李王妃、李鍵公妃殿下文展台臨
1942年11月李王妃、李鍵公妃殿下には十四日文部省美術展覧会に成らせられた。
李王妃、李鍵公妃殿下には十四日文部省美術展覧会に成らせられた。
久邇若宮、賀陽若宮殿下には十三日文部省美術展覧会に台臨あらせられた。
東伏見宮妃、賀陽宮妃、伏見若宮妃殿下には、九日文部省美術展覧会に台臨遊ばされた。
岡倉天心偉績顕彰会は、茨城県大津町五浦の天心遺跡を米山辰夫より寄贈を受けたのを機会に、これを保存し併せて同邸内に記念碑の建立を計画しつゝあつたが、その工成つたので、八日除幕式を挙行した。
美術を通じて勤労者の生活に豊なる創造の温床を与へ、優秀なる技能と正しく美しき生産と更に健全なる新文化の発展を期し、大政翼賛会及び大日本産業報国会後援のもとに桐原葆見を理事長として生産美術協会が結成され、七日日比谷三信ビル東洋軒に於て披露式を挙げた。
日華両国の工芸、建築其の他の造形運動の連絡提携を図り、以て中華民国の造形文化を指導振興し、延て東亜諸国の生活文化の連絡に資する為日華両国の工芸家、興亜院、商工省の間に国策的な文化団体結成の計画が進められてゐたが、藤山愛一郎を会長として興亜造形文化聯盟が創立され、四日丸の内大東亜会館に於て結成披露会を行つた。
日本画家報国会は軍用機献納の資とする為会員の作品を去る三月日本橋三越に於て「軍用機献納作品展覧会」として開催、続いて大阪に於ても同作品の展観を行ったが、会場を提供した三越は日本画家報国会と協議、これ等百八十四点の作品を購入し、東京帝室博物館に寄贈した。
横山大観は第二十九回院展出品の「正気放光」を展覧会終了後海軍省を通じて江田島海軍兵学校に寄贈した。
満洲建国十周年慶祝画献納式は三十一日新京国務院貴賓室に於て張国務総理、武部総務長官、花輪大使館参事官其他祝典事務局文芸聯盟、日満文化協会の関係者列席の上、松林桂月、有島生馬の両使節より張総理へ目録を贈呈、総理は謝辞の後感謝状を贈つて献納式を終つた。
東条首相は七日満洲国建国十周年を寿いでわが慶祝会から満洲国に献納する絵画の製作者及び満洲国皇帝陛下に献上した花瓶の製作者の労を犒ふ為これ等の美術家を首相官邸に招待した。出席者は横山大観、河合玉堂、荒木十畝、安田靫彦、前田青邸、鎬木清方、松林桂月、小室翠雲、西山翠嶂、上村松園、安井曽太郎、山下新太郎、有島生馬、南薫造、小林万吾、藤田嗣治、中沢弘光、清水六兵衛の外、陪賓として清水帝国芸術院長、渡部帝室博物館総長、沢田東京美術学校長、岡部日満文化協会副会長、竹内、宮田両慶祝会長等であつた。
高松宮殿下には七日東京帝室博物館表慶館に開催中の満洲国建国十周年慶祝献納絵画展覧会に成らせられ、日満文化協会副会長子爵岡部長景、渡部帝室博物館長の御説明にて御観覧遊ばされた。
東京美術学校興亜部では故岡倉天心の三十年忌に際し、五日同校々内天心銅像前に参集、天心祭を挙行し、又講演、展観等を行つた。
満洲国建国十周年慶祝会は、日満文化協会及び帝国芸術院の斡旋に依り帝国芸術院会員の製作にかゝはる日本画及び油絵を満洲国政府に寄贈する事となり、その発送に先立ち一日より七日迄帝室博物館表慶館に於てこれ等の作品を展観した。
三笠宮並びに同妃両殿下には二十六日満洲国国宝展に御成り遊ばされた。
高松宮殿下には妃殿下と御揃にて十日表慶館に開催中の満洲国国宝展に御成り遊ばされ、渡部帝室博物館長の御先導にて約一時間余に亘り御巡覧遊ばされた。
満洲国建国十周年を記念して日満文化協会の斡旋により満洲国建国十周年慶祝会、東京帝室博物館の共催により、十日より二十五日迄東京帝室博物館表慶館に於て刻糸、刺繍を中心とする満洲国国宝展が開催された。
文部省及び博物館協会等に於て予て大東亜博物館建設計画が進められつつあつたが、その内容の充実を計り、資料の散逸、群小機関の濫立を避ける為、民間団体その他一切の分散的計画を中止せしめ、強力なものとするべく、情報局は七日附を以て「大東亜における天産資源政治経済文化民族等に関する資料を綜合展覧すべき大東亜博物館(仮称)建設に関して政府に於て目下考究中につき、当分の間類似施設の設計計画はこれを進行を差控へしめる旨本日の次官会議において決定を見たり」と発表した。
英国に在つて其の名を知られた洋画家牧野義雄は、日英交換船に依り凡そ五十年振りに帰国した。
旧皇国芸術聯盟は新しく皇芸会と改称し、京都日本画家聯盟に加入、研究団体として杉本哲郎外同志により皇芸会国画研究所を設置した。
美術を通じ我日本民族の伝統的特質を東亜諸国に紹介し、亜細亜民族の文化昂揚を図る為予て設立準備中の大東亜美術協会は、会長に伯爵有馬頼寧を推戴、七日日比谷三信ビルに於て発会式を挙げた。