長谷川三郎
洋画家、自由美術家協会々員長谷川三郎は、3月11日サンフランシスコに於いて上顎癌のため客死した。51歳。明治39年9月6日山口県に生れた。甲南高等学校を経て東京帝国大学文学部美学美術史科に学び、昭和4年卒業した。この間、大阪信濃橋洋画研究所に入り、小出楢重に師事した。昭和4年から同7年にわたつてアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、スペインに遊学した。滞仏中、昭和5年サロン・ドオトンヌに入選した。同7年帰国、二科会展に出品入選した。同9年新時代洋画展を興して展覧会を開き、また個展を催して作品を発表した。同12年、村井正誠、山口薫、矢橋六郎、浜口陽三等と自由美術家協会を結成し、わが国における抽象主義絵画の発展に尽瘁した。第二次大戦の戦中、戦後しばらくの間滋賀県長浜に疎開していたが、昭和25年藤沢市に移り、画業及び著作活動に従事するとともに、イサム・ノグチ等と親交を結び、わが国の前衛美術の海外紹介につとめた。同28年アメリカに渡り、ニューヨークにおいて個展を開き、また日米抽象絵画展、国際版画展等に作品を発表した。一度帰国したが、再び渡米、オークランドのカリフォルニア美術大学California College of Arts and Craft.サンフランシスコのアメリカ東洋文化研究所 American Academy of Asian Studies で東洋美術あるいは禅を講義していた。彼は抽象的な作風に終始したが、近年は書や禅の精神をとり入れ、拓本などを応用した作品を発表した。代表的な作品には、「泳ぎ」(昭和8年、二科展)、「蝶の軌跡」(同年12年、自由美術展)「湖のほとりにて」(同24年、自由美術展)「月光曲」(同25年、毎日連合展)「交響詩、晴日」(同26年自由美術展出品、紐育ロックフェラー・コレクション蔵)などがある。また著作に「アブストラクト・アート」「モヂリアニ」(アトリヱ社)、「新しい絵を見る手引き」「新しい形の美」(美術出版社)、「モダーン・アート」(東京堂)などがある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和33年版(163頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「長谷川三郎」『日本美術年鑑』昭和33年版(163頁)
例)「長谷川三郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8921.html(閲覧日 2024-11-02)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1937年02月 自由芸術家協会結成
- 1952年11月 エスプリ会創立
- 1953年06月 日本アブストラクトアートクラブ結成
- 1953年11月 アメリカ抽象芸術家協会展への出品発送
- 1954年03月 日米抽象美術展開催
- 1992年01月 「書と絵画の熱き時代1945-1969」展
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