歌麿生誕二〇〇年祭行わる

1952年06月

江戸時代の浮世絵師喜多川歌麿の生誕二〇〇年祭が一日、菩提寺の世田谷区烏山町専光寺で行われた。七日から二五日まで記念浮世絵展が銀座の松坂屋で開かれた。

日本板画院創立

1952年05月

版画家棟方志功笹島喜平、下沢木鉢郎等六名によつて版画団体日本板画院が創設された。一一月一八日より二三日まで渋谷の東横において第一回展を開いた。

中央美術協会創立

1952年05月

中央美術学園の指導者と卒業生をもつて中央美術協会が結成された。九月二六日より三〇日まで第一回展を日本橋白木屋において開催した。

梅原竜三郎益田義信渡欧

1952年05月

六月一四日からイタリアのヴェニスで開かれるビエンナーレ国際美術展の日本側審査員として梅原竜三郎は三一日空路渡欧した。同じくビエンナーレ展日本側委員と九月にヴェニスで開かれる国際芸術家会議に美術部門代表として出席する国画会々員益田義信が同行した。

柳宗悦浜田庄司渡欧

1952年05月

八月イギリスのダーティントンで開かれる第一回国際陶工染織工大会に出席するため、また志賀直哉とともに毎日新聞社の文化使節として欧米各地を歴訪するために、日本民芸館長柳宗悦と国画会々員浜田庄司は三一日空路出発した。

第一回日本国際美術展開催

1952年05月

毎日新聞社主催の第一回日本国際美術展が五月二二日から六月一四日まで東京都美術館で開かれた。フランス、アメリカ、イギリス、イタリア、ベルギー、ブラジルの現代作家の出品に、日本の代表的作家の作品約四五〇点を集めた大規模な展覧会であつた。

法隆寺五重塔解体復原工事完成

1952年05月

昭和一七年にはじめられた法隆寺五重塔の解体復原工事は一〇年の期間をかけ、ようやく三月二二日塔上の水煙相輪をとりつけ大体の工程を完了した。四月末までに一切の準備を終え、五月一八、一九の両日落慶法要を行つた。法隆寺では落慶を記念して五月一〇日から六月一〇日まで聖徳太子奉讃展、飛鳥文化展などの特別展を行つた。

高野山明王院焼失

1952年05月

赤不動像の所蔵で著名な和歌山県高野山別格本山明王院は二日夜本堂から出火し、本堂庫裡などを全焼した。赤不動像は無事であつた。

パリの二〇世紀展に日本からも出品

1952年04月

フランスの文化自由会議国際委員会では四月二九日から六月一日までパリで二〇世紀展を開催するが、日本の出品を日本文化自由委員会へ依頼して来たので、日本画と洋画一八人の作家の作品を送つた。国内展は三月四日から八日まで上野松坂屋で開催した。なお、この会議に出席のため美術部門の代表として福沢一郎が五月一四日渡仏した。これらの作品は到着が遅れたため、二〇世紀展とは別に六月中旬パリにおいて展観された。

東京目黒円融寺釈迦堂修復

1952年04月

東京都目黒区碑文谷一丁目にある重要文化財建造物円融寺釈迦堂は昭和二四年以来、文部省、東京都、目黒区等の援助によつて復原修理工事を行つていたが、完成し、一九日落慶式を挙行した。

古径靭彦青邨三人展開催

1952年04月

日本美術院同人、芸術院会員の小林古径、安田靭彦、前田青邨の三人の代表作展が、朝日新聞社の主催、東京国立博物館の後援によつて一八日から二九日まで銀座の松坂屋で開かれた。

大日美術院解散

1952年04月

昭和一二年三月結城素明川崎小虎青木大乗の三名を同人とし、明日の日本画を創造するという趣旨を掲げて創立した大日美術院はその使命を一応果したものとして四月一五日解散の声明を発表した。

新潟県刈羽貝塚発掘

1952年04月

日本考古学協会縄文式文化編年特別委員会は昭和二六年度調査の一つとして新潟県刈羽郡刈羽村西谷所在の刈羽貝塚を四月一〇日から一〇日間発掘した。八幡一郎が調査を主宰し、多くの遺物を発見したがこの貝塚はおよそ縄文式前期末から中期初ころに遺されたものとされた。

矢代幸雄帰国

1952年04月

文化財保護委員会委員矢代幸雄は戦後の欧米美術界の実情調査のため昭和二六年一一月インド経由で渡欧し、イギリス、フランス、イタリア、オランダ等を歴訪、帰途アメリカに渡り各地を旅行、ハワイを経て一〇日帰国した。

日本染織美術特別展開催

1952年04月

東京国立博物館は今年創立八〇周年に当るのでその記念事業の一つとして四月六日から五月五日まで日本染織美術特別展を開催した。

サロンドプランタンの斡旋によりアメリカで日本現代美術展開催

1952年04月

在日外国外交官夫人達によつて日本の美術家を育成し外国に紹介しようとする目的で作られたサロン・ド・プランタンではアメリカの各地で現代日本美術展をするために準備をしていたが、日本画、洋画、版画の作品が集つたので、四月五日から九日まで東京リーダース・ダイジエスト社で展示会を開いた。六月からサンフランシスコで、その後セントルイス、ロスアンゼルス、シヤトル、サンタバーバラで展覧会を開く。

奈良文化財研究所設置

1952年04月

四月一日から一部改正の文化財保護法により奈良文化財研究所が設置されることになつた。奈良市春日野町五〇に置かれ、所長事務代理として黒田源次が任命された。

to page top