堀文子

没年月日:2019/02/05
分野:, (日)
読み:ほりふみこ

 伝統に縛られない日本画を目指して戦前から活躍し、晩年まで旺盛な創作活動を続けた日本画家で元多摩美術大学教授の堀文子は2月5日、心不全のため神奈川県平塚市の病院で死去した。享年100。
 1918(大正7)年7月2日、歴史学者の堀竹雄の三女として東京都麹町区平河町(現、千代田区平河町)に生まれる。少女時代は科学者に憧れるも、画家を志すようになり1936(昭和11)年女子美術専門学校(現、女子美術大学)に入学、日本画を専攻。在学中の39年、私淑していた福田豊四郎が組織した新美術人協会の第2回展に「原始祭」を出品し初入選。翌年女子美術専門学校を卒業、新美術人協会会員となる。福田豊四郎を介して柴田安子と知己となり、その卓越した才能に刺激を受けながら、日本画の因襲的な様式を脱して、自然の形象を幾何学的に捉えた力強い造形の作品を発表。また40年から約二年間、東京帝国大学(現、東京大学)農学部作物学研究室で農作物を観察し記録する職を得、微細に植物を観察し緻密にスケッチを行なう経験から徹底した観察眼を養う。戦後、46年に外交官の箕輪三郎と結婚。48年に新しい日本画の創造を標榜して発足した創造美術の第1回展から出品、「廃墟」「朝」「収穫の風景」「稲束の群れ」が奨励賞、続いて翌年の第2回展でも「八丈島風景A」「八丈島風景B」が奨励賞を受賞、50年に会員となる。51年創造美術が新制作協会日本画部となり、会員として参加。その年の新制作展に出品した「山と池」により、翌52年、優れた女流日本画家を対象とする上村松園賞を受賞する。新制作展でも力強い線と色彩で画面を構成した作品を発表。60年に夫を亡くし、傷心の状況から抜け出すべく61年から62年にかけてエジプト、ギリシャ、フランス、アメリカ、メキシコを歴訪。帰国後はメキシコでの様々な印象をデカルコマニーの手法を用いて作品化し、個展や新制作展で発表する。67年、都会を離れて生きることを決意して神奈川県大磯に転居すると、それまでの強い造形や色彩構成に対する意識は後退し、日本の四季や風景を繊細な筆づかいと色調で描くようになる。一方で1950年代から70年代にかけて、絵本や挿絵の仕事を精力的に手がけた。56年に創刊された『こどものとも』(福音館書店)で「ビップとちょうちょう」を担当。69年には前年に手がけた絵本『き』(谷川俊太郎詩、至光社)で第16回サンケイ児童出版文化賞を受賞。72年第9回ボローニャ国際絵本原画展で絵本『くるみわりにんぎょう』(学習研究社)がグラフィック賞を受賞。絵本作家としても人気を博すが、日本画の制作に支障をきたすことを危惧し、70年代以降は絵本制作から離れることとなる。74年、多摩美術大学教授となる。同年、創画会結成に会員として参加(1999年退会)。79年、厳しい自然の中での暮らしを志向して長野県北佐久郡中軽井沢にアトリエを建て、大磯と行き来する生活を始める。また87年よりイタリアの古都アレッツォ郊外にアトリエを構え、1992(平成4)年まで日本とイタリアを往復して制作。95年、植物学者の宮脇昭に同行してアマゾンの熱帯雨林、メキシコのタスコ、マヤ遺跡を訪ねる。80歳を過ぎて幻の高山植物ブルーポピーをたずねヒマラヤ山麓を取材。99年よりほぼ毎年、銀座の画廊ナカジマアートで「現在(ルビ:いま)」と題した新作展を開催するようになる。2001年に解離性動脈瘤で倒れるも奇跡的に回復し、その後は顕微鏡を用い、プランクトンやミジンコ等のミクロな世界に生命の美しさを見出した作品を発表。2004年、生命科学者の柳澤桂子が般若心経を現代語にした画文集『生きて死ぬ智慧』(小学館)で作画を担当、同書は約55万部のベストセラーとなる。また同年より雑誌『サライ』(小学館)に絵と文を連載、身近なモティーフを平明な筆づかいで描き、その時々の心境や思いを綴った連載は反響を呼び、その名を一層世に知らしめた。14年、堀が原画(2001年作)を描いた陶板壁画「ユートピア」が福島空港に設置。「群れない、慣れない、頼らない」を信条とする、自由で個性的な生き方は多くの人に愛された。90歳を過ぎてから美術館での個展が相次ぎ、18年までナカジマアートでの個展も継続して開催、名もなきクモや雑草の生きる姿にひかれて制作した作品を発表していた。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(481-482頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「堀文子」『日本美術年鑑』令和2年版(481-482頁)
例)「堀文子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2040931.html(閲覧日 2024-04-29)

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