女流画家協会から脱退
1957年08月女流画家協会々員森田元子、東山沙智子の両人は、一身上の都合により女流画家協会を脱退した。
女流画家協会々員森田元子、東山沙智子の両人は、一身上の都合により女流画家協会を脱退した。
二七日から九月一七日まで、毛越寺の第三次発掘が行われ一先す終了した。結果は1講堂の基壇が木造であつたこと、2嘉祥寺の西廊跡は単廊と複廊とからなり、下に堀水が流されていたこと、3大泉池東北部の常行堂前渚に舟入場とみられる入江が発見され、平安時代の庭園史に極めて重要な資料であることが明かにされた。
醍醐寺五重塔壁画の模写が、三二、三三年の継続事業で一三日から開始された。今年度は真言八祖と羽目板の天部の一部を一一月までに完成し、続いて来年度は心柱の覆板を行う予定。担当画家は鳳凰堂を担当した諸氏である。
フランスのアンフォルメル派に属する画家ジョルジュ・マチウが、日本で個展をひらくため二十九日来日した。展覧会は九月三日から九日まで日本橋白木屋で開催され、「禅」「鎌倉時代」等日本歴史に取材した風変りな題名の作品は人々の注目をひいた。
美術の国際交流を促進するため外務、文部両省及び文化財保護委員会などの国内美術機関代表が集つて国際美術協議会を作ることになり七日その発会式が行われた。委員長に学習院大教授富永惣一が決まり、事務局は当分国際文化振興会に置かれることになつた。
昭和三〇年からの継続事業として一日から二九日まで行われ、今年は七重塔の廻廊あとが発見された。奈良東大寺の様式を忠実に模し全国六九国分寺のうち最大と目されていたものであるが、これによつて、みちのくの信仰と栄華をあつめていたことが明らかになつた。
日仏文化交流の一環としてさきにパリのギメー博物館から寄贈された美術品二二点が二日から一四日まで東京国立博物館で展示された。ハッダの仏頭など八点、トムシュクの泥造一〇点、クムトラの塑像一点、敦煌の麻布二菩薩像一点、、薄絹菩薩像二点で、いずれも四、五世紀から七、八世紀の学術的に非常に貴重な作品である。
北伊豆諸島文化財総合調査団は前年度の御蔵、三宅両島調査に引続き、一三日から二九日まで利島、大島、新島、式根島、神津島の五島の文化財調査を行い、住居址の発掘、土器の発見のほか、一木造の平安時代仏像二五体を発見した。
さきにシエル美術賞を設けたシエル石油会社では、今回デザイン賞を設定した。グラフィックデザインを公募して、授賞は一等一点一〇万円、二等一点五万円、三等四点各一万五〇〇〇円とし、九月授賞の発表が行われた。結果は次の通り、 一等-「働らく人」田保橋淳、準二等「石油」甲斐重夫、「海のファンタジー」伊坂芳太良、三等「石油」岩本朝彦、「石油」福田繁雄、「立体交差」高田宗治
九日行われた衆議院文教委員会で、社会党代議士高津正道委員は、政府の美術行政を追求した。芸術院の在り方、日展運営上の問題等が質問の中心であつたが、これに対し宇野文部省芸術課長が答弁にあたつた。なお同様質問がその後一〇、一二日の委員会でも引つづき続行され、一二日には高橋芸術院々長が出席して質疑応答が行われた。この事態は報道関係にも大きく扱われ、斯界にセンセーショナルな話題をなげ世間一般にも大いに注目をひくところとなつたが、その後日展改革問題は高津発言に端を発して種々対策が協議された。その結果、来年より日展、芸術院を分離し、また運営会の改善等が協議された。その結果、山崎覚太郎、松田権六、山鹿清華の三理事は事態の責任をとつて院長に辞表を提出したが、結局岩田藤七理事の辞任があつて三名の辞表は撤回されることになつた。なほ九月二八日の日展運営会臨時総会で、芸術院との分離は正式に決定された。
デモクラート美術協会は、戦後の美術界で前衛的活動をつづけてきたが、このほど会員たちの申合せにより解散した。
東京谷中の天王寺五重塔は六日未明放火により黒こげの骨組だけを残して全焼した。寛政三年(一七九一)の再建になり、総ケヤキの素木造で、幸田露伴の「五重塔」のモデルであつた。
日本民族学協会主催、読売新聞社後援による東南アジア稲作民族文化総合調査は、九月一日からタイ、カンボジャを中心に開始されたが、その調査団結成式が六日東京会館で行われた。調査団は松本信広慶大教授を団長に、カンボジヤ班(班長松本団長兼務)とタイ班(班長阿部利夫東京外語大教授)の二手に分かれ調査がすすめられた。
ペルー政府は、同国を訪れた東京大学文化人類学教室泉靖一教授に対し、同国リマ州カンカイ谷の発掘研究を許可した。なおペルー政府は許可を与えるにあたり発掘研究の結果をペルー考古学部に報告するよう求めた。
東京都美術館は建設以来三二年を経て居り、戦後美術団体の増加につれて、その利用者もふえ、このままでは要求に応じきれなくなつてきた。そのため都では予算二五〇〇〇万円を計上し、美術団体の寄附五〇〇〇万円と合せ、増改築工事をすることになつた。工事は一六日に着工し、来年三月一日までに完成する予定だが、はじめの計画では周囲の空地に新築するつもりのところ、都市公園法にふれるためやむなく現在の二階建を三階に直す。展示場は現在より一五〇〇坪ふやし、新しい設備として従来の自然光だけの採光をすべて人工光線に切りかえる。また運搬用エレベーターを設けるなど新趣向をこらす。
国立近代美術館と読売新聞社の共同主催による第一回東京国際版画ビエンナーレ展は、外務省、文部省後援の下に、一五日から七月一四日まで有楽町読売会館並びに国立近代美術館で開催された。参加国海外二九カ国から五〇〇点、日本作家二〇〇点計七〇〇点が第一会場読売会館に、第二会場の近代美術館では歌麿、北斎の作品がそれぞれ陳列された。なお二九日読売ホールで授賞式が行われ、次の通りそれぞれ賞状及賞金が贈られた。 国際大賞(副賞三〇万円)ジョルジュ・アダム(フランス) 外務大臣賞 リコ・デペンヤーク(ユーゴスラビア) 文部大臣賞 もり・まなぶ(日本) 国立近代美術館賞(副賞三〇万円)浜口陽三(日本) ブリヂストン美術館賞(副賞一〇万円)アントニ・クラーヴェ(フランス) 神奈川県立近代美術館賞(副賞一〇万円)ジョニー・フリードレンダー(フランス) 大原美術館賞(副賞一〇万円)ヤコブ・ピンス(イスラエル)、レオナード・バスキン(アメリカ) 新人奨励賞(副賞総額二〇万円)ジェフリ・クラーク(イギリス)オットー・エグラウ(ドイツ)、泉茂(日本)、吉田政次(日本)
名古屋城の復興再建工事は、一三日、戦災で焼失して以来一三年ぶりに着工された。三四年一〇月に完成の予定で、外観は殆ど昔の姿そのままとし、内部にはエレベーター、換気、照明、消化など最新式設備を施すという。
台東区では区内居住の文化功労者を顕彰する意味で、名誉区民制度を設けることになつたが、二〇日横山大観が初の名誉区民として撰定された。
上野東京芸術大学々長は、六月九日から二六日までベルギーのブリユッセルで開かれる国際学士院連合第三一回総会に出席するほか、欧州各国の美術音楽教育の教育課程を視察するため三一日渡欧した。