- 本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された彙報・年史記事を網羅したものです。
- 現在、2019年/平成31(令和元)年まで公開しています。(記事件数5,450 件)
1958年05月 1昨年日本アジア連帯委員会文化芸術使節団の訪ソを発端とする、日ソ文化交流の一端をなすソ連での「日本工芸美術展」は、昨年来同政府と日本側同展実行委員会との間に交渉がすすめられていたが、16日在日ソ連大使館で両国の間に正式調印をみた。同展の作品は、全国工芸作家に呼びかけられたもので工芸美術品357点、民芸品2組、図録一万部で、総額7000余万円に達した。これらの品は、30日横浜港でソ連船に積込まれ、ナホトカに向け出港した。なおソ連に於ける展覧会は8月12日からのモスクワをはじめとするモルダヴィアの首都及びオデッサ等諸都市を巡回の後、ソ連各地の博物館に保存されることになつた。
1958年05月 富田米国ボストン美術館東洋美術部長は、長年米国に在つて日本美術文化の紹介と、日米両国民の友好増進に尽した功労により、19日勲三等瑞宝章を贈られた。なお同氏は、故ウォーナー博士の供養塔が奈良法隆寺境内に建てられ、6月9日除幕式が行われたのを機会に来日したもので、7月4日帰国した。
1958年05月 岡倉天心の人と業績を偲ぶ岡倉天心生誕碑建設委員会は、横浜開港100年祭を機会に縁りの地本町一丁目横浜開港記念会館敷地内に記念碑を建設した。5月16日ジャー印度大使、富田幸次郎、斎藤隆三ら内外関係者多数列席のもとに除幕式が挙行された。記念碑は新海竹蔵作のブロンズのプロフィルがはめこまれ、安田靭彦執筆の題字が刻まれている。
1958年05月 高村光太郎記念会では、故人が戦後7年間独居した花巻市太田山口の山小屋に、套屋及び詩碑を建設し、15日その落成及び除幕式が行われた。15日は故人が疎開すべく東京を立つた日に因んだもので、詩碑及套屋の設計は谷口吉郎により、詩碑製作には実弟高村豊周があたつた。
1958年05月 原爆症で死んだ友の霊をなぐさめようと、海外を含めた児童の募金による「原爆の子の像」が完成、5日広島市内平和記念公園で除幕式が行われた。像は菊池一雄東京芸大教授の製作で、高さ6米のコンクリート製台座の上に、3米大のブロンズの少女が金色の折鶴を差上げて立つて居り、鼎状の台座には「平和の鐘」がつるされて、「千羽鶴」「地に空に平和」と湯川博士が書いている。
1958年04月 上野公園桜ケ丘に建設中であつた日本芸術院会館が完成し、30日同館で関係者多数出席のもとに開館式及び新築落成祝宴が開かれた。同会館は32年3月着工し、工費5千万円余のうち2千万円が政府予算で、残りは会員の年金寄附、展示会の収益等でまかなわれた。敷地千坪余の内に約4百坪の建物が、鉄筋コンクリート平屋建の平安朝様式で建てられ、設計には同院会員の吉田五十八が当つた。内部はクラブ、講堂、事務室に分れ、展示室には近年の院賞受賞作品が常時展示される。
1958年04月 荻原守衛(碌山)の遺作を保存する碌山美術館が、故郷の長野県穂高町に建てられ、22日開館式が行われた。同館は今井兼次早大教授の設計になり、119平方米の北欧風建物で、工費7百万円が投じられた。ここには「労働者」など15点の鋳銅彫刻をはじめ、絵画、蔵書などが収蔵陳列されている。
1958年04月 国立西洋美術館は原案によると国立近代美術館の分館として建てることになつていたが、国内及びフランス側の意見もあるので、衆議院の委員会で原案を修正し、独立美術館として設置法に明記することに24日の参議院で決定した。なお付則で34年3月11日まで経過措置として国立近代美術館分館として扱うことになつている。
1958年04月 ソ連婦人雑誌「ソビエト婦人」社では、毎年3月8日の国際婦人デーに、1ケ年を通じて雑誌に発表された記事、その他で、優秀作品に賞金をおくることになつているが、ことしは丸木俊子が紀行文「アムステルダム」で、4人の受賞者の1人に選ばれた。
