吉田政次

没年月日:1971/09/19
分野:, (版)

日本版画協会会員の木版画家吉田政次は、9月19日午後6時7分、胃ガンのため東京新宿区の東京女子医大病院で死去した。享年54才。大正6年(1917)3月5日、和歌山県有田郡に生まれ、昭和9年(1934)に和歌山県立耐久中学校を卒業し、翌年上京、川端画学校に学び、昭和11年(1936)東京美術学校西洋画科に入学し、昭和16年(1941)に同校を卒業した。翌17年現役兵として中支に派遣され、昭和21年(1946)帰還し、同年東京美術学校研究科に入り、翌22年同科を修了した。昭和24年(1949)日本版画協会第17回展に木版画「働く父子」を出品、以後、毎年出品し、昭和27年同会会員となった。また、昭和25年(1950)、モダンアート協会が創立された第1回展に招待出品、同28年にモダンアート協会会友、翌29年会員に推挙されたが、昭和37年(1962)同会を退会した。両展に作品「静」シリーズ、「空間」シリーズを発表して注目され、昭和30年(1955)スイス・ルガーノ国際版画ビエンナーレ展に出品、31年(1956)スイス・チュリッヒ国際版画展に出品など国際展でも活躍し、昭和32年(1957)東京国際版画ビエンナーレ展において新人賞を受賞、昭和44年(1969)には、スペイン、バルセロナ市で開催された第8回ホアン・ミロ賞国際素描展に「門」を出品して大賞をうけた。
作品略年譜
昭和24年 「働く父子」
昭和24年 「生の果て A、B」
昭和26年 「若き交り A~D」「争い」「二人」「バレリーナの夢 A、B」
昭和27年 「静 1~6」
昭和28年 「静 19~32」
昭和29年 「静・残されたもの 51~61」
昭和30年 「静・残されたもの 66~68」「清楚(女優S・H嬢の映像)」「清楚(バレリーナM・T嬢の映像)」「団結・友愛・出発・建設」
昭和31年 「森の精」「地の泉 1~4」
昭和32年 「作品、新しき出発」
昭和33年 「雷」
昭和34年 「相対性絵画NO.5」「無限NO.2-3」「空間2~8」
昭和35年 「静寂」「空間」
昭和36年 「空間NO.5」「昔NO.6」
昭和38-39年 「空間NO.21~39」
昭和40年 「壁の中の白NO.4~5」「空間 50」
昭和41年 「壁の中白NO.6」「空間 52」
昭和42年 「除夜の鐘NO.1~2」「余韻NO.2」
昭和43年 「躍動する心NO.1~5」

出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(88頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「吉田政次」『日本美術年鑑』昭和47年版(88頁)
例)「吉田政次 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9317.html(閲覧日 2024-04-18)

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