谷口吉郎

没年月日:1979/02/02
分野:, (建)

建築家谷口吉郎は、2月2日胃ガンのため東京都港区元の前田外科病院で死去した。享年74。1904(明37)年6月24日石川県金沢市の九谷焼窯元の家に生まれ、四高を経て28年東京大学工学部建築学科を卒業した。30年東京工業大学講師となり、翌年には助教授、43年には教授となった。この間、38年より2年間外務省、文部省より在外研究員として欧米に派遣され、65年退官するまで建築計画、意匠学、設計等について研究、教育した。退官後も幅広い活動で内外に知られ、作品は終戦直後に長野県馬籠における島崎藤村記念堂の設計で建築学会賞を受賞した。そのほか戦前では慶応幼稚舎校舎が有名で、戦後には東宮御所をはじめ東京国立博物館東洋館、東京国立近代美術館、迎賓館赤坂離宮和風別館、ホテルオークラ等現代日本の代表的な建物を設計した。また記念碑的なものも多く手がけ高村光太郎、森鴎外、志賀直哉ほか文学者の詩碑や文学碑も設計し、東京千鳥ヶ淵の戦没者墓苑等、墓碑類も多い。一方戦後、明治の歴史的建築が急速に失われゆくのを惜しんで、四高時代の同級生土川元夫名鉄副社長の協力を得、それらを移築集合させた博物館「明治村」の建設を実現させ、64年以来同館々長をつとめた。ライト設計の帝国ホテル移築をはじめ、森鴎外、夏目漱石旧宅など各地より貴重な建物をはこび、内容充実に努めた功績は高く評価された。建築におけるその作風は、いづれも繊細な日本の伝統的様式を近代に生かしたもので、清明な造形表現を特色とした。工学博士。日本芸術院会員。文化勲章受領。
略年譜
1904 6月4日、石川県金沢市に生まれる。生家は九谷焼の窯元であった。
1911 石川県立師範学校付属小学校入学。
1918 石川県立第二中学校入学。
1922 第四高等学校入学。学生時代は旅行部部員として夏はアルプス、冬は長野県へスキーに出かけるなどの活躍ぶりを示す。
1925 第四高等学校卒業。
東京帝国大学工学部建築科入学。
1928 東京帝国大学工学部建築学科卒業。卒業研究は伊藤忠太教授の指導を受け、卒業設計は「製鉄所」の計画案。
1931 東京帝国大学大学院入学。佐野利器教授の指導を受け、工場建設を研究。
1930 東京工業大学講師となる。
1931 東京工業大学助教授となる。佐野利器教授のお世話で松井絹子と結婚。
1932 東京工業大学水力実験室、東京都目黒区大岡山
1933 佐々木邸、東京都大田区田園調布
東京工業大学建築材料研究所、東京都大田区石川町
三井邸家族室、東京都世田谷区若林
1935 南薫造山荘、長野県軽井沢町
自邸、東京都品川区小山
1936 東大航空研究所にて「建築物の風圧に関する研究」を始め、数年間風洞実験に従事。
1937 慶應義塾幼稚舎校舎、東京都渋谷区恵比寿
梶浦邸 東京都中野区中央
1938 慶應義塾大学予科日吉寄宿舎、神奈川県横浜市港北区箕輪町
日本大使館建設工事の技術交渉のため、外務省嘱託としてドイツに出張。
1939 第二次世界大戦勃発により、避難船・靖国丸にてアメリカを経て帰国。
1940 木下杢太郎らと「花の書の会」を始め、「花の書」を創刊。
1942 論文「建築物の風圧に関する研究」に対し日本建築学会学術賞を受賞。
1943 工学博士号を受く。東京工業大学教授となる。
1944 11月頃より雑誌「文藝」に「雪あかり日記」を書き始める。
1947 藤村記念堂、長野県木曾郡山口村
徳田秋声文学碑、石川県金沢市末広町卯辰山公園
1948 慶應義塾中等部三田校舎、東京都港区三田
慶応義塾幼稚舎合併教室、東京都渋谷区恵比寿
1949 藤村記念堂その他に対して日本建築学会作品賞を受賞
慶應義塾大学通信教育部事務室、東京都港区三田
慶應義塾大学第三校舎(四号館)、東京都港区三田
慶應義塾大学第二校舎(五号館)、東京都港区三田
慶應義塾大学学生ホール、東京都港区三田
島崎藤村墓所、神奈川県中郡大磯村地福寺
1950 慶應義塾大学病院は号病棟、東京都新宿区信濃町
