上野駅飾る「馬の絵」

1951年11月

上野駅中央の列車待合ホールに二六日、二科会々員高岡徳太郎の五百号の馬の絵が、同会彫刻部植木力が東北地方の特産を彫り込んだ大額椽にはめ込まれて飾られた。東洋高圧株式会社の寄贈のもの。

高橋由一顕彰会

1951年11月

明治初期における洋画の先駆者高橋由一(明治二七年歿)の墓所が最近渋谷区豊分町香林院に発見されたのを機会に、結城素明石井柏亭らが発起人となり、二四日二時から香林院で遺業をしのんだ。

生活工芸集団結成

1951年11月

日展工芸に対抗して新しい工芸を開拓してゆこうとする在野的工芸団体「生活工芸集団」が一七日結成された。型々工芸、ココ工芸、木彩会三団体の会員二二名が結んだもの。

イサム野口の「無」建つ

1951年11月

昨年八月イサム・ノグチの個展で話題となつた哲学的彫刻「無」は亡父野口米次郎慶大教授の記念館、新万来舎の前庭に一〇日すえつけられた。高さ七尺、重さ一五〇〇貫の巨像となつた。

「みどりのリズム」除幕

1951年11月

上野公園正面入口広場では、三日午前九時半から松坂屋が都に寄贈した日展清水多嘉示作の「みどりのリズム」と題する等身大の二人の少女が手を組んで踊るブロンズ像の除幕式を行つた。

新装松山城一般に公開

1951年11月

昭和八年以来放火、戦火などと三度の厄に遭つた愛媛県松山城はこのほど五カ年工事の新装成り、松山市では工事の完成を祝い、縁りの甲冑、刀剣、古美術品など約八〇点を陳列、一日から一般に公開した。

神奈川県立鎌倉近代美術館開館

1951年10月

わが国はじめての近代美術館として期待される鎌倉近代美術館は一七日開館した。板倉準三の設計、総工費三〇〇〇万円。

米、日本古美術展出品作品を無料返送

1951年10月

サンフランシスコで催された日本古美術展に出品された日本美術品は一四日、サンフランシスコ出港のアメリカン・プレシデント・ウイルソン号に積込まれ送り返されたが、同汽船会社々長ジョージ・キリオンは「日本国民の好意と熱意にこたえる印としてわが社は貴重な日本美術品を無料で輸送いたします」と九日語つた。

ブラジル国際近代建築展に参加

1951年10月

世界初めてといわれる国際近代建築展覧会が本月より十二月にわたりブラジルのサンパウロ市で開かれるが、主催者のサンパウロ近代美術館長から建築家坂倉準三あてに八月下旬「ぜひ作品をもつて来てほしい」との招請状が届き、これを機会に行われる近代建築家協議会にも出席のため自作品、日仏会館と鎌倉美術館の模型を携えて早大助教授武基雄とともに七日空路羽田を飛立つた。

仏から科学美術使節

1951年09月

フランス政府の科学、美術使節としてこのほどハノイ大学講師、理博シモーヌ・ハタムが来日、二八日から一週間、日仏会館でパステル画展を開くとともに二八日「絵画の技法」と題する美術講演を行つた。化学、博物学を専攻、余技の画とピアノも玄人の域に達した多芸多能の婦人である。

今泉篤男渡欧米

1951年09月

美術評論家の今泉篤男は各国の美術施設及び美術界の視察研究の目的をもつて二六日午前七時三〇分羽田発渡英した。約半年で仏、伊、スペインの各地を巡つたのちアメリカ経由帰国の予定。

文化切手に菱田春草

1951年09月

郵政省では画家菱田春草の暗青紫色の肖像入り文化切手(八円)を春草の誕生日二一日から全国の郵便局で売出した。尚、発売当日春草遺墨展覧会が開かれる飯田市で郵政大臣から遺族に切手の初刷り第一号が贈られた。

正倉院新宝庫着工

1951年09月

学界未調査の宝物を完全に保存するため奈良市の正倉院に予算二千万円で新宝庫がつくられることになり、一四日着工式が行われた。これは現宝庫の校倉作りをそのまま近代化した構造だとのこと。

日本宣伝美術会結成

1951年09月

宣伝美術の向上と宣伝美術家の職能地位の確立擁護を目的として日本宣伝美術会が結成された。所謂商業美術よりも社会的、文化的事業などの宣伝に力を注ごうとするもの。一〇日から一七日まで銀座松坂屋で第一回展を開いた。

新制作派と創造美術が合同

1951年09月

洋画の「新制作派協会」と日本画の「創造美術」が合同、新たに会名を「新制作協会」として発足すると一〇日午後声明書を発表した。

サンフランシスコ日本古美術展開く

1951年09月

講話会議で沸きたつサンフランシスコの日本古美術展覧会はデ・ヤング博物館において五日午後五時半から開かれた。ロビンソン・サンフランシスコ市長があいさつし、原田治郎の日本美術紹介講演があつて開会式をとじ、六日から一般に公開された。日本の美術使節団は(団長)高橋誠一郎(顧問)原田治郎(専門指導官)野間清六、金子重隆、山辺知行、松原正業、西岡銀次郎で、国宝級古美術品一七七点が出品された。

ピカソ作品展ひらく

1951年08月

マチス展につゞく読売新聞社主催のピカソ作品展は東京高島屋において二六日から九月二日まで開催された。陳列は未発表の近作を含めて油絵一六点、グアーシユ、クレヨン、水彩画一三点、デツサン一七点、陶器一五点、彫刻一〇点、石版画二五点。

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