菊池一雄
彫刻家で東京芸術大学名誉教授、新制作協会会員の菊池一雄は、4月30日心不全のため東京都港区の前田外科病院で死去した。享年76。戦後の具象彫刻を代表する作家の一人であり、その流麗なモデリングによる作風で知られた菊池は、明治41(1908)年5月3日京都市上京区に日本画家菊池契月の長男として生まれた。第一高等学校文科在学中の昭和3年、藤川勇造について彫刻を学び、小林万吾の同舟社に通い石膏デッサンを学ぶ。翌年には創設された二科技塾で塑像をはじめた。同5年17回二科展に「トルソ」「カリスト君」が初入選。同7年東京大学文学部美学美術史科を卒業する。二科展への出品を続け、同9年21回二科展に「A子像」で特待を受賞するが、翌10年故藤川勇造門下で結成された新彫塑協会に早川巍一郎らと参加し、翌年の1回展に「ミューズの女」などを発表する。同11年渡欧、パリでシャルル・デスピオ、ロベール・ブレリックに師事、翌年のサロン・ドートンヌ展に「花束」が入選する。同14年帰国、翌15年5回新制作派協会展に滞欧作「ギリシャの男」「裸婦像」など4点を招待出品し、同会会員となる。同20年京都に転じ、同22年京都市立美術専門学校彫刻科教授に就任する。同23年12回新制作派展に「青年像」を発表、翌24年同作で第1回毎日美術賞を受賞した。また、同24年刊行した著書『ロダン』で、翌25年度毎日出版文化賞を受ける。同27年から51年まで東京芸術大学教授をつとめ、退官後同名誉教授となる。この間、同30年に大作「自由の群像」(東京・千鳥ケ渕公園)を完成したのをはじめ、「原爆の子の群像」(同33年、広島平和公園)「坂本龍馬・中岡慎太郎」(同37年、京都円山公園)、「海の男たち」(同45年、神奈川県三浦半島観音崎)、「平和の群像-あけぼの-」(同58年、高松市中央公園)などの記念像を次々に制作した。一方、日本国際美術展、現代日本美術展へも同44年まで制作発表、同42年には9回アントワープ国際彫刻ビエンナーレ展に出品した。同51年神奈川県立近代美術館と京都市美術館で退官記念回顧展が開催される。同57年10回長野市野外彫刻賞を「転生」で受賞する。同58年には、創設された本郷新賞の運営委員、選考委員をつとめた。作品は他に「坐」(同39年)「アトリエの女王様」(同50年)などがあり、作品集に『菊池一雄』(同51年)がある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(252頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「菊池一雄」『日本美術年鑑』昭和61年版(252頁)
例)「菊池一雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9933.html(閲覧日 2024-12-04)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1951年11月 東京芸大教授辞表提出
- 1956年04月 アジア連帯文化使節団出発
- 1947年05月 美校彫刻科に石井鶴三教授反対問題起る
- 1949年11月 毎日美術賞決る
- 1958年01月 高村光太郎賞(第1回)
- 1958年05月 「原爆の子の像」除幕式
- 1972年02月 第1回平櫛田中賞
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