文化信用組合設立
1953年11月都内に住む文筆家、画家、音楽家、映画、演劇、舞踏家及びその関係者の相互扶助機関として、我国では初めての文化信用組合が設立された。事業は組合員への資金の貸付が主で手形割引、貯金なども扱う。組合長には早川雪州、副組合長は伊原宇三郎、丹羽文雄、芳村伊十郎等で、顧問には藤山愛一郎、大倉喜七郎等の実業家や大谷松竹社長、小林東宝社長、岩波書店社長等文化関係の事業家が予定されている。先月三一日、都の認可をうけ、三日創立総会を開いた。
都内に住む文筆家、画家、音楽家、映画、演劇、舞踏家及びその関係者の相互扶助機関として、我国では初めての文化信用組合が設立された。事業は組合員への資金の貸付が主で手形割引、貯金なども扱う。組合長には早川雪州、副組合長は伊原宇三郎、丹羽文雄、芳村伊十郎等で、顧問には藤山愛一郎、大倉喜七郎等の実業家や大谷松竹社長、小林東宝社長、岩波書店社長等文化関係の事業家が予定されている。先月三一日、都の認可をうけ、三日創立総会を開いた。
東京文化財研究所美術部長田中一松は一日付同所々長に就任した。
法隆寺金堂の再建工事の上棟式は一日行われ、昭和九年以来続けられて来た法隆寺保存修理工事の最後の仕上工事に入ることになつた。
京都紫野大徳寺は朝日新聞社との共催で、二三日から一一月八日まで、銀座松屋で名宝展を開催した。牧渓画、大燈国師墨跡、喜左衛門井戸茶碗等の国宝一二点以下重要文化財四〇点、其他一四〇点の多数が出陳された。
昭和二八年度、第一二回目の文化勲章受賞者が決定し、二七日発表された。美術関係者では板谷波山と香取秀真がこの栄誉をうけた。授賞式は一一月三日文化の日に皇居で行われた。
修理工事進行中の平等院鳳凰堂では一四日、本尊阿弥陀如来の移座を行つた。鳳凰堂から仮安置所まで約五〇米の間にワイヤーを三本張り、滑車で吊して運んだもので、関係者多数の立会のもとに無事終了した。
東京国立博物館の秋の特別展として二〇日から一一月二五日まで開催された。日本の写経、仮名、上代様、和様、唐様、墨跡と中国の書の優品を殆ど網羅して展観したものである。
朝日新聞社の主催により三日から二〇日まで日本橋白木屋に開催。国宝夕顔棚図(守景筆)、風神雷神図屏風(光琳筆)等一〇〇点余の出品があつた。
財団法人常盤山文庫の開館を記念して、毎日新聞社の主催により、六日から一一日まで日本橋三越で開催された。同文庫は菅原通済の収集品を寄贈して設立されたものである。
文化財保護委員会では無形文化財に選定されている伊勢の”型紙”や高松の”漆芸”の技術保存のため「型紙研究所」「漆芸研究所」の設立が計画されている。新設に対し県と市に三分の一国庫補助を行うため来年度に二四〇万円の予算を計上する予定である。
一日から一一月一五日迄、東京国立博物館表慶館においてルオー展が開かれた。東京国立博物館、読売新聞社主催、フランス大使館協賛で油絵、グワッシュ、水彩、デッサン、版画一四八点が陳列された。
流行色に外国の模倣だけでなく、日本独自のものを生みだそうという意図から、日本流行色協会が設立され四日発会式をあげた。発起人には稲村耕雄、剣持勇、猪熊弦一郎、花森安治等、色彩研究家、画家、洋裁家などが多数加つている。
舞台照明を中心に舞台美術の実験研究所が大庭三郎によつて大田区雪ヶ谷七五六に建設され、一五日開所式を行つた。
東京文化財研究所でアイソトープによる金銅仏の透過撮影が行われた。アメリカから輸入したコバルト60の放射能を利用して金銅仏の内部を撮影したもので、旧御物の四十八体仏をはじめ、その他の小金銅仏像の撮影に成功、二九日には奈良薬師寺講堂の月光菩薩像の透過撮影を行い、大金銅像に対する実験として注目を浴びた。
岐阜県関市の新長谷寺の解体工事は二五年一〇月以来すすめられていたが、八日竣工式をあげた。同堂は長禄四年の建造、七堂伽藍の整つた室町中期の密教建築である。
一日から開催中の二科会展では新設の写真部が、会員早田雄二、林忠彦、大竹省三、秋山庄太郎の作品と公募作品一七六点を陳列した。
二九日開催の専門審議会第二分科会(建築)に於て、旧十輪院宝蔵、元箱根村五輪塔等二〇件の重要文化財の新指定を決定した。
神宮司庁は第五九回式年遷宮を前に、二一日、造営工事の全く成つた伊勢神宮正殿を一般に公開し、写真撮影も許可した。
デザイン問題研究会はデザイン学会として発足することに決定、その第一回例会を一五日開き、今後の運営などについて協議した。
毎日新聞社の主催により、一二日から三〇日まで日本橋三越で開催した。一〇月二日に皇大神宮、五日に豊受大神宮の遷宮が行われるのを記念して開かれたもので、伊勢神宮はじめ全国著名の神社四六社から宝物一二〇点が出陳された。