児玉希望
日本画家の児玉希望は、脳血せんのため東京港区の慈恵医大病院で死去した。享年72才。本名省三。明治31年7月5日広島県高田郡に生れ、若くして上京し、川合玉堂の門下となった。大正10年第3回帝展「夏の山」が初入選で、以後連続入選している。昭和3年第9回展「盛秋」で特選となり、第11回展「暮春」もまた特選となった。昭和6年第12回帝展では推薦・無鑑査になり、翌年審査員となった。以来、帝文展の審査員をつづけ、官展の中心作家となり、戦後に及んだ。昭和27年第8回日展「室内」で日本芸術院賞となり、同33年には日本芸術院会員となった。そのほか、戦時中は美術及工芸統制協会の理事長をつとめ、戦後は社団法人日展の常務理事として運営につくし、その手腕を示した。戦前は戊申会、児玉画塾展等を、戦後は伊東深水、矢野橋村等と日月社を結成し、私塾系作家の制作促進を計った。また昭和32年には約1ケ年滞欧し、各地で水墨画展を開き、その後の代表作に「仏蘭西山水絵巻」(三巻)(東京国立近代美術館蔵)がある。なお、代表作の多くは、広島県立美術館に寄贈されている。
出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(82-83頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「児玉希望」『日本美術年鑑』昭和47年版(82-83頁)
例)「児玉希望 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9342.html(閲覧日 2024-10-10)
例)「児玉希望」『日本美術年鑑』昭和47年版(82-83頁)
例)「児玉希望 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9342.html(閲覧日 2024-10-10)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1950年01月 日月社結成
- 1951年11月 玉堂年金の買上げ作品内定
- 1953年02月 恩賜賞、芸術院賞決定
- 1961年07月 日月社解散
- 1939年04月 戌辰会解散
- 1941年03月 長流画塾の献画
- 1943年05月 日本美術及び工芸統制協会創立
- 1945年10月 美報解散
- 1959年03月 日本芸術院の新会員
- 1959年04月 芸術院保留会員に宇田荻邨
- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1923(大正12) 大正拾弐年度改正東西画家格付表_806936
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
- 1926(大正15) 増補古今書画名家一覧_807116
- 1926(大正15) 大正十五年版 東洋画家名鑑_807026
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016
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