中国古代彫刻展

1959年04月

28日-5月10日、於日本橋・高島屋、日本経済新聞社主催、中国の南北朝、隋唐の仏像彫刻を中心として、日本に収集されたもののうちから優品をえらんで、塑像(古代及び西域)をはじめ青銅像・檀像・石像・陶像(明器を含む)など130点あまり出陳された。この種の展観は最近あまり催されていなかつたため、有意義な展観といえよう。

松永記念館開館

1959年04月

松永安左衛門は、小田原市板橋の自宅わきに松永記念館を建て26日開館披露式を行つた。二階建、延528平方米の同館には、同氏所蔵の書画、陶器、銅器などを展示、いずれ一般にも公開の予定である。

ロンドンの博物館から「東方の賢者の礼拝」(彫刻)寄贈される

1959年04月

ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート博物館から「東方の賢者の礼拝」(鯨骨の彫刻)が文化財保護委員会に寄贈された。高さ約45cm、12世紀頃の作品の複製で、昨夏ロンドンで開かれ好評だつた日本古美術展の御礼として同館から贈られたもの。23日外務省で岡田文化財保護委員会事務局長に手渡しされた。

芸術院保留会員に宇田荻邨

1959年04月

先に補充会員として美術部門では児玉希望金島桂華、小糸源太郎の三名がきまつたが、このうち日本画関係では、金島、宇田は投票各22票で過半を占め有資格者となつたが、同数のため、年令順により金島を当選とした。しかし、会員の松林桂月鏑木清方、安田靱彦の抗議によつて再考、結局、宇田を有資格として会員申請保留の形とし、欠員を生じたときは無投票で当選の資格をもつものと決め20日発表した。保留会員の措置は同院初めてである。

奈良国立博物館の新庁舎竣工

1959年04月

16日奈良国立博物館の新しい事務所が竣工した。この庁舎は旧庁舎の奥に建てられたもので本館の東側、広い芝生の正面にあり、陸屋根造りの低い平屋建で、軒廻しや柱以外は外廓をすべてガラス張りに開放したものである。

朝倉文夫、上野駅にブロンズ像を贈る

1959年04月

朝倉文夫は上野駅に三人の裸婦像を贈り6日除幕式が行われた。等身大のブロンズ像で、三人の裸婦像は知、情、意を表わすという。像は御影石の台座上に立ち、2分間に1廻転する装置になつている。

欧州巡回日本古美術品展出品作品無事帰国

1959年03月

33年4月より本年2月まで欧州4ケ国(フランス、イギリス、オランダ、イタリア)を巡回した日本古美術展出品作品143点は、3月30日フランス船にて横浜港に無事到着した。

イラクイラン第2次調査団派遣

1959年03月

東大イラク・イラン遺跡発掘委員会(委員長茅東大総長)は、去る31年に行つた第一次発掘調査の成果にもとづき江上波夫教授以下11人の第二次調査団を派遣することとなつた。江上団長ら三人の先発隊は1月末テヘランに先行、受入れ準備をすすめており新規矩男副団長(東京芸大教授)ら8人の本隊は29日現地に向つた。

文部省芸術選奨きまる

1959年03月

28日、33年度(第29回)の芸術選奨授賞者がきまり、美術関係では上村松篁、建築では大江宏が選ばれた。 上村松篁 新制作展の「星五位」で日本の伝統と革新の調和をなしとげた功績に対し 授賞式は4月6日文部省で行われた。

千鳥ケ淵無名戦士墓苑完成

1959年03月

日華事変以後、太平洋戦争まで、大陸や南方戦線で散つた無名戦士の遺骨を収めるため、東京都千代田区三番町千鳥ケ淵に建設中の墓苑は28日完成し、完工式と追悼式を行つた。建築設計谷口吉郎、造園田村剛、工事は竹中工務店、敷地16,000平方米、工事費4,800万円。