1958年04月 昨秋旧日展審査方法が不明朗であるとの理由で、一水会より出ている日展審査員の硲伊之助、木下義謙、高野三三男のほか一水会委員は、13回日展不参加を声明し波紋をなげたが、今回全員個人の資格で日展に参加することになつた。
1958年04月 ベルギーにおける万国博は、4月17日から10月19日まで首都ブラッセルで米・英・仏・ソ等43カ国参加のもとに開催された。日本もこれに参加し、日本館(設計前川国男)と庭園を作り、「機械と手」のテーマに日本調のデイスプレイを行つて絵画、工芸品及び模造の土器、埴輪、機械類など多くの出品物を陳列し、日本の文化及び産業の紹介につとめた。その結果日本の独特なデザインを認められ、日本館をはじめ出品物に金賞、銀賞など50数個の賞が送られた。
1958年04月 新日展の発足に当つて第四科内における「第四科会」と「日本工芸会」関係者が対立して紛糾をつづけていたが、16日日本工芸会系の香取正彦ほか25名は、新日展に参加しないという声明を出した。
1958年04月 欧州巡回日本古美術展は15日パリの国立近代美術館で蓋をあけた。以後約1月半宛でロンドン、アムステルダム、ローマで開催された。
1958年04月 日本芸術院は11日補充会員3名を決定した。美術関係次の通り。 伊東深水(日本画) 堅山南風(日本画)
1958年04月 3日から6月15日まで、スイスで開催された第5回ルガノ国際版画展に、日本から16点が出品されたが、そのうち山口源の「能役者」がグランプリ(賞金、邦貨約12万9千円)を受賞、浜口陽三が9人賞の第2位に入賞した。同展はルガノ市で隔年毎に開催されるもので、日本は2回目から参加している。
1958年04月 中国、印度をはじめビルマ、タイなどアジア各国より寄せられた図書、写真、絵画など約1万点を集めたアジア文化図書館が三鷹市新川534に1日開館した。同館は郭沫若中国科学院長所蔵の中国文献1300余点寄贈申出が端初となつたものであるが、これが単に日中文化交流のみならず、アジア文化の交流に役立てようと、その構想が大きくなつて、同館の設立をみたものである。
1958年03月 昭和32年度(第8回)芸術選奨文部大臣賞の受賞が決定し、29日文部省から7名が表彰された。これはその年間における最もすぐれた業績と新分野を開いたものに授与されるもので、美術部門は次の通り。なお授賞式は4月12日文部省で行われ、松田文相よりそれぞれ賞状と賞金(5万円)が贈られた。 美術部門 山本豊市 昨年ブリヂストン美術館における個展で、困難な乾漆技術を克服し、「静」から「動」への自由にして温順な表現への発展を示し、新創作への意慾あふれる作品を多数発表し、我国彫刻界に貢献した。 渡辺義雄 多年写真の空間的造型性を追求し、質感、量感の表現、精密描写に独自の技術をきわめ、日本の建築、庭園等を対象に多くの秀作を発表、とくに昨年3回にわたる外遊作品展においてもすぐれた作品を多数発表するとともに、アジア各地を旅行し、写真を通じてアジア諸国との交流を深めた。
1958年03月 文化財保護委員会では29日建造物17件の重要文化財指定を行つた。今回は韮山の江川太郎左衛門の旧宅等4件の民家が含まれている。
1958年03月 昨夏衆議院文教委員会における高津代議士の発言を機として改組を検討中であつた日展運営会は、22日総会を開き、従来の日展運営会を解散して、即日新たに「社団法人日展」として再発足することにきめた。その結果日本芸術院からは分れ、純然たる在野団体として発足したわけで、明治40年以来継続してきた官設展はここに終止符が打たれたことになる。尚展覧会は今秋文部省後援、東京都協賛のもとに第1回が開催された。
1958年03月 松方コレクション返還については、去る7日同コレクション寄贈法案がフランス国民議会で全会一致を以て可決され、同国よりの返還も漸く実現の見通しがついた。日本側ではその受入れのための国立西洋美術館の建設を急ぎ、21日上野公園凌雲院跡の敷地で、両国関係者参列のもとに起工式が行われた。