以来、美術ファンに親しまれてきた東京・京橋の国立近代美術館が建物の老朽化、狭隘、災害時の危険などの理由から、他に移転して新しく建て直すことがきまり、文部省では美術・建築の権威者30名から成る移転調査委員会を設け、移転地として代々木のオリンピック選手村跡を有力候補地として本格的準備を進め、また国会議員が超党派で結成している芸術振興議員連盟が5月初めから側画的にその実現への推進をはかっていたが、このほど当初の計画通り代々木移転を実現する態度を決め、8日の閣議で中村文相が移転計画を説明することになった。

第1回現代日本彫刻展

1965年10月

宇部市野外彫刻美術館では1日より31日まで第1回現代日本彫刻展(毎日新聞社、宇部市、日本美術館協議会主催、宇部興産株式会社協賛)を開催した。同展は2年毎に常盤公園の広大な緑地にその年度の秀作を集めて彫刻の現況を展望させようというもので、今回は土方定一柳原義達大高正人ら評論家、彫刻家、建築家10名からなる審査選定委員によつて、昨年1年間と今年前半期に発表された作品のなかから選定して招待展の形がとられた。招待作は44作家の50点が選ばれ本会場に展示された。そのなかから審査の結果、大賞(宇部興産賞)が江口週(無所属)の木彫「砂上櫓」に与えられたのをはじめ主催者や協賛者からの8つの賞が与えられ、日本では珍しい大規模な野外彫刻展として注目された。

フォーブ60年展

1965年09月

今年はフランスでフォービスム(野獣派)が起きてから、ちょうど60年になる。朝日新聞社はそれを記念してフランスとスイスからフォーブの代表作84点を集め7日から26日まで東京・日本橋の高島屋で「フォーブ60年展」(朝日新聞社主催、フランス大使館、外務省、文部省後援、アクション・アルティスティック・フランセーズ協力)を開いた。ついで大阪(10.5―17難波・高島屋)、福岡(10.26―30岩田屋)でも開催した。わが大正、昭和初期の具象絵画にもっとも強い影響を与えたマチス、ドラン、デュフイ、ヴラマンクらの野獣派の歩みが日本の美術愛好家や研究者にとって関心深く回顧された。

日本美術院、二科会の50回記念展

1965年09月

大正3年創立第1回展を開いてから約半世紀の歴史を有し、我国近代美術の発展に大きな足跡をのこしている院展、二科展は今次大戦苛烈中の休回をはさみながら本年は目出たく50回展を迎えたので、恒例の都美術館での1日からの本展開催とは別に、それぞれ50回記念にちなんだ特別展の催しを行なつた。岡倉天心の没後、横山大観らによって再興された日本美術院は、国立近代美術館と朝日新聞社の共催でその記念展「院展芸術の歩み」を、戦前戦後の2部門に分け、諸作家の代表作を展示、戦前の部は4日より10月10日まで近代美術館で、戦後の部は7日より12日まで銀座・松坂屋で開催した。一方二科会は今夏6月23日より7月8日まで「二科会50周年記念回顧展」を新宿ステーションビルディングで行ない、旧二科会々員と現会員のそれぞれの代表作、計100余点を展覧した。

to page top