高村光太郎賞(第2回)

1959年02月

高村光太郎賞の第2回選考委員会は、21日次の通り受賞者を決定した。 造型部門 豊福知徳(新制作協会々員)の木彫「漂流」 詩部門 山之口貘「定本山之口貘詩集」(原書房)故草野天平「定本草野天平詩集」(弥生書房) 授賞式は4月2日、高村光太郎の命日に行われる。

木村荘八遺作展

1959年02月

春陽会創立以来の会員で、昨年11月物故した木村荘八の遺作展が、春陽会、毎日新聞社主催のもとに、17日から22日まで日本橋白木屋でひらかれた。フューザン会時代から、晩年に及ぶ油絵のほか、たけくらべ、?東綺譚などの挿絵、水墨画を含む100余点の代表的作品が展観され、木村荘八の初めての、大きな回顧展であり、遺作展であつた。

東京都文化会館着工

1959年01月

東京都の開都500年を記念して上野竹之台に建てられる東京都記念文化会館の起工式が1月末に行われた。総工費13億5,900万円、延21,490平方米の建物で、都民のための音楽、オペラ、バレーなどの上演にふさわしい設備をそなえ、また国際会議場としての大小のホールがつくられる。前川国男設計事務所・ミド同人の設計になるもので、36年春完成の予定である。

メキシコに日墨協会々館建設

1959年01月

メキシコは第2次大戦中日本と国交断絶し、メキシコ市にあつた日本公使館の資金を凍結したが平和条約締結後、昭和30年には日墨文化協定が結ばれ、31年には凍結資金全額(約2200万円)を解除返還した。日本側は、この好意を両国の親善と文化交流に役立てようと、たまたま創立された「日墨協会」の会館建築費として返還金を寄贈し、同会館は31年12月着工、日系メキシコ人大工の手で建設された。敷地13,000平方米、木造二階建延1,500平方米、入母屋式の日本風建築で、日本が外国に建てた文化会館としては、初めての建築様式である。1月30日開館式を行つた。

毎日美術賞

1959年01月

昭和25年から毎日新聞社は、毎年その年度間に、優秀作品を発表、また美術界に貢献した作家に毎日美術賞を贈つてきたが、15日に第10回(33年度)の受賞者を決定、次の通り発表した。 鳥海青児 第3回現代日本美術展出品「ピカドール」その他の制作活動に対し。(賞金10万円) 山口薫 第3回現代日本美術展出品「林と動物」その他の制作活動に対し。(賞金10万円) 須田国太郎 関西画壇の向上に長期間にわたつてつくした功績に対し。(特別賞5万円)

第7回日本工業デザイン賞決定

1959年01月

産業デザイン振興運動の一翼として、毎年、毎日新聞社が主催している新日本工業デザイン・コンペの1958年度(第7回)は、応募点数437点に及んだが審査の結果、特選以下入賞作12点の他、スポンサー賞23点を決定12日発表した。 特選1席 通産大臣賞 ブラザーミシン 勝山直佐子、葉満田貴美子 特選2席 通産大臣賞 クボタホームテーラー GKインダストリアル・デザイン 研究所 本田、吉岡、長、西沢 特選3席 東京都知事賞 パイロット万年筆 塚本定男、西山亘 特選3席 大阪府知事賞 パロマガス湯沸器 青木哲則

「近世絵画の展望」展

1959年01月

6日-18日 於日本橋・高島屋、美術雑誌「国華」の創刊70年を記念して開催されたもの。必ずしも有名品揃とまではゆかぬが、いままで公開の機会の少なかつた作品がかなり多かつただけに衆目を集めた。

サンパウロビエンナーレ国際美術展(5回)出品作家決定

1958年12月

明34年9月ブラジル、サンパウロにおける第5回ビエンナーレ国際美術展への出品作家が決定した。 油絵 川端実斎藤義重、長谷川晶、津高和一、南大路一、佐野繁次郎、猪熊弦一郎菅井汲 版画 山口源、安間安?、吉田政次駒井哲郎、加納光於 彫刻 毛利武士郎小野忠弘向井良吉 墨象 比田井南谷、森田子竜 

善隣中国文庫設立

1958年12月

ひろく一般大衆のため、中国文化の研究と普及の道をひらくため、東京小石川1の1善隣学生会館内に善隣中国文庫が創設されることになつた。倉石武四郎東大名誉教授を代表者に中国関係図書、研究資料を集め、専門家以外を対象とした中国文化研究のセンターをつくろうとするものである。 

