東京文化財研究所設置

1952年04月

文化財保護法の一部改正に伴い、東京文化財研究所が設置されることになり、従来文化財保護委員会の付属機関であつた美術研究所は東京文化財研究所の美術部として、新設された芸能部・保存科学部とともに新発足した。所長事務代理として文化財保護委員会委員矢代幸雄の兼務、美術部長松本栄一、芸能部長事務代理犬丸秀雄、保存科学部長事務代理関野克が四月一日発令された。なお、従来の美術研究所の所掌した調査研究と同一のものについては美術研究所の名称を併称出来ることになつている。

京都博物館国立に移管

1952年04月

大正一三年帝室より京都市へ御下賜になり、それ以来京都市の経営下にあった恩賜京都博物館は四月一日より国に移管され、文化財保護法の規定により京都国立博物館として新しく発足した。館長事務代理は文化財保護委員会委員細川護立の兼務、次長は前館長富岡益五郎に決まり発令された。移管記念として「東京国立博物館保管国有東洋美術名画展」を五月一日より二〇日まで開催した。

信濃美術会創立

1952年03月

信州出身者の親睦団体であつた信濃美術協会を一層強力なものにするために機構を改め、新に在京信州出身美術家と在郷有力美術家によつて信濃美術会を結成した。

史跡、名勝、無形文化財の選定

1952年03月

文化財保護委員会では二九日、特別史跡名勝天然記念物七八件、史跡四件、無形文化財四七件の選定を発表した。無形文化財は戦前にはなく文化財保護法によつて新たに保護の対象となつたもので、そのはじめての選定である。工芸技術三六件、芸能一一件で、中村吉右衛門のセリフ、や各種の郷土芸能、薪絵の技術、織物等がその対象となつた。予算による保存事業の実施は五月一七日その計画を発表した。

国宝第二次、重要文化財第一次指定発表

1952年03月

二六日から四日間開かれた文化財専門審議会の決定にもとづき、文化財保護委員会は二九日、第二次指定国宝一二六件、第一次指定重要文化財一一五件を発表した。国宝の主なものには「鳥獣戯画」、東大寺の「日光、月光立像」などがあり、また重要文化財の指定は文化財保護法公布以後はじめてで、すでに重要美術品に認定されたもののうちから選ばれたものと全然未指定であつたものから選ばれたものと二種ある。四月三日より一二日まで国立博物館表慶館においてその一部が展観された。

恩賜賞、芸術院賞決定

1952年03月

日本芸術院の授賞選考委員会では昭和二六年度の恩賜賞、芸術院賞の受賞者を選び、二六日その決定を発表した。 恩賜賞 洋画 白滝幾之助、洋画における多年の業績、また三井高精をたすけて三井コレクションを完成したことに対し 日本芸術院賞 第一部-美術 洋画 中山魏、「マチス礼讃」(第五回美術団体連合展出品作)に対して 彫塑 加藤鬼頭太(顕清)、「人間」(第七回日展出品作)その他彫塑界への功績に対して 工芸 山鹿健吉(清華)、手織錦「無心壁掛」(第七回日展出品作)と撚糸、染法などに新生面を開いた功績に対し 建築 吉田五十八、日本建築の近代化研究と独創的革新に成功したことに対し 他部門略。 六月二五日日本学士院講堂において授賞式が行われた。

芸能選奨文部大臣賞決まる

1952年03月

昭和二六年度の芸能選奨文部大臣賞の受賞者が決定し、二四日発表された。美術部門では次の通りである。 ▽日本画 橋本明治(第七回日展出品「赤い椅子」に対し) ▽洋画 岡鹿之助(第五回美術団体連合展出品「遊蝶花」その他に対し) ▽彫刻 沢田晴広(第七回日展出品「五木之精」その他に対し) ▽工芸 楠部弥一(第七回日展出品(白磁四方花瓶)に対し) 授賞式は四月九日文部省で行われた。

金閣再建起工式行わる

1952年03月

京都鹿苑寺の金閣は昭和二五年七月二日放火によつて全焼したが、再建資金の一部がまとまつたので、二二日午前一〇時から起工式を行い、再建にとりかかつた。予算一五〇〇万円で三ケ年計画とし、原型どおり、とりあえず白木造りのものを造る。

