堂本印象

没年月日:1975/09/05
分野:, (日)

日本画家堂本印象(本名三之助)は、9月5日午前1時38分心不全のため、京都第二赤十字病院で死去した。享年84歳。葬儀は、7日自宅において密葬、16日堂本美術館で本葬が行われ、25日には京都会館で京都市公葬が営まれた。印象は、明治24年12月25日京都市に生れた。父は伍兵衛、母は芳子で、生家は銘酒「賞菊」の醸造元として知られる酒造業であったが、父の代に事業に失敗して没落した。9人兄弟の三男であった印象は、苦学して画道に入り、大正10年京都市立絵画専門学校を卒業した。この間、西山翠嶂の塾にも学び在学中の大正8年第1回帝展に「深草」が初入選した。同じく第3回「調鞠図(ちょうきくず)」、「訶梨帝母(かりていも)」がともに特選になった。また大正14年には「華厳」で、帝国美術院賞を受けるなど、若い頃からすぐれた才能が認められた。その後、帝展、文展、日展等官展の審査員をしばしばつとめ、昭和25年には日本芸術院会員となった。同36年文化勲章、38年にはローマ法皇からサン・シルベストロ騎士勲章を、74年にはバチカンの近代美術館に「母と子」を納めて、サン・シルベストロ十字勲章を受章した。またこの間、昭和9年には画塾東丘社を創立して、これを主宰し、京都絵専教授をつとめるなど、多くの後進育成にもあたっている。なお、パリ、ニューヨーク、トリノ等で個展を開いている。昭和41年には、京都衣笠山の麓に「堂本美術館」を建設し自作を陳列、話題となった。作品は、極めて多作といえるが、それらを概観すると、初期における古典的題材による、文学性ゆたかな絵画は、戦後大きな変貌を示し、現実生活に取材した洋画的表現の濃いものとなり、さらに昭和33年ごろからは抽象的画面を展開するようになる。また絵画以外でも彫刻、ガラス工芸、染色、陶芸、金工などのほか、堂本美術館における建築までも手がける多才ぶりであった。このような多様な変貌ぶりは、一部に批判的眼もないわけではなかった。しかし、近代の日本画家としては、その旺盛な制作活動は卓抜で、瞠目すべきものがあった。
 代表作に「木華開耶媛」(このはなさくやひめ)、「調鞠図」「華厳」「ガラス」「メトロ」などのほか、諸社寺壁画、襖絵、天井絵などの制作多数に上る。
画暦
明治24年(1891) 12月25日京都市に生れる。
大正8年 「深草」第1回帝展。
大正9年 「拓榴」「西遊記」(三枚)第2回帝展。西山翠嶂の塾に入る。
大正10年 「調鞠図」(対)(特選)、「爽山映雪」第3回帝展。京都市立絵画専門学校本科卒業。
大正11年 「訶梨帝母」(三幅対)(無鑑査)第4回帝展。
大正13年 「乳の願い」「故父」(委員)第5回帝展。
大正14年 「華厳」(帝国美術院賞)(委員)第6回帝展。
大正15年 「雪遊び」(二幅対)(委員)第7回帝展。
昭和2年 「春」(委員)第8回帝展。
昭和3年 「蒐猟」(無鑑査)第9回帝展。帝展審査員となる。
昭和4年 「木華開耶姫」第10回帝展。
昭和5年 「実」第11回帝展。
昭和6年 「大原談義」第12回帝展。
昭和7年 「冬朝」第13回帝展。
昭和9年 「春泥」第15回帝展。画塾東丘社創立し主宰する。第1回展を昭和13年に開催。
昭和10年 京都市立絵画専門学校教授。(~1941年)
昭和18年 「北条時宗」第6回文展。
昭和19年 「楠公父子」戦時特別文展。帝室技芸員となる。
昭和22年 「太子降誕」第3回日展。
昭和23年 「婦女」第4回日展。
昭和24年 「或る家族」第5回日展。
昭和25年 「新聞」第6回日展。
昭和26年 「ガラス」第7回日展。日本芸術院会員。
昭和29年 「凝惑」第10回日展。
昭和30年 「生活」第11回日展。
昭和31年 「意識」第12回日展。
昭和32年 「無明」第13回日展。
昭和33年 「無礎」改組第1回日展。
昭和34年 「知覚」第2回日展。
昭和35年 「無間知覚」第3回日展。
昭和36年 「交響」第4回日展。文化勲章、文化功労者。
昭和37年 「結集」第5回日展。
昭和38年 「縁起」第6回。ローマ法皇よりシルベストロ騎士勲章を受ける。
昭和39年 「輪廻の記念碑」第7回日展。
昭和40年 「久遠」第8回日展。社団法人堂本美術館を設立。
