第一回新日本工業デザイン懸賞入選発表
1952年08月毎日新聞社では産業の興隆と輸出の促進に寄与するために新日本工業デザインの懸賞を設定したが、一五日入賞者を決定発表した。推薦に柳宗理、入選奨励賞に福田真知子のほか入選五、佳作八が発表された。
毎日新聞社では産業の興隆と輸出の促進に寄与するために新日本工業デザインの懸賞を設定したが、一五日入賞者を決定発表した。推薦に柳宗理、入選奨励賞に福田真知子のほか入選五、佳作八が発表された。
ヴェニスの第二六回ビェンナーレ国際美術館のコンクール審査員として渡欧した梅原竜三郎は一二日帰国した。
昨年サンフランシスコで開催された日本古美術展の好評によつて、アメリカでは更にワシントン、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、シャトルで日本古美術展を開催することを希望し、その折衝に前ハーバート大学教授ウォーナー、メトロポリタン博物館東洋美術部長アラン・プリースト、ワシントンフリーヤー美術館長ウェンレイが来日した。文化財保護委員会との第一回会合を一二日東京国立博物館で開催した。
大仏開眼一二〇〇年を記念して、東大寺名宝展が、東大寺、大仏奉賛会、朝日新聞社の主催、文化財保護委員会、東京国立博物館の後援によつて二日から二四日まで日本橋の高島屋において開催された。
奈良薬師寺の国宝月光菩薩は七月一八日の吉野地震で首にひびが入つたので、これを修理することとなり、文化財保護委員会から担当技官が赴いたが、八月四日首と胴をつないでいた鉄の心棒を切断した。文化財保護委員会の内部でもこの措置が問題となり、一二月新たに修理委員会が設けられた。
東京国立博物館奈良分館の名称は文化財保護法の一部改正により八月一日から奈良国立博物館となつた。
日本考古学協会弥生式文化特別委員会では三一日から大阪府中河内郡瓜破村大和川一帯の発掘を開始した。委員長杉原荘介が主宰し堅穴の遺跡多数の土器などを発見している。
日本の商業デザインが外国の商業美術雑誌に相次いで掲載された。ドイツのゲブラウス・グラフィツク誌の七月号は伊藤憲治の作品を八ページにわたつて紹介した。これは日本の商業デザイナーとして最初のことで、引きつづき各種のデザインが紹介された。
二二日から八月一四日まで東京国立博物館表慶館において、インド大使館と東京国立博物館の共催でインド美術展を開催した。インドの絵画など約三〇〇点を展観した。
七月二一日から三週間パリで開催されるユネスコ第七回特別委員会で文化財保護の国際条約案が作成されるが、これに日本側からユネスコ常駐日本政府代表永井三樹三が代表として、また文化財保護委員会建造物課長関野克が顧問として出席することになつた。昭和二五年以来懸案となつているもので、二六年ユネスコ国際記念物委員会で作成した「武力衝突時における文化財保護に関するユネスコ条約案」一〇章四五条を一層検討する。関野克は一八日朝出発した。
一八日午前一時一〇分から約一三分間にわたつて近畿東海北陸中国四国の各地方広範囲にわたり地震があつた。この地震は吉野地震と名付けられたが、奈良薬師寺東大寺の仏像、橿原神宮の土器、兵庫県中山寺の山門等に被害があつた。
流派にとらわれず友誼的な洋画研究団体として、熊谷守一、野口弥太郎、伊藤彪らによつて一五日白鳥会が結成された。第一回展は一〇月一一日から一五日まで日本橋白木屋において開催された。
文化財保護委員会では一四日、重要文化財七六件の指定を発表した。重要美術品の中から選ばれたものと、いままで全然未指定であつたものとで、箱根美術館蔵「樹下美人図」、細川護立蔵「宋白地黒掻落牡丹文瓶」などがあり、そのうちの一部は二二日から二七日まで東京国立博物館において展観された。重要文化財の新指定はこれが二回目である。
光風会々員全部の努力によつて東京都港区芝新桜田町一九に光風会美術会館が完成した。美術家自身の手による美術会館としてはわが国はじめてのもので、一階はギャラリー、二階はアトリエと集会所になつている。一〇日から一五日まで落成記念展を開いた。
言語学、民俗学、考古学など九学会連合によつて能登半島を総合調査することになり、一〇日から石川県七尾市和倉に調査本部を設けて約一ケ月半の予定で調査を行つた。考古学関係では東大教授駒井和愛が班長となつて参加した。
七月七日から一一日までスイスのチューリッヒ、ベルヌ、ローザンヌで第四回世界美術評論家会議が一五ケ国代表五八名が参加して開催された。わが国からはじめて富永惣一が出席し、本年から、日本、ドイツ、トルコが正式に加入することになつた。
世界救世主教では昨年一〇月から箱根強羅に美術館を建設していたが完成、六月一五日落成式を行つた。東洋古美術の蒐集が多く、財団法人東明美術保存会所属として七月三日から一般に公開した。
二六日東京国立博物館で行われた日本芸術院の今年度総会において、次期日本芸術院長に、任期満了の現院長高橋誠一郎が再選された。
六月一四日から一〇月一九日までイタリアのヴェニスで開かれる第二六回ビエンナーレ国際美術展に日本も参加することとなり、横山大観、小林、古径、安井曽太郎、梅原竜三郎ら一一作家の作品一八点を送つた。
工芸の新しい傾向を代表し、デザインに主点を置いた制作をしようとしている佐治正、佐藤潤四郎、芳武茂介等九名の工芸家によつて創作工芸協会が設立された。六月二日から六日まで第一回展を資生堂において開いた。