東大戦没学生記念像建立を拒否
1950年12月さきに完成された本郷新制作の戦没学生記念像「わだつみのこえ」は建立地を東大構内に選び日本戦没学生記念会より同大学に寄附されたが、学校当局はこれを拒否した。
さきに完成された本郷新制作の戦没学生記念像「わだつみのこえ」は建立地を東大構内に選び日本戦没学生記念会より同大学に寄附されたが、学校当局はこれを拒否した。
京大人文科学研究所水野清一、長広敏雄両教授らの雲崗石窟調査の成果は資金の不足から出版不能を惜しまれていたが、文部省ではこれに対し一六〇〇万円を補助し出版を進めることになつた。
早川巍一郎作の白鳥と少年像が木挽町歌舞伎座脇昭和通りに建てられ二九日除幕式を行つた。
国立博物館では日本美術の名作を紹介するため「美の殿堂」の製作を開始した。
日比谷公園事務所脇にあるブロンズ牝狼の乳をのむ二人児の一方が二七日持去られた。
金閣寺放火犯林養賢は二八日の京都地裁における最終公判で懲役七年の判決を言渡された。
文化財保護委員会では文化財保護法に基いて専門審議会の専門委員を二一日正式に決定発表した。 第一分科(美術工芸)明石国助他三九名、第二分科(建造物)大熊喜邦他一〇名、第三分科(史跡名勝天然記念物)石井満吉他二三名、第四分科(無形文化財)折口信夫他二三名、計九五名。[会長]辻善之助[副会長]和辻哲郎
文化財専門審議会では二一日第一回総会において重要美術品五一件の指定を解除した。
上野駅前広場に本郷新作プラステイツク塗装のヴイーナスが建てられ二五日除幕式を行つた。
日本芸術院ではさきに補欠候補として挙げられた堂本印象らの新会員を正式に任命した。
日本学術会議会員第二回選挙の結果が一一、二両日上野学士院会館で開票発表された。
北区西ヶ原町飛鳥中学歴史研究会では五日校庭中央の西ヶ原貝塚の一部を試掘した。
出版美術家の地位の向上と生活権擁護を目的として、岩田専太郎を理事に会員約二〇〇名の出版美術家連盟が発足した。
法隆寺の原型が法輪寺ではないかとの学界のなぞを解くため国立博物館石田茂作らが二日奈良県法輪寺境内の発掘を行つた。
文化財保護委員会では大倉流の能狂言小謡 茂山弥五郎の「京童」ほか二五曲をレコードにとつて保存することになつた。
長野県平出遺跡の本調査は貴重な収穫をあげ一まづ終了した。
ゴツホ、ロダン、マイヨール、マチス等の作品をあつかつた文化映画が輸入紹介されその巧みな手法が注目された。
京都日展の宣伝ポスターに二科会々員吉原治良の作品を盗用したことがわかり問題となつた。