グットデザイン分科会委員の辞任

1958年12月

昨年1月通産省内に特許庁附属機関として意匠奨励審議会が発足し、ここでグッドデザインの選定公表が行われるようになつた。併しこの選定制度に対し「選定委員がボス化したり、選定に利権がからむ恐れがある」との批判が強くなり、小杉二郎、佐々木達三、由良玲吉、小池岩太郎豊口克平の5委員は、現在の選定方法に誤りがあるとの声明を発した。そこで意匠奨励審議会では直ちに同制度を改善するため、坂倉準三、小杉二郎等の6名を小委員会委員に選び制度の欠陥を種々検討した。 

グレコの彫像立つ

1958年12月

エミール・グレコ作「浴みする女」の像が20日日本橋白木屋玄関前に立てられ、コッピーニ駐日イタリア大使ら出席のもとに除幕式が行われた。像は高さ2.16mのブロンズ像で、1956年ヴエニス、ビエンナーレ国際美術展で最優秀賞となつたものであるが、同百貨店の売渡交渉に対し、作者が無償で同店に提供したものである。 

アンドレーマルロー来日

1958年12月

フランス国務相アンドレー・マルローは同国首相の特使として、日仏親善のため8日来日した。滞在中は岸首相にドゴール首相の親書を手渡し、各方面と懇談し、或いは古美術の参観などをして14日夜帰国した。 

イタリア政府より授勲

1958年12月

最高裁判所長官田中耕太郎、文部省文化財保護委員会委員矢代幸雄の両名は、イタリア文化興隆に貢献した功績を認められ、同国最高の文化勲章であるコメンダドーレ首飾勲章を4日同国より贈られた。 

ピッツバーグ国際現代絵画彫刻展

1958年12月

1958年ピッツバーグ国際現代絵画・彫刻展は、カーネギー・インスィテュート主催により12月4日から明年2月8日まで、ピッツバーグ市創立2百年祭に因んで開催された。日本では昨年5月来日したカーネギー財団ウォッシュバーン美術部長の選んだ次の19名が招待をうけて参加し、行動美術協会長谷川晶はウイリアム・フリュー記念賞(1000ドル)を授与された。 青木正春作品(1957) 麻生三郎 赤空と人(1957) 東貞美 シロ(1957) 上田桑鳩 海岸印象(1958) 江見絹子 錘(1955) 大野秀隆 群集(1957) 荻太郎 曲芸師と子供達(1957) 川端実 リズム(1958) 斉藤義重 鬼(1957) 下村良之介 沼(1956) 杉全直 滲透する空間(1957) 竹谷富士雄 岩と人(1957) 中川一政 いちごと赤絵の鉢(1957) 長谷川晶 作品(1956) 藤井令太郎 マツカドの掎子(1957) 森田子竜 坐爼上(1958) 山口薫 道化の馬(1958) 吉岡堅二 鳥の群(1958) 吉原治良 作品(1956) 

朝日広告賞入選作決定

1958年12月

昭和33年度朝日広告賞第1部作品の入選が決定し、3日発表された。 新聞広告用デザイン、朝日広告賞(賞金30万円)1点半田勝宏、富沢善次、(岩波書店)準朝日広告賞(賞金各10万円)3点大住順一、安村圭介、福井鉄也、磯田尚男の合作(平凡社)川辺一雄、杉浦範茂の合作(日本電気) 広告写真、朝日広告賞(賞金30万円)1点早崎治(東芝)準朝日広告賞(賞金各10万円)3点増田松樹(銚子醤油)、小笠原秀次(三菱鉛筆)、森谷義三(福助足袋) 

インド仏跡踏査隊派遣

1958年11月

東方学会では仏紀2500年を記念して毎日新聞社と共同でインド仏跡踏査隊を派遣することとなり、長尾雅人京大教授を隊長に、仏教学美術史学、考古学の専門学者によつて編成された隊員6名が約4ケ月の予定で29日出発した。1行は主としてインド北半に存在する仏教遺跡の共同調査と学術資料の収集を行う。 

上野駅に裸婦像を設置

1958年11月

上野駅中央ホールに29日裸婦像が建てられた。これは、同駅75周年と先月からはじめて運行された特急「はつかり」を記念して地元の台東区が寄贈したものである。朝倉文夫の旧作で、両手を大空に向つて拡げたブロンズ像で「翼」と名付けられた。 

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