岡倉天心の切手発行
1952年11月一一月三日文化の日に岡倉天心の肖像をかいた一〇円切手が発行された。青味がかつた灰色の地に横向きの肖像をかいたものである。
一一月三日文化の日に岡倉天心の肖像をかいた一〇円切手が発行された。青味がかつた灰色の地に横向きの肖像をかいたものである。
古美術の蒐集によつて著名な大和文華館はまだ美術館の建物が完成しないため一般に公開されていないが、一一月三日から三〇日まで奈良国立博物館において第一回名宝展として収蔵品を公開した。
工業意匠の重要性が最近社会的にも認められてきた折からこのほど剣持勇、柳宗理、金子徳次郎等二五名のデザイナーによつて日本インダストリアル・デザイナー協会が結成された。
丸木位里、赤松俊子作の「原爆の図」が新星映画社、監督今井正で二巻の映画に作製された。幽霊、火、水、虹、少年少女の五部によつて出来ている。
京都三条河原町朝日会館の外壁二〇〇坪の壁面に東郷青児に依嘱して壁画を製作中であつたが、完成した。「平和と団結」という主題のものである。
東京国立博物館では「美の殿堂」「上代彫刻」と美術映画を作製して来たが、その第三作として「桃山美術」が完成した。二巻で、製作三井芸術プロダクション、脚本近藤市太郎、演出水木荘也、撮影川村清衛、音楽松平頼則である。
一九五二年度、第六回の毎日出版文化賞が決定し、二九日発表された。美術書関係では、岡鹿之助、今泉篤男、滝口修造編、美術出版社発行の「日本の彫刻」が選ばれた。一一月一二日毎日新聞社において授賞式が行われた。
岩手県西磐井郡平泉村の中尊寺金色堂にあつた同寺蔵重要文化財の華鬘四個と清衝観音菩薩の瓔珞、地蔵菩薩の宝玉等計九点が盗まれているのを二七日朝発見した。
昭和二七年度、第一一回目の文化勲章受賞者が決定し二一日発表された。美術関係者では梅原竜三郎と安井曽太郎がこの栄誉をうけた。一一月三日文化の日に授賞式が皇居で行われた。
文化財保護委員会では岩手県教育委員会と合同で岩手県南磐井郡平泉村の無量光院跡を発掘調査することになつた。二〇日から三一日まで、考古学、建築史、庭園等各方面から調査した。
薬師寺東塔の相輪屋根など修理工事を行つていたが、工程を完了し一一日落慶式法要が行われた。
来年アメリカの五都市で開かれる予定の日本古美術展の出品については八月以来日米合同選択委員会々議を重ね、九月五日文化財専門審議会を開いて第一次公式案を作成し、更に修正を重ねて一〇月九、一〇両日の専門審議会で可決した目録が一一日文化財保護委員会から発表された。高山寺の鳥獣戯画や神護寺の源頼朝像などが含まれている。
海外各地にある大使館、公使館、領事館等から美術品を送つてほしいという要望が多いので、外務省では優秀作品を買上げて送ることになつた。装飾用とするとともに日本美術を紹介する意味で日本的な特色の濃い絵画、版画、工芸品を選ぶ方針である。
明治四年九月文部省に博物局を置き、湯島聖堂大成殿を博物館として一〇月一日より一〇日間博覧会を開いたが、これが今日の東京国立博物館のもとになつており、今年で満八〇年を迎えた。博物館では二日記念式典を行い、また記念特別展として一日から三〇日まで館の収蔵品だけで普段陳列されない日用品までを含めた広範囲な展観を行つた。記念出版としては博物館所蔵品の総目録を刊行する。
東京文化財研究所美術部長に田中一松が決定し、一日発令された。
九月二〇日から一〇月二六日まで東京国立博物館表慶館においてブラック展が開催された。東京国立博物館、読売新聞社の主催、フランス大使館の協賛で、絵画・彫刻・版画等一九五二年に至る代表的作品をブラック自身選択したものである。
福田新生、野崎利喜男など一水会々員の有志により「新しい内容と様式によるレアリズムの研究・創作・発表」を目標としてレアル美術会が結成された。
九月一六日から二一日まで日本橋三越においてベルギー現代美術展が開催された。ティトガット・デルボーをはじめ現代ベルギー画壇を代表する七作家の作品八二点を展観した。