高野三三男
一水会委員、日展参与の洋画家、高野三三男は、6月30日午後7時10分、肺気シュのため東京品川区の昭和大学医学部附属病院で死去した。享年79。高野三三男は、1900(明治33)年3月10日、東京都深川区に生まれ、東京府立第一中学校を卒業し東京高等商船学校に入学したが中途退学し、東京美術学校に入学した。1924年(大正13)に中退してフランスへ渡り、1940(昭和15)まで滞在した。その間、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・ザンデパンダン、サロン・デ・チュイルリーに出品し、1930年パリのベルネーム・ジュン画廊にて個展を開催した。1928年から二科会展に出品、29年二科賞を受賞、31年二科会会友に推挙されたが、37年二科会を脱会して一水会に会員として参加し、以後、一水会を中心に作品を発表した。1940年、第1次大戦のため帰国、文展のち日展にも出品、文展無鑑査、審査委員・日展評議員、参与をつとめた。
主要作品年譜二科会展:1928年15回展「女と猫」「化粧」、16回展「脱衣」「コメディ・イタリエンヌ」「裸婦」「ビストロにて」「街の女」、第17回展「若き獅子」「調髪」「人形と女」、第18回展「ヴイナスの誕生」「レダ」「伊太利喜劇」「掛合ひ」、
一水会展:1938年第2回展「女と猫」「カルナヴァル」「巴里の女」「裸婦」「夢」第3回展「白衣夫人」「芍薬」「ヱチゥド(一、二、三)」第7回展「雪のマルヌ河」「運河よりスエズ遠望」「メッシナ海峡よりシチリア島の一部を望む」1947年第9回展「シャンダイ・ヂョーン」「裸婦」「ファンム・アン・ヴェール」、第10回展「肖像」「白」、第12回展「白交響曲第三楽章」「白のエチュード」、第13回展「ヴィナスの誕生」、第14回展「ダンスーズA」「アルルキンとユロムビン」「Hサン」「アルルキンとピエレット」「ダンスーズB」、第15回展「素踊」「ターキー」、第16回展「淳子嬢B」「淳子嬢A」、第17回展「花柳昌子さんの羽衣」、第18回展「勢獅子」、第19回展「赤い服」「緑衣」、第20回展「幸運を待つシンデレラ」、第21回展「道化師のセレナート」「一億光年の彼方」「上原美佐さん」「庭の一陽」「アンドロメーダ」、第22回展「道化師B、緑衣」「嬉遊曲B」「道化師A」「道化師C」、第23回展「紅い芍薬」「白い芍薬」、第24回展「桜島(旧島津邸より)」「白の諧調」「枯葉」「桜島(城山より)」「白い芍薬」、第25回展「白い芍薬」「磯A」「磯B」「白い芍薬A」、第26回展「白い芍薬」「花」、第27回展「泰山木」「黄色のシャンダイ」、第28回展「イタリア狂言A」「泰山木」「イタリア狂言B」、第29回展「泰山木」、1968年第30回展「青い鳥」「人は真実を怖れる」、第31回展「花と少女」、第32回展「やすらぎ」、第33回展「白のコンチェルト」、第34回展「ファンテジー」、第35回展「泰山木」、第36回展「白のバラードA」「白のバラードB」、第37回展「白のバラード」、第38回展「シューマンのカルナヴァル」、第39回「赤と黒のエチュード」
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「高野三三男」『日本美術年鑑』昭和55年版(282頁)
例)「高野三三男 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9647.html(閲覧日 2024-10-10)
以下のデータベースにも「高野三三男」が含まれます。
- ■美術界年史(彙報)
- 1940年07月 藤田嗣治等仏蘭西より帰朝
- 1949年01月 西洋名画横領事件
- 1957年10月 一水会日展不参加を声明
- 1958年04月 一水会日展へ復帰
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