昭和二六年度文部省買上美術品決定

1952年03月

文部省の昭和二六年度買上美術品、日本画五、洋画五、彫塑四、工芸四、書一、合計一九点が決定し、一九日発表された。作品は次の通りである。 ▽日本画 「Y氏の像」前田青邨、「孫」中村岳陵、「白雨」堅山南風、「花」梶原緋佐子、「山河」福田豊四郎 ▽洋画 「アルプスへの道」児島善三郎、「ゆく春」小林和作、「外輪山」田崎広助、「殉教者」海老原喜之助、「親子」山口薫 ▽彫刻 「裸婦」藤井浩佑、「ポーズ」北村正信、「寝ている女」木内克、「婦人像」柳原義達 ▽工芸 「鷺花瓶」松本佐吉、「飛天透筥」飯田喜代鏡、「ふり」堀柳女、「青銅盤」会田富康 ▽書 「春閑」松本芳翠

第二回上村松園賞決まる

1952年03月

上村松園を記念し、日本画女流作家の育成と奨励のために設けられた上村松園賞の第二回(一九五一年度)は新制作協会々員堀文子に決定し、二日発表された。第一五回新制作協会展出品の「山と池」、および今日までの業績に対して授賞されたものである。授賞式は一八日、毎日新聞大阪本社において行われた。

春日興福寺国宝展開催

1952年02月

我が国へ仏教が伝来して今年は一四〇〇年に当るのでこれを記念して、毎日新聞社、春日大社、興福寺主催によつて、奈良春日興福寺国宝展を二一日から三月九日まで日本橋三越において開催した。

東京都文化財保護条例制定

1952年02月

一二日東京都教育委員会は、一九一八年東京府告示「東京府史的記念物勝地保存心得」によつて指定された約二五〇種の文化財について検討し、新たに「東京都文化財保護条例」を制定することを決定提案した。この条例案は都議会を経て四月一日公布即日施行となつた。東京都文化財専門委員を置き、文化財保護法で指定されたものを除く都内の文化財、都重宝、都技芸、都史跡、都天然記念物を指定保護する。

京都新彫刻家クラブ創立

1952年02月

京都在住の若い彫刻家によつて京都新彫刻家クラブが組織された。二月京都大丸において第一回展を開催した。

観光宣伝用カレンダー、アメリカでのコンクールに受賞

1952年02月

ニューヨークで行われた米国旅行業界紙「トラベル・アイテム」主催の美術カレンダー・コンクールで日本交通公社が出品した一九五二年版海外向カレンダーが一等賞を受けた。日本画家の作品一二点を色刷したもので、他の受賞カレンダーとともにニューヨークの近代美術館に飾られた。

ロンドンの国際彫刻コンクールに参加招待さる

1952年02月

イギリスの現代美術協会の主催で、世界各国の彫刻家が参加する「国際彫刻コンクール」へ日本も正式に招待された。昭和二八年三月からロンドンで開かれる予定で、「知られざる政治囚」という課題である。

水野長広共著「雲崗石窟第八洞第九洞」恩賜賞に決定

1952年02月

一二日の学士院月例総会で昭和二六年度の恩賜賞、学士院賞が決定した。恩賜賞には京大教授水野清一・長広敏雄共著の「雲崗石窟第八洞・第九洞」が選ばれた。大同石仏の調査を集成した一五巻三〇冊のうちの最初に刊行されたものである。授賞式は五月一二日日本学士院において行われた。

チャールスワーグマンの六〇年祭行わる

1952年02月

イラストレーテツド・ロンドン・ニュースの特派員として幕末に来朝し、油絵の実技を伝えて明治初期洋画に貢献したチャールス・ワーグマンの没後六〇年祭が行われた。ワーグマン終焉の地である横浜の市長平沼亮三、有島生馬宮尾しげを等が発起人となつて八日横浜山手外人墓地の墓前で行つた。

カーネギー国際展出品作決まる

1952年02月

アメリカピッツバーク市のカーネギー美術館で一〇月一六日から一二月四日まで開かれるカーネギー国際美術展に日本から出品される油絵作品がカーネギー美術委員会によつて決定された。日本美術家連盟と在米の国吉康雄を通して日本から送つた作品写真によつて選ばれたものである。招待作品は阿部展也「アダムとイヴ」他一六点で、国内展は六月三日から八日まで神奈川県立近代美術館、同一三日から二五日まで日本橋三越において開催した。

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