映画「鎌倉美術」完成

1953年12月

東京国立博物館が「上代彫刻」「桃山美術」につづいて二八年度の作品として製作中であつた「鎌倉美術」が完成した。

松方コレクションの日本返還問題起る

1953年12月

戦後、在外資産としてフランス政府の管理下におかれていた松方コレクションは日仏文化協定の成立を機に、フランス側の好意で近く日本に返還されることが明らかになつた。然し条件として、同コレクションはすでに個人のものではなく、仏政府管理のものであるからフランス文化を日本に紹介するものとして一般に公開し、日本政府の責任で保存、展観に必要な美術館を新たに設置することが日本政府に要望されている。それで文部省では来年度予算に一五、〇〇〇万円を計上して美術館の新設を計画、三日の次官会議で「フランス美術館設置準備協議会」(仮称)を設けることを決定、四日の閣議にはかつた上フランス政府に正式回答することになつた。    

高村光太郎芸術院会員を拒否

1953年12月

一三日芸術院会員の補充選挙で第二部会員に高村光太郎が選ばれたが、二二日正式に辞退を表明した。辞退理由としては芸術院の組織、人的構成などに対する不満、また彫刻家であり乍ら、詩作に対し第二部門の会員に選ばれたことは不本意だとも述べている。

飛鳥時代塔跡発掘

1953年12月

飛鳥時代伽藍配置究明のため、東京国立博物館の石田茂作ら一行は、一三日より奈良県高市郡高市村の橘寺及び定琳寺の塔跡の発掘調査を行つた。両寺の心礎の発掘に成功、多大の収穫をあげた。

ゴツホ友の会発足

1953年12月

一〇月以来、式場隆三郎が中心になつて計画されていた「ヴアン・ゴッホ友の会」は一二日、日本橋丸善会議室で第一回会合を開き、会組織、運営、役員選定など協議を行つた。研究会の設立、研究者との交流などを企画している。

国際造型美術家連盟国内委員会結成

1953年12月

ユネスコ本部では、かねて国際造型美術家の連盟設立を斡旋していたが、ユネスコ国際委員会の努力で、一一日、日本芸術院、日本美術家連盟、日本工芸家協会三団体関係者が文部省に集り、同連盟の日本国内委員会を結成した。委員長には伊原宇三郎が推された。

アメリカ抽象芸術家協会展への出品発送

1953年11月

アメリカ抽象芸術家協会の創立者で現会長ジョージ・L・K・モリスから、明年三月、ニューヨーク、リバーサイド美術館で開く協会主催の展覧会に日本の抽象絵画を出陳される様招待状が長谷川三郎の元に届いた。そこでアブストラクト・アート・クラブの設立とともに出品することに決め、恩地孝四郎川口軌外山口長男吉原治良村井正誠山口正城、西田信一、末松正樹植木茂等の作品三〇点が選ばれた。然し輸送費がなく発送が危まれていたが大阪商船が運賃負担することになり一二月一二日ニューヨーク着予定の”はわい丸”で横浜から送り出すことに決つた。

紫外線による密陀絵調査

1953年11月

正倉院の密陀絵調査を行つている木村阪大、上村大阪学芸大、山崎名大、亀田東北大の各教授らは、法隆寺で玉虫厨子を紫外線で照写した結果、これを密陀絵によるものと確認した。

ニューヨーク近代美術館中庭に書院造り建築の展示を計画

1953年11月

ロックフェラー三世から毎日新聞社長に、ニューヨーク近代美術館中庭で日本家屋の展示会を開きたいと申し出があり、日米協会が主体となつて計画を進めている。その間近代美術館の建築主任アーサー、ドレックスラーが来日、古代建築を視察の結果、書院造りを選ぶことに決り設計は吉村順三に一任、細部考証は関野克が担当することになつた。会期は明年五月からの予定。

高村光太郎、十和田湖畔に建てる裸像を完成

1953年11月

昨春から製作中の十和田湖畔を飾る記念像は一〇日ブロンズに完成十和田湖畔に発送された。裸女二人を配した七尺余の像で、二一日国立公園指定一五周年記念式典と同時に除幕式が行われる。設立場所については予定の湖の東北端「子ノ口」が厚生省国立公園協会理事長田村剛の反対にあい、一方、同公園を文化財保護法で監督する文化財保護委員会では専門審議会で之を承認、厚生省、文部省の意見の対立となつたが、「子ノ口」を変更し集団施設地区になつている南岸「休屋」に建てられることになつた。

朝倉文夫、彫塑塾の設立を計画

1953年11月

朝倉文夫は谷中天王寺のアトリヱを初め、明治以来今日に至る迄の約六〇〇点に及ぶ彫刻原型、蔵書を投じて財団法人朝倉彫塑塾設立の計画を発表した。事業としては原型、作品の整理保存、公開、子弟の養成が考えられている。発起人には一万田尚登、高橋誠一郎等のほか一〇名が予定され、近く法人設立の申請を行う。

新日本工業デザインの審査決定

1953年11月

第二回「新日本工業デザイン」懸賞募集の審査は、予備審査、本審査、推薦決定の三段階に分けて行われ、特選一席に小杉二郎(蛇の目ミシン)、特選二席真野善一(松下電気ラジオキャビネット)他十六名の入賞が一三日決定した。

国宝重要文化財等新指定

1953年11月

一三日文化財保護委員会から国宝・重要文化財の新指定が発表された。今回の指定のうち、国宝は八三件、重要文化財は一九六件、史跡名勝一八件、無形文化財七件である。新国宝には餓鬼草紙、藤原家伝周文山水図等があり、国宝の合計六七九件となつた。

映画「北斎」完成

1953年11月

「青年ぷろだくしょん」では第一回作品として「北斎」を製作した。浮世絵師北斎の人と画業を彼の生きた時代と、彼の属した庶民階級の生活を背景としてくつきり浮び上らせている佳篇。

文化功労年金受賞者決定

1953年11月

昭和二八年度の第三回文化功労年金受賞者が、九日の閣議で決定、発表された。美術関係では先に文化勲章を授与された、板谷波山香取秀真の二名で、二一日顕彰式が行われた。

川合玉堂寄附資金による文部省買上作品決まる

1953年11月

文部省では本年度日展作品中川合玉堂寄附資金による買入作品として左の一一点を決定、五日発表した。(日本画)堂本尚郎「街」」、吉田登殻「浄地」、(洋画)中野和高「植木屋T君」、服部亮英「杏花村」、硲伊之助「潮来」、(彫刻)池田勇八「スタート」、橋本高昇「牡鹿」、(工芸)岸田宗三郎「ろう染鯉屏風」、米沢蘇峰「花びん」、(書)安東聖空「あかし」、佐藤祐豪「陶淵明の詩」

毎日出版文化賞決る

1953年11月

一九五三年度、第七回目の毎日出版文化賞が決定し二日発表された。美術書関係では、堀口捨巳著「桂離宮」(毎日新聞社発行)が選ばれ、三日毎日新聞社本社で授賞式が行われた。

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