国宝重要文化財新指定

1959年03月

文化財保護委員会は28日国宝及び重要文化財の新指定を行つた。新たに指定された国宝は14件で、瑞巌寺庫裏及び廊下(宮城)や刀無銘正宗(文化財保護委員会保管)などあり、重要文化財は277件で、旧法隆寺献納御物の各種工芸品47件(東博保管)など含まれている。

日本芸術院の新会員

1959年03月

日本芸術院は23日補充会員の選考委員会をひらき、第一部新会員に金島桂華児玉希望、小糸源太郎が決定した。選考は、さきに選考委員会があげた11人の候補者について(6人の補充予定)各部門毎に会員から書面投票を求めた結果、過半数を獲得した人で、美術部門3人(第1部)、芸能部門1人、計4人であつた。

丹下健三、フランス建築雑誌社から受賞

1959年03月

フランスの建築雑誌、〟L’architecture D’aujourd’hui〝は、同誌が創設した、建築および芸術の国際グランプリ第1回(1959年)受賞者として丹下健三を決定したと、20日報じた。1958年の建築雑誌に発表された現代建築について、「建築と絵画の結びつき(協力)」を重視して審査した結果、丹下の東京都庁舎及び草月会館が受賞対象となつたものである。なお6月7日パリで授賞式が行われ丹下が出席した。

丸善ビルにクラフトセンター新設

1959年03月

日本クラフト・センターでは、丸善の協力を得て、日本各地に埋れているハンドクラフト製品の健全な発達と、優秀性を内外に紹介するため、東京日本橋の丸善ビル3階に恒久的な展示場を設けた。各地の陶磁器、木竹工芸、金工、ガラス製品、紙、玩具など陳列品は各種に及ぶが、クラフト・センター所属の勝見勝渡辺力他10名のデザイナーの厳格な選衡により国際水準に達した優れた作品のみが展示されることになつている。14日から展示をはじめた。

東京芸術大学教授前田青邨の後任に吉岡堅二決定

1959年02月

今年から67才を定年として、定年制が実施されることになつた芸大では、前田青邨石井鶴三丸山不忘脇本楽之軒がこれに該当し勇退することとなつた。なかでも日本画科は、従来教授をはじめ助教授、講師のほとんどを院展系作家で占めていたため、日展系作家の不満も多かつたが、それが1月8日の美校日本画出身者の同窓会で表面化し、「朝日」「東京」などの紙上で大きく報道され波紋をおこした。後任教授の問題は、その後も、日展、院展両派の対立抗争としてしばしばジャーナリズムの取りあげるところとなつたが、芸大は独自の立場から選考、後任は吉岡堅二ときまつた。なお吉岡堅二は助教授として任命される。

日本芸術院恩賜賞日本芸術院賞決定

1959年02月

昭和33年度(第15回)恩賜賞ならびに芸術院賞が決定し25日発表された。 恩賜賞 木村荘八 「東京繁昌記」の文章と絵に対して 芸術院賞 (第一部美術部門) 加藤栄三(日本画) 33年日展作品「空」に対し 森田沙伊(日本画) 33年日展作品「少年」に対し 小山敬三(洋画) 一水会出品「白鷺城」連作に対し 林武(洋画) 33年の「回顧・新作」個展に対し 井上良斎(陶器) 33年日展出品「丸文陶平皿」に対し 大須賀喬(彫金) 33年日展出品「金彩透彫飾皿」に対し 中村順平(建築) 長年の業績に対し 木村荘八は、一昨年の折口信夫に次で故人としては二度目の受賞に当る。授賞式は5月26日日本芸術院会館で行なわれた。

法隆寺献納宝物展

1959年02月

20日-4月12日、於東京国立博物館、明治11年に法隆寺より帝室に献納した宝物一切、300点に及ぶ品々を公開陳列した展観で、その作品は正倉院御物に匹敵する。宝物の時代も飛鳥・奈良を中心に平安鎌倉から近世の遺品に及び、「聖徳太子及び二王子像」「鳳凰円文螺鈿唐櫃」などわが国古美術の最高級品を数多く含んでいる。

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