1951 慶應義塾女子高等学校第一校舎(三号館)、東京都港区三田
慶應義塾大学第二研究室(万来舎)、東京都港区三田
佐々木小次郎の碑、福岡県北九州市小倉区赤坂手向山公園
木石舎、新日本茶道展(松坂屋上野支店)出陳
慶應義塾普通部日吉校舎、神奈川県横浜市港北区日吉本町
原民喜詩碑、広島市基町城趾公園
1952 石川県繊維会館、石川県金沢市西町
兒島喜久雄墓碑、東京都港区南青山梅窓院
慶應義塾女子高等学校第二校舎(四号館)、京都港区三田
慶應義塾大学病院ほ号病棟、東京都新宿区信濃町
慶應義塾大学第三研究室、東京都港区三田
慶應義塾大学体育会本部、東京都港区三田
1953 桃季境、プール・付属家、静岡県熱海市伊豆山
十和田記念碑、森県十和田町
佐藤春夫詩碑、青森県十和田町
宮田重雄画室、武蔵野市吉祥寺
山本別邸、書斎・書庫、神奈川県湯河原町
慶應義塾大学日吉第三校舎、横浜市港北区日吉町
1954 慶應義塾大学病院特別病棟、東京都新宿区信濃町
高田保墓碑、奈川県大磯町高田保公園
森鴎外詩碑、東京都文京区千駄木
石川県議会議事堂、石川県金沢市広坂
薄田泣菫詩碑、岡山県倉敷市連島町連島公園
国立科学博物館理工学館、東京都台東区上野公園
石橋家墓所、府中市多磨町東京都多磨霊園
展覧会、現代の眼「日本美術史から」<会場構成>、国立近代美術館
1955 相模原ゴルフクラブ、クラブハウス、神奈川県相模原市当麻
集団週末住居、長野県北佐久郡軽井沢町
志賀邸、京都渋谷区東
新聞功労者顕彰碑(自由の群像)、東京都千代田区千鳥ヶ淵公園
高崎市議会議事堂、高崎市高松町
1956 『修学院離宮』(毎日新聞社)を刊行、毎日出版文化賞を受賞
高村光太郎葬儀<式場構成>、東京都港区南青山東京都青山葬儀所
1956 慶應義塾大学医学部基礎医学第一校舎、東京都新宿区信濃町
秩父セメント株式会社第二工場、埼玉県秩父市
木下杢太郎詩碑、伊東市湯川伊東公園
幸田延音楽碑、東京都大田区池上本門寺
慶應義塾中等部三田校舎、東京都港区三田
1957 慶應義塾大学医学部基礎医学第三校舎、京都新宿区信濃町
佐伯邸、東京都千代田区一番町
佐伯別邸、長野県北佐久郡軽井沢町
弟橘媛歌碑、神奈川県相模原市当麻相模原ゴルフクラブ
1958 東京工業大学創立70周年記念講堂、東京都目黒区大岡山
原敬記念館、岩手県盛岡市本宮
藤村記念館、長野県小諸市丁懐古園
慶應義塾発祥記念碑、東京都中央区明石町
佐藤邸、京都渋谷区松濤
警視庁築地警察署数寄屋橋巡査派出所、東京都中央区銀座
第四高等学校寮歌記念碑(南下郡の碑)、金沢市広坂金沢大学
1959 千鳥ヶ淵戦没者墓苑、東京都千代田区三番町
解体記念碑、東京都荒川区南千住回向院
蘭学記念碑、京都中央区明石町
石川県美術館、石川県金沢市兼六町
青森県立体育館、青森市横山町
別宮邸、東京都世田谷区成城
小林邸、東京都渋谷区松濤
1960 桃季境、本館玄関・ロビー、静岡県熱海市伊豆山
火野葦平文学碑、北九州市修多羅高塔山公園
東宮御所、東京都港区元赤坂
八火翁光永星郎之碑、東京都谷中霊園
展覧会、小林古径遺作展<会場構成>、国立近代美術館
展覧会、伝統工芸店「日本人の手」<会場構成>、国立近代美術館
1961 東宮御所その他の業績に対して日本芸術院賞を受賞。明治建築の保存を土川元夫氏にはかる。
青森県庁舎、青森市長島
秩父セメント株式会社製管工場、秩父市大野原
1962 日本芸術院会員となる。財団法人明治村認可、常任理事となる。
ホテルオークラ、ロビー、東京都港区虎ノ門
新渡戸稲造記念碑、岩手県盛岡市内丸岩手公園
資生堂会館、東京都中央区銀座
文京区立鴎外記念本郷図書館、東京都文京区千駄木
日夏耿之介詩碑、長野県飯田市通町
森鴎外文学碑、北九州市中央公園
三菱金属鉱業株式会社大井工場、東京都品川区西品川
秩父セメント株式会社熊谷工場、埼玉県熊谷市三ヶ尻
1963 永井荷風文学碑、東京都荒川区南千住浄閑寺
田邊元墓碑、群馬県吾妻郡長野原町
