ベータートロンによる金銅仏透視

1953年01月

阪大理学部浅田研究室ではベータートロンを利用して金属製品の内部を透視することに成功し、金銅仏の内部構造の撮影を試みた。重美「蔵王権現」の内部が鉄心が明瞭に現われたところから今後の利用が期待されている。

日本古美術展米国で開催

1953年01月

日本古美術展は前年々末係官及美術品が米国に到着して準備を重ねていたが、二五日ワシントンナショナルギャラリーで蓋をあけた。引続きニューヨーク、シャトル、シカゴ、ボストンの各都市に於て開催され、多大の反響を呼んだ。

唐招提寺展

1953年01月

唐招堤寺と朝日新聞社の共催により、一六日から二月一日まで上野松坂屋で開催、新国宝の秘仏鑑真和上像をはじめ、同寺の什宝約一〇〇点が出陳された。

大山祇神社国宝甲胄展

1953年01月

読売新聞社の主催により、一五日から二月一日まで日本橋三越に開催、新国宝の赤糸威鎧、紺糸威鎧等一〇〇余点の出品があつた。

第四回毎日美術賞、徳岡神泉の「池」に決定

1953年01月

昭和二七年一月から一二月の間に公表された作品を対象とする第四回毎日美術賞は日本画、第八回日展出品の徳岡神泉「池」に決定し、一五日発表された。油絵・彫刻には該当作がなく、日本画だけに賞金一〇万円が贈られることになつた。

クートー展開催

1953年01月

一日から二月二二日まで神奈川県立近代美術館においてフランスのリュシアン・クートーの個展が開催された。油絵二九点、デッサン・水彩二六点、グワッシュ一四点、タピスリー一点、銅版画三〇点の展観であつた。

小林秀雄著「ゴッホの手紙」読売文学賞をうける

1953年01月

毎年その一年間に発表された文学作品の最優秀作品を顕彰する読売文学賞の第四回(昭和二七年)が一日発表された。その中の文芸評論賞には凡そ一年間にわたつて芸術新潮誌上に連載され、完成とともに単行本として出版された小林秀雄の「ゴッホの手紙」が決定した。

耕人社解散

1952年12月

山元春挙門下の早苗会解散後、そのうちの有志によつて昭和一八年結成された耕人社は、理事長松本一洋の死去によつて一二月解散した。   

第一回桜新人賞決定

1952年12月

財団法人教育美術振興会と桜商会は本年度から桜新人賞を設定した。光風会、春陽会、国画会、二科会、行動美術協会、一水会、新制作協会、第二紀会、独立美術協会、自由美術家協会、東光会の一一団体のその年の展覧会、洋画作品中から各一名を選び、賞金五万円を贈るもので、受賞者の年齢を満三五歳以下に限つている。第一回、二七年度は、西尾毅、市川晃、積田鰹士、佐藤睦郎、江見絹子、広瀬功、玉置正敏、中西勝、坂上栄治、野見山暁治、松永和夫に決定した。二七日から三一日まで日本橋三越においてこれら受賞者の作品展を催した。

ユネスコによつて浮世絵展開催決定

1952年12月

一一月一二日から一二月一一日までパリで第七回ユネスコ総会が開かれたが、この会合で、今春日本へ依頼のあつた浮世絵複製を買上げ、世界各国においてユネスコ主催の展覧会を開催することが正式に決定された。この複製は文化財保護委員会の斡旋により製作中である。

法隆寺金堂立柱式行わる

1952年12月

昭和二四年四月解体工事に着手した法隆寺金堂の立柱式が一二日行われた。工事に着手してから三年六ケ月目で、昭和二九年四月に完成の予定である。

国立近代美術館開館

1952年12月

東京都中央区京橋三ノ一一の旧日活本社を買上げ、建築家前川国男に設計を依嘱して改装した国立近代美術館は、準備を完了し、一日開館した。開館第一回展として「日本近代美術展-日本近代絵画の回顧と展望」を開いた。館長岡部長景、次長今泉篤男である。

アメリカで開く日本古美術展出品物発送

1952年11月

来年アメリカの各地で開かれる日本古美術展出品の美術品九一点は東京国立博物館に集められ荷造りの上、二七日横浜に送られた。アメリカ陸軍用船ゼネラル・M・M・パトリック号に積込み、二九日横浜を出港する。

重要文化財建造物指定

1952年11月

第三次国宝指定と同時に重要文化財建造物一〇件の指定が発表された。秋田県神明社観音堂、山形県八幡神社鳥居などである。

第三次国宝指定発表

1952年11月

文化財保護委員会では二〇日第三次国宝新指定を発表した。雪舟筆破墨山水図、法隆寺蔵夢違観音など一三八件で、その一部は二五日から三〇日まで東京国立博物館において展観された。

中央公論社画廊開設

1952年11月

東京駅前丸ビルの二階にイサム・ノグチの設計による中央公論社画廊が出来た。一七日第一回展が高村光太郎小品展を以て開いた。

第一回全国美術館協議会開催

1952年11月

一四、一五日東京都美術館において、第一回全国美術館協議会が行われた。全国公私立美術館から約二〇名が出席し、全国美術館会議規約の作製や意見の交換を行つた。

国宝法隆寺展開催

1952年11月

一一月六日から三〇日まで日本橋三越において、毎日新聞社主催、東京国立博物館、文化財保護委員会の後援によつて開催された。

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