鋼製品の製造制限令

1938年07月

商工省では銑鉄鋳物製造の制限についで鋼製品の製造制限を行ふこととなり、輸出入品臨時措置法の規定に基き鋼製品の製造制限に関する省令を制定七月八日附官報を以て公布した。商工大臣の指定する物品又は其の部分品は特に地方長官の許可を受けた場合の外鋼材(屑鋼を含む)を以て製造することを禁ずるもので、八月十五日から施行される。同時に禁止品目を指定告示したが、日用品を初め、生産力拡充に必要な工鉱業用を除き一般民需用機械類の殆ど全部に亙るものである。

南京攻略戦跡図献上

1938年07月

京都の鳥瞰図画家吉田初三郎は海軍従軍画家として五月下旬渡支、凡そ一ケ月に亙り戦跡を写生して帰洛し、二荒芳徳伯より依頼された献上画として南京攻略戦跡図、高さ六尺幅四間の大作を謹作中の所、聖戦記念日の七月七日完成した。

商工省輸出工芸展規程改正

1938年07月

商工省では「商工省輸出工芸展覧会」を「貿易局輸出工芸展覧会」に改め、その他規程に若干の改正を行ひ七月二日附官報を以て公布した。

銑鉄制限強化

1938年06月

商工省では四月銑鉄鋳物製造制限を発令したが、之に基き六月二十九日禁止品目の範囲を更に拡大左の通り指定して、七月十五日より施行することとなつた。 本立(ブツクエンドヲ含ム)、シヤンデリヤ、机、卓子、寝台、シヤツター用器、郵便受箱 ラヂエーター、ガスストーブ、電気ストーブ、鉄瓶、五徳、卓上呼鈴、名刺刺及伝票刺、紡織・染色又ハ整理用機械器具(針布製造用機械器具ヲ除ク)、窯業用機械器具(硝子又ハ耐火煉瓦製造用機械器具ヲ除ク)、印刷又ハ製本用機械器具、理容用機械器具(バリカンヲ除ク) 左に揚グル物品又ハ其ノ部分品ヲ製造スル専用機械器具 鉄釘(蹄釘ヲ除ク)、金網、菓子、清涼又ハ致酔飲料、香水、石鹸、蓄音機用レコード、セルロイド及同製品、紙及同製品(バライタペーパー等特殊ノ紙ヲ除ク)、刷毛及刷子、綿又ハ麻製ノ網・縄及網、帽子、燐寸、金属箔、万年筆、鉛筆クレヨン

陸軍従軍画家協会設立

1938年06月

陸軍従軍画家の団結が計画されてゐたが、六月二十七日飛行館で最初の総会を開いて役員の決定等を行ひ、大日本陸軍従軍画家協会が設立された。

日独文化会館建設計画

1938年06月

日伊文化会館の計画と相並んで、同様のドイツ文化宣揚と日独親善を目的とする日独文化会館の建設が計画された。今春原田積善会よりドイツ政府に寄附した十万円を基として、日独協会、日独文化協会その他関係団体が協議を進めてゐたが、三井高陽男より日伊文化会館敷地に隣接する八百坪の土地寄贈があり、愈々計画が具体化した。館内に図書館、講堂、研究室、宿泊室その他を設備する予定である。

金属代用品懇談会

1938年06月

商工省では物資動員計画に基く使用制限物資の代用品に関し関係官庁、民間会社等の代表者を集めて懇談会を開くこととなり、その手初めとして六月二十三日既に使用制限を行つてゐる銅鉄の代用品懇談会を丸の内鉄道協会で開いた。

ドイツ政府より胸像寄贈

1938年06月

財団法人原田積善会がかねてより日独文化親善の為に尽した功績に対し、ドイツ政府では感謝並に顕彰の意味で同会設立者故原田二郎の胸像を寄贈することとなり、来朝中の彫刻家フロイデンベルグ博士に製作を依頼中であつたが、六月十五日完成したので同二十日丸の内東京会館で贈呈式を挙行した。

国際ペン連合東京大会返上

1938年06月

第十八回国際ペン聯合大会は、紀元二千六百年を期して昭和十五年東京で開催されることになつてゐたが、日本ペン倶楽部では協議の結果、時局に鑑みて返上することに決定し、六月二十日からプラーグで開催中の第十六回同大会にその旨を申送つた。

新図画協会解散

1938年06月

昨秋明朗美術聯盟を脱退した作家等により結成された新国画協会は「各自の作家的使命を再認識し更に新しき芸術的飛躍を期する為」六月十七日解散を声明した。

大輪画院結成

1938年06月

さきに明朗美術聯盟を脱退した作家達は新団体大輪画院を結成、六月十六日発会式をあげた。

歴程美術研究会結成

1938年06月

馬場和夫、船田玉樹等九名の日本画家によつて歴程美術研究会が結成された。「東洋の絵画が一元なるを実証し、東洋絵画芸術の特徴と美点を鼓吹し」又「世界文化交流の間に身を処して我等の絵画を世界材として提示せん為に研究を起し、所信に従つて審美を究めんとするものである。」

日伊文化会館建設計画

1938年06月

イタリア政府では日伊親善と両国文化の発展並にイタリア研究の為の中心機関創設について計画中であつたが、之に協力する為原田積善会は十万円の建設費を寄附し、又三井高陽男は麹町イギリス大使館附近の土地約一千坪を寄附したので、近く日伊文化会館を建設することとなり、六月十四日アウリチ大使から発表された。

慰問絵画

1938年06月

池上秀畝社中の伝神洞同人八人は二十点の作品を六月十一日陸軍当局に寄附、これらの絵画は戦地将兵慰問の為官給便箋の表紙として多数を印刷発送されることとなつた。

アジヤンター壁画模写

1938年06月

京都の日本画家杉本哲郎は昨秋渡印し、アジヤンター窟院の壁画模写を作製、又セイロンのシギリヤ壁画の模写をもなして六月十日帰朝、同模写は恩賜京都博物館に納めることになつた。

ニユーヨークに日本文化図書館設置

1938年06月

国際文化振興会ではニユーヨーク市ロツクフエラー・センターに日本文化図書館を創設することとなり、同会理事長樺山愛輔伯は五月二十六日発氷川丸で、同常務理事黒田清伯は多数の資料を携へ、六月十日発日枝丸で渡米、建設を急ぐこととなつた。樺山伯を初代館長として、日本文化紹介に関する図書出版物を備へて研究者の利用に供する外、研究費の補助、情報の提供、映画、写真の配付その他の事業を行ふ筈である。

友田伍長立像

1938年06月

昨秋江南戦線で戦死した友田恭助の立像は加藤顕清によつて作られ、日本彫刻家協会展に出陳されたが、作者から築地小劇場に寄贈され六月十日同所に於て関係者参列の下に同立像安置式が行はれた。

人形をドイツに寄贈

1938年06月

帝大その他のドイツ語教師エルザ・エリザベト・マルクワルトがベルリン博物館の為に日本の人形蒐集を希望したので、日独文化協会では西沢笛畝、山田徳兵衛と協議、その斡旋で東京の人形作家等を勧誘、約五十点の作品を蒐め六月六日小石川後楽園内涵徳亭に陳列、同女史に贈つた。

麦僊遺作京都美術館寄贈

1938年06月

過般東京と京都で土田麦僊遺作展が開催されたが之を機会に帝展第十四回出品作「平牀」とその習作百六十三点とが千代子夫人から大礼記念京都美術館に寄贈された。

美術雑誌「丹青」発刊

1938年05月

一水会では新に美術雑誌「丹青」を年四回刊行することとなり、五月下旬創刊号を出した。

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