吉川英治墓所、東京都府中市多磨町東京都多磨霊園
不二禅堂、東京都渋谷区代々木
石井漠「山を登る」記念碑、東京都台東区浅草浅草公園
資生堂画廊、東京都中央区銀座
大下夫人葬儀<式場構成>、東京都港区南青山東京都青山葬儀所
1964 博物館明治村初代館長に就任。
展覧会、現代の眼「暮らしの中の日本の美」<会場構成>、国立近代美術館
慶應義塾幼稚舎講堂(自尊館)、東京都渋谷区恵比寿
名古屋大学古川図書館、名古屋市東山区不老町
室生犀星文学碑、金沢市中川除町
湘南ヨットハーバー、藤沢市江の島
1965 3月18日、博物館明治村開館。東京工業大学教授を定年退官、同大学名誉教授となる。
乗泉寺、東京都渋谷区鶯谷町
良寛記念館、新潟県出雲崎町
正宗白鳥文学碑、長野県北佐久郡軽井沢町
尾崎士郎墓所、川崎市多摩区生田春秋苑
博物館明治村、犬山市大字内山
1966 帝国劇場、ロビー・客席、東京都千代田区丸の内
1967 ㈱谷口吉郎建築設計研究所を設立する。明治村茶会運営委員会委員長となり、第1回明治村茶会開催。
1968 文化庁文化財保護審議会委員となる。
東大寺図書館、奈良市雑司町
東京国立博物館東洋館、東京都台東区上野公園
淡交ビルヂング、京都市北区紫野宮西町
平和塔(ピース・パゴダ)、サンフランシスコ市ポスト街ジャパン・センター
日本モンキーセンター栗栖研究所、犬山市犬山官林
1969 東京国立近代美術館、東京都千代田区北の丸公園
鴎外遺言碑、東京都三鷹市下連雀禅林寺
小説徳川家康記念碑、栃木県日光市山内二社一寺入会地
文学者之墓、静岡県駿東郡小山町冨士霊園
柿傳、畳席、京都新宿区新宿
東宝ツインタワービル<外装>、東京都千代田区有楽町
1970 柿傳、椅子席、東京都新宿区新宿
志賀直哉赤城文学碑、群馬県富士見村
茶道研修会館、京都市北区
第二淡交ビル、京都市北区
1971 硫黄島戦没者の碑、東京都小笠原村硫黄島
ホテルオークラ・アムステルダム ロビー
中山義秀文学碑、成田市成田山公園
八王子乗泉寺霊園、東京都八王子市加住町
東京會舘、東京都千代田区丸の内
清水家墓所、東京都大田区池上本門寺
第四高等学校寮歌記念碑(北の都の碑)、金沢市広坂
放送功労者顕彰碑(しあわせの像)、東京都渋谷区神南
志賀直哉葬儀<式場構成>、京都青山葬儀所
1972 河文、水かがみの間、名古屋市中区丸の内
ホテルオークラ、久兵衛・山里、東京都港区虎ノ門
亀井勝一郎墓碑、東京都多磨霊園
1973 文化功労者となり文化勲章を受章。
比島戦没者の碑、フィリピン共和国ラグナ州カリラヤ
ホテルオークラ別館、ロビー、東京都港区六本木
春日大社収蔵庫(宝物館)、奈良市春日野町
石川県立中央公園噴水広場、金沢市広坂
吉田富三墓碑・シロネズミの碑、東京都文京区本駒込吉祥寺
森鴎外遺言碑、島根県津和野町養老館
1974 中部太平洋戦没者の碑、サイパン島
迎賓館別館(遊心亭)、東京都港区元赤坂
吉屋信子墓碑、鎌倉市長谷高徳院
日本学士院会館、東京都台東区上野公園
国立飛鳥資料館、奈良県高市郡明日香村
佐藤春夫詩碑、東京都港区三田慶應義塾大学
新聞創刊の地記念碑、東京都千代田区霞が関
1975 山本和夫詩碑、福井県小浜市門前明通寺
1979 2月2日、満74歳8ヶ月で永眠。従3位勲1等瑞宝章追贈。
(略歴・主要作品年譜 谷口吉郎建築設計研究所作製)

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(261-263頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「谷口吉郎」『日本美術年鑑』昭和55年版(261-263頁)
例)「谷口吉郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9549.html(閲覧日 2024-10-10)

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