昭和41年 「如実」第9回日展。
昭和42年 「執着の離脱」第10回日展。
昭和43年 「ロゴスの不滅」第11回日展。
昭和49年 ローマ法皇パウロ六世より聖大十字シルベストロ大騎士勲章を受ける。京都市名誉市民となる。
昭和50年(1975) 9月5日京都第二赤十字病院で死去する。
壁画 襖絵 天井絵
大正14年 京都大徳寺龍翔寺書院 襖絵(山水、柳鷺等24枚) 杉戸(仙人 8枚)
昭和6年 京都御室仁和寺黒書院 襖絵(松に鷹、秋草等 48枚)
昭和8年 京都臨済宗東福寺法堂 天井絵(滝 24×12m 1面)
昭和9年 京都東寺、教王護国寺小子房 襖絵(鷲、壮丹等 48枚)
昭和9年 明治神宮絵画館 壁画(侍講進講 2.3m×3m 1面)
昭和10年 大和信貴山朝護孫子寺成福院 襖絵(柳鷺、松林鹿寺等 34枚)
昭和11年 京都醍醐寺三宝院純浄観 襖絵(桜と楓、水郷等 42枚)
昭和11~17年 和歌山県高野山根本大塔 壁画(真言八祖 4m×4m 8面) 和歌山県高野山根本大塔壁画(飛雲、霊鳥 4m×1.2m 8面) 和歌山県高野山根本大塔 柱絵(十六大菩薩像 4m×4.7m 16面)
昭和14~17年 大阪四天王寺宝塔 壁画(本尊四仏像 1m×3m 4面) 大阪四天王寺宝塔 壁画(四仏浄土図 1.8m×1.3m 8面) 大阪四天王寺宝塔 柱絵(十二天像 12面) 大阪四天王寺宝塔 壁画(八部衆像 2m×1.3m 8面)
昭和16年 住友家持仏堂芳泉閣 壁画(弥陀来迎図 2m×2.7m 1面) 住友家持仏芳泉閣 壁画(飛天、散華等 2m×0.7m 30面)
昭和18年 紀伊田辺高山寺 絵巻(高山寺縁起、上、下 2巻)
昭和24年 京都平安神宮客殿 襖絵(風景、秋鹿等 28枚)
昭和26年 徳島市般若院本堂 襖絵(老松鷹、竹林等 56枚)
昭和26~32年 東京最高裁判所大法廷 壁画(聖徳太子憲法宣布等 3m×3m 3面)
昭和31~32年 東京浅草寺観音堂 天井絵(天人 8m×6m 2面) 東京浅草寺観音堂 天井絵(蓮華8m×4m 2面)
昭和33年 尾張信貴山泉浄院多宝塔 壁画(五智如来 1.8m×2m 1面) 尾張信貴山泉浄院多宝塔壁画(天人 4面)
昭和33年 京都智積院宸殿 襖絵(婦女喫茶、桜樹等 22枚)
昭和38~39年 大阪カテドラル、聖マリヤ聖堂、壁画(栄光の聖マリア、右近、ガラシヤ 10m×10m 1面) 大阪カテドラル、聖マリヤ聖堂、壁画(ルソン行の右近、ガラシヤの最後 4m×3.2m 2面)
昭和38年 高知五台山竹林寺書院 襖絵(風神、雷神、太平洋、瀬戸内海等 30枚)
昭和40年 京都西芳寺(苔寺)書院 襖絵(国師ノ間、心字間、問答の間等 28枚)
昭和43年 岐阜乙津寺客殿 襖絵(超ゆる空、光る庭等 17枚) 京都恵美須神社拝殿 天井絵(竜 5m×3.6m 1面)
昭和44年 京都西芳寺本堂西来堂 襖絵(遍界芳彩、無機等 100枚)
昭和46年 京都法然院書院 襖絵(雲華西来等 58枚)
昭和48年 最高裁判所大会議堂 壁画(豊雲 1100×235cm) 大和大神々社宝庫 壁画(和、光、2面210×160cm)
著書
昭和16年 四天王寺宝塔壁画 画集、画論
昭和18年 高野山大塔壁画と柱絵 画集、画論
昭和15年 看心有道 随筆
昭和29年 画室の窓 随筆
昭和30年 美の跫音 ヨーロッパ美術紀行
昭和35年 新造形 画集
昭和38年 印象の作品 画集 堂本印象新造形作品 画集
昭和40年 堂本印象 画集
昭和46年 画室随想 随筆
昭和49年 堂本印象水墨画 画集
昭和50年 堂本印象造型芸術 画集

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(308-309頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「堂本印象」『日本美術年鑑』昭和51年版(308-309頁)
例)「堂本印象 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9625.html(閲覧日 2024-10-12)

以下のデータベースにも「堂本印象」が含まれます。

外部サイトを探す
to page top