- 本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された彙報・年史記事を網羅したものです。
- 現在、2019年/平成31(令和元)年まで公開しています。(記事件数
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1953年07月 国際的関連をもつ新美術組織、国際アートクラブは、画家、彫刻家、建築家、美術評論家によつて構成され、各国現代美術の発展とその国際的交流のため、研究、其他諸事業を行うものでその国際中央本部はローマにある。現在アートクラブを結成している国は、イタリー、フランス、オランダ等十ケ国に及んでいる。今年中央本部委員会の決議で会長プランポリー氏から正式に我国へ参加依嘱があり、岡本太郎、小松義雄、村井正誠、末松正樹、恩地孝四郎、植村鷹千代等により設立準備が進められていたが二五日、アートクラブの発会式をあげた。
1953年07月 ブリッヂストン美術映画の第一作「梅原竜三郎」(二巻)が完成、二五日ブリッヂストン美術館で一般公開した。
1953年07月 サンパウロ市のビエンナーレ展に出品招待をうけたにも拘わらず、関係機関の不用意から締切に間に合わず、参加不能となり波乱を呼んでいたが、この程主催者側の好意で重ねて出品の懇望をうけ、急遽出品者を決定した。岡部長景を委員長とする選考委員会で川口軌外、山口薫、牛島憲之、鶴岡政男、岡本太郎、水越松南の六名の出品者に現地から福沢一郎が参加出品する事に決定した。作品は今月末空路郵送する版画四六点に続き、八月二日船便で送られる予定。
1953年07月 近来関心の高まりつつある銅版画の研究団体、日本銅版画家協会が一二日、創立総会を催した。関野準一郎、浜口陽三、駒井哲郎、松田義之等が中心となり年一回展覧会を開く予定。
1953年07月 毎日新聞社の主催により一八日から八月九日まで日本橋三越で開催、鎌倉及びその附近の一社二〇寺秘蔵の宝物一三六点が出陳された。
1953年07月 来年一月からサンパウロ市で、サンパウロ四百年祭が行われるが、在留邦人も日本人協力会を結成これに協賛することとなつた。その一つとして建設費二、〇〇〇万円で日本庭園と家屋を贈り祭典会場を飾る計画がたてられ、その設計を依嘱された堀口捨巳はこれを二日完成、日本人協力会に渡した。家屋、庭園の材料は現地で組立てるばかりにして持つてゆく予定。
1953年07月 外務省では今春以来一流日本画家の作品約八〇点を買上げて在外公館に送つていたが、更に今回ワシントン駐米大使館、エジプト公使館、サンパウロ総領事館に、川端竜子、奥村土牛、小杉放庵、橋本明治等の作品が送られることになり一一日外務省内で展示会が開かれた。
1953年06月 中国に於ける考古学的調査は、北京の中国科学院(院長郭沫若)の考古研究所が一九四九年以来当つているが、最近の調査結果が齎されて反響を呼んだ。特に甘蕭省の麦積山及び炳霊寺の両石窟の発見は注目すべきもので、共に北魏様式を最古とし、石仏、壁画をもつているという。
1953年07月 東京国立博物館々長浅野長武は、伊太利で行われる国際博物館協議会第三回総会出席のため、一日羽田を出発した。会議の後、英仏白和等ヨーロッパ諸国を訪れ、主として博物館美術館等を視察、八月一八日帰京した。
1953年06月 国画会絵画部の石原宏策、木内広、高松健太郎等三〇代の作家一五名によつて研究グループ国画3季会が結成された。
1953年06月 来年の三月、ニューヨークのリヴァーサイド・ミュウゼアムで「アメリカ・アブストラクト・アーチスト」の第一八回展覧会が開催されるが、この展覧会に日本からも三〇点位の出品を期待する旨の招請がアメリカ抽象芸術家協会々長のモリスからとどいた。そこで長谷川三郎等が主となり、純粋抽象芸術の発展と国際交流を目的として、各団体にわかれわかれに所属している抽象派画家の結合として、日本アブストラクト・アート・クラブが結成された。
1953年06月 ユネスコでは浮世絵複製を買上げ、世界各国で展覧会を開く計画をたて、日本へ依嘱していたが、文化財保護委員会の斡旋で完成、パリのユネスコ本部へ発送された。江戸初期から末期へかけての代表的なもので、発達をあとづけるよう系統的に選ばれたものに解説をつけ五〇組(五〇〇〇枚)を送つた。
1953年06月 海外との美術交流が盛になるにつれてその斡旋機関の不備が問題となつたが、文部省社会教育局芸術課長宇野俊郎が世話人となり、外務省、文部省、ユネスコ、国立博物館、国立近代美術館、日本美術家連盟、国際文化振興会等各関係者の懇談会が一六日開かれた。従来の国際文化振興会を強力にすることに意見の一致を見たが、その事務の積極化、円滑化をはかるために側面的援助機関としてこれら関係者により国際美術懇談会が結成され、同日発足した。
1953年06月 工業デザインについて研究討議する国際デザイン会議の第三回は二一日から二七日までアメリカ、コロラド州アスペンで開かれたが、今年から日本もはじめて参加した。代表として通産省工業技術院産業工芸試験所意匠部長剣持勇をおくつた。
1953年06月 最近海外美術交流の上にも日本の版画は注目されて来たが、一三日新時代の版画の振興と国際的発達を目的として社団法人国際版画協会が設立された。理事長恩地孝四郎、常任理事品川工で会員は現在活躍中の日本版画協会々員など二〇余名である。
1953年05月 日本芸術院では二六日東京国立博物館で総会を開き各部長の改選を行つた。今まで欠員になつていた第一部長(美術)には和田英作が選ばれた。
1953年05月 国立近代美術館の昭和二七年度買入作品は日本画四点、油絵九点、彫刻一点総額五四〇万円が決定し発表された。 日本画 土田麦僊 「林泉舞妓」「写生帖およびデッサン」 村上華岳 「日高川」 稗田一穂 「奇異鳥」 油絵 黒田清輝 「舞妓」 青木繁 「日本武尊」 万鉄五郎 「湘南風景」「裸婦」 前田寛治 「裸婦」 小林徳三郎 「海」 松本竣介 「建物」 野田英夫 「サーカス」 安井曽太郎 「金蓉」 彫刻 佐藤忠良 「群馬の人」
1953年05月 毎日新聞社主催の第二回日本国際美術展はフランス、イギリス、アメリカ等一〇ケ国の参加を得て二〇日から六月八日まで東京都美術館において開催された。
1953年05月 かねて建設中の正倉院の新宝庫はこの程完成、二一日落成会を行つた。着工二六年九月、工費五、五〇〇万円、様式は高床式の校倉型構造は鉄筋コンクリート、内部は総檜造二階建である。換気は自然換気、照明は普通電灯で五重遮断、耐震耐火であると共に、温度と湿度の調節には特別の措置がとられている。
1953年05月 二七日出雲大社鑚火殿より発火、拝殿、庁の舎、一九舎などを全焼、八足門を半焼した。一二日に正遷宮を終えたばかりの本殿は類焼をまぬかれた。