扶桑会結成

1942年07月

片山健吉、角浩、泉二勝麿等油彩、染色、陶器、産業美術、書道に関係する有志により扶桑会が結成された。

造営彫塑人会結成

1942年07月

国威の宣揚とモニユメンタル彫塑への完成並に記念造営に関し挺身隊たらんとする趣旨のもとに、高村光太郎清水多嘉示中村直人、泉二勝麿等帝展、院展、旧国展等の彫塑家を網羅して造営彫塑人会が結成され、十五日上野精養軒に於て結成披露を行つた。

日本自由画壇解散

1942年07月

創立以来二十三年を経過せる京都の日本自由画壇は、時局に鑑み解散し、五日現在に至る迄の物故同人、其他関係者の追善法要を京都南禅寺天授庵で執行した。

岡倉天心遺跡赤倉山荘更生竣工式

1942年07月

予て岡倉天心偉績顕彰会がその第一回事業として計画中の天心終焉の地赤倉に於ける記念館赤倉山荘及び記念碑が竣工したので、二日竣工式を挙行、同夜同地香岳楼に盛大なる祝賀会が行はれた。

日本美術協会々員有志作品献納

1942年07月

日本美術協会第一部(絵画)有志は、海軍傷病兵慰問の為作品三十五点を献納することとなり、一日上野公園同会列品館に於て内見会を催した。

住料文化研究会設立

1942年06月

世界未曾有の大戦時に逢着し、混沌を来しつつある国内建築工芸文化に新しき方向を劃する目的を以て本野精吾を理事長として住料文化研究会が京都に設立され、十四日その発会式及び第一回総会を開いた。

福田翠光献画

1942年05月

日本画家福田翠光は第九回帝展出品の「撃搏」外作品二十点を海軍記念日に当る二十七日舞鶴鎮守府に献納した。

海軍省美術家派遣

1942年05月

曩に陸軍省に於ては戦争記録画製作の為作家十六名を選抜現地に派遣したが、海軍省に於ても吾が海軍の活動の様を製作せしむることとなり、作家十六名を選抜、これ等を南方に派遣することとなつた。これ等の作家は安田靫彦矢沢弦月三輪晁勢江崎孝坪藤田嗣治中村研一奥瀬英三川端実御厨純一有岡一郎宮本三郎佐藤敬、三国久、石川滋彦、藤本東一路、中村直人である。

美術家連盟結成

1942年05月

美術団体聯盟は、四日解消し、新に美術家聯盟が結成され、同日上野公園精養軒に於て辻永石井柏亭有島生馬木村荘八等四十余名の作家と大政翼賛会文化部陸海軍報道部代表者出席のもとに発会式を挙行した。

レオナルドダヴインチ展披露会

1942年04月

日本世界文化復興会主催によるレオナルド・ダ・ヴインチ展覧会の披露午餐会が二十二日帝国ホテルに於て同会及びイタリア大使館共同主催により催された。

日本劇画院創立

1942年04月

十数来年の日本劇画協会は発展的解消を解げ、三日劇美術人二十一名により日本劇画院が創立され、その創立発会式が日比谷三信ビル東洋軒に於て開かれた。

陸軍省派遣画家壮行会

1942年03月

陸軍に於ては皇軍将兵の姿を再現する為作家十六名即ち藤田嗣治伊原宇三郎中村研一宮本三郎寺内万治郎、猪熊源一郎、小磯良平、中山魏、田村孝之介清水登之鶴田吾郎堂本印象川端竜子福田豊四郎山口蓬春吉岡堅二を現地に派遣し、戦争記録画を製作せしむることゝなつた。而してその壮行会が朝日新聞社の主催により二十四日夕ニユウグランドに於て開催された。川端竜子山口蓬春吉岡堅二福田豊四郎藤田嗣治、谷荻陸軍報道部長、浜田海軍少佐、主催者側より村山朝日社長等が出席した。

日本画家報国会献納

1942年03月

日本画家報国会では飛行機献納の為日本画新作画展を開催したが、其の全出品は三越の買上ぐるところとなつたので、売上金二十万円を陸海軍恤兵部へ十万円宛献納した。

日本画家報国会結成さる

1942年03月

文展系、日本美術院、青竜社其の他の日本画家の殆んど全部を網羅せる日本画家報国会は、川合玉堂川端竜子等約百名参加のもとにその結成式を十九日九段軍人会館に於て開催、宣言、決議、事業報告等を行つた。尚その第一回事業として十九日より二十二日まで日本橋三越に於て展覧会を開催した。

東邦彫塑院解散

1942年02月

彫塑界の最大団体たりし東邦彫塑院は、時局に鑑み日本彫塑家聯盟の結成を期とし今回解散した。

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