紐育万博日本館開館式

1939年05月

四月三十日開会されたニユーヨーク万国博覧会日本特設館の公式開館式は、五月六日関係者を招待して盛大に行はれた。

形象工芸美術会結成

1939年05月

大阪の工芸団体創工社は先月解散したが、その後これに代る新団体として五月六日形象工芸美術会が結成された。

文展第三部作家協会結成

1939年05月

文展出品の彫塑家で所属団体をもたぬ人々のために、藤井浩祐、吉田三郎らを幹事として文展第三部作家協会が組織され、六月東京で第一回展を開くこととなつた。

荒木十畝渡支

1939年04月

荒木十畝は皇軍慰問と美術による日満支提携に貢献せんとして、四月二十九日門司発渡支した。先年日支両国間に展覧会を開いた東方絵画協会の事業を再開する希望である。

大阪工芸振興展開設

1939年04月

大阪府工芸協会では府、市その他との連合主催により従来産業工芸展を開催し来つたが、時局に鑑みてこれを革新充実せしめ、本年より新に大阪工芸振興展覧会を開設することとなつた。この展覧会は春秋二回とし春季には美術工芸展を、秋季には産業工芸及び図案展を開くこととするもので、出品者は大阪府在住者及び大阪府工芸協会会員に限つてゐる。

佐分賞授賞

1939年04月

本年度佐分賞受賞者は同賞委員会で銓衡の結果、図画会同人倉田?及び二科会会員島崎鶏二の両名に決定四月二十二日佐分宅で授賞を行つた。

皐陶会結成

1939年04月

先頃解散された東陶会所属作家のうち宮之原謙、各務鉱三、安原喜明、板谷梅樹の四名によつて新に皐陶会が結成された。

少年文学作家画家協会結成

1939年04月

健全な小国民文学の創造を目的として、少年文学作家及び挿画家らが同会を結成し、四月二十日第一ホテルで発会式をあげた。

工芸美術輸出報国会結成

1939年04月

優れた工芸品の輸出振興による報国を目的とし、大阪の工芸作家らによつて工芸美術輸出報国会が結成され、四月十七日創立総会が行はれた。発起人は山本笙園、黒岩淡哉、越田尾山、中島豊次、島野三秋、大国寿郎、安原祥窓、入江来布、杉田禾堂、柴崎風岬の十名、会員約三十名である。

主線美術協会絵画部解散

1939年04月

絵画彫刻の両部よりなる主線美術協会は、両部の円満なる協議の下に四月十八日絵画部を解散し、彫刻のみの団体として存続することとなつた。

米国大統領に水彩画贈呈

1939年04月

故斎藤駐米大使の遺骨が米国軍艦アストリア号によつて礼送されることになつたので、外務省ではルーズヴエルト大統領の厚志に感謝の意を表するため、滝沢邦行に委嘱して水彩画全紙大の山桜図を作製、四月十七日同艦入港迄に完成し大統領に贈呈することとした。

戌辰会解散

1939年04月

川合玉堂を顧問とし児玉希望を中心とする戌辰会は、第十回展終了を機会に四月十五日左の声明を発して解散した。 「昭和三年創立したる戌辰会は、同十年末拡大強化を行ひ今日に至る。其の間展覧会を重ぬること十回、概ね所期の目的を達成したるものとし、更に後日の伸展に備ふるため、茲に解散す。右声明す。」

日伊文化の夕

1939年04月

日伊文化協定の締結を記念するため、日伊学会と国際文化振興会との共同主催により四月十五日夜九段軍人会館で日伊文化の夕が開かれ、美術研究所長矢代幸雄の講演その他が行はれた。

蔦谷竜岬筆塚建立

1939年04月

故蔦谷竜岬の七回忌に当り野田九浦揮毫の墓石が建立されると同時に、正木直彦揮毫の筆塚が旧門弟らによつて小石川区戸崎町喜運寺に建設され、十月七日の忌日を繰上げ四月十五日法要をかねて除幕式が行はれた。

陸軍美術協会結成

1939年04月

事変開始以来美術家の従軍するもの二百余名に上り既に幾多の戦争画を生んでゐるが、これらの画家の間で一層軍部との連絡を密にし、美術家相互の親睦と国策への協力を図るため、陸軍省情報部の賛同を得て四月十四日陸軍美術協会が結成された。松井石根大将を会長とし、藤島武二を副会長とする。

貿易局輸出工芸図案展開設

1939年04月

商工省では輸出工芸振興のため、賞金を定めて工芸図案を募集、展覧会を開催することとなり、四月十四日官報を以て貿易局輸出工芸図案展覧会規定及び第一回展覧会の要綱を告示した。

日本陶芸研究会結成

1939年04月

三月解散された東陶会所属の作家らによつて四月十一日日本陶芸研究会が結成され、左の宣言が発表された。 「陶芸の道は広く深い。が、而し粉骨砕心以つて、その域に通ずれば、遂に道は成るものだと思はれるのである。日本陶芸研究会の意図は、この域に到りたいがために外ない。(中略)今日の陶芸は、賑ふべくして賑ひ得ない如き情勢にある。が、一にこれも真実心の不足と、研究の欠くるところがあるからだと信じたいと思ふ。敢へて、我等は新東亜建設の大業に即して一層の堅忍努力を致さねばならぬ決意を固め、以つて本会の目的達成に尽さんとす。右、宣言する次第である。」

彫漆手筥御贈進

1939年04月

イラン帝国皇太子殿下御結婚奉祝のため、わが国から使節を派遣し四月九日そよかぜ号による親善飛行が行はれることになつたが、畏き辺りではこの使節に托して磯井如真作石楠花図彫漆手筥を御祝品として御贈進遊ばされることとなつた。この作は昨秋文展で特選となり宮内省御買上の栄を得たものである。

報道美術協会結成

1939年04月

東京高等工芸学校図案科卒業の有志によつて、四月八日報道美術協会が